第7章 公安の維持

 昭和天皇の崩御に伴い、平成元年2月24日大喪の礼が執り行われた。
 大喪の礼に対し、極左暴力集団は、「大喪の礼爆砕」を主張して爆弾事件等を引き起こした。日本共産党は、天皇批判キャンペーンを繰り広げた。また、右翼は、街頭宣伝活動を自粛する一方で、大喪の礼の執行方法に関して、政府に対する活発な要請活動を展開したほか、日本共産党の天皇批判活動等をめぐって暴力事件を引き起こした。こうした情勢下において、大喪の礼警備は、過去最大のものとなったが、全国警察が総力を挙げて推進した結果、無事に終了した。
 極左暴力集団は、大喪の礼粉砕闘争以降、これまでの成田闘争重視の路線から皇室闘争中心の路線に転換し、成田闘争等あらゆる闘争と絡めながら、即位の礼、大嘗祭粉砕闘争を山場に「テロ、ゲリラ」戦術で闘いを展開する方針を固めた。こうした中、中核派は、4月28日「三番町宮内庁宿舎自動車爆弾事件」を引き起こし、一層過激な闘争を志向した。また、成田闘争をめぐっても、空港建設工事の進展に伴う危機感から対決姿勢を強めており、公共用地審議会の会長代理宅に対する爆弾事件や千葉県職員の個人住宅への放火事件等個人テロの色彩の強い「ゲリラ」事件を引き起こしたほか、「新東京国際空港の安全確保に関する緊急措置法」(以下「成田新法」という。)に基づく現地団結小屋に対する除去処分に籠(ろう)城戦で抵抗するなど、緊迫した情勢となった。
 一方、右翼は、「テロ、ゲリラ」への志向を一層強め、「中曽根元首相に対するテロ企図事件」、「山口社会党書記長襲撃事件」等悪質な事件を敢行したのをはじめ、左翼勢力の天皇批判活動やリクルート問題をめぐって「ゲリラ」事件を引き起こした。なお、右翼による拡声機騒音に対しては、積極的な取締りが行われたほか、石川県において条例が制定されるなど諸対策が推進された。
 日本共産党は、中国の「天安門事件」、ベトナム人等の「ボートピープル」の我が国への漂着、東欧諸国の共産党独裁体制の崩壊や東ドイツ国民の大量国外脱出等によって、社会主義国における矛盾が次々と露呈され、対応に苦慮した。7月の参院選に敗北し、「赤旗」部数も減少した。
 労働戦線では、11月21日、組織労働者約1,220万人のうち約800万人を結集した我が国の労働運動史上最大のナショナルセンターとして日本労働組合総連合会が発足し、一方、日本共産党の指導、援助を受けていた統一労組懇も同じ日、全国労働組合総連合(約140万人)を発足させた。
 基地闘争、原発闘争は、各地で多様な課題で取り組まれ、核燃料サイクル施設建設(青森県六ヶ所村)問題では、全国規模の反対集会が開催された。
 国際テロ情勢は、航空機爆破、誘拐等が発生し、依然として厳しい情勢にあり、また、日本赤軍は、獄中同志の奪還を企図していることから、警察庁は、国際テロ対策を所掌する外事第二課を新設して体制の充実を図った。
 ソ連による北方領土に関する報道機関への働き掛け等の対日諸工作や、北朝鮮による我が国を足場とした対韓諸工作は、引き続き活発に展開された。また、我が国の国際的地位の高まりの中で共産圏諸国による諜報活動は依然として跡を絶たず、プロメトロンテクニクス・ココム違反事件等の3件のココム違反事件を摘発し、巧妙かつ活発化している共産圏諸国のスパイ活動等の実態を明らかにした。

1 総力を挙げて取り組んだ大喪の礼警備

 昭和天皇の崩御に伴い、平成元年2月24日に執り行われた大喪の礼には、各国の元首・弔問使節及び国内要人等約1万人が参列した。
 大喪の礼をめぐって、従来から皇室闘争に取り組んでいた極左暴力集団は、「大喪の礼爆砕」を主張し、爆弾事件等を引き起こしたほか、全国各地で集会、デモに取り組んだ。また、日本赤軍は、天皇制打倒の主張を強め、一連の声明により反皇室キャンペーンを展開した。さらに、日本共産党は、「大喪の礼は、憲法の主権在民、政教分離の原則に反する」などと反対の態度を明らかにし、天皇批判キャンペーンを繰り広げた。
 一方、右翼は、街頭宣伝活動を自粛していたが、大喪の礼の執行方法に関して政府に対する要請活動を行ったほか、左翼諸勢力等の天皇制批判活動をめぐり暴力事件等を引き起こした。
 こうした情勢下において、警察庁では、昭和64年1月7日、「崩御に伴う警衛警護警備対策委員会」を設置して、全国警察の調整に当たったほか、警視庁をはじめ全国警察では、それぞれ警備本部を設置して、皇室関連施設、重要施設の警戒警備に当たった。大喪の礼警備は、過去最大のものとなったが、全国警察が総力を挙げて推進した結果、無事に終了した。
(1) 「大喪の礼爆砕」を主張し、爆弾事件を引き起こした極左暴力集団
 極左暴力集団は、昭和天皇の崩御以降、「大喪の礼爆砕」を主張して大喪の礼までの間、11件の「ゲリラ」事件を引き起こしたほか、全国29都道府県166箇所で1万3,600人が集会、デモに取り組むなど反皇室気運の盛り上げを図った。
 こうした一連の皇室闘争の中で、革労協狭間派は、10件の「ゲリラ」事件を引き起こすなど過激な闘争に取り組んだ。とりわけ、平成元年2月3日には、消火器爆弾を使用した「東郷神社本殿爆破事件」を引き起こし、また大喪の礼当日には、御葬列の進路である中央自動車道の切り通しに大型の消火器爆弾2個を仕掛けて爆破し、大量の土砂を飛散、流出させた。
 一方、中核派は、爆弾等を使用した「ゲリラ」を引き起こすことを企図し、準備活動を進めていたが、警察がこれを未然に防圧したため、御葬列通過前の祭官車への飛び出し事案を引き起こすにとどまった。

