検索朝刊・夕刊LIVEMyニュース日経会社情報人事ウオッチ
NIKKEI Prime

朝夕刊や電子版ではお伝えしきれない情報をお届けします。今後も様々な切り口でサービスを開始予定です。

検索朝刊・夕刊LIVEMyニュース日経会社情報人事ウオッチ
NIKKEI Prime

朝夕刊や電子版ではお伝えしきれない情報をお届けします。今後も様々な切り口でサービスを開始予定です。

検索朝刊・夕刊LIVEMyニュース日経会社情報人事ウオッチ
NIKKEI Prime

朝夕刊や電子版ではお伝えしきれない情報をお届けします。今後も様々な切り口でサービスを開始予定です。

NIKKEI Primeについて

朝夕刊や電子版ではお伝えしきれない情報をお届けします。今後も様々な切り口でサービスを開始予定です。

/

あのモーツァルトも 今こそ学ぼう、偽作音楽史

「HIROSHIMA」の改名にも前例

詳しくはこちら

18世紀の天才作曲家、モーツァルトも「ゴーストライター」を請け負っていた! 佐村河内守(さむらごうち・まもる)の作とされた曲が別人の手になるものだったとわかり、波紋を呼んだが、過去数百年の西洋音楽史をひもとけば、偽作・贋作(がんさく)にも、豊富な歴史の蓄積があることに驚くだろう。(敬称略)

クラシック音楽系CDとして異例の18万枚を売った大ヒット作、佐村河内の「交響曲第1番《HIROSHIMA》」が、実は、新垣隆(にいがき・たかし)という別の作曲家の代筆だった。

難聴の障害を抱えつつ、魂を削るように創作する佐村河内の姿はメディアでも繰り返し紹介され、「現代のべートーベン」とまで呼ばれた。佐村河内は真の作曲者を新垣と認めた上で、「3年ほど前から再び(耳が)聞こえるようになっていた」と明かした。

進行形の騒ぎをいったん離れ、古今の名曲を題材に、偽作音楽史を検証してみよう。

その1=モーツァルトの「レクイエム」

今回の「事件」と同じく、ゴーストライターの腕前が表向きの作曲者より格段に優れていた例の極め付きは、モーツァルトの絶筆となった「レクイエム」に違いない。

死の年に当たる1791年の8月末、「見知らぬ男が現れ、匿名の依頼主からの『レクイエム』の作曲を打診、かなり高額の報酬の半額を前払いした」とのエピソードは今日、広く知られている。

話には尾ひれがつく。特に「喪服のような服を着た使者が体調不良のモーツァルトには死に神のように見え、恐怖とともに作曲した」との情景は、ミロス・フォアマン監督のアカデミー賞受賞映画「アマデウス」(1984年)でも効果的に扱われた。

1964年にようやく判明したところによると、依頼主はオーストリアの地方都市グロッグニッツのストゥパッハ城主だったフランツ・フォン・ヴァルゼックという伯爵。

アマチュア音楽家でもあった伯爵は当時の有名作曲家に匿名を条件に新作を発注して買い取り、わざわざ写譜したうえ、自作として発表する奇妙な趣味の持ち主だった。

モーツァルトに依頼した「レクイエム」も若くして亡くなった妻を追悼するための自作曲に化け、1793年12月14日にウィーンの教会で自ら指揮して初演した。

しかし、モーツァルトの死後、事態はもつれる。ますます経済的に困窮したモーツァルトの妻、コンスタンツェは自宅の写譜に基づき、亡き夫の作品として改めて出版。伯爵は抗議したもののゴーストライターの知名度には勝てず、モーツァルトの名作として定着した。

その2=カッチーニの「アヴェ・マリア」

16世紀後半から17世紀初頭、音楽史ではルネサンス末期からバロック初期のフィレンツェで活躍したジュリオ・カッチーニの作とされた「アヴェ・マリア」。ラトビアのソプラノ歌手イネッサ・ガランテやベラルーシのカウンターテナー、スラヴァら旧ソ連圏のアーティストが1990年代半ばに録音するまで全く無名の作品だった。

