世の流れがこんな時期に、野暮だとは思う。私が思春期の頃、およそ20年くらい前。
タモリとウッチャンナンチャンと山田邦子は、「コイツを“面白い”と言ってたらヤバい」とキメウチされる芸人の3大巨頭だった。
人間性の変容、立ち位置の変化、世相等が働き、現在の彼ら彼女らの評価は一変している。しかしあの頃、この3組は本気でつまらなかったと思う。記憶を捏造していなければ、同世代の人たちは頷いてくれるはずだ。

特に、山田邦子に対する当たりは強烈だった。毎年、好感度調査で女性タレント1位の座をゲットする彼女に対し、「私は信じられない」と激烈な異を唱えていたナンシー関。

いや。そんなオピニオンが無くても、多くの人はアレルギーを覚えていた。フジテレビ水曜21時という素敵過ぎる時間帯を独占する『やまだかつてないテレビ』は、アンチから見ると「いい男(阿部寛、東幹久ら)を集め、山田邦子が女王様気分でいる番組」でしかなかった。

長年、プロレスファンの間で美談として語られているエピソードを紹介したい。『ギブUPまで待てない!!』という番組を、ご存知だろうか?
「ストロングスタイル」を標榜する新日本プロレスだったが、視聴率低迷を機に妙なテコ入れが決行された。それは、プロレス中継のバラエティ化。
メインパーソナリティには、山田邦子が据えられる。結果、放送時間の多くをタレントのトークが占めるように。当然、プロレスファンからは反感を買ってしまう。
この時期である。同番組のゲストとして、デビュー間もない馳浩が登場。その日、プロレスを理解していない山田から「血はすぐ止まるんですか?」という質問が馳へ飛んだ。
反射的に「つまんないこと聞くなよ!」と激昂する馳。このやり取りを観た多くのプロレス者は、溜飲を下げる……という、半ば伝説となったエピソードが存在するのだ。

確認してみよう。ネットで「山田邦子」「馳浩」を検索していただきたい。
では問題のくだりを、以下に再現したいと思います。

山田 控室では、やっぱり、あの……、血なんかはすぐに止まるものなんですか、選手っていうのは……?(オドオド)
 つまんない話聞くなよ。

山田 あっ……。(ビクッ!)
 止まるわけないだろ!
山田 止まらないですよねぇ? そうなんです……(ビクビク)

随分、印象が違う。終始へりくだる山田と、唐突に逆鱗に触れられてしまったかのような馳。無論、両者に言い分があるだろう。今となったら、どちらの立場も理解できる。しかし、当時の世相は圧倒的に馳に味方した。

『ギブUPまで待てない!!』スタッフや共演者・亀和田武の証言によると、その後の山田の落ち込みは酷かったらしい。それはそうだろう。いきなり、馳浩にキレられるのだ。この日が山田のトラウマになった、という噂も耳にしている。結果、このバラエティ路線は受け入れられず、同番組は1年半で元の形に戻っている。

その後の山田は、タレントとしても人気が下降。
舞台に現れるだけで「エーッ!」とブーイングを浴び、その姿を不憫に思った場面は忘れられない。不可解なほど、露出も激減した。
しかし、捨てる神あれば拾う神あり。例えば、真木蔵人による「なんで邦ちゃん、急に見なくなっちゃったの? 俺、昔、すごいお世話になったし」という発言は、ここ最近の話である。援護射撃は、意外な方向からやって来るものなのか。
そういえば「山田邦子がプロレスにハマっている」という噂を、ちょくちょく耳にするようになった。いや、信じ難い。だって、あの人、馳にキツいのカマされてるし。

“昭和プロレス”好きの巣窟であろう専門誌「KAMINOGE vol.27」(東邦出版)に、山田のインタビューが掲載されている。
ツカミが凄い。いきなり、ソラールを絶賛し始める山田邦子。ここ2~3年、彼女のプロレス観戦数は芸能界トップレベルにあるそうだ。きっかけは、ノアの森嶋猛。それ以降、彼女のプロレス熱は留まることを知らず、遂には試合を見るためメキシコへの密航も果たしているらしい。

