1%の可能性で行動すれば、不可能は可能になる

映画『GATE』監督
世界核兵器解体基金(GND Fund)エクゼクティブディレクター
マット・テイラー氏


 皆さんは「原爆の火」をご存じだろうか? 広島と長崎に原爆投下されてから、今年で64年が経つ。広島に投下された原爆の火が、今も福岡県星野村で燃え続けている。その原爆の火を、原爆発祥の地であるトリニティーサイトに届けるため、2500qもの距離を僧侶とともに行脚した模様をドキュメンターリーとして映画『GATE』という作品に残した監督がいる。彼の名はマット・テイラー氏である。
 マット氏は、民間で初めて世界核兵器解体基金を設立し、核兵器や原子力潜水艦の解体への公的参加を積極的に行うと同時に、解体した核兵器から取れる放射性のない金属をアクセサリーにした製品を世界中の市場に流通させ、そこから生まれた収益をさらなる核兵器解体活動へと結びつく、世界中の人々がどこでもこの公的解体プロセスに参加できるシステムを作り上げた。
 マット氏は家庭の事情から、幼少期に来日して日本で育った。厳格なキリスト教徒として育った彼だったが、日本人の家族のもとで仏教の考え方に触れた。そして、義理人情に厚い日本の父から、仏教だけでなく彼の時代の話もたくさん聞くことができたという。
 「世界中に色々な宗教がある。色々な人が色々な神に向けて祈ったり、戦争したり、平和活動をしている。宗教をひとつ決めるのであれば、色々なものを勉強した上でないと選択は難しいのではないか?」
 日本の父の言葉を受け、世界が平和になるためにはお互いにコミュニケーションで理解し合うこと。さまざまな文化や宗教観に触れることが重要だと、仏教の坐禅を体験する。それは自分の持っている宗教をより理解させてくれる方法だと気付いた。
 ある日、マット氏は原爆の火を持って托鉢している僧侶たちの姿を見る。
 「彼らは一体何をしているのだろう?」
 日本の父に相談すると、坐禅をしに行っている寺の老師に聞いてみるように言われた。老師に質問をすると、こんな説明してくれた。
 「日本に限らず、世界中に色々な僧侶が、人類のためを思って平和行進やずっと歩き続けている。原爆の火を持っている僧侶もいれば、その火を持っていない僧侶もいる。広島と長崎をずっと往復している人もいる。なぜ彼らがそういうことをしていると思うか? 因果は巡る。原爆がアメリカで生まれ、22日後に広島に投下。さらに3日後、長崎へ投下された。彼らは、原爆の悲劇が長崎で止まるようにずっと祈り続けているのだ。その火が消えたり、彼らの行脚が止まるとどうなるのか。そのまま輪が行ってしまう。彼らの破壊とは、終わりのない破壊なのだ。マット、考えなさい。終わりのない破壊はどうやって終われるのか?」
 この、中学1年生のマット氏に向けた禅問答が、彼の人生の軸となっている。
 「原爆を落としたアメリカ人ですから、罪悪感を感じながら、アメリカ人の言い分をずっと聞いていました。一番最初に広島へ行った時、一人のおじいさんが私の足につばを吐き出した。その時、やられてもしょうがないと思った反面、アメリカ人の言い分はこうだと、自分の中で説得しようとしていました。
 本当の意味で平和心に触れたのは、長崎へ行った時です。そして、広島は怒りの町で、長崎は祈りの町だと感じた。長崎の人々は復讐を祈っているのではなく、この土地が原爆の悲劇の最後になるよう、原爆の被害者は最後になるよう、長崎で止まるように祈っていた。このことが本当に僕にとって感動的でした」。
成人となり、日本を離れて活動拠点をアメリカとしたマット氏。