(2) 大喪の礼をとらえ反皇室キャンペーンを展開した日本赤軍
 日本赤軍は、従来から一貫して天皇制の打倒を主張していたが、昭和天皇の御容体の急変以降、大喪の礼にかけて更にそのトーンを強め、一連の声明により反皇室キャンペーンを展開した。
 昭和63年10月1日、「天皇Xデー攻撃について」と題する声明を発出して、「我々は、日本人民、アジア・太平洋人民の天皇制との闘いの歴史を引き継ぎ、天皇制を最終的に一掃する闘いをXデーとの対決のなかで、前進させなければならない」と天皇制との闘いを強調し、64年1月7日には、「天皇ヒロヒトの死に関して」と題する声明において、「我々日本赤軍は、天皇制の戦犯罪に決着をつける」、「天皇制打倒のために闘う」と主張した。また、平成元年2月1日付声明では、大喪の礼について、「国家葬は、天皇制の強化のため最大のセレモニーのひとつである」と位置付けし、「我々は、すべての人民と政府に対して、葬儀への参加を拒否し、葬儀に参加しようとするものに対して、闘うことを呼びかける」など強硬なアピールを行った。
 このため警察は、各国治安機関との連携を強化するなどの諸対策を推進し、テロの未然防圧を図った。
(3) 天皇批判キャンペーンを繰り広げた日本共産党
 日本共産党は、昭和天皇の崩御に際して、「天皇裕仁は、侵略戦争の最大かつ最高の責任者」、「天皇制は廃止されるべきもの」という内容の中央委員会声明を発表した。また、大喪の礼については、「憲法の主権在民と政教分離の原則に反する」との理由でその中止を要求した。さらに、天皇問題をテーマとした学習会やシンポジウムを各地で開催するなど、大々的な天皇批判キャンペーンを繰り広げた。
(4) 崩御、大喪の礼をめぐって各種の抗議、要請活動を展開した右翼
 右翼は、昭和天皇の崩御直後から皇居における弔問記帳や神社での拝礼等弔意を表す活動に取り組むとともに、御病気中に引き続いて街頭宣伝活動を自粛した。
 反面、崩御をめぐって天皇批判の「声明」を発表した日本共産党や外国報道機関の天皇批判報道をとらえて、これらの関係先に抗議を行ったほか、大喪の礼の執行方法をめぐり政府、宮内庁等に対して「伝統に基づく国の儀式としての執行」を求めて要請活動を活発に展開した。
 この間、日本共産党宣伝カーに乗車中の同党市議会議員に暴行を加えた事件(平成元年1月11日、滋賀)や、大喪の礼当日、日本共産党系団体主催の集会会場内に侵入して発炎筒を投てきした事件(2月24日、埼玉)等を引き起こした。
(5) 過去最大の警備
 昭和天皇の崩御に伴い、警察庁では「崩御に伴う警衛警護警備対策委員会」を、警視庁をはじめ全国警察では警備本部を設置し、各種の諸対策を推進するとともに、大喪の礼が執り行われることとなった新宿御苑や皇居、赤坂御所をはじめとする全国の皇室関連施設、空港その他の重要施設の警戒警備に当たった。
 平成元年2月24日に執り行われた大喪の礼には、各国の元首・弔問使節及び国内要人等約1万人が参列した。
 大喪の礼に参列した国は、過去最大規模といわれていた故チトー・ユーゴースラビア大統領の葬儀(昭和55年5月8日、ベオグラード)に参列した119箇国を大きく上回る164箇国となり、さらにEC、27の国際機関の代表が参列したほか、PLO等からの参列もあった。これら諸外国等からの参列者のうち、国王、大統領等元首クラスは55人に、王族、副大統領、首相等は49人にも上った。
 大喪の礼当日、警視庁においては、天皇及び皇族と内外要人の御身辺の絶対安全を図るとともに、国民の哀悼の意に配意しつつ諸儀式の円滑な進行を確保することを基本方針として、大喪の礼の会場となった新宿御苑、陵所の儀が挙行された武蔵陵墓地及び御葬列沿道を中心に警衛警護警備に当たった。この日の大喪の礼警備には、全国からの応援部隊6,000人を含む3万2,000人が従事し、1日当たりの動員数としては過去最大の体制で臨んだ。
 このように、大喪の礼警備は、全国警察が総力を挙げて取り組んだ過去最大のものとなった。

2 「天皇・三里塚決戦」へ路線を転換し、一層先鋭化した極左暴力集団

(1) 新たな展開をみせた皇室闘争
 極左暴力集団は、大喪の礼粉砕闘争の結果が不十分であったことの反省を踏まえ、これまでの成田闘争重視の路線から皇室闘争を中心に据えた「89-90年天皇・三里塚決戦」の路線を打ち出した。これは、皇室闘争に成田闘争、関西国際空港建設反対闘争等あらゆる闘争を絡め、即位の礼、大嘗祭粉砕闘争を最大の山場として「テロ、ゲリラ」戦術を中心に闘いを展開するという過激な闘争路線である。
 中核派は、平成元年4月28日、この路線の第一弾として「三番町宮内庁宿舎自動車爆弾事件」を引き起こし、その犯行声明の中で、「宮内庁宿舎の爆破戦闘は、天皇決戦への戦闘宣言である」と強調した((3)参照)。

