トップ > 館内展示 > 過去の展示一覧 > 醤から醤油へ しょうゆ発達小史

 

過去の展示

-醤から醤油へ-しょうゆ発達小史

KIKKOMAN ARCHIVES
17世紀-(1)
酒造り技術の応用
 「垂れ味噌」や「唐味噌 とうみそ 」は、16世紀後半には「醤油(別名・簀立て・・・『日葡 にっぽ 辞書』)」や「味噌溜 みそだま り」に進化していった。しかしそれらは、今日のように清澄したものではなく、味噌または味噌に近い製法でつくられたペースト状の粘体(諸味 もろみ )のなかから洩れ出た液、あるいは味噌(諸味)に簀を立てて、自然に溜まる液を汲み取る程度で、液は濁ったものであったと考えられている。
 しかし、16世紀後半から17世紀にかけ、酒造りの分野では、製造技術の大きな進歩がみられた。
 この当時酒造りを専業としていた人々は、副業に味噌や味噌溜りをつくっていたため、新しい技術を副業の分野にも応用していった。
清酒の麹つくり(『日本山海名産図会』)
清酒の麹つくり(『日本山海名産図会』)(『酒造りの歴史』〈株〉雄山閣より転載)
1. 麹づくり(製麹 せいきく
わが国の麹づくりの技法は、当初、「餅麹 もちこうじ 」という方式で穀類粉を水で練って鏡餅 かがみもち 状またはレンガ状に成型し、生のままで麹菌 こうじきん を生育させる方法であった。しかし、朝鮮半島で15世紀頃に改良された新技法が日本に伝わった。新技法は、原料粉を十分に蒸煮してから団子状(味噌玉)にして麹をつくるというもので、原料の利用率が格段に進んだ。
さらにこの技法は、「散麹 ばらこうじ 」式(蒸した原料に種麹 たねこうじ を加え、原料の表面に麹菌を増殖させる方式。現代の酒および醤油醸造で行なわれている)が開発され、利用率はさらに高まった。また、一部の地域では「友種 ともだね 」と呼ばれる技術が開発され、優秀な麹菌の選択と菌の純粋性を高めていった。
2. 仕込方法
仕込方法では、原料の水の量を増やす「薄仕込 うすじこみ 」という技術が完成し、日本酒に淡麗さと美禄を生むことになる。
この「薄仕込」技術の醤油づくりへの応用は、醤油諸味にアルコール発酵の工程を加えることになり、香味にも優れた液体調味料を誕生させることになる。
3. 圧搾方法
「醪 もろみ 」(酒のモロミ)の圧搾 あっさく は、布袋に醪を入れて、槓桿 こうかん 式圧搾装置により、強力に搾 しぼ られるようになる。この圧搾方法の醤油づくりへの導入により、「醤油(簀立 すだ て)」ないし「味噌溜り」は、「垂れる」「洩れ出る」「汲み取る」から「搾る」に大きく変ることになる。
「本格醤油」の誕生と「淡口醤油」の登場
 発達史の中で「本格醤油」と呼ぶのは、液に味噌(諸味 もろみ )が混じって濁った状態でなく、澄んだ液体調味料=「すみ(澄み)醤油」のことである。
 前述したように、味噌(諸味)に簀を立てて自然に溜まるなどの液では、澄んだ液にならなかった。澄んだ液を得るためには搾汁方法として「簀」ではなく「布で諸味をつつみ、それに圧力を加えて搾り出す」装置が必要であった。
 記録のうえでは、関西地方では「貞享 じょうきょう 3年(1686)以前に諸味を布袋に入れ、その上に石を置いて醤油を搾っていた」とある。また龍野の円尾 まるお 家の記録では、元禄3年(1690)に「すみ醤油」がつくられたという記録があり、いずれにしても17世紀後半には、関西地方では「本格醤油」の生産が始まっていたと考えられる。
 一方、龍野といえば「淡口 うすくち 醤油」であるが、これは寛文6年(1666)、円尾孫右衛門長徳 ながのり により開発された。「淡口醤油」とするからには、当然、澄んだ液と考えられ、この開発時期を考え合わせると、酒造りの圧搾装置が醤油づくりへ応用され、本格醤油が登場するのは、17世紀中頃と考えても不自然ではない。
 こうして関西地方では、酒造りの技術が導入されることにより、原料処理の段階から、本格的に「醤油」という液体調味料をつくることを目的とした産業が興る。
槓桿(こうかん)式圧搾装置
槓桿 こうかん 式圧搾装置 写真の装置は、昭和11年(1936)7月に茨城県猿島郡幸島村諸川「大橋醤油店」(当時)で撮影されたものである
17世紀-(1)