アジアの障害者 ー  偏見と差別[1]

    アジア・ディスアビリティ・インスティテート 中西由起子

初めに
 障害者を偏見をもって見るようになるのは、何故であろうか。健常者は悲劇、損失、または欠陥として障害を見る。これらの非常に否定的な態度は、障害者の「対応」の仕方に応じて恐怖や哀れみ、または賞賛を引き出す。先進国では、そのような差別の大きな原因としてメディアとがあげられている。社会の中の支配的なグループが支配する枠組みができている。メディアはその枠組みの中にいて、外にいる人たちに対してステレオタイプ、偏見等をつくり上げる。途上国では、村の有力者から村びとに、夫から妻に、親から子どもに言葉や態度で伝えられる過った価値観が偏見をつくる。
 価値観の根底をなすのは、情報や理解の欠如からくる障害に対する過った考えである。そこには神を聖なるものとし、その姿を象っている存在である5体満足な人間は善であり、不完全な存在である障害者を不浄なものとして排除する宗教の大きな影響がある。

障害者を哀れみ助ける宗教
 だが大きな教団は、障害者差別はしていないと明言する。[2]例えば、南アジアのバングラデシュやモルディブはもとより、最近東南アジアを中心に増加を図っているイスラム教の本来の教義では、イスラム的義務の中に弱い状態におかれているものに対して、無条件に手をさしのべることが含まれている。障害者は高齢者、病人、貧しい人などと一緒にムスタダアフ(弱い状態におかれている者、権利を剥奪されている者)の中に含まれ、弱者としての権利が認められていた。[3]
 タイでは、社会福祉活動は仏教によって始められたといわれている。13世紀のスコタイ時代の王たちが近隣諸国から僧侶を招き、仏教を広めさせた。次のアユタヤ時代の僧侶たちが、仏教の修行と実践を通じて、慈善活動を行っていった。彼らは弱者救済を初めとして、教育、医療など、民政分野の活動が寺院を中心に進めた。寺院は地域の福祉センターの役割を果たすようになり、人々が喜捨(タンブン)に励むことが奨励された。それは、天に徳(ブン)を積むと理解されていた。そのため障害者はかわいそうな人たちの一人としてを援助を受けたり、金銭の施しを受けていた。[4]
 同様に仏教が、地域の中での相互扶助を支えている例はカンボジアで見られる。人々は生活苦に陥ったりした場合に親戚や地域社会の中でもっとも豊かな者の所に行って、全面的に生活を見てもらうことが多いという。そのような状況があるからこそ今まで人々は何とか生活を続けてきた。[5]またポルポト時代に殺されることなく、生き延びることができた障害児がいたのである。
 ヒンズー教も仏教と同様な考えを持つ。弱者に施すことによって自分の魂が救われると信じているので、障害者ももらうことによって相手の魂が救われると考える。「あたえる」、「もらってあげる」という感覚があるので、相互扶助が成り立ちやすい。[6] 
 実際に、慈善的な活動のみでなく、障害者のために教育などのさまざまな積極的な援助活動を行っている宗教団体も多い。アジアの障害者教育において視覚障害者教育が最も発展しているのは、欧米のキリスト教宣教師が派遣国でまず盲学校の設立に着手したからである。最初の障害児教育は、スリランカでは1912年にキリスト教の宣教師によってラスマラ−ナに建てられた盲学校で行われ、ブータンでは1972年にスイスのKMAミッションが経営する8年生までの寮制の男女共学の盲学校においてであった。韓国の障害児教育の歴史は1899に米人宣教師R. C. ホールによって最初の視覚障害児の特殊学級に始まり、タイでも、視覚障害の教育が障害者の中で一番早く始まり一番進んでいる。日本で働いてい全盲の米国女性、コールフィ−ルド宣教師がタイ人留学生に要請されて、引退し帰国するとの意志を翻しタイに赴き、1939年に最初の盲学校をつくった。       

