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中山間地域からみた持続可能な国づくりと次世代文明創造に向けた首都機能のバックアップ

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藤山 浩 氏の写真藤山 浩 氏 (島根県中山間地域研究センター 地域研究グループ科長)

1959年島根県生まれ。一橋大学経済学部卒業後、高等学校社会科教諭、中国・地域づくりセンター主任研究員などを経て1998年島根県中山間地域研究センター、2004年より現職。専門は、中山間地域政策、地域計画、環境管理、GISなど。2008年広島大学大学院より博士号(マネジメント)取得。

国土交通省・国土情報整備中期的方針検討委員会委員、同・あらたな結(ゆい)研究会委員、同・過疎集落研究会委員。

著書に『中山間地域の「自立」と農商工連携 〜 島根県中国山地の現状と課題』第1章「中山間地域問題の基本構造」、『島根の未来を考える−島根地域政策の課題と展望』第17章「中山間地域から先駆ける持続可能な地域社会への転換」など。

<要約>

  • 中山間地域は我が国の国土の7割を占める。過疎化、農業の担い手不足、不在土地所有者などの課題に直面しているが、一方で再生可能な資源を利用した「生命地域」として位置付けることで大きな可能性が広がる。
  • 中山間地域の再生可能な資源に都市住民が長期的に保険を掛けるなど、中山間地域と都市との共生の在り方を考えるべき。
  • 中山間地域への人材投入などにより、都市のセーフティネットとしての役割を築くことで、循環型の社会に作り変えることが必要。
  • 首都機能のバックアップは必要不可欠であり、国際貢献も可能な災害時のバックアップ機能を考えるとともに、持続可能な社会づくりに向けた次世代文明創造センターの役割も持たせたい。その第一歩として、「国体方式」の巡回臨時政府のような方法で、都市住民の中山間地域への滞在などの社会実験に取り組んではどうか。

「生命地域」に込めた中山間地域の可能性

「中山間地域」は、1989年の『農業白書』で初めて使われた言葉です。もともと農業分野の行政用語に、東京のような都市的地域、平野部に当たる平地農業地域、山に囲まれた山間農業地域、それからある程度山が多く平地地域と山間地域の間に当たる中間農業地域という四つの地域類型があります。この中間地域と山間地域の二つを合わせて「中山間地域」と呼んでいるわけです。中山間地域は我が国の国土の約7割を占め、面積は広大ですが、人口は日本全体の7分の1に過ぎません。また、過疎地域や離島地域のような条件不利地域全般を中山間と呼ぶこともあり、一般的には都市や平野以外で不利な条件を被っている地域という理解でよいと思います。

実は、私自身、中山間地域という言葉は無味乾燥で余り好きではありません。そこで、10年前に島根県中山間地域研究センターが創立されて以来、私たちは中山間地域の意義を「生命地域」という言葉で説明してきました。当時、生態学なども含め、地域を研究する人たちの間で「バイオリージョン(bioregion)」という概念が生まれていました。これは、いろいろな命の営みをベースに持続可能な地域をつくっていくという意味で、中山間地域を表すのにふさわしいと思いまして、直訳した「生命地域」という言葉をキャッチフレーズとして使わせていただきました。ここには、単に遅れた地域と位置付けるのではなく、再生可能な資源をいかして生命をはぐくんでいる地域と位置付けるべきだという願いを込めました。

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今は苦しいけれど、明日はある――中山間地域の現状と課題

藤山 浩 氏の写真5年ぐらい前までは、中山間地域の苦境と展望を表すために「中山間には明日は無いけど、明後日がある」と申し上げてきました。最近はやや明るい展望が見えてきて「今は苦しいけど、明日はある」と感じています。季節に例えるならば、今の中山間は1月の大寒です。一日一日と確実に昼の時間は長くなっているけども、一年で一番冷え込む非常に厳しい時期にあると思います。

今の中山間地域の課題は三つ。第一に集落機能の衰退です。中山間地域の地域運営は伝統的に「集落」という単位で行われてきました。昔は水田農業が生活の基本でしたから、各戸が労力を出し合う「手間替え」をして、田植や稲刈り、水路の整備などを協力して行いました。こういう生活の中で、ある程度生活・産業基盤を共通する谷レベルの単位で集落が形成されてきました。現在も集落が地域運営のベースになっていて、葬式の手伝いなどの生活扶助的な機能も持っています。ところが現在、集落の小規模・高齢化が進んできて、もはやその機能を維持できなくなっているのです。

