釣好隠居の懺悔

石井研堂




 中川のすずきおびき出され、八月二十日の早天そうてんに、独り出で、小舟を浮べて終日釣りけるが、思はしき獲物も無く、潮加減さへ面白からざりければ、残り惜しくは思へども、早く見切りをつけ、蒸し暑き斜陽に照り付けられながら、悄々として帰りみちに就けり。
 農家の前なる、田一面にき出でたる白蓮の花幾点、かなめの樹の生垣を隔てゝ見え隠れに見ゆ。恰も行雲々裡に輝く、太白星の如し。見る人の無き、花の為めに恨むべきまでに婉麗えんれいなり。ジニアの花、雁来紅がんらいこうの葉の匂ひ亦、疲れたる漁史を慰むるやに思はれし。
 小村井に入りし時、かねて見知れる老人の、これも竿の袋を肩にし、疲れし脚曳きて帰るに、追ひ及びぬ。この老人は、本所横網に棲む、ある売薬店の隠居なるが、かつて二三の釣師の、此老人の釣狂を噂するを聴きたることありし。
 甲者は言へり。『の老人は、横網にて、釣好きの隠居とさへ言へば、巡査まで承知にて、年中殆んど釣にて暮らし、毎月三十五日づゝ、竿を担ぎ出づ』といふ『五日といふ端数は』と難ずれば、『それは、夜釣を足したる勘定なり』と言ひき。
 又乙者は言へり。『彼の老人の家に蓄ふる竿の数は四百四本、薬味箪笥の抽斗数に同じく、天糸てぐすは、人参を仕入るゝついでに、広東かんとんよりのじき輸入、庭に薬研状やげんなりの泉水ありて、釣りたるは皆之に放ち置く。し来客あれば、一々この魚を指し示して、そを釣り挙げし来歴を述べ立つるにぞ、客にして慢性欠伸症に罹らざるは稀なり。』と言ふ。
 兎も角、釣道の一名家に相違無ければ、道連れになりしを、一身の誉れと心得、四方山よもやまの話しゝて、緩かにあしを境橋の方に移したりしに、老人は、いと歎息しながら一条の物語りを続けたり。
『この梅園の前を通る毎に、必ず思ひ起すことこそあれ。君にだけ話すことなれば、必ず他人には語り伝へ給ふべからず。
『想へば早数年前となりぬ。始めて釣道に踏み入りし次の年の、三月初旬なりしが、中川の鮒釣らんとて出でたりし。尺二寸十二本継の竿を弄して、処々あさりたりしも、型も見ざりければ、釣り疲れしこと、一方ならず、帰らんか、尚一息試むべきかと、躊躇する折柄おりから、岸近く縄舟を漕ぎ過ぐるを見たり。「今捕るものは何ぞ」と尋ねしに、「鯉なり」と答ふ。「有らば売らずや」と言へば、「三四本有り」とて、舟を寄せたり。魚槽かめの内を見しに、四百目ばかりなるをかしらとし、都合四本見えたりし。「これにて可し」とて、其の内最も大なるを一本買ひ取りしが、魚籃びくちいさくして、もとより入るべきやうも無かりければ、えら通して露はに之をげ、ただちに帰り途に就けり。
『さて田圃道を独り帰るに、道すがら、之を見る者は、皆目送して、「鯉なり鯉なり、好きりょうなり」と、口々に賞讃するにぞ、却つて得意に之を振り廻したれば、哀れ罪なき鯉は、予の名誉心の犠牲に供せられて、さぞ眩暈めんけんしたらんと思ひたりし。
『やがて、今過ぎ来りし、江東梅園前にさし掛りしに、観梅の客の、往く者還る者、る如く雑沓したりしが、中に、年若き夫婦連れの者あり。予の鯉提げ来りしを見て追ひかけ来り、顔を擦るまで近づきて打ち眺め、互に之を評する声聞こゆ。婦人の声にて、「貴方の、常にから魚籃にて帰らるゝとは、違ひ候」など言ひしは、夫の釣技の拙きを、罵るものと知られたり。此方こなたは愈大得意にて、ことさらしずかに歩めば、二人は遂に堪へ兼ねて、言葉をかけ、予の成功を祝せし後、「何処にて釣り候ぞ」と問へり。初めより、人を欺くべき念慮は、露無かりしなれども、こゝに至りて、勢ひ、買ひたるものとも言ひ兼ねたれば、「平井橋の下手にて」と、短く答へたり。当時は、われ未だ、鯉釣を試みしこと無かりしかば、更に細かに質問せらるゝ時は、返答に差支ふべきを慮り、得意の中にも、何となく心安からざりし。
『後にして之を想へば、よし真に自ら釣りしとするも、の時携へし骨無し竿にて、しかも玉網たまも無く、之をげんことは易きに非ず。先方は案外かけ出しの釣師にて、それに気づかざりしか、或は黒人くろとなりしかば、却て不釣合の獲物に驚歎せしか、いずれにしても、物に怖ぢざる盲蛇、危かりしことかなと思ひき。
