大坂の陣 オランダに記録 東インド会社駐在員の書簡
徳川家が豊臣家を滅ぼした大坂の陣(1614~15年)について、当時のオランダ東インド会社の駐在員が「寝返った大名が豊臣秀頼に(城壁から)落とされて死んだ」などと記した書簡がオランダのハーグ国立文書館で確認され、国際日本文化研究センター(日文研、京都市)が21日、発表した。長崎県平戸市にあった商館の商館長に報告していた。
日文研とオランダのライデン大の共同調査で、1609~33年に大坂の陣などについて記述した書簡524通を同文書館で確認。同時期には宣教師が記した資料もあるが、江戸初期の日本の政治や外交、経済の状況を知る新たな手掛かりとして注目されそうだ。
大坂夏の陣について、駐在員が記した1615年6月の書簡は「秀頼の数人の大名は赦免が得られると考え、皇帝(徳川家康)側に寝返るために城に火を付けたが、彼らは逃げる前に秀頼によって、その場で(城壁から)落とされて死んだ」などと、日本側の記録にない記述もある。
524通は、オランダ東インド会社の外交や貿易の拠点となった平戸商館に関連した書簡が中心。初期は日本を自由に行き来できた駐在員らが、商人や武士らから情報を得て、商館長に報告していた。
調査を進める日文研のフレデリック・クレインス准教授(46)は「書簡には、日本の史料にない記述があり、情報の宝庫といえる。外国人の視点で日本を臨場感豊かに記し、市井の人々の姿を記録している点でも非常に貴重な資料だ」と話している。〔共同〕