安全保障関連法制の廃止を訴える憲法学者、小林節慶応大名誉教授が4月20日、那覇市内で講演した。小林名誉教授は辺野古新基地建設について「憲法問題で、沖縄の人々には拒否権がある」などと述べ、工事を強行する安倍政権を批判した。講演の詳細を掲載する。※沖縄タイムスの講演の記事はこちら


 今日はですね、わくわくしながら来ました。どうも日本の政治はおかしいと深刻に悩み、主張している者として、沖縄からはたくさん勇気をいただいています。憲法学者の観点から、辺野古の話は明らかに憲法違反なんですね。ですから、こちらをきちんと整理して、皆さん方に知的な確信と勇気を差し上げたいと思います。

 先ほど、金城徹先生(那覇市議)が日本語が通じないとおっしゃいましたけれども、私も本当にそれを感じます。例の「戦争法」の国会に、珍しく一つの法案で3回国会に呼ばれるという経験をしまして。まあ東京で憲法学者をしていますから、参考人とか公述人として呼ばれるのは珍しくないんですけどね。だけど一つのことで3回というのは珍しいです。それで、3回とも「これは戦争法であって、憲法9条でそもそも国際法上の戦争ができる国じゃないから、これまで70年間海外派兵というのができなかったじゃないか、それが政府の見解じゃないか、それを突然説明もなしに変えるな」と3回言って、一度もお答えをいただいておりません。私はそれを「バカの壁」と呼んでいるんです。そしたら「政府をバカとは失礼じゃないか」と。いや、バカとは言ってない、バカの壁って言ってるんです。バカの壁と言ったら東京大学の偉い名誉教授が作ってくださった正しい日本語ですから。金城先生のいう話と全く一緒ですよね。金城先生と会った瞬間から「いやぁ、日本語が通じなくて」と。「僕もそうなんです、バカの壁で」と。一気に意気投合してしまいました。

 それで、せっかく専門家としてお呼びいただいたわけですけど。まず辺野古の問題から入ります。本当に見ていて納得できないんですよね。露骨な憲法違反なんです。憲法の95条というのがありまして。形式的な話ですけど。地方特別法を作るときには、その当該自治体の住民投票によって賛成を得なければならない。すなわち、当該自治体の住民に拒否権があるということですね。地方特別法というのは例えばですね、京都とか奈良とかを歴史文化都市に指定したとするじゃないですか、そうすると京都や奈良の景観そのものが文化財ですから、「古い良い家すぎて冬寒いんだよね」といって簡単に改築できないんですね。家を改築するということは自分の財産に限られる憲法29条の財産権による制約なんですよね。そういうことがあるから、当該自治体の住民たちに同意をもらいなさいということですね。

 今度の問題は、辺野古の基地は「辺野古基地建設特別法」で造られてはいないですよね。だけども、日米安保条約が今の国際情勢の中で仮に本国にとって必要であるとしても・・・これは今議論したくありません。いろんな意見があると思いますから。私は中国や北朝鮮やロシアの存在からすると、ないよりはあった方がいいくらいに思っています、今は。でもこれを今お互いに議論すると、意見のぶつかり合いでケンカになってしまいます。意味がないですから。敵の前でケンカしてもしょうがないですからね。

 だからといってその(在日米軍施設の)75%が、面積でいうと日本で下から4番目の沖縄県にガチャっと集中しているというのは、これは過剰負担ですよね。基地という存在が国を守ってくれると言われますけども、事故とか犯罪とか様々な危険が伴いますから、これは負担以外の何物でもありませんよね。だから、日本全体に必要だとしても、日本全体の公益のために沖縄という小さな県に一つの負担をドテッと押し付ける。これ、地方特別法の問題と全く同じなんです。国策のために特定の自治体に負担をかけるときはその住民による承認が必要、つまり拒否権がある。これは憲法95条である地方特別法の話ではないと政府は開き直っていますが、これはっきり、プロとしてはですね、95条の精神による話なんですよね。だから沖縄の人たちに拒否権があるだろうと、僕は昔から言ってきました。

