広辞苑も採録、市民権を得た「逆ギレ」の「逆」って何?
発信元・ダウンタウン松本さんの真意は…
「逆ギレ(逆切れ)」を収録する国語辞典の数が昨年、2桁に達しました。単なる若者言葉の枠を超え、今やすっかり市民権を得た様子です。そこで根本的な質問をひとつ。逆ギレの「逆」って一体何? 逆にキレること、という答えはすぐに思いつきますが、では何に対して逆なのか? かつてはダウンタウンの松本人志さんも問題提起しています。
松ちゃんがこだわった「逆」の意味
1998年3月29日に放映された日本テレビ系「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」での浜田雅功さんとのトーク部分。松本さんの主張を抜粋すると「最近特に耳にする、よくみんな使っている逆ギレ。本来なら怒られ(キレられ)なあかんのに、逆にそれを防ぐがために、逆にこっちから怒るのが逆ギレや」というものでした。
松本さんが言外に込めたであろうニュアンスを補ってみます。「本来は相手が怒っている(または今にも怒りだしそうな)場面で自分の方が逆に怒り出すことによって、相手優位の立場をうやむやにし、または居直ってその場をやり過ごすこと。それが今日では相手の怒りの有無に関係なく怒ったり、激高したりしている場合にも使われているのはおかしい」
お笑い界のカリスマによる「相手にキレられていなければ『逆』とはいえへんやんか」という、世間への「ツッコミ」。国語辞典へも影響を与えたとみられます。2002年、初めてこの項目を採用した明鏡国語辞典の語釈は「きれて怒っている人に対し、怒られる立場の人や冷静なほうの人が急に怒り出すこと」。「冷静なほうの人」という注釈を加えることで、逆の意味を自然に解説しようと試みています(表参照)。
広辞苑も収録、国語辞典に苦心の跡
14年も昔の松本さんの指摘は的確でした。今日では相手が怒っている場合に使う用法は少なくなっており、例えば穏やかに注意した場合も含めて拡大解釈されています。後に続く国語辞典にも苦心の跡がありあり。広辞苑の「それまで叱られたり注意を受けたりしていた人が、逆に怒り出すこと」こそ極めてオーソドックスな解釈ですが、広辞苑にまで採録された事実自体に大きな意味がうかがえます。「なだめている人、または怒られている人が」(デジタル大辞泉)、「とがめられた人が、あやまるべきなのに」(例解新国語辞典)、「本来は注意を受けるべき人が」(新選国語辞典)、「受けている叱責やからかいに我慢できず」(岩波国語辞典)など、それぞれに独自の表現を競っているようでもあります。
国語辞典 | 発行年(版) | 語釈 |
---|---|---|
明鏡国語辞典(大修館書店) | 02(初版) | (俗)きれて怒っている人に対し、怒られる立場の人や冷静なほうの人が急に怒り出すこと。「上司に注意されて――する」▽逆にきれる意。(表記)多く「逆ギレ」と書く |
大辞泉(小学館) | 07(デジタル) | なだめている人、または怒られている人が、かっとなって怒り出してしまうこと |
例解新国語辞典(三省堂) | 07(7版) | とがめられた人が、あやまるべきなのに、とがめた人に対して逆にはげしく怒ること。最近できた俗なことば。(用例)マナーを注意されて逆切れする |
広辞苑(岩波書店) | 08(6版) | (「逆に切れる」から)それまで叱られたり注意を受けたりしていた人が、逆に怒り出すこと |
新選国語辞典(小学館) | 11(9版) | 本来は注意を受けるべき人が、逆に怒り出すこと |
岩波国語辞典(岩波書店) | 11(7新版) | (俗)受けている叱責やからかいに我慢できず、逆に怒り出す状態。「――を起こす」。「逆ギレ」とも書く |
「逆」の字から「逆上」を連想か
そもそもなぜこうした意味の「揺れ」が生じたのかを突き詰めてみると、逆という漢字が持つイメージを見逃すことはできません。類義語の「ブチギレ」(ブチは「ぶちあげる」「ぶちこわす」に使われるようにその動詞の意味を強める接頭語)や「マジギレ」(マジは真面目が転じた本気を表す接頭語)が全て片仮名で書かれる傾向なのに対し、逆ギレと書けば1字だけ漢字が交じり、必然的に逆の字が目立つ構造になっています。そこで逆の字から、「逆上」――相手の立場を問題とせず、突如として激しく興奮して取り乱す――という連想が生まれた可能性があります。朝日新聞社の週刊誌「AERA」97年7月21日号には「逆ギレ(逆上してキレる)」という記述がありました。
突発性や、予測不可能という意外性に「逆」の意味を見いだす視点もあります。秋田工業高等専門学校准教授の桑本裕二さんは自著「若者ことば 不思議のヒミツ」(秋田魁新報社、10年)で逆ギレの用法の変化について、「この意味での『逆ギレ』は、思いもよらない相手の感情の表現ということでは、新しい分類に入れるべきであり、まっとうな語形成なのだろう」と、示唆に富んだ分析をしています。
そもそも松ちゃんが作った言葉?
松本さんがこの言葉にこだわった背景についても補足する必要があります。同番組で松本さんは「これは明らかに僕が考えた言葉ですからね」と断言しており、自ら考案した言葉だけに思い入れが強かったと推測できます。この言葉が使われ始めた頃の例としては講談社の週刊誌「ヤングマガジン」94年4月11日号のギャグ漫画「行け!稲中卓球部」(古谷実作)があり、遅くとも94年以前に生まれていた言葉であることは確定できます。
初めてこの言葉を使ったのが松本さんであることを証明するのはもはや不可能ですが、間接的な証拠なら複数挙げられます。ギャグがつまらない「サブい(寒い)」、面白いことを言おうとして失敗する「滑る」などの芸人言葉を広めた立役者が松本さん(ダウンタウン)といわれており、言葉に対して鋭敏なセンスを持っているのは疑いない事実。96年、若者言葉を集めた辞典としては最も早く逆ギレに言及したと思われる「キャンパス用語集(第6版)」(高山勉編)は京阪神の高校生や大学生の日常語を収集したもの。関西出身で、当初は関西を中心に活動していたダウンタウンの影響は無視できないでしょう。さらには元となった「キレる」も吉本興業の先輩コンビが使いだしたという説もあるぐらいです。お笑いの世界と極めて近しい言葉であるのは間違いなく、説得力を増しています。
(中川淳一)