障害者の自立を阻む慈善
 慈善を愛の行為、優しさの表現として宗教は奨励してきた。しかし、慈善はむしろ障害者の自立の弊害となっている。与える「持てる者」と受ける「貧しく哀れな者」という2層化を助長する。インド国立整形外科的障害者研究所スタッフで片足が義足である補装具センタ−の主任は、町を歩くとコインを投げられたという屈辱的な経験をもつ。当時は義足がなく松葉杖を使って歩いていた彼を、人々が障害者が物乞いをしていると勘違したからであった。[7]
 前述のように、タイでは慈善行為、つまり障害者を援助することや、金銭的な施しを与えることは、自らの功徳になると信じられている。それ故、約2000人のバンコクを中心とする大都市地域に住む盲人は政府の発行する宝くじを販売して生計を立てている。身体障害者も、手数料を払うことなく社会福祉協議会から販売用に買い取れる特権を享受している。職業リハビリテーションセンターを終了しても、大学を卒業していても、障害のために良い仕事が見つからない視覚障害者者は多い。結局収入を得るためには、雑踏の中での販売等危険が伴っても、彼らは宝くじ販売を選択せざるを得なくなる。一番収入が多い盲人の場合月5万バーツとなり、タイ公務員の一番高い給与に相当する。[8]かわいそうな障害者から買うという良い行いはきっと応えられると信じる多くの人に支えられて、宝くじ販売は収入を約束される職業となっている。[9]
 同様にタイでは、労せずに稼ぐことができる職業として物乞を選択する障害者もいる。90年代の以前より数が減ったものの、お金をあたえることで徳がつめると考える人たちがいるおかげで、彼らはチェンマイのナイト・バザ−ルなど繁華街に毎日通ってきて、歩道に座り込んでいたり、雑踏のなか何人かで列を成していたりとさまざまなスタイルでお金をもらっている。スリランカでも自分の障害を誇張して通行人の同情をかってお金をもらう障害者がいる。物乞いからの収入で家族を養っている人たちは、働くより容易に収入が得られる現状を変える気はなく、ソーシャルワーカーのリハビリテーションの勧めにも耳をかたむけない。[10]
 ヒンズ−教や仏教でのカルマの考えでは前世の行いによって現在の運命が決められるので、障害は前世に悪いことをしたので神に与えられた罰と見なされる。障害者であることを運命づけられた人は、それをカルマの結果としての状態であるとして受け入れなければならなくなっている。障害者は、前世がよくなかったのだから「どうしようもない」、「どうせ何も出来ない」、「やっても無駄だ」と思い込み、自立への意欲を失っている。また、もらうことによって相手の魂が救われると考えるので「もらってあげる」という感覚が生まれ、その結果もらい続けることに疑問をもたなくなる。事態を変えようとする気はない。
 台湾の「蝶寡孤燭廃疾者,皆有所養(かんかこどくはいしつしゃ,みなやしなわれる)」という、古くからの心身障害者を貧困で自活できない老人や孤児とともに保護する伝統[11]も障害者に対する優しさと依存の助長の2つの側面をもった考え方である。

同情や哀れみから過保護
 障害は前世の悪行の結果(カルマ)であるとの考え方は、障害者に対する二つの矛盾した態度を生み出す。つまり周りの人々は前述の障害者を哀れんで過保護になり甘やかすか、全く無視して差別するかのいずれかである。また障害はカルマであるために、障害児が生まれたことによってその子に前世の行い全てが集約されたと考えて、家族に変わってカルマを引き受けてくれた障害児を神のように大切にすることもある。フィリピンでは子供を愛するあまり、近所の人たちからの苛めや冷たい風から子供を守ろうとして外に出さない場合や、貧困層の障害児の場合、前述したように、多くはあまり長く生きられない。そのため、親は与えられるものは何でも与え、子どもの要求に最大限応えようとする。[12]
 障害者はかわいそうだから、早く死んで楽になった方がいいとする反応も過保護と合い通じる。特に障害者が重度であればあるほど、この考えは強くなる。タイやマレーシアにある障害者施設の多くは、重度障害者の収容を目的として建てられ、食べさせてもらって、最低限の身辺介助をしてもらい、体調が悪くなれば月に1、2回訪れる医師に見てもらうのという生活をしている。せき髄損傷で入所しても障害者に対して職員はこまめに介助を行わないので、褥そうや尿侶感染で死亡するという、日本では考えられないような事態が起きている。海外からボランティアに派遣されている者が介助に当たる職員に理由を尋ねると、かわいそうな障害者は生きているより死んだ方が良かったのだとの返事が返ってくる。