(2) 緊迫の度を強めた成田闘争
 極左暴力集団は、「平成2年度空港概成」に向けた空港建設工事の進展や成田闘争への動員の伸び悩みに一段と危機感を募らせ、平成元年中、「公共用地審議会会長代理宅物置爆破事件」、「千葉県収用委員会事務局職員宅放火事件」等11件の「ゲリラ」事件を引き起こしたほか、闘争拠点である団結小屋の要さい化を進めた。
 一方、元年7月には、反対同盟熱田グループの最大支援セクトである戦旗・荒派が、同グループから共闘関係の断絶と現地からの退去を通告されるという新たな局面がみられた。
 こうした中、運輸省が、8月29日及び9月19日、成田空港建設用地内外に所在する団結小屋10箇所に成田新法の適用(使用禁止命令)を行った。これに対して、極左暴力集団は、「三里塚決戦なくしては大嘗祭を闘えない」との認識から元年11月から2年3月までを「死闘の5か月」と位置付け、「決死隊」の増強を図るなど籠(ろう)城戦の構えに入る一方、引き続き「収用委員再任命問題」に関して個人テロを示唆するなど「成田」情勢は一段と緊迫の度を強めた。
 運輸省は、元年12月4日、使用禁止命令の対象となっていた戦旗・両川派の東峰団結会館の除去処分を通告し、7日には同会館を除去した。この間、極左暴力集団は、4基の櫓(やぐら)上に立てこもり、除去作業に従事する運輸省、新東京国際空港公団職員、機動隊員等に対し、洋弓様の物で火炎びん、鉄筋を発射するなど激しく抵抗を繰り返したため、警察は、戦旗・両川派活動家ら5人を検挙した。
(3) 本格化した爆弾闘争
 極左暴力集団は、組織の非公然化、軍事化を一段と強める中、27件の「テロ、ゲリラ」事件を引き起こしたが、このうち5件が強力な設置式爆弾を使用した事件であった。
 中核派が「三番町宮内庁宿舎自動車爆弾事件」で使用した爆弾は、窃取した自動車に圧力釜爆弾を仕掛けて車両もろとも爆破するという本格的な「自動車爆弾」であった。
 一方、革労協狭間派が行った「中央自動車道切り通し爆破事件」は、破壊力の強い消火器爆弾2個を切り通しに埋設して爆破し、大量の土砂を高速道路上に飛散、流出させたもので、御通過時間に合わせて爆破があれば、御葬列を直撃しかねないものであった。
 このように極左暴力集団は、大型の爆弾を使用した「ゲリラ」を多発させるとともに、「昭和61年にめざした機動隊せん滅を必ず実現する」などと主張して武器の改良、開発を進めるなど、爆弾志向を一段と強めた。
 過去10年間の極左暴力集団による「テロ、ゲリラ」事件の発生状況は、図7-1のとおりである。

図7-1 「テロ、ゲリラ」事件の発生状況(昭和55~平成元年)

〔事例1〕 三番町宮内庁宿舎自動車爆弾事件
 平成元年4月28日深夜、東京都千代田区内の三番町宮内庁宿舎敷地内において、圧力釜爆弾を搭載した盗難車が爆発し、宿舎の窓ガラス、外壁及び敷地内に駐車中の自動車等が爆風により破損した(東京)。
〔事例2〕 中央自動車道切り通し爆破事件
 2月24日、東京都調布市内の中央自動車道深大寺バス停付近の切り通しにおいて、埋設された時限式の消火器爆弾2個が御葬列の御通過直前に爆発し、切り通し法面(のりめん)の土砂が大量に自動車道上に飛散、流出した(東京)。

(4) 強まる個人テロ志向
 中核派は、昭和63年9月の「千葉県収用委員会会長襲撃事件」に引き続き、平成元年1月29日には、神奈川県下の公共用地審議会会長代理宅に圧力釜爆弾を仕掛け、同家の物置を爆破するという個人テロの色彩の強い「ゲリラ」事件を引き起こした。
 さらに、同派は、「無制限、無制約のテロ、ゲリラ」を主張し、千葉県収用委員会事務局職員宅、千葉県議会事務局次長宅等4箇所に、それぞれ

時限式発火装置2組を仕掛けて放火するという悪質な「ゲリラ」事件を引き起こし、とりわけ、「千葉県議会事務局次長宅放火事件」では、その居宅に対し、逃げ道をふさぐように時限式発火装置を仕掛ける手口を採り、家人一人を負傷させるに至った。
 一方、革労協狭間派も「収用委員再任命問題」をとらえ、中核派の個人テロを評価するとともに、「再任命阻止のためには、われわれも個人テロを辞さない」などと強調した。
 こうした中、警視庁及び千葉県警察は、12月7日に、「千葉県収用委員会会長襲撃事件」の被疑者である中核派非公然活動家2人を検挙した。
 過去10年間の極左暴力集団による個人テロ等の発生状況は、表7-1のとおりである。

表7-1 個人テロ等の発生状況(昭和55~平成元年)