それもそのはず、カッチーニの名をかたったこの曲は、実は20世紀の旧ソ連で作曲家、古楽のリュート奏者として活躍したウラディーミル・ヴァヴィロフが、70年代初頭に作ったオリジナル曲だったのだ。

ひたすら「アヴェ・マリア」を繰り返すだけの形式の歌曲はルネサンス、バロック時代には存在しなかったという。ヴァヴィロフ自身が参加した録音ではただ「作曲家不詳」としていたが、死後になぜかカッチーニとすり替わった。もし「ヴァヴィロフのアヴェ・マリア」だとしたら、ここまで短期間で名曲の仲間入りができていただろうか?

その3=クライスラーの偽作バロック騒動

「カッチーニのアヴェ・マリア」はヴァヴィロフ没後の第三者のフィクションではないか、とされている。このように"古典"を装う例も少なくなく、20世紀の大バイオリニストでウィーンに生まれニューヨークで没したフリッツ・クライスラー(1875~1962年)のケースもある。

クライスラーは欧州各地の音楽学校や図書館に埋もれた楽譜を掘り起こし、自作の一部に採り入れた小品の作曲、演奏を得意としていた。

ところがウィーン人ならではの粋なジョークのつもりか「バロック時代の作曲家の作品を発見し、自身で編曲した」との触れ込みで出版した14曲が1935年、とんでもない騒ぎを引き起こした。

「作品は素敵だったが、演奏はよろしくない」と発言した音楽評論家にあてて、クライスラーは抗議文を送った。これがやぶへびで、抗議文を入手した「ニューヨーク・タイムズ」の音楽記者がクライスラーに「編曲」に対する「原曲」を照会。クライスラーが「実はバロックのスタイルを借りた自作だった」とあっさり認めたため、「だまされた」と騒ぐファンが現れた。

クライスラーの釈明は「自作ばかりでは聴衆がうんざりする」「私の名が前面に出ては同業他者が弾きにくい」の2点。最後は「だれも被害に遭ったわけではないし、チャーミングな作品そのものの価値は減じない」で落着。今では世界中のバイオリニストが弾いている。

その4=J・S・バッハの「メヌエット」

日本でピアノを習っている子どもなら、誰でも一度は耳にし、弾いたはずの「ト長調のメヌエット」。1965年には米国で、ポップスの「ラヴァーズ・コンチェルト」としてもヒットした名曲だが、実はJ・S・バッハ(大バッハ)の作品ではない。

妻のアンナ・マグダレーナは優れたソプラノ歌手だったが、鍵盤楽器の演奏はあまり得意ではなく、名人級の腕前だった夫から、あれこれ「練習ドリル」のような課題を出されては譜面に書きとめた。今日、「アンナ・マグダレーナのための音楽帳」の名称で知られる作品群だ。「メヌエット」はその中の1曲だが、私的レッスンの譜面だったため、作者名は記されていない。

バッハの時代には著作権の概念が確立していなかったこともあり、他の作曲家の作品を別の楽器編成に替えて自作として発表したり、一部を引用したりのトランスクリプション(改変)が、ごく当たり前に行われていた。

後半生の本拠地、ライプチヒでは教会音楽家の「お堅い」仕事の合間にカフェ「ツィンマーマン」で学生たちとのライブ演奏、今で言う「ジャムセッション」に毎週興じた。とてもとても毎回、自作を用意する余裕はなかったとみられ、いくつものトランスクリプションを生んだ。

「メヌエット」も同じように自然な形で「アンナ・マグダレーナのための音楽帳」に組み込まれ、20世紀の研究でドレスデンのオルガン奏者、クリスティアン・ペツォールトの作品だったと判明している。

その5=作曲後に「HIROSHIMA」と改名した先人?のペンデレツキ

「佐村河内のゴーストライターを続けてきた」と告白した新垣は記者会見で、ベストセラーとなった「交響曲第1番」の標題が当初「HIROSHIMA」ではなく「現代典礼」だったとも証言した。

この瞬間、現代音楽に詳しい人たちの脳裏にはポーランドの作曲家、クシシュトフ・ペンデレツキの出世作となった弦楽合奏曲「広島の犠牲者に捧げる哀歌」のエピソードが思い浮かんだはずだ。

