復讐・戦争・自殺

北村透谷




     復讐

 人間の心界に、頭は神にして脚は鬼なる怪物めり。之をなづけて復讐と云ふ。かれは人間の温血を吸ひて人間の中に生活する無形動物にして、いにしへより渠が為に身を誤りたるもの、渠によりて志を得たるもの、渠の為に苦しみたるもの、渠の為に喜びたるもの、あげて数ふべからざるなり。
 見よ、戯曲は渠を以て上乗の題目とするにあらずや、見よ、世間は渠を以て尊ふとむべきものとするにあらずや、而して復讐なるもの、そのいかなる意味の復讐にかゝはらず、人間の心血を熱して、或は動物の如く、或は聖者の如く、人を意志の世界に覚めしむるはあやし、あやし。
 復讐は快事なり。人間は到底、平穏無事なるものにあらず。のゝしらるれば怒り、撃たるれば憤る、而して、其の怒ること、其の憤ること、即坐に情を洩らすこと、野獣の如くにして而して止むを得ば、恐らく復讐といふものゝ要は無かるべし。然れども人間は記憶に囲まるゝものなり。心界に大なる袋あり、怒をも、恨をも、この中に蓄ふることを得るものなり。再言すれば情緒を離るゝこと能はざるは人間なり。人間の一生は、苦痛の後に快楽、快楽の後に苦痛ありて、而して満足といふものはいつも霎時せふじのものにして、何事も唯だ一時の境遇に縛らるゝものなり。こゝに於て、人間の本能の、或部分は、快事の為に狂するなり。
 復讐の快事なるは、飲酒の快事なるが如く然るなり。日常の生活に於て此事あり。多岐多方なる生涯の中に幾度か此事あるなり。生活の戦争は一種の復讐の連鎖なり。人は此快事の為に狂奔す。人は此快事の為に活動す。斯の如くにして今日の開化も昔日の蛮野ばんやに異ならざるなり。然り、ヒユーマニチーは衣装こそ改まれ、千古不変なるものなり。
 復讐の精神は、自らの受けたる害を返へすにあり。而して自らの受けたる害をつぐなふことを得るは、甚だ稀なる塲合なり。己れが受けたる害の為に、対手あひてに向つて之に相当なる害を与ふるにあり。而して斯の如く害を加へたる時に、己れの受けたる害は償はれたる如き心地して、奇様なる満足を得るなり。斯の如きもの復讐の精神なりとせば、復讐なる一事は、人間の高尚なる性質をあかしするものにあらずして、極めて卑き、動物らしき性質をあらはすものに外ならず。
 歴史はあやしき事実をあかしす、各国共に復讐を重んじたる時代あること是なり、「忠臣蔵」のはなしは最早世界にかくれなきものとなれり。いづれの国にも復讐なるものが何とはなく唯だ重んずべきものとなり居たること、吾人の能く知るところなり。復讐の親族に決闘あり、決闘の兄弟に暗殺あり。暗殺は卑怯ひけふなりとしていやしめられ、決闘は快事として重んぜらる、而して復讐なるものは尤も多く人に称せらる。人間何ぞ斯の如く奇怪なる。
 維新の革命は、公けの復讐に最後を告げたり。法律の進歩は各自勝手の復讐を変じて、社界の復讐となせり。吾人は法律家として斯く言ふにあらず、歴史の観察より斯く言ふなり。斯の如く法律の進歩と復讐の実行とは相背戻はいれいせり。吾人は復讐なるものを以て、受けたる害に対して返へすべき害なりと思へり。而して人間は斯の如き不条理の事を以て、快事とする性質あることを言ひたり。法律の精神が復讐にあらざることは之を認めながらも、法律の事実は、復讐を去る事遠からざるを信ずるは之を以てなり。
 一のたゞしからざること生ずるによりて、社会は必らず之に応ずる何事かをなさざるべからず。一の不義は直ちに其反響を社会に及ぼすなり、而して此塲合には、社会は他の義を以て、其不義を消すの権利あり、責任あり、これ正しき意味の復讐なり。宗教の精神より云ふ時は、社会といふ法律的の組織はなし、単に神の下にむらがる兄弟の民を云ふ外はなし、上に一の神を戴き、下に万民相愛の綱あり、これを以て宗教的組織の社会に一人の為せる害は、その社会自らが責任を負ふて神の前に立たざるべからざるものとなるなり、而して、社会自らは其社会の一部分なるものゝ為したる害に対して、復讐すべきところあるなきなり。
 人と人とをつなぐものも愛なり、神と人とを繋ぐものも愛なり、社会が受けたる害を酬ゆるは、社会自らも之を為す能はず、神も亦た社会に対して復讐の意味を以て、害を加ふると云ふ事は全然これあるまじき事なり。斯の如くにして、宗教的組織の社会には復讐といふ事は遂に其跡を絶たざるべからず。(但し懲罰といふ事は別題なり)。
 然れども宗教は架空の囈言うはことたらしむべからず、無暗に唯だ救とか天国とか浮かれ迷はしむべからず。宗教はクリード(信仰個条)にあらざるなり、宗教は聖餐せいさんにあらず、