哀れな障害者観の利用
 哀れな障害者観の利用することによって、人々の同情や哀れみは簡単に勝ち取ることができる。慈善は人々の心に直接訴える力を持つ。タイでも先進国を真似てテレソンが実施され、タイ障害者協議会が多額の寄付をもらえたことがある。それは、個々のニーズに対応するアプローチでしかない。障害者が望んでいるのは、自分たちが社会に平等に参加できるようにエンパワーされる方法である。
 もっとひどい利用方法としては、ディケンズの「オリバー・ツイスト」のアジア障害児版というべきケースがある。1987年夏に、インドの貧しい家庭の障害を持つ男の子4人を親に小額の金を払って連れ出し、イスラム教の巡礼で賑わうサウジアラビアのメッカで物乞いをさせていた事件があった。ハジに訪れる人たちが気前よく施しをするので儲けたギャング団は、その後彼らを置き去りにしたため事件が発覚した。 数年前にもインドで同様な事件があり、日本の新聞でも報道された。
 さらに残酷なケースとして、赤ちゃんの腕を切り落とし、乞食をさせてお金を稼いでいる母親の話も聞く。インドでもムンバイなどの大都会では子供を初めとする物乞いが多い。ギャングのシンジケ−トが派遣しているという。手足のない障害のある物乞いは、手足を切り落とされて乞食をすることでお金を稼がされている作られた障害者だと言われている。[13]タイのパクレッド・ホームでも金もうけを企む人たちが腕の短い聴覚障害の女の子が姿を消してしまうことがあった。施設職員が案じたように、手分けしてバンコク市内を捜しまわッた結果、やっと物乞いをさせられている彼女を発見し連れ戻したという事件もあった。現在、経済発展を遂げたタイのバンコクの物乞いの多くは、隣国のミャンマーからお金稼ぎのためにやってきた障害者であると言われている。

障害を恥、罰とする宗教
 タイやスリランカは小乗仏教を信じている。それは、限られた人が成仏するというの輪廻転生の考えである。前世を信じる人たちは障害を持つことはたたりや罰と考える。障害児が生まれれば家族、当人が障害者となれば当人の前世の行いが障害の原因と考える人も未だ多い。特に、障害児をもつことで母親の立場が大変不利になる。そのため家族は障害者がいることを恥じ、隠そうとする。CBR(地域に根ざしたリハビリテーション)ワーカーが地域の人々の考えを変え、家族を説得して初めて障害者が外に出ることが許される。
 特に、母親の業が子供の障害に出てくるとの考えがはスリランカでは強い。[14]ネパールでは、都市部では障害者は前世で悪いことをしたため、その報いとしてこの世に障害をもって生まれてきたといのは迷信であると進歩的なあ考えを示す人がふえている。しかしろう者やその家族に対する社会から多くの差別や蔑視はまだまだ根強い。両親でさえろう児を授かったことに恥を感じ、ろう者を恥ずべき存在だと考えてきた。[15]カトリック国のフィリピンでも、一部の貧困層や農村の人達の間では、障害は悪霊のしわざないし神の罰、または伝染すると信じられている。そのため、障害者は家族によって、家の中に隠されてしまうことが多い 。イスラム教国のバングラデシュにおいても、障害は前世の罪によるものと考えられている。他のイスラム教国に比して格別戒律が厳格なわけでもないが、障害者に対しては肉体がアラ−の前に出るには不完全であるとの理由で、モスクで祈ることさえ許さないことがある。