〔事例1〕 「千葉県収用委員会会長襲撃事件」等の被疑者の逮捕
 昭和63年9月21日、千葉市内において帰宅途中の千葉県収用委員会会長が鉄パイプ等で武装した数人の男に襲撃され、重傷を負う事件が発生した。
 事件後、中核派が犯行を自認したが、その後も同県収用委員会委員らに電話やはがき等で委員の辞職を要求する脅迫事件が相次ぎ、同年10月24日には、収用委員会会長以下全委員が辞表を提出し、委員会の機能は事実上停止するに至った。
 これらの事件に対する捜査を進め、収用委員会会長の襲撃事件の犯行に加わっていた中核派非公然活動家2人を、平成元年12月7日逮捕したほか、収用委員らに対する脅迫事件でも同派活動家2人を逮捕した(警視庁、千葉)。
〔事例2〕 千葉県議会事務局次長宅放火事件
 11月16日未明、千葉市内において千葉県議会事務局次長宅の玄関及び勝手口にそれぞれ時限式発火装置が仕掛けられ、木造一戸建住宅が全焼し、就寝中の家人1人が逃げ道を失い、2階から避難する際に負傷した(千葉)。
(5) 内ゲバの新たな展開
 中核派は、平成元年2月8日に「東鉄労水戸地本組織部長殺害事件」を、革労協狭間派は、6月25日に「革労協狭間派元最高幹部殺害事件」、12月2日に「JR総連総務部長殺害事件」をそれぞれ引き起こした。これらの事件は、被害者を路上で待ち伏せしたり、就寝中を襲撃したもので、いずれもハンマー、バール等の武器を用いて多数で全身を殴打するという残忍な殺人事件であった。
〔事例〕 革労協狭間派元最高幹部殺害事件
 革労協狭間派は、闘争方針や戦術をめぐり、ここ数年来内部抗争を続けていたが、6月25日未明、埼玉県川口市内において、主流派の路線に反対する元最高幹部(43)の居宅を多数で襲撃し、ら致した上、撲殺し、茨城県下の路上に放置するという極めて悪質な内ゲバ事件を引き起こした(埼玉、茨城)。
(6) 極左対策の推進
 極左暴力集団は、最近、警察の目を逃れるため、アジトを短期的に移動したり、偽造した身分証明書を使い、旅館、ホテルを転々としながら広範囲に移動を繰り返すなど非公然化の傾向を一層強めている。「ゲリラ」に使用する武器や爆弾材料については、一挙に摘発されることを防止するため、数箇所に分散保管するなど細心の注意を払っている。
 また、「三番町宮内庁宿舎自動車爆弾事件」にみられるように盗難車を使用しているほか、時限装置を使用したり、精巧な偽造ナンバープレートを取り付けるなど検挙を免れるため徹底した工作を行い、巧妙な手口で「ゲリラ」を引き起こしている。
 これに対し、警察は、広く国民の協力を得て全国的にアパート・ローラー、「地下工場」ローラー等非公然アジトの発見活動を徹底するとともに、車両盗難防止対策を積極的に推進した。
 この結果、平成元年中、奈良県橿原(かしはら)市や栃木県足利市に所在する中核派非公然アジトの摘発をはじめ、非公然アジト10箇所(昭和63年4箇所)を摘発し、爆弾製造教本や偽造ナンバー製造工具等多数の資料を押収した。
 また、中核派、革労協狭間派の幹部等非公然活動家39人(63年13人)を含む合計218人(63年176人)の極左活動家を検挙した。

〔事例1〕 「橿原(かしはら)アジト」の摘発
 2月7日、奈良県橿原(かしはら)市内の中核派非公然アジトを摘発し、その際捜査員に暴行を加えた活動家2人を公務執行妨害で逮捕するとともに、水溶紙に記載されていた爆弾製造教本、警察車両の調査資料等を多数押収した(大阪)。
〔事例2〕 「足利アジト」等の摘発
 11月10日、栃木県足利市内の中核派非公然アジトを摘発し、幹部活動家2人を偽造有印私文書行使、公務執行妨害でそれぞれ逮捕するとともに、偽造ナンバープレート、同製造工具一式、自動車の窃取に利用する鍵(かぎ)山測定器等の資材を多数押収した。さらに、神奈川県秦野市内の中核派非公然アジトを摘発、同派活動家を逮捕して偽造ナンバープレートの材料等を押収した(警視庁)。

 極左暴力集団は、「テロ、ゲリラ」を敢行するために「革命軍」等と称する非公然組織を設け、相互に実名を知らないほどの厳格な秘密保持の体制を採っており、また、検挙しても、被疑者が組織からの報復を恐れ事件のことはなかなか供述しないなど、その摘発には困難が伴っている。また、最近では、「無制限、無制約のテロ、ゲリラ」を主張し、人の殺傷を目的として爆弾、発火装置を仕掛けるなど、その手口は悪質、残忍の度を増している。
 警察としては、国民の理解と協力の下、関係機関との連携を密にし、あらゆる法的手段を尽くして極左暴力集団の解体に向けて努力していくこととしている。

