--- 本日は、よろしくお願い致します。
園子温(以下: 園) よろしくお願いします。
--- 監督の最新作『愛のむきだし』を拝見させて頂いたんですが・・・最高にたのしませて頂きました。
園 ありがとうございます。
--- この作品は、編集前は6時間を超えていたそうですが・・・最終の形がこの237分(3時間57分!)になったんですよね?特に邦画では、異例の上映時間だと思うのですが、この長さに対して、配給サイドやプロデューサーの方々からのご意見などはありましたか?
園 やっぱり、衝突はありましたね、特にプロデューサーと。長いと、映画館で1日にかけられる回数が少なくなってしまい興行的に大変だから、「出来れば3時間くらいにならないのか?」というようなことを言われました。僕も別に、長くするためにやってたわけではないので、最大限、切れるところは切っていったんです。けれど、4時間になったあたりから結構きびしくなってきて・・・。全部のシーンがつながっていて、ここから1時間を切るとなると、つながりが分断されてしまい、わけがわからなくなるので、「ここまでかな」ということで、プロデューサーにもあきらめてもらい、ああいう形になりました。
--- 上映時間の長さで反対していた方が完成された形を観て、納得はされているんですよね?
園 そうですね。最初から納得はしてたんですよ、「傑作です」と。でも、「長いです」っていう(笑)。「"おもしろい"のと"興行"とは違うから」って。でも、最終的には、「これでいこう」って腹をくくってもらいました。
--- 腹を・・・(笑)。マスコミ試写の時は途中で、10分くらい休憩が入りましたよね?(笑)。
園 僕は入れなくていいと思うんですけど・・・「入れてよかった」っていう客、あんまり見たことないんです。
--- そうですか?(笑)。
園 みんなに、「いらないんじゃないか」と言われるんです(笑)。別に、"インターミション"を入れるつもりで作ってる映画じゃないので、あそこで仕方なく切ってあるだけなんですけど・・・。
--- 公開時、なくなりますかね?(笑)。
園 そこは相談したいんですけどね。休憩入れることによって、前半と後半っていう風な感じに見られがちなので。あそこは別に、何の軸にもなってなくて、ただ真ん中で切ったってだけですから。
--- 「『愛のむきだし』は、"むきだしの愛"ではなくて、"愛のむきだし"だから、"物" "愛という物質"。"物としてむきだされた愛"が・・・"勃起" "パンチラ" "盗撮" "カーチェイス" "喧嘩"に形を変えて、"物"として溢れ出す。この映画は、"エンターテインメントのむきだし"。エンターテインメントの殻を壊して、むき出してみせよう・・・」と監督はおっしゃっていましたが、この上映時間もまた、エンターテインメントの枠を超えていると思いました。監督が書かれた原作「愛のむきだし」も読ませて頂いたんですが・・・。
園 ああ、ありがとうございます。
--- こちらは、映画の脚本とほぼ同じ内容にされていると思うんですが・・・一部、ナレーションが入っていなかった部分がこの本には書かれていたりして、後からまた、映画の違う部分を知ることが出来てたのしく読ませて頂きました。この映画のストーリーは、監督のお友達の"実話"がベースになっているんですよね?
園 古くからの友達というか、一緒に自主映画を作っていた人です。途中で完全に人生の道が分かれて、彼は"盗撮"の道を歩み出したんですが、あるとき彼の妹がとある"宗教団体"に捕まって、出られなくなり、彼がその"ヘンタイパワー"で、妹をその新興宗教から"脱会"させたっていう話を聞いたんです。15・6年も前くらいの話ですが、その時は、「おもしろい話だな」と思っただけで、別に映画にしようとは思っていなかった。ずいぶん(時間が)経ってから、急に思い立って、「あれを映画にしよう」と。
--- "こっちの世界"って考え方が、「確かに」って思ったんですけど・・・キリスト教を信じる神父やその家族、新興宗教の"ゼロ教会"って、彼らにとってはそれぞれが信じているものだから、違う種類のものという意識があるかもしれないですけど、客観的に見ると、全部一緒ですよね?"盗撮"している世界が"こっちの世界"で、"あっちの世界"に行ってしまった妹を"脱会"させることが本当にいいことなのかも、よくわからなくなって来ますよね・・・。