第二の課題として、昭和一けた世代の引退が挙げられます。過疎化が始まって以来、この世代がコミュニティーや農業、産直市の売上げなどを頑張って支えることで、何とか地域が保たれていたところがあります。2005年の国勢調査では70歳代が昭和一けた世代に当たり、島根県では中山間地域人口19万人のうち約3万人、6人に1人が昭和一けた世代なんですね。向こう10年間でこの方々が全て80歳代になります。実は80歳代になるとこの世代の人口は大体2万人に減ってしまう。つまり今、正に主力世代の代替わりが始まっているのです。

第三は不在土地所有者の問題です。集落から家が消え、昭和一けた世代で亡くなる方が増えると、その土地の所有者がどんどん不在化します。中国地方では土地のおよそ半分は地域外の人が持っている地域も出てきています。これは恐らくいまだかつて無かったことで、人の空洞化から土地の空洞化が始まっている。例えば、島根県のある小さな村の保安林の8%を、東京都民が持っているということが現実に起きています。しかも所有する土地の境界や場所さえも分からないケースもあります。これが将来どう収拾されるのかが、現状では全く見えていません。中山間地域はこのような非常に難しい課題を抱えているのです。

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再生可能な資源に恵まれた中山間地域から持続可能な国づくりを

それでも、これからの持続可能な国づくりという観点で考えると、中山間地域には非常に大きな可能性があることが分かります。例えば島根県は、人口が100年前と変わっておらず、現在も70万人のままです。一方、東京の人口は100年前の約3.4倍になっています。日本全体では100年前の5,500万人が今は1億2,700万人ですから、2.3倍です。中山間地域や島根県は、そういった20世紀の波に言わば乗り遅れているわけです。しかし、そのお陰で島根県には再生可能な多くの資源が保たれているのです。

もう一度、地域の力をいかすためには、水や土や森林といった再生可能な資源で勝負しなければいけません。その資源の大半があるのは中山間地域ですから、まず中山間地域を風土に根ざした地域に変えていくことが必要です。今、私たちは中山間地域に人々が集うための「脱温暖化の『郷(さと)』づくり」という大きな研究プロジェクトに着手しました。脱温暖化の取り組みが成功するかどうかは、風土に根ざしたエネルギー循環を、いかに取り戻すかにかかっていると言っても過言ではありません。

これまでの日本は、例えば、まちの形にしても、どこにだって自動車で行ければいいんだ、とばかりに各分野の施設を分散配置してきました。一方、海外の地域づくりを見ると、教会などの周りにいろいろな機能がワンストップで集まっています。本来はこれが分散地域の作法なのです。例えば西部劇を見ると、人が一斉にやって来て街をつくりあげていく様子が分かりますが、決してバラバラにつくっているわけではありません。しかもそこには、酒場のような人と人が出会う場所が必ずあります。これからの生命地域にはそうした場所も必要ではないでしょうか。

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自然の利子で生きる――生命地域への生命保険

島根県中山間地域研究センターの名誉顧問の養老孟司先生が、これからの世の中は自然から毎年得られる「利子」で暮らすべきで、元本で暮らしてはいけないと言われます。利子は地域の風土に根ざした暮らしから生まれ、ある所は水力やバイオマス(注1)、またある所は田んぼかもしれません。毎年地域ごとに育まれる利子で生きていくことが大切だと思います。

藤山 浩 氏の写真また、その利子によって都市の限界を助けるという意味で、私たちは都市に住む人と一緒に、再生可能な資源に保険を掛けるという仕組みを考えています。つまり生命地域への生命保険というわけです。方法はこれから具体化していきますが、まず大前提として保険を掛けてもらう側は「困っているから助けてくれ」という態度ではいけません。生命地域で共有する資源を「石高」としてとらえ、その価値を確認するプロセスが必要だと思います。

江戸時代において石高で基本となるものは田んぼですけども、土地の特産物に応じた石高の計算方法もありました。同様に地域ごとに資源を数量化し、棚卸しをして、顕在化させることが必要です。その資源とは食料、水、木材でしょうが、現在はCO2の吸収能力も、石高として欠かせない要素だと思います。

今、当センターでは地域の様々な一筆(一区画)情報を徹底して集めるプロジェクトを始めています。どこにどれだけの農地があって、何を、どんな方法で、どれだけの量を栽培しているのかという情報を一筆ごとに全部整理し、森林についても同様に、すべてデータベース化を進めています。