カースト制に根ざした障害者差別
 カースト制度は、特にヒンズー教の精神を表現した体制といわれているが、ここでは宗教での偏見と別個に検証してみたい。「ヤージュニャバルキヤ法典」によれば、片足のない者、目の見えない者、ハンセン病の者はあるべき身体的秩序に背いているからという理由で、つまり穢れているからという理由で、最上カーストであるバラモンのいるところから退出させることを命じている。[16]これが綿々と続いているヒンズー教のカースト制度、仏教での身分制度、日本での部落問題にまで影をおとしている。[17]
 カースト制度によって障害者は冷遇されている。仏教国のスリランカにしろヒンズー教のネパール、イスラム教のネパールにしろ、看護職やソーシャルワーカーなど障害者をケアする立場にある者までもが障害者を見下した立場をとっている。障害者は教育がない、低所得者であり、「不浄のもの」と見なされる。例えば看護婦は彼らに触ろうともしないし、排泄物の世話等は家族や介助人の仕事とみている。[18]専門家は一般の人々より多くの障害に関する知識がを得てはいてもそれが活用できず、当然のことプライドが高い。

無知
 障害者に対するほとんどの健常者の反応は、主として無知に基づいている。彼らは障害が大災害であると思い込んで恐れる。障害者の側に寄ると障害が移ると思っている人もいまだ多い。その結果、障害者は家で隠れて暮らすことを余儀無くされてしまう。
 モンゴルでは、障害者は正常ではなく、それ故障害児が普通校で障害のない子供たちと一緒にすごすことに抵抗が強いと言う。[19]2才の時ポリオにかかったマレ−シアの障害者リーダーであるクリスティーン・リーはやっと入学させてくれる学校が見つかった時、両親に親戚や友人は大変だから通わせないほうがいいと言い出した。障害者は能力がない、場合によって感情がないと、自分たちと違う者と区別してしまう。同じ人間、能力のある存在、喜びや悲しみを分かちあえる人として障害者を認識してもらえるために、啓発活動は必須である。

差別のひどいハンセン病
 障害者の中でもっともひどい差別を受けてきたのはハンセン病者である。やっとハンセン病者の差別が終焉を迎えたと言われる日本だが、明治以降特にひどくなった差別と偏見の国策によって被害を受けた人たちがまだ苦しんでいる。彼らは発見されると警察に通報され、家族と引きさかれ迫害を受けた。それ以前は前世の悪い行為に基づく天啓病とされ、伝染病とは考えられなかった。
 中国でも、仏教的な考えから差別はひどい。[20]ネパールハンセン病救済協会では、敷地内に子どもの収容施設があり、ハンセン病の子どものためであると思ったところ、親がハンセン病にかかると子どもまで差別さべつされるので、彼らのために建設したとの説明を受けた。ハンセン病の人に対するラオ語のkon ki-tuk(汚れた排泄物にまみれた人)[21]は、彼らに対する厳しい差別の現状を象徴している。

スティグマのなくなる時
 障害に対する誤解、偏見がなくなれば、障害者は最早怖がられたり嫌悪されたりすることはない。それは障害児を生んだ母親がその子供の誕生を喜んで受け入れ、その子の将来を楽しみに期待することができる時である。
 そのためには障害者が行動を起こさなくてはならい。障害者が自信と希望に満ちて自分を語れなければならない。障害は否定すべきことではないと、断言できなければならない。ESCAP(国連アジア太平洋経済社会委員会)では障害者の主張を入れて、アジア太平洋障害者の十年の12の行動課題の一つである「障害予防」を「障害原因の予防」に変えた。障害は予防しなければならないような悪いものではなく、予防すべきはその原因だからである。自分たちの文化を誇るろう者に、スティグマに縛られない解放された障害者像の一端が見える。ピアカウンセリングでエンパワーされた障害者に改革者としての気運が感じられる。この動きがアジア太平洋のすべての障害者に伝わって欲しいと願っている。