3 緊迫の続く国際テロ情勢

(1) 国際テロ情勢
ア 地域別テロ情勢
 国際テロは、世界各地にまたがって、航空機の爆破、爆弾テロ、誘拐、暗殺、放火事件等が発生し、その手段も凶悪化、巧妙化の傾向を示した。
 平成元年の地域別テロ情勢は、次のとおりである。
〇 中東では、アラファト・PLO議長が、米国との直接対話を開始するなど、外交的手段によるパレスチナ問題解決への努力を進めた。このためパレスチナ人グループによるテロは、鎮静化の傾向を示したが、一方、こうした動きに反発する「パレスチナ解放人民戦線総司令部派(PFLP-GC)」等一部のグループはイランに接近するなど、テロ志向を更に強めた。また、レバノンではシーア派過激グループによる人質の米国軍人ヒギンズ中佐の処刑が明らかになり(7月)、一挙に緊張が高まった。こうした中、9月19日アフリカ・ニンエール上空で高性能爆弾を使用したフランス・UTA機爆破事件が発生し、乗員、乗客171人が死亡したほか、11月22日にはモアッワド・レバノン新大統領が暗殺された。
〇 西欧では、英国等で「悪魔の詩編」販売店等に対する爆弾、放火事件が、西ドイツで「アイルランド共和国軍暫定派(PIRA)」による英空軍基地爆破事件(7月)や「西ドイツ赤軍(RAF)」によるドイツ銀行頭取暗殺事件(11月)等のテロ事件が発生した。
〇 中南米では、ホンジュラスの米軍バス爆破事件(2月)、コロンビアの米国大使館砲撃事件(9月)等依然として米国権益を狙ったテロ事件が頻発した。
〇 アジアでは、フィリピンの米軍将校射殺事件(4月)、ミャンマーの反体制派学生による同国航空機乗っ取り事件(10月)等が発生したほか、インド、スリランカにおいて人種、宗教的対立等に起因したテロ事件が多発した。
イ 我が国に関連した国際テロ事件
 元年に発生した我が国関連の国際テロ事件としては、国内において、ミャンマー大使館に対する爆発物設置事件(11月)が発生し、国外ではラオスにおいて三井物産ビエンチャン事務所長誘拐事件(3月)、アンゴラにおいて日本企業が入居するビルの爆破事件(5月)が発生した。
(2) 依然として武装闘争路線を堅持する日本赤軍
 日本赤軍は、昭和61年以降テロ活動を活発化させ、サミットをねらったジャカルタ事件等を引き起こした。平成元年には、テロ事件の発生には至らなかったが、PFLP‐GC等過激な国際テロ組織との連携を強化していることが判明した。
 また、日本赤軍は、過去に3件の獄中同志奪還のためのテロを行い、12人の同志を奪還しているが、かねてから日本赤軍メンバーAや東アジア反日武装戦線死刑囚等を実力で「奪遷」することを企図して、様々なしゅん動を続けている。
(3) 「第二のB」送り込みを示唆した「よど号」グループ
 「よど号」乗っ取り犯人グループは、現在、北朝鮮にいるとみられるが、一部メンバーの所在は不明である。
 同グループは、かねてより自らの帰国の可能性について模索していたが、昭和63年文芸春秋7月号で、「赤軍からの停戦提案」と題して、日本政府に対し話合いによる「合意帰国」を要求し、これが受け入れられない場合には「一方帰国」もあり得る旨明らかにしていた。
 こうした中、平成元年7月平壌で開催された「第13回世界青年学生祭典」取材のTBSとのインタビューで若林盛亮は、「合意帰国」の原則を再度強調しながらも、「帰国を切り開くためにメンバーの一人を日本に送り込む用意がある」と「第二のB」の送り込みを示唆した。また、「よど号」グループは、引き続き、機関紙「日本を考える(季刊)」を国内支援者向けに発行し、B裁判闘争への支援活動として、裁判の傍聴とカンパをはじめ、Bの保釈を求める組織の結成を繰り返し呼び掛けた。
(4) 国際テロ対策の充実強化
 平成元年7月開催された第15回主要国首脳会議(アルシュサミット)では、政治宣言の中で、テロリスト及びその支援者に対していかなる譲歩も行わないことの原則と国際テロ対策についての国際協力の必要性が改めて確認された。
 警察庁では、日本赤軍によるテロ活動の活発化をはじめとする厳しい国際テロ情勢に的確に対処するため、5月29日、国際テロ対策を専門に所掌する外事第二課を新設し、体制を強化した。同課では、外国治安機関との情報交換の強化、ICPOを通じての日本赤軍メンバーに対する「赤手配」の発出等により、日本赤軍によるテロの未然防止を図っている。また、国際テロリストの我が国への潜入、武器の搬入阻止を図るため、入国管理局、税関等との連携を強化するなど国際テロ対策を推進している。