『これよりうちに還るまで、揚々之を見せびらかして、提げ歩きしが、の釣を始めて以来、凡そ此時ほど、大得意のことなく、今之を想ふも全身肉躍り血湧く思ひあり。
『この時よりして、予は出遊毎に、獲物を買ひて帰り、家人を驚かすことゝはなれり。秋の沙魚はぜ釣に、沙魚船を呼ぶはまだしも、突船つきぶねけた船の、かれいこちかにも択ぶ処なく、鯉釣に出でゝうなぎを買ひ、小鱸せいご釣に手長蝦てながえびを買ひて帰るをも、敢てしたりし。されども、小鮒釣の帰りに、鯉を提げ来りしをも、怪まざりしうちの者共なれば、真に釣り得し物とのみ信じて露疑はず、「近来、めツきり上手になり候」とて喜び、予も愈図に乗りて、気焔を大ならしめき。
一昨年おととしの夏、小鱸せいご釣に出でゝ、全くあぶれ、例の如く、大鯰二つ買ひて帰りしが、山妻さんさい之を料理するに及び、其口中より、水蛭ひるの付きし「ひよつとこ鈎」を発見せり。前夜近処より、糸女いとめ餌を取らせ、又小鱸鈎に[#「虫+糸」、175-上-10]を巻かせなどしたりしかば、常に無頓着なりしに似ず、今かかる物の出でしを怪み、之を予に示して、「水蛭ひるにて釣らせらるゝにや」となじれり。
『こは、一番しくじつたりとは思へども、「否々、たしか糸女いとめにて釣りしなり、今日は水濁り過たれば、小鱸は少しも懸らず、鯰のみ懸れるなり。其の如きものを呑み居しは、想ふに、その鯰は、一旦置縄の鈎を頓服し、更に、剤か、養生ぐひの心にて、予の鈎を呑みしものたるべし」と胡麻かせしに、「く衛生に注意するなまずは、水中の医者にや、髭もあれば」と言ひたりし。
『同年の秋、沙魚釣より還りて、三束余の獲物を出し、その釣れ盛りし時の、頻りに忙がしかりしことを、言ひ誇りたりしが、翌朝に至り、山妻突然言ひけるは、「昨日の沙魚は、一束にて五十銭もすべきや」となり。実際予は、前日、沖なる沙魚船より、その価にて買ひ来れるなれば、「問屋直とひやねにてその位なるべし、三束釣れば、先づ日当に当らん」と言ひしに、予の顔を見つめて、くつ/\笑ひ出す。「何を笑ふ」と問へば、「おとぼけは御無用なり、悉く知りて候」といふにぞ、「少しもとぼけなどせじ、何を知り居て」と問へば、「此の節は、旦那の出らるゝ前に、ひそかに蟇口がまぐちの内を診察いたしおき候。買ひし物を、釣りたりとよそはるゝは上手なれども、蟇口の下痢にお気つかず、私の置鈎に見事引懸り候。私の釣技うでは、旦那よりもえらく候はずや」と数回の試験を証とし、年来の秘策をあばかれたりし。その時ばかりは、穴にも入りたき心地し、予の釣を始めて以来、これ程きまりしかりしことなし。かかる重大のことを惹き起せしも、遠因は、「ひよつとこ鈎」に在りと想へば早く歯科医に見せざりし、鯰の口中こそ重ね重ねの恨みなれ。
『これよりは、必ず、蟇口検定を受けて後ち、出遊することに定められたれば、釣は俄かに下手になり、大手振りて、見せびらかす機会も無くて』と、呵々からからと大笑す。
 予も亦、銃猟者の撃ち来れる鴨に、もちの着き居し実例など語りて之に和し、脚の疲れを忘れて押上おしあげ通りを過ぎ、業平にて相分れしが、別るゝに臨みて、老人、『その内に是非お遊びに』と言ひかけしが、更に改めて、『併し御承知の通りなれば、雨の日にて無くば』と断りき。無邪気なる老人の面影、今尚目に在り、其のはざれども、必ず健全けんざいならん。





底本:「集成 日本の釣り文学 第二巻 夢に釣る」作品社
   1995(平成7)年8月10日第1刷発行
底本の親本:「釣遊秘術 釣師気質」博文館
   1906(明治39)年12月発行
※ルビを新仮名遣いとする扱いは、底本通りにしました。
入力:門田裕志
校正:土屋隆
2006年10月24日作成
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