1960年に初演された時点の題名は「8分37秒」。米国の作曲家で「偶然性の音楽」を唱えたジョン・ケージの代表作「4分33秒」(ピアニストが何も弾かず4分33秒間、座り続ける)に触発され、不確定要素を強調した作品だった。

ところが客席で初演を聴いたペンデレツキは「抽象的に書いたはずが、予想外に多くの感情の堆積に自ら驚いた」。より具体的な題名を与えられないかと思案するうち、ポーランド国立放送交響楽団の演奏旅行に際し、日本初演をする話が持ち上がった。

日本の作曲家、松下真一の助言もあって「最終的に64年、二度とあってはならない広島の犠牲に捧げる曲とした」と、ペンデレツキは後に記した。「現代典礼」から「HIROSHIMA」へと、「8分37秒」から「広島の犠牲者に捧げる哀歌」へ。概観する限りでは、2つの改題ストーリーの間に「根本的な差異は存在しない」と判定できるのではないだろうか。

古今東西、作曲家の生計は自作発表だけでは成り立たない。外部からの依頼に基づく作曲請け負いは重要な収入源であり、注文の内容が自身の音楽スタイル(語法や形式)と異なる内容でも、柔軟にスコア(総譜)を完成させるのが、プロ作曲家の基本スキルといえる。

新垣も桐朋学園大学音楽学部作曲科で三善晃らに師事。20代から現代音楽の作曲家・ピアニストとして頭角を現した。ばりばりのプロフェッショナルである。

作曲界の先輩に当たる三枝成彰は、佐村河内名義で発表された一連の新垣作品について「様々な作曲家の調性音楽のスタイルを引用しながら、オーケストラを隅々まで鳴らす力量が並外れている」と、依然として高い評価を与える。「聴衆は作曲者個人の物語だけでなく、作品自体の魅力にもひき付けられていたはずだ」と指摘する。

新垣の師の三善は桐朋の学長や東京文化会館の館長も務め、武満徹や黛敏郎らと並ぶ作曲の大家だった。人格者としても慕われたが、長い闘病の末、昨年10月4日に亡くなった。今年1月30日には東京・赤坂のサントリーホールで、美智子皇后も臨席の下、「お別れの会」が開かれた。その直後の新垣の告白会見はどこか、意味ありげでもある。後年、「もう1つの伝説」の担い手となるかもしれない。

(電子報道部)

春割ですべての記事が読み放題
有料会員が2カ月無料

有料会員限定
キーワード登録であなたの
重要なニュースを
ハイライト
登録したキーワードに該当する記事が紙面ビューアー上で赤い線に囲まれて表示されている画面例
日経電子版 紙面ビューアー
詳しくはこちら

セレクション

トレンドウオッチ

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

フォローする
有料会員の方のみご利用になれます。気になる連載・コラム・キーワードをフォローすると、「Myニュース」でまとめよみができます。
春割で無料体験するログイン
記事を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
春割で無料体験するログイン
Think! の投稿を読む
記事と併せて、エキスパート(専門家)のひとこと解説や分析を読むことができます。会員の方のみご利用になれます。
春割で無料体験するログイン
図表を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した図表はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
春割で無料体験するログイン

権限不足のため、フォローできません

ニュースレターを登録すると続きが読めます(無料)

ご登録いただいたメールアドレス宛てにニュースレターの配信と日経電子版のキャンペーン情報などをお送りします(登録後の配信解除も可能です)。これらメール配信の目的に限りメールアドレスを利用します。日経IDなどその他のサービスに自動で登録されることはありません。

ご登録ありがとうございました。

入力いただいたメールアドレスにメールを送付しました。メールのリンクをクリックすると記事全文をお読みいただけます。

登録できませんでした。

エラーが発生し、登録できませんでした。

登録できませんでした。

ニュースレターの登録に失敗しました。ご覧頂いている記事は、対象外になっています。

登録済みです。

入力いただきましたメールアドレスは既に登録済みとなっております。ニュースレターの配信をお待ち下さい。

_

_

_