4 危険な傾向を強めた右翼運動

(1) 大喪の礼終了後、活動を再開
 昭和天皇の御病気、崩御に伴って長期間街頭宣伝活動を自粛してきた右翼は、大喪の礼の終了とともに活動を再開し、自粛期間中における日本共産党の天皇批判キャンペーンをはじめ、土井社会党委員長や本島長崎市長の「天皇戦争責任発言」(注)、大喪の礼の執行方法に対する政府・与党の姿勢、さらには折からのリクルート問題等をとらえて、これらの関係先に対する抗議活動を活発化させた。
 こうした中で、右翼は、平成元年には、トラックにガソリン入りポリタンクを積載して首相官邸に突入した事件(3月5日、東京)、中曽根元首相に対するテロを企図してけん銃を所持していた事件(5月18日、東京)、演説中の山口社会党書記長を襲撃し暴行を加え傷害を与えた事件(5月12日、滋賀)等の悪質な事件を引き起こした。
(注) 2年1月18日、「天皇戦争責任発言」をめぐって本島長崎市長が右翼にけん銃で狙撃され、重傷を負う事件が発生した(長崎)。
(2) 皇室問題をめぐって各種の取組を展開
 右翼は、大喪の礼の執行方法をめぐって、「政府は大喪の礼と葬場殿の儀を国の儀式と皇室儀式に分離して行い、我が国の歴史に拭(ぬぐ)い難い汚点を残した」などと強い不満を示すとともに、「このままでは、即位の礼と大嘗祭が二分して執行されるおそれがある」として「伝統に基づいた国の行事としての大嘗祭の執行」を求めて政府をはじめ宮内庁等関係先に対する抗議、要請活動に取り組んだ。
 また、右翼は、昭和天皇の遺産相続税問題をとらえ、課税の中止及び相続税法の改正等を求め、宮内庁、大蔵省、国税庁等関係先に対して活発な抗議、要請活動を展開し、この過程で、課税中止を求めて麹町税務署に侵入し、けん銃を発射して立てこもる事件(平成元年8月16日、東京)を引き起こした。
(3) 「テロ、ゲリラ」志向の定着
 最近、右翼の間に「もはや街頭宣伝だけでは効果がない。これからはテロ、ゲリラの時代だ」との危険な主張が広まり、街頭宣伝活動とは別に一般人を装って攻撃目標に接近したり、夜間犯行を行って逃走するなど「ゲリラ」的な戦術によって目的を達成しようとする傾向が顕著になっており、右翼全般に街頭宣伝活動から「テロ、ゲリラ」への志向が定着しつつある。
 また、平成元年は、けん銃を使用した悪質事件が増加し、「中曽根元首相に対するテロ企図事件」(5月18日、東京)等4件のけん銃使用事件を引き起こすなど、右翼運動は一段と悪質、先鋭化している。最近5年間の右翼による「テロ、ゲリラ」事件の検挙状況は、表7-2のとおりである。

表7-2 右翼による「テロ、ゲリラ」事件の検挙状況(昭和60~平成元年)

(4) 右翼の拡声機騒音対策
 昭和63年12月、「国会議事堂等周辺地域及び外国公館等周辺地域の静穏の保持に関する法律」が施行されたが、平成元年12月末までに、静穏を保持すべき地域として5都道府県において延べ37箇所が指定されており、警察では、同法違反として2件、2人を検挙した。同法の施行により、これらの指定地域内では、右翼街宣車の通行が目に見えて減少している。
 また、石川県においては、右翼標ぼう暴力団による拡声機を使用した恐喝事件を契機として、拡声機騒音規制のための条例制定の気運が盛り上がり、12月県議会において公安委員会所管の「拡声機による暴騒音の規制に関する条例」が制定された。このように、右翼の拡声機騒音に対しては、取締法令の不備を克服するために一部ではあるが新たな立法措置が採られて効果を上げている。
 このほか、奄美大島に常駐して一部住民追い出しのために拡声機放送を続けていた右翼の活動拠点、街宣車等に対し、12月5日、軽犯罪法(第1条第14号)違反で捜索を実施し、スピーカー、録音テープ等を押収する(注)など、限られた既存の法令を最大限に活用した積極的な取締りを推進した。
(注)2年1月6日、軽犯罪法違反で5人を検挙(鹿児島)

5 苦境に立たされた日本共産党

(1) 「天安門事件」、東欧問題、難民問題で対応に苦慮
 平成元年においては、中国の「天安門事件」、ベトナム人等の「ボートピープル」の我が国への漂着、東欧諸国の共産党独裁体制の崩壊や東ドイツ国民の大量国外脱出等によって、社会主義国における矛盾が次々と露呈された。
 日本共産党は、支持者の党離れや党内の動揺を防ぐため、「社会主義国の一連の事態は、社会主義に固有のもの、法則的なものではなく社会主義からの逸脱の結果だ」という態度で対応した。しかし、こうした社会主義国の事態は、日本共産党の参院選敗北や「赤旗」部数減少の要因の一つとなった。また、党内には「ベルリンの壁の取壊しを見ていると、私たちが目指している社会主義は本当に理想の社会なのだろうか、自信をなくしてしまった」という声が聞かれるなど動揺がみられた。
(2) 参院選に敗北、党立て直しに取り組む
 日本共産党は、平成元年7月の参院選において、表7-3のとおり比例区、選挙区とも前回に比べ議席、得票数、得票率のいずれも減らして敗北した。

表7-3 参院選における日本共産党の得票状況等

 日本共産党は、党員が党中央の決定を読まないこと及び機関紙「赤旗」の部数が減っていることを「二大欠陥」と名付けて党立て直しのための取組強化を図った。しかし結果的には、党員数は、約48万人を保持したものの、「赤旗」部数は、前年の約300万部から約285万部へ減少した。
 一方、日本共産党は、夏の都議選、参院選を境に、これまで厳しい批判を行ってきた社会党に対する態度を変え、共闘を積極的に呼び掛けた。
 このように日本共産党が、社会党に対する態度を変えたのは、社共共闘の復活により、あわよくば社共を中心とする連合政権を成立させようとのねらいがあるものとみられる。しかし、下部党員の間では、党中央の急激な態度の変化についていけず「社会党は右転落し、ルビコン河を渡ったと決めつけていたのに、いつ引き返したのか」といった批判の声が聞かれた。
(3) 孤立化を強める形で結成された全労連
 労働戦線再編・統一問題は、昭和62年11月にいわゆる労働四団体の枠を超えて民間労組のナショナルセンターとして旧「連合」が発足し、さらに平成元年11月21日に旧「連合」と官公労組とが統合して、組織労働者約1,220万人のうち、約800万人を結集した我が国の労働運動史上最大のナショナルセンターとして連合(日本労働組合総連合会)が発足した。
 これに対し、日本共産党の指導、援助を受けていた統一労組懇は、旧「連合」、総評等の動きを労働戦線の「右翼的再編」と批判する一方で、昭和55年の日本共産党第15回大会で提起された「階級的ナショナルセンター」の結成に向けた活発な活動を行っていたが、連合発足と同じ平成元年11月21日に約140万人(公表勢力)を結集して全労連(全国労働組合総連合)を結成した。
 日本共産党系ナショナルセンターの結成は、昭和33年に解散した産別会議以来31年ぶりであり、日本共産党は、「まさに歴史的事業」と高く評価している。しかし、総評運動の継承、発展を主張する社会党左派系労組等が、平成元年12月9日に全労連とは一線を画した反「連合」の連絡・共闘組織として全労協(全国労働組合連絡協議会)を結成し、全労連には統一労組懇加盟労組等が結集するにとどまるなど、労働運動の分野での孤立化が一層強まった。
 なお、統一労組懇は、全労連の発足に伴い、11月20日に解散した。