 「2002年10月にバリで大きなテロがありました。私もボランティアで22カ国からミュージシャンを集めて、2004年にバリ島で無料の大きいコンサートを開いたのです。その時、ヒンズー教であるバリ島の人々が、イスラム教が起こしたテロにも関わらず、毎日海に向かってずっと平和を祈り続けていたのです。その姿を見た時、長崎での体験を思い出した。平和を祈る気持ちは世界共通なのだと気付きました。手を合わすことは仏教やヒンズー教ではなく、人類として世界共通なのだ。平和心というものにすごく感動しました。と同時に、自分自身が情けなくなった。原爆の火のことや、子供の頃に体験した長崎でのことを、何十年間も自分の心から切り離して、都会的なモチベーションで走っていることが自分の全てであると思っていたこと。
 2005年は原爆から60年が経つと気付き、原爆の火について色々調べてみると、まだあることを知りました」。
 撮影が終わり、彼は映画『GATE』の上映場所を世界で最初に原爆実験が行われ、今回の映画の舞台にもなっているトリニティーサイトがあるニューメキシコ州を選んだ。
 「バターンの死の行進ってご存知ですか? アメリカとオーストラリア兵を、日本兵は死ぬまで歩かせたのです。その生き残った人たちが、ニューメキシコ州にほとんど住んでいるのです。彼らが一体どんな反応をするのかと思いました。
 上映会後、涙を呑みながら誰も何も言わない。「質問はないですか?」と聞くと、ひとりのおじいさんが手を挙げました。「映画の中に、日本軍は降伏条件を出していた。日本軍はロシア軍と降伏交渉を原爆投下する前から行っていたと言っているけれど、それは本当なのか?」
 会場はシーンとしました。
 「戦争で大変な経験をしたこと、原爆投下したこと。60年間、自分たちの中で言い訳をずっと信じていたが、その瞬間に崩れた。60年間、ジャップを憎んでいた。だから、原爆を落とすべきだと思っていた。その思いが、一瞬にして崩れてしまった」と。会場は言葉を失ってしまった。
 原爆投下の前に、日本軍が完全に白旗を上げていたことをアメリカ人は知らない。むしろ、それを否定さえしています」。
 お互いのコミュニケーションのために、お互いの宗教を含め、場合によって理解する必要がある。味方だろうが敵だろうか、特に敵であればそれほどコミュニケーションを取る必要があることを痛感した瞬間であると同時に、映画『GATE』を観た人々に伝えたいことでもある。
 「僕らは毎朝起きる時にモチベーションが必要です。何かのモチベーションがあるから、毎日ベットから起き上がる。自分にとってのモチベーションが何かを知り、それをコントロールし、バランスを取り合って進む。どちらに進むにしても、それは人間の自由思考です。私が気付いたのは、金銭的なモチベーションから切り離れなければいけないということ。この映画『GATE』に参加してくれた人たちは全員ボランティアです。
 私は冷戦時代に育ちました。アメリカにいるときも、毎日ニュースで報道されていた。いつミサイルが発射されるのか。通っていた小学校の近くにミサイルの発射場があり、実験でミサイルが発射される様子も見ました。「何故こんなおかしいことになっているのだ! 自分が何かできるのなら、このミサイル発射場を全部処分してしまいたい」。そう思いました。
 日本人も被爆の記憶が遠い昔の話になっているかもしれませんが、自分の力で本当に何かできるのであったら、すべての核兵器を消してしまいたいという気持ちは絶対に持っていると思う。
 モチベーションは、実際に手に入るものをみんな選ぶのです。どんなに頑張っても絶対不可能なものは、自分のモチベーションとして選びません。
 1%の望みでも、出来るに違いないと掲げたこと。それがモチベーションです。そして、コミュニケーションこそモチベーションの原動力です。思ったことは行動に移す。それが必ず現実のものになるのです。
 この映画が上映される前は、原爆の火の存在を知っている日本人はほぼ100%いませんでした。よっぽど平和活動をしている僧侶の方々以外では、知らなかった。
 そんな原爆の火を、幼少の頃に見ていたのは、すごいタイミングです。まさに縁。自分の旅のスタート点かもしれない」。
 マット氏の穏やかな笑顔、そしてエネルギーとパワーは、世界平和は夢ではないのだと確信させてくれた。