このプロセスを経た上で、今度は石高に対して都市の人がリスクヘッジ(注2)も含めてどれだけの保険を掛ければよいかという、生命保険の在り方について考えています。いろいろな形態が考えられますが、例えば、現在商店街のネットワークを活かして、一年に5,000円を払うと震災があったときには、そこに1箇月間疎開できるという疎開協定のようなプログラムが始まっています。

それから食料保障。これはある程度金額を上乗せして買ってもらうことで、長期にわたって中山間地域からの食料供給を約束するというものです。またCO2に関する協定も考えられます。そのためにはまず先ほどの石高のような形で、CO2吸収量をある程度把握しなければなりません。それに応じて、国全体で直接支払いの形で補助する方法と、地域と地域、あるいは地域と個人が取り組む方法も併せ、二階建て方式で進めてはどうでしょうか。ばくだいな費用が掛かると思われるかもしれませんが、今、圧倒的多数の人々は都市に住んでいるので、月に1人1,000円の拠出でも年間で1兆円をはるかに超える金額になります。そういった形でやれば、理解が得られるのではないでしょうか。

(注1) 家畜排せつ物や生ゴミ、木くずなどの動植物から生まれた再生可能な有機性資源のこと。

(注2) リスクを回避したり、低減する工夫を行うこと。

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都市の現状――20世紀型生活の限界

20世紀は「競争の時代」で、次々と資源を投入することで、ビルや道路などの人工空間を造ることができたわけです。それが今の都市集中を支えています。しかし、考えてみると、石油も資源も無制限に輸入できるという状況は、ある意味では「バブル」だったのではないでしょうか。2008年度の後半から始まった貿易黒字の劇的な縮小によって、20世紀型生活の限界が5〜10年早まったのだと思います。これからの経済は加工貿易モデルだけでは危ないでしょう。流れは確実に変わってきています。

都市の限界を招いた要因の一つに、かつての大規模な団地建設があります。もっと小規模に時間をかけて造っていけば、この状態はかなり緩和されていたのではないでしょうか。ところが実際は、とにかく一斉に大きく造って一斉に多くの住民を住まわせるというやり方で、瞬間的な安さを求めました。今度は、住民が一斉に年老いて一斉に減っていくという形で、今そのツケが回ってきたのです。当時はそのリスクを地域ごとに分散させるという発想が無かったのでしょう。

都市の団地は、かつて中山間地域から出て行った人たちの住まいになっていました。これらの団地の中には、あと10年待たずに高齢化率が中山間地域を確実に超えるところも出てくる。ですから中山間地域は、もう都市に「助けてくれ」とは言えません。むしろそういう都市に対して、一緒に何ができるかを考えなければいけない。この問題を限界集落や限界団地と見るのは、おこがましい考えかもしれません。なぜなら、限界を迎えているのは、そうした地域を使い捨てにしてきた戦後50〜60年のやり方であって、その土地や団地が限界を迎えたわけではないからです。その限界状況が先鋭化して最初に表れたのは中山間地域ですが、これから表面化していくのは都市であり、東京なのです。

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都市と中山間地域の新たな関係――互いのセーフティネットとして

藤山 浩 氏の写真昨今の社会経済情勢はとても厳しいですが、中山間地域がセーフティネットとして何らかの役割を担う仕組みができないだろうか。中山間地域は、都市住民と一緒に地域の土地や資源の情報を共有することと、今困っている人を助けることの両方に取り組む局面を迎えているのではないでしょうか。中山間地域がそれを始められなければ未来はないし、また、都市も中山間地域もお互い様にしないといけない。

そのためにはまず中山間地域への人材投入が必要です。今の社会経済情勢は「100年に1度の危機」と言われていますね。かつて、1920〜30年代の世界大恐慌の際に、米国のルーズベルト大統領はニューディール政策を行いましたが、様々な試みの中で一番成功したのは民間国土保全部隊(CCC:Civil Conservation Corps)なんです。最盛期の30年代には50万人を超える若者を投入し、田舎に2,650箇所のキャンプ地を造らせて、そこでいろいろな環境保全や国土保全を進めました。その地域の人がそれを指導する事業も行っています。この事業を通じて都会で絶望した人々も非常に救われ、やりがいを感じることができ、しかも職業訓練にもなっていた。私たちもこういった政策を発動するタイミングに来ているのではないでしょうか。