6 多様な課題で取り組まれた大衆闘争

(1) 米軍住宅、訓練施設建設等をとらえ取り組まれた基地闘争
 平成元年は、池子米軍家族住宅建設反対闘争(神奈川・逗子)、都市型戦闘訓練施設建設反対闘争(沖縄・恩納(おんな))、日米共同訓練反対闘争(北海道・千歳、青森・三沢、石川・小松)、陸上自衛隊北方機動特別演習反対闘争(北海道・別海(べつかい))等の基地闘争が取り組まれた。
 このうち、全国動員を呼び掛けて取り組んだ池子米軍家族住宅建設反対闘争(11月26日)には、現地に2,700人を動員し、その中で「この大会を出発点に国民的な反対運動として発展させていく」ことが強調された。
 これらの基地闘争には、全国で529回、5万8,000人が動員されたが、昭和63年の759回、14万人を下回った。
(2) 各地で取り組まれた原発闘争
 平成元年は、原発廃止等を訴える集会やデモ、電力会社、県庁等への抗議、要請行動、核燃料物質輸送反対行動等の原発闘争が各地で取り組まれた。
 このうち、青森県六ケ所村における核燃料サイクル施設建設問題では、4月9日、六ヶ所村現地に県内外からこれまで最高の7,900人を動員して反対集会が取り組まれ、その中で「核燃を阻止すれば日本中の原発は止まる。全国に反対の声を広げよう」との主張がなされた。この反対集会に、革マル派、中核派の極左暴力集団150人が参加した。
 これらの原発闘争には、全国で1,162回、9万7,000人が動員されたが、昭和63年の1,318回、16万5,000人を下回った。