 私、実は産経という新聞の「正論」に論説を書けるメンバーで、40代の時から、もともと「あっちサイド」の人ですからね。最年少だよとかおだてられてやってたんですけど、この10年くらい前からですね、向こうが「何を書いてもいいから書いてくれ」と言われて書いて、2度、3度、失礼にもボツにされて以来書いてないです。その一つがこの沖縄の問題なんです。「沖縄に過剰な負担を負ってほしかったらそれ相応の礼儀があるだろう」「まず総理大臣が頭下げろ」とか書いたんですよ。そしたら無言でボツにされました。これ人間のマナーの問題なんです。法律なんてないですから。グレーなんです。

 ですから沖縄の民意が、国政選挙でもそうですし、知事選挙でもそうですし、拒否しましたよね。それが争点となって。それをもって、ガバナー(知事)がアメリカに行った。その時の扱いがですね、日本政府もアメリカの当局者も・・・当局者が言ったとは思えないんですけど、ちゃんと振り付けされた人は「これは国と国の問題であって、自治体の問題ではない」と(翁長知事が)肩透かしを食らったように報道されていますね。だけど、僕は20代でアメリカでも学んで、日本で学者をやっている身としてですね、これはアメリカンデモクラシー、アメリカ民主主義のテイストに反することなんです。

 僕がアメリカで習ったのは「アメリカ憲法論」です。これはアメリカの各種公式文書に書かれているのでアメリカの生き様です。アメリカで1番偉いのは誰か? 一人一人の個人、主権者である国民なんです。それが地上で、地べたの上で生活して、共に作った基礎自治体、市町村ですね、それが一番大きな権限を持っていて、その連合体としての、日本的にいうと県、あちらでは州ですけど、県がその次で、そこまでが民衆が住む国なんです。で、その連合体としての連邦政府が、連絡政府になって、外交とか貿易に関しては、一元的にやらないといけないので権限を持っているけれども、誰が一番尊いかというと、一人一人の国民が尊いっていう民主主義の原点なんです。これは憲法とか人権というのを最初に作ったアメリカの概念です。その次にアメリカに触発されて、人民革命を行ったフランスも同じなんです。

 ところが、王様がいて帝国が管理するという形で発展した国では、昔は国が上で人民は国の部品だったわけです。だけど、第2次世界大戦後に大日本帝国が滅びて日本国憲法に変わった時に、分かりやすくいってしまうとね、大日本帝国っていうのは天皇家が全株のオーナー、株主一家だったわけです。我々人民は、人民ではなく臣民、つまり家臣、家臣の民です。我々はゼロ株株主だったわけです。ところが敗戦、8月革命によって王政から民政にカチャっと変わったわけです。その結果、我々がみんな一株株主です。天皇家は解釈上ゼロ株です。国の飾りになっているわけです。はっきり国家権力が変わったわけですよ。だからそれぞれの政策を考える時にですね、その負担を負わされる単位の人々が嫌だと言ってもいいわけです。

 だからおそらく、アメリカと正しいチャンネルで結びつけば、「あ、そうなんだ。これは日米関係の問題ではあっても、負担させれられる県の人も嫌だと言っているんだ」となれば、そこに駐留している米軍にとっても感じよくないですよね。だからもう少し考えさせましょうということを、あちらの政府はあちらの政府できちんとやっているのかいと普通は言うパターンなんです。どうしてこうなるのかなあと考えたわけですね。

 だんだん分かってきたんです。民主党政権が倒れた後に。鳩山(由紀夫)さんというのは政権取る前はあの人もヒマでしたから、月に1回かふた月に1回は、お互いに「今回は君が払ってね、今度僕が払う」と。飲み友だったんですね。時々会うと「また遊んでください」とか言うんだけど、もうちょっと遊んであげたくないんですけど。彼はですね、政権を失った後怒ってました。ご存知の通り、役人にだまされたと。日本の外交官ってひどいですよね。これも本当に政権交代したらきちんとケジメつけなきゃいけないんですけど。