黛敏郎前会長が逝去


 黛敏郎JASRAC前会長が4月10日午前8時45分、川崎市の病院で逝去されました。68歳でした。黛前会長は1951年東京芸大研究科卒業後、52年パリ国立音楽院作曲科に学び、翌53年には芥川也寸志JASRAC元理事長、團伊玖磨氏と「三人の会」を結成。1958年には「涅槃(ねはん)交響曲」、1966年には「BUGAKU(舞楽)」で尾高賞を受賞、また1970年菊池寛賞、1986年紫綬褒章など数々の賞を受賞されています。
 JASRACにおいては1977年評議員に就任以降、7期20年余評議員をつとめ、この間理事を1期、評議員会議長を7年余つとめられました。またJASRAC本部ビル移転問題で吉田正会長−石本美由起理事長の執行部が辞任した後、会長に就任、1995年9月まで1年半余会長の要職にありました。
 遠藤実JASRAC会長は、黛前会長の訃報に接し、マスコミの取材に応えて次のような追悼のことばを寄せています。
 「本部ビル移転問題では私と異なる意見ではあったが、JASRACを愛する心はひとつであったと思う。常にご自分の精神にそむくことなく行動されたことと、音楽にとどまらず幅広い学識をもたれた黛敏郎氏が亡くなられたことは誠に残念でなりません。『もっと語りあいたかった...』今は心からご冥福をお祈り申しあげます。」  黛前会長の通夜は14日午後6時、葬儀・告別式は15日正午から、東京中野・宝仙寺でしめやかに執り行われました。



業務組織を変更


 JASRACが業務組織を変更しました。1997年度の体制は、これまでの室・局制を廃止して「総務本部」「業務本部」「管理本部」の3本部制とし、担当業務を明確にするため、いくつかの部署の名称を変更、また「文化事業課」「ネットワーク課」を新設しました。詳しくは「JASRACの紹介−JASRACの組織」をご覧ください。



1996年度分配実績まとまる


 1996年度の分配実績がまとまりました。総額は902億5100万円余で、前年度に比べて額で約83億4,200万円、率で10.2%の増となりました。各支分権の分配額、対前年度比は次のとおりです(3月期に初めて分配された通信カラオケの使用料は、1995年9月までの利用分として、通信カラオケ事業者との暫定合意にもとづき算定した使用料相当分です)。

演奏 26,204,610,709 107.6%
録音 49,941,402,644 98.1%
出版 2,093,906,182 113.5%
貸与 4,859,367,613 101.4%
通信カラオケ 7,151,925,167 ・・・・・・・

 種目別では、演奏の「カラオケ」が98億1100万円余、また使用料規定を改定した「放送」が99億8900万円余となり、前年度に比べてそれぞれ8.2%、9.8%と伸びましたが、録音の約76%を占める「オーディオディスク」が前年度比0.2%の減(7,500万円余減)となり、安定した伸びを示していた録音が、例年になく前年度実績を下回りました。
 分配額を内国作品と外国作品の比率でみると、内国作品75.2%、外国作品24.8%となり、通信カラオケなどの影響から内国作品の比率が前年度に比べ高まっています。



高裁判決が確定


 飲食店でのカラオケ利用にともなう著作権手続きと著作物使用料の支払い義務に関し、店の経営者とカラオケ装置をリースした会社の共同不法行為責任を認めた大阪高裁判決が、3月14日、上告期間経過により確定しました。判決では、リース契約を結んでカラオケ装置を設置する場合の、リース事業者の「注意義務」が明示されています(「3月のお知らせ」をご覧ください)。



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