しかし、昔はそうでもなかった。だからこそ、司会に適任だったのだが。
山田 猪木さんから「プロレスをよく知らない人との橋渡しをしてください」って言われて。「女の人とかも応援してくれるように」ってことで。
───新規ファン獲得のために、猪木さんに頼まれて始めたってことですね。
山田 テレビ朝日と猪木さんと私で話してね。

当然、インタビューではあの件にも触れている。
山田 新日も観に行ってるんだけどさ。なんかさ、私が会場に行くと「うわ、山田邦子が新日に来た……」みたいな感じで、ザワザワする人がまだいるのよ(笑)! よっぽどなんかあったと思われてるんでしょうね。でも、私の中ではなんでもないのよ。
───あ、馳さんの一件は全然気にしてないんですか。
山田 全然! でも、いまだに長州さんなんかも酔っぱらうと「馳、嫌いでしょ?」とか、まだ言うの(笑)。
───ダハハハハ!
山田 だけど自分ではもう全然、覚えてないぐらいなんですよ。

この辺、もっと深く喋っていただきたい。
山田 収録が終わったあとにプロデューサーとかがみんな「大丈夫ですか?」って来たのよ。ちょっと売れてるタレントだったんで、特別扱いみたいになっちゃってて。それで、単にインタビュー中に怒られただけなのが、「ゴールデンタイムに国民的なタレントが言葉の暴力に遭ってる図」になっちゃったわけ。
───確かにプロレスファンの中には「馳、よく言った!」って人もいましたけど、一般視聴者からは「あんなことで女性を怒鳴りつけるなんて、やっぱりプロレスラーは野蛮!」みたいになりましたよね。
山田 そしたらテレ朝が「やめましょ、こんな番組やめましょ」みたいな感じなわけ。それで終わっちゃったの。
───えぇ~~~!? 馳さんのあの一言で終わりですか(笑)!
山田 そうなのよ。「私はなんでもないですよ?」って言ったんだけど、「ダメだダメだ」「暴力だ暴力だ」みたいになって。(中略)
───そうだったんですか……。当時を知るファンからすると、「プロレスファンからいろいろ言われ、馳から怒鳴られ、きっと山田邦子さんはプロレスが嫌いになっただろうな」っていうふうに思い込んでましたよ。
山田 まったくそんなことないですよ。でも、強いて言うと馳が好きじゃない(キッパリ)。
───ダハハハハ! そりゃ、そうです(笑)。
山田 だってさ、あれで番組が終わっちゃったんだから。番組が終わるってことは、スタッフと出演者合わせて100人ぐらいが、一緒に職をひとつ失うわけだから。家族がいることを考えると、何百人という人の生活に影響を与えちゃうんだから。
───そうですよね。あの男ひとりの発言のせいで(笑)。

しかし山田邦子、馳のことは嫌いになってもプロレスのことは嫌いにならなかった。オカダカズチカの動きを俯瞰して観るため、あえて最後列の席を取って観戦したり。プロレス誌で、自分の姿が見切れる写真を発見して喜んだり。あのウルティモ・ドラゴンに「浅井君」と呼べるほど、親密な関係を築いていたり。
自分の頭の中で勝手な小説を作っていた、昭和プロレスファン。しかし、少なくとも山田による告白は以上のようなものであった。

「また昔みたいにプロレスの番組ができたらおもしろいなーって思います」(山田邦子)
正直、タレントとして好きなタイプではない。番組を望む人が、そんないるとも思えない。
ただ、あれだけ馳にカマされ、それでいてプロレス者になるのは立派。普通の女性なら心が折れ、田舎に帰ってバスガイドになっていてもおかしくないだろう。
(寺西ジャジューカ)