7 巧妙化するスパイ活動等の実態

 我が国に対するスパイ活動は、我が国の置かれた国際的、地理的環境から、共産圏諸国であるソ連、北朝鮮等によるものが多く、また、我が国を場とした第三国に対するスパイ活動も、ますます巧妙、活発に展開されている。
 スパイ活動のねらいについては、従来は、我が国の政治、経済、外交、防衛に関する情報、米軍軍事情報、韓国の政治、軍事等に関する情報の入手が中心であった。しかし、近年のスパイ活動は、従来のものに加えて、我が国の各界に対する謀略性の強い政治工作活動や我が国の高度科学技術に重点を置いた情報収集活動、さらには海外にいる日本人を利用した活動等、様々な方法や目的により行われている。
 こうしたスパイ事件は、国家機関が介在して組織的かつ計画的に行われるため、潜在性が強く、その実態把握は困難である。また、我が国にはスパイ活動を直接取り締まる一般法規がないことから、スパイ活動を摘発できるのは、その活動が各種の現行刑罰法令に触れた場合に限られている。
 このような条件の下、平成元年には3件のココム違反事件を検挙したが、このことは、新しい東西関係の構築が模索されている昨今においても、共産圏諸国によるスパイ活動が、依然として跡を絶たない状況であることを示している。しかも、こうして明るみに出たものは、正に氷山の一角にすぎないと考えられ、警察としては、今後とも、我が国の国益を守るため、スパイ活動に対し徹底した取締りに努めることとしている。
(1) 活発化するソ連の対日諸工作
 ソ連は、ゴルバチョフ書記長のウラジオストク演説(昭和61年7月)、クラスノヤルスク演説(63年9月)等で我が国をはじめとするアジア・太平洋地域重視政策を打ち出し、各国への接近動向を強めている。
 こうした中で、ソ連は、危機状態にある国内経済の立て直しのため、我が国からの経済協力、技術援助の取付けを得るべく、その最大の障害となっている北方領土問題に関する我が国の政経不可分の立場等の政策の切り崩しをねらって、各界各層に対する諸工作(アクティブ・メジャーズ)を展開している。
〔事例〕 ソ連は、平成元年3月以降、内外の報道機関に北方領土への査証付与による入域取材を許可し、ソ連住民の生活ぶり等を取材、報道させる動向を示した。これはソ連査証取得による入域という事実の積み上げにより北方領土領有の既成事実化を図るとともに、報道機関が「ソ連化」した北方領土を広く報道することにより、その 返還がもはや困難であるとの日本国内の世論作りをねらったものとみられる。
 このような動向に対し、我が国政府は、閣議了解の上、北方領土へのソ連査証取得による入域の自粛を国民に要請した(9月)。
(2) 我が国を足場に巧妙な対韓工作等を行う北朝鮮
 北朝鮮は、韓国革命による朝鮮半島統一実現に向けて、我が国を足場とした対韓工作等を一層活発化させている。
 すなわち、北朝鮮は、韓国の国会議員、牧師、女子大生ら反政府活動家を日本経由で秘密裡(り)に北朝鮮に迎え入れるなど、我が国を足場とした対韓工作を活発に行っているほか、親朝世論の拡大等をねらって、我が国の各界関係者等に対する訪朝招請、各種代表団の派遣等により、我が国各界各層に対する働き掛けを活発に行っている。
 一方、北朝鮮工作員は、様々な手段により我が国に密入国し、在日韓国人、朝鮮人に成り代わるなどしてスパイ活動に従事しているが、最近では、日本人をら致し、その戸籍を盗用して日本人に成り代わるなど、その手ロも悪質化の度合いを一層深めてきている。例えば、昭和52年の「宇出津(うしつ)事件」、53年の一連のアベックら致容疑事案、60年の「西新井事件」等では、北朝鮮が、このような戸籍取得等を目的として、日本人をら致したとみられる。
 また、朝鮮総連は、北朝鮮に対し、その指導によって、物心両面からの支援活動を行っている。
(3) 潜在化、巧妙化するココム違反事件
 東西関係において、新しい国際秩序の構築が模索されている今日においても、なお不安定かつ不確実な要素が残されており、また、共産圏諸国の国内経済の立て直しが停滞している状況の下、ソ連、中国等の共産圏諸国は、自国軍事装備の向上及び国内経済の立て直しのため、西側諸国の高度科学技術情報の収集活動を依然として活発に行っている。
 これらの共産圏諸国による高度科学技術情報の収集は、それぞれの国の情報機関員による直接的スパイ活動により行われるもののほか、背後において国家あるいは情報機関員が介在し、貿易や経済活動に藉口(しゃこう)して、高度科学技術機器、プラント等を組織的、計画的かつ巧妙に不法入手するといった形態を取るものも多い。
 中でも、ココム違反事件は、共産圏諸国からの巧妙な働き掛けがなされること、企業ぐるみで組織的、計画的に敢行されること、その摘発のためには関係機関の連携が強く求められることなどから、捜査は必ずしも容易ではなく、特に最近は、海外にダミー会社を設立し、非共産圏である第三国への輸出を偽装する事例がみられるなど、その手段もますます巧妙化しつつある。
 警察としては、関係各機関との連携の一層の強化に努めつつ、このような事件を積極的に検挙し、国民の前にその実態を明らかにするよう努めている。
〔事例〕 プロメトロンテクニクス・ココム違反事件
 機械器具の製造販売及び輸出入を行っているプロメトロンテクニクス社は、昭和62年2月から3月の間、ココム規制対象品であるハフニウムワイヤー(原子炉の制御棒としても転用可能な稀(き)少金属)を、また、62年6月から9月までの間、同じくココム規制対象品であるマスクアライナー(半導体製造装置)を、それぞれ通商産業大臣の承認及び税関長の許可を得ず、東ドイツに不正輸出していた。
 警視庁は、平成元年5月9日、関税法違反で関係箇所の捜索を実施し、7月6日、外為法及び関税法違反でプロメトロンテクニクス社及び同社代表取締役らを検挙した。
 本事件においては、プロメトロンテクニクス社が、海外のダミー会社を利用し、第三国である韓国等への輸出を偽装していたことや、背後における東ドイツの貿易関係公団の関与等が明らかになっている。

8 厳しい情勢の中での警衛・警護

(1) 新しい時代の警衛
 平成時代の幕開けとともに、警察は、従来の警衛の在り方について見直しを行い、警衛を行うことによって皇室と国民との間に壁をつくることとならないよう、沿道に配置する制服警察官の数、立ち方、服装等を改めるとともに、御列の通行に伴う交通規制についても、可能な限り対向車両を通行させるなど、一般交通に与える影響を少なくするための新たな方針で警衛を実施することとした。
 天皇皇后両陛下は、即位後、全国植樹祭(5月、徳島)、全国豊かな海づくり大会(9月、広島)、国民体育大会秋季大会(9月、北海道)等に行幸啓され、また、新皇太子殿下は、国際花と緑の博覧会予定会場(5月、大阪)、全国高等学校総合体育大会(7~8月、高知)、国民体育大会夏季大会(9月、北海道)等に行啓されたが、これらの行幸啓では、いずれも新しい方針に基づいて、皇室と国民との親和に十分配意したスマートな警衛を実施した。

(2) 混迷した政治情勢の中での警護
 平成元年は、リクルート問題や消費税等をめぐり首相が短期間のうちに交替するなど混迷する政治情勢の中で、「山口社会党書記長襲撃事件」(5月)、「中曽根元首相に対するテロ企図事件」(5月)が発生するなど、一段と「テロ、ゲリラ」志向の高まりがみられた。
 また、国外でもベルギーにおけるファン・デン・ブイナンツ元首相誘拐事件(1月)等要人に対するテロ事件が発生した。
 このような厳しい情勢の中で、首相の伊勢神宮参拝(1月)や「ふるさと遊説」(1~4月)、参院選応援(7月)、「国民対話集会」及び米国訪問(1~2月)、ASEAN5箇国訪問(4月)、第15回主要国首脳会議(アルシュサミット)等出席のための訪仏(7月)をはじめとする国内要人の警護や公賓デミータ・イタリア首相(4月)、公賓李鵬・中国国務院総理(4月)、公賓クウェイル・アメリカ副大統領(9月)、公式実務訪問賓客サッチャー・イギリス首相(9月)、国賓ムガべ・ジンバブエ大統領(10月)、アラファト・PLO議長(10月)、国会賓客ヤコブレフ・ソ連共産党政治局員(11月)、国賓ムウィニ・タンザニア大統領(12月)等の来日外国要人の警護に当たり、身辺の安全を確保した。


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