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光照寺の堂宇(こうしょうじのどうう)

 沼隈の光照寺といえば、西日本における浄土真宗の最初の拠点となった寺として著名である。「明光派」といわれたこの備南真宗教団は、建保(けんぽう)4年(1216)に親鸞(しんらん)の弟子という明光の光照寺創建により始まると伝える。が、鎌倉時代末期に明光の孫弟子慶円(良誓)が光照寺建立・教団成立に尽力したというのが真相のようである。この明光派は、大衆の喜捨による寺院建立、偶像崇拝、師弟関係や入信序列の重視と、宗祖親鸞の思想とは異なる動きをしているが、後に芸備地方において本願寺派の発展する布石となり、土壌を培うことになったことは否定できないといわれている。
 今、光照寺境内には本堂・庫裏・山門・鐘撞堂・裏門などの建物が残っている。本堂は、文化13年(1816)の建築であるが、県内でもまれな大規模な建物で、西国における真宗総本山格の面影を十分伝えている。面影といえば庫裏の車寄せは唐破風となっており県内の寺院中で異彩をはなっている。県内最古といわれ規模の大きい鐘撞堂と山門は、慶長18年(1613)に福島正則が寄進したものという。梵鐘(ぼんしょう)も同様と伝え、和鐘と朝鮮鐘の折衷様式とでもいう珍しい姿をしている。裏門は永禄年間(1558〜1570)に建立されたものであるが、当初の材は一部のみである。
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