園 だから、僕の友達は、実際に"盗撮"する彼も、"ヘンタイ"であることにすごく自信をもっている。純粋に"盗撮"が好きで、本当に"童貞"で、性的な問題よりも、"盗撮"が好きだったんですよ。その当時もう彼は、その筋のプロの人に見込まれて、"盗撮のカリスマ"みたいになっていました。とにかく彼の作品がものすごく評判を呼んで、彼の撮った盗撮ビデオが飛ぶように売れていたらしいんですよ。でも、それはもう、彼のみぞ知る世界。
普通、そういう組織から"脱会"させようとする時って、牧師とかを使うくらい、大変な作業らしいんですけど、そのすごい"肉体パワー"というか"本能パワー"というか、そういう"ヘンタイパワー"で、「"こっちの世界"に戻ってこい!」と自信を持って、力強く、妹を引き戻したっていうのがすごいなと思ったんです。
"こっちの世界"っていうのは、傍目から見れば、「そっちの宗教もあれだけど・・・お前の"こっちの世界"もかなり微妙だぞ」と思うんですけど(笑)、彼は堂々としたものでものすごい信じきっている。そういうところがすごいなあと思って。だから、そういうものがやっぱり、やりたかったですね。
人を愛して、すごく虚しくなる気持ちを
"空洞"ということに当てはめるとすごく、
いいなあって思って。
--- それぞれの世界が成り立っていて、それがぶつかった時のあのぐちゃぐちゃになるんだけど、まとまっちゃった感じがすごくおもしろかったです(笑)。原作にも書かれていましたけど、"空洞"って言葉を多用されていましたよね?"ゼロ教会"の教会における階級では、"CAVE" "ACTOR" "PROMPTER"という段階があって、その"CAVE"も"空洞"という意味ですし、どこかの媒体で監督が「主演の西島隆弘くんの顔も空洞っぽかった」っておっしゃってましたが・・・(笑)、原作の時点で、"空洞"は"キーワード"としてあったんですか?
園 ゆらゆら(帝国)を(楽曲)使うってことが決まり、「空洞です」でやろうと思ったから、最初のシナリオよりももっと、"空洞"という言葉を思い切って入れてみたんです。そしたら、
ゆらゆら帝国のあの曲が、映画にすごくはまった。人を愛して、すごく虚しくなる気持ちを"空洞"ということに当てはめるとすごく、いいなあと思ったんです。
--- 映画のテーマ曲とか主題歌って、エンディングに1曲だけ、脈絡もなくかかることって多いですよね?でも今作は、劇中でも、本当にいっぱい、ゆら(ゆら)帝(国)の曲が使われていてたので、すごく爽快でした(笑)。わたしは個人的にも、彼らの音楽が好きなのですごくうれしかったんですけど、スクリーンであんなに、ゆら(ゆら)帝(国)が聴けることって、今後もないんじゃないかなっていう想いもあったりして、よけいに感慨深かったといいますか・・・(笑)。(注:「空洞です」の他に、「美しい」と「つぎの夜へ」も使用されてます)
園 アメリカだと、ロックがすごくマッチする映画があったりするんですけど、日本って、ロックがマッチする映画って、なかなか難しいというか、ないんじゃないかなと。曲と音楽と映像がちゃんとマッチ、フィットするように心掛けましたね。
まあ、日本のテーマ曲って実は、後付けのものが多いから。有名人使って、"お囃子隊"みたいなところで、テーマでも何でもなくて、"お囃子曲"みたいな感じっていうか(笑)。あんまり、テーマ曲になっていないんですよね、邦画の場合。
--- そうですよね(笑)。今作では「空洞です」が本当に、この"映画のための音楽"であり、この"音楽のための映画"でもありますよね。
園 そうなんですよ。この形っていうのが本来のテーマ曲であると思うんですよね。
--- 他にも、「空洞です」は、"ゼロ教会"の"CAVE"の人達が合宿所で合唱みたいに歌ってたりもしますよね?(笑)。ああいうところでも使われていて、そこもすごくおもしろかったんですけど・・・(笑)。
園 実は、"小池アヤ"が勧誘される時に、教会の中でうっすらと、アレンジバージョンもかかっているんですよね、本当にうっすらなんですけど・・・。
--- ・・・そうでしたっけ?(笑)。そのシーン、もう1回観て確認してみますね。あとは、ラヴェルの「ボレロ」も使われてましたよね?
園 台本書く時から、「ここはラヴェルを使いたいな」と思っていました。「ラヴェルとベートーヴェンはもう、台本の時から使いたい、今度の曲だな」と。"ロックとクラシックを融合させたい"とも思っていて。向こうの映画なんかは、平気でがんがんやるんだけど、日本ではやらないから、日本映画がやってないところは、全部やりたいなと。
("クラッシック"使用楽曲は→ラヴェル: ボレロ、ベートーヴェン: 交響曲第7番、サン=サーンス: 交響曲第3番です)
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