最近、各省庁からこういった人材投入の呼び水になるような政策が一斉に出されています。総務省が地域おこし協力隊を募集しています。農水省は農の雇用事業もやっています。今の雇用状況も非常に厳しいですが、これからは若年層も含めて更なる悪化が懸念されます。ですから中山間地域がセーフティネットの役割を担い、再生可能な資源を循環させる仕組みに作りかえることが必要だと思います。

一方、英国のチャールズ皇太子は“Pub is the hub”という運動を始めています。パブが地域の人々を結び付けるつなぎ目だという意味です。地域の人々の交流だけではなくて、パブは外から来た人にとってのゲートウェイ(出入り口)でもあります。私も中山間地域でこうした場をつくる運動を始めたい。そこに名物お爺さんがいるのもいいですし、ひたすら薪をくべる人がいるのもいい。中山間地域は完全に等身大の世界なので、居場所があることが大切だからです。

生命地域には定住自立圏(注3)のような広域的な仕組みの中で、一定の生活機能を備えた、集落の範囲を超える圏域が在ることが大切です。そこに必要な学校や病院は集落単位では得られません。ですから私は、小学校や診療所、あるいはちょっとしたコンビニ、金融機関もあるような圏域を「郷(さと)」と呼び、郷の中で地域を運営していくことを考えています。郷のお医者さんにしても、医療面での効率はそんなに高くはない。しかしお医者さんが小学生の保健衛生にも委員としてかかわり、お年寄りの福祉にもかかわる中で病気を早期発見すれば、地域の国民保険の財政はとても助かるのではないでしょうか。

(注3) 総務省が推進している、中心市と周辺市町村が1対1で締結する協定に基づき役割分担し、相互に連携することにより、圏域全体の活性化を図る構想。

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首都機能のバックアップとして次世代文明創造への社会実験を

日本という国は、まず防災、特に地震災害を考えなければいけない。首都機能が一極集中しているので、バックアップ機能は最低限必要です。そのためにもいざとなったらある程度の首都機能を持てるような防災拠点があるといいですね。できれば、日本のみならず、東半球の国際的な防災拠点を造るぐらいの発想で、世界に対する貢献という観点が欲しい。

その根幹に必要なものは人材育成です。そのための人材育成センターを中山間地域に設けることで、単なる防災時のバックアップにとどまらず、もう一度地域風土の中に文明を埋め込むという、次の文明に向けたバックアップという取り組みもできると思います。私たちは日本をもう一度、風土に根ざした持続可能な地域に造り替える大事業をやらなければいけません。それを束ねる所が、次世代文明創造センターのような機能を持つ新しい首都機能移転先の都市に求められると思います。首都機能移転を考えるには、このような一歩前に踏み出した明るいビジョンを示すべきではないでしょうか。

ただ、いきなりこれに着手するのは難しいでしょうから、まずは多くの人に中山間地域に実際に来てもらうことが大切だと思います。本当は国体のように500人〜1,000人規模の臨時中央政府のようなもので中山間地域を回ってほしいですね。まず、大規模な社会実験として都市の人々に8月の夏休みに1〜2週間、中山間地域に来てもらうことを提案します。家族連れで集まれるような楽しさのあるプランが実現するといいですね。防災センターについても、国際的な機能を持たせて、いろいろな人が集まれるようにすればいいと思います。街も生き物ですから、徐々に造っていくことで、人々の新しい関係が化学反応のように醸成されるでしょう。

こうしたプロセスによって、都市に集中した人口をある程度地方に環流させることができると思います。それを促すためには、東京に税金を掛けるよりも再生可能なエネルギーに保険を掛けることが有効です。例えば、私たちと一緒に「脱温暖化の『郷』づくり」を進めている村の人口は1,612人です。今度ここの尾根筋に25機の風車が建ち、2万5,000キロワットの電力を生産できます。電力自給ができるどころか、東京よりも早く電気自動車の郷になれるのではないか。ここには水力もあり、バイオマスも大量にあります。この流れを進めていくと、東京と地方の優位性は逆転するかもしれません。

CO2の問題はどこで取り組んでもよいので、地方でCO2削減に取り組むことは、東京に住む人のためにもなります。今、中山間地域の土地の所有権は東京に集まりつつあります。東京の人も土地をきちんと利用することで、確実に中山間地域のステークホルダー(注4)として参画していることになり、正当な利益をもらってもよいのです。是非、東京と地方が共同戦線を張るようにしたいし、しなければいけないと考えています。

(注4) 利害関係者のこと。

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