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「芳田司」著名な柔道選手インタビュー - 柔道チャンネル

  

芳田司

女子柔道57kg級で活躍する芳田司選手。小学生の頃から厳しい練習をし、早くからその頭角を現していました。今まで数々の国内外の大会で活躍してきた芳田選手が柔道を始めたきっかけから、2020年の東京五輪(柔道)に向けてのお話まで色々と伺いました。

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「きかん坊」がきっかけで始めた柔道

「きかん坊」がきっかけで始めた柔道

幼い頃の私は、いわゆる「きかん坊」で、すごく力のありあまった子供でしたね。そのエネルギーを発散させるために、母親の閃きで家の近くにある「円心道場」で柔道を始めることになりました。

円心道場では「楽しく柔道をする」というような練習をやっていたのですが、練習が終わったあとに、柔道着のまま3、4キロ程走るように父親から言われ、それがとてもきつかったのを覚えています。

道場以外で自主的にやっていたことは、ランニング。走ることが好きで小学1年生のときから、姉と一緒にマラソン大会でも走っており、当時は陸上部にも所属していて陸上の大会にも出場していました。走ること以外では、家の前の電柱に引っ掛けたゴムチューブを使ったトレーニングを毎日していましたね。

新しい環境に飛び込む

新しい環境に飛び込む

親元から離れて、新しい環境に飛び込んでチャレンジしてみたかったという気持ちから、中学校は相原中学校(神奈川県)に進学し、近くにある相武館吉田道場で寮生活を送っていました。寮生活はとても苦しい物だったのですが、一緒に頑張れる仲間がいたので、苦しい分楽しいこともありましたね。中学時代の仲間は今でも仲が良いです。

中学時代は練習と試合をどんどんこなしていった時期。試合が終わったと思ったらまた違う大会に出て、ずっと試合をしていた感じですね。そのおかげか、中学2年生のとき近代柔道杯、全国中学校柔道大会、マルちゃん杯の3つで優勝して、中学女子で初の中学団体3冠を獲りました。当時の先輩方と一緒に優勝することができた試合で、一番心に残っています。

中学時代の稽古で一番印象に残っているのは、帯取り返しの打ち込みを何百本、千本とひたすらやったことです。何も考えずに体が勝手に動くという状況までやりこみました。ここまで体に染み付いた技は、今でもこの帯取り返しと内股くらいだと思います。

自分で考える柔道

自分で考える柔道

高校は、以前からお誘いを頂いていた福岡県にある敬愛高校へと進学。環境を変えることに抵抗はなく、次は九州に行ってみよう、という思いもありました。

中学校のときの練習である程度基礎の部分ができていたので、高校ではその幹の部分を伸ばしていった時期。高校のときの先生は、精神的な部分で支えてもらっていたのですが、指導の面でも私を見守ってくれていて、本当に感謝しています。練習も自由にさせてもらい、自分で考えて自分から動くという力がすごく付いたと思います。

高校時代の大会は、個人戦では出口クリスタ選手とずっと戦っていました。勝って、負けての連続で、ライバルです。全日本ジュニアで、出口選手に大内刈できれいに投げられてしまったのは、今でも良く覚えています。

団体戦では、最後の年の金鷲旗高校柔道大会(以下、金鷲旗)が一番印象に残っています。インターハイや選手権とは違う、5人制で戦う金鷲旗の独特な空気感が良いですね。2年生、3年生と2連覇することができたのも良い思い出です。

実業団に入って

実業団に入って

高校で自由にやってきた所からいきなりレベルの高いチームであるコマツに入って、とても緊張しました。実業団のチームに入ること自体が緊張でしたし、一回一回の練習も毎日とても苦労しましたね。また、釣り手や引手といった自分の持っていた物や打ち込みのやり方をばっさりと斬られてしまい、かなり考えさせられました。

当時の監督だった松岡先生に、「自分の思っていることと違うことを、騙されたと思ってとりあえずやれ」と指導して頂きました。あのときのその一言が無ければ、今の自分は絶対にいないと思うので、あのときにそう言ってもらえて本当に良かったと思っています。

付き人として五輪(柔道)を体験

付き人として五輪(柔道)を体験

社会人という新しい環境にも慣れて、2014年11月の講道館杯で優勝、2015年7月の柔道グランドスラム・チュメニ、12月の柔道グランドスラム・東京でも優勝することができました。

しかし2016年2月の柔道グランドスラム・パリでは敗退。リオデジャネイロ五輪(柔道)の代表には選ばれませんでした。悔しい思いも正直ありましたが、五輪(柔道)はもっと高い所にあって、それが自分の実力だったのだと思っています。


リオデジャネイロ五輪(柔道)には選手としてではなく、同じ所属先の先輩である田代未来選手の付き人として同行させて頂きました。そこで五輪(柔道)のすごさや厳しさなど、五輪(柔道)がどういう物なのかというのを感じましたね。会場の空気や、観客、選手の目付きなどが違い、田代選手より私の方が緊張していたと思います。もしこの大舞台に私が立っていたら、と想像するだけでとても気が引き締まりました。五輪(柔道)を目の前で見学できたことは、とても良い経験になったと思います。

初めての世界選手権出場

初めての世界選手権出場

2017年は初めて世界柔道選手権大会(以下、世界選手権)に出場し、2位入賞。やはり、世界選手権となると、たくさんの人が試合を見てくれていて、こんなに多くの人に支えられているのだなと実感しました。

今でも、世界選手権での出来事すべてがエネルギーになっており、これからはもっと多くの人に応援してもらえる柔道をしたいですね。

今は、自分自身との戦い

今は、自分自身との戦い

世界選手権の後に出場した大会でも、安定して勝利できていると思いますが、優勝はできていません。自分の中で、1位と2位の間に壁ができてしまっているのだと思います。

2018年4月の全日本選抜柔道体重別選手権(以下、選抜体重別)では、この壁を乗り越えることができず、3位入賞となりました。この選抜体重別は絶対優勝しなくてはいけないと思い臨んだ大会だっただけに、とても悔しかったですね。

9月に行なわれるバクー世界選手権では、その壁をどう乗り越えるかが重要になってくると思います。

戦うのは自分の体

戦うのは自分の体

今は毎日の練習を勝ちに繋げられるように高い目標を持って取り組んでいます。2020年の東京五輪(柔道)までは、あと2年しかありません。代表争いはもう始まっているので、常に上を目指して練習に励んでいます。

技術的な面以外では、自分の体と向き合う努力をしています。特に、体重や体調、食事の管理には真剣に取り組んでおり、自分の体に合う物を日々研究しています。体の管理は、試合に繋がってくると思っているので無理せずしっかりとやっていきたいですね。

インタビュー:2018年4月

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今回著名な柔道選手としてインタビューしたのは、コマツ女子柔道部に所属する芳田司選手です。幼い頃は「きかん坊」で、ありあまったエネルギーを発散させるために始めたという柔道。めきめきと頭角を現し、小学生・中学生の頃から活躍していました。この強さの秘密は、幼い頃からお父様に特訓されていたからかも知れません。相武館吉田道場で寮生活を送っていた中学時代は、毎日厳しい練習に耐え、体に染み付く程打ち込みをしたと言います。高校は福岡に進学し環境を変えるも、強さは変わらず金鷲旗高校柔道大会など多くの大会で結果を残しました。社会人になったあともさらにレベルアップし、様々な大会で活躍を見せてくれています。芳田選手の幼い頃から現在、これからに至るまでをインタビューしました。

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