[1]拙書「連載 アジアの障害者6 ー偏見と差別」(福祉労働、92号、2001年9月、152-159頁、現代書館)をもとに、作成された。
[2] 1985年のDPI(障害者インターナショナル)第2回世界会議での宗教に関するワークショップでの、イスラム教、仏教、キリスト教の代表者のコメント等。
[3](片倉もとこ、『イスラームの日常生活』(岩波新書154)岩波書店、1991、33頁
[4]石館ふみ、「CBRの有効性 ー タイの障害者の暮らしから」、103回アジア障害者問題研究会、2000年2月
[5]弓削 陽子、[カンボジアの地雷被害者支援の実体と展望]、2000年度学部卒業論文
[6]阿由葉綾子、「ネパ−ルの盲学校」、87回アジア障害者問題研究会、199810月
[7]PKマリック、「インドの障害者の状況」、84回アジア障害者問題研究会、1998年7月
[8]モンティアン・ブンタン、「タイ」、国際シンポジウムー視覚障害者の社会参加を考えるー報告集及び結成50周年記念講演、pp.20 25、京都府視覚障害者協会、国際シンポジウム実行委員会、1999年
[9]障害者の間でも、いまだ少数派ながらこれを是認しない動きが出始めている。障害者が運営し100%の就職率をほこるタイ・パタヤのレデンプトール会障害者職業学校の卒業生を中心とする地元の障害者団体、チョンブリ県障害者協会は、明確に宝くじ販売への反対意見を表明しはじめた。
[10]Siriwardane, Cyril. "Motor and Upper Limb Disabled People in Agricultural Industry in Sri Lanka", Paper presented at the Roundtable meeting on the integration of disabled people in agricultural and agro-industry systems organized by FAO in1997
[11]邱素沁,「台湾の社会福祉」、世界の社会福祉3アジア、仲村優一他編、348−417頁、1998年、旬報社
[12]城田幸子、「フィリピン貧困層における「障害者問題」― 国外NGOの取組みとその課題、平成12年修士論文
[13]倉本亜美、「インド・ボンベイの身体障害者の状況」、27回アジア障害者問題研究会、1993年9月
[14]日々そのみ、「スリランカの聴覚障害児教育」、55回アジア障害者問題研究会、1996年1月
[15]小林昌之、「アジアのろうあ者事情5ネパール」。手話コミュニケーション研究、日本手話研究所、No.34、1999年12月、p.66
[16]野間宏、沖浦和光、「アジアの聖と賎 ー 非差別民の歴史と文化」、人文書院、1991年、p.56
[17]カースト制とは門地に基づく差別である。こうした差別の影響を受けているのはインド、ネパール、バングラデシュ、スリランカのRodiya、パキスタンを含む南アジアのいわゆる「不可触民」と言われるダリット、日本の部落、ナイジェリアのOsu、セネガル、モーリタニア、ギニア、ソマリア、マダガスカル、マリなどである。北米、ヨーロッパ、東南アジア、カリブ海諸国などにおける南アジアから移民した人びとの社会にもこの差別が見られる。
[18]国際協力事業団青年海外協力隊事務局、「看護婦退院の活動アンケート2 アジアの地域で病院で」、クロスロード、協力隊を育てる会、2001年6月、37巻426号、33-40頁
[19]EENET. "Deafness and the Development of Communication Skills in Developing Countries: Examples from Mongolia and Nepal". http://www.eenet.org.uk/deaf/mongolia.htm, 29/9/98
[20]和泉眞蔵、「アジアのハンセン病患者の現状」、24回アジア障害者問題研究会、1993年6月
[21]Handicap International/National Center for Medical Rehabilitation, Bridging the Gap: Survey of Disabled Children & Adults, Handicp International, p.14, Lao PDR, 1999)


     (2002年2月14日)