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最終更新日:2023年8月29日
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アメリカ軍による日本本土への空襲は、1942年4月18日に、東京・名古屋・四日市・神戸などを空襲したのが最初で、神戸では兵庫区中央市場付近が被害を受けたが、本格的なものではなかった。
神戸市域に対する無差別焼夷弾爆撃は、1945年2月4日に初めて行われた。これは、それまでの空襲が軍事施設や軍需工場への精密爆撃から焼夷弾による爆撃へと方法を転換するための実験的焼夷弾攻撃であり、林田区、兵庫区一帯および湊東区に投下された。
都市に対する無差別焼夷弾爆撃が、1945年3月10日の東京大空襲を皮切りに本格化し、名古屋、大阪に引き続き神戸は、1945年3月17日未明の大空襲により、兵庫区、林田区、葺合区を中心とする神戸市の西半分が壊滅した。
また、1945年5月11日の空襲では、東灘区にあった航空機工場が目標とされ、爆弾による精密爆撃が行われた。この空襲では、灘区・東灘区が被害を受けた。
さらに、1945年6月5日の空襲では、西は垂水区から東は西宮までの広範囲に爆撃され、それまでの空襲で残っていた神戸市の東半分が焦土と化した。
こうして、1945年3月17日、1945年5月11日、1945年6月5日の3回の大空襲によってほぼ神戸市域は壊滅した。
空襲による現在の神戸市域の被害は、戦災家屋数14万2,586戸、総戦災者数は、罹災者53万1,694人、死者7,524人、負傷者1万6,948人という大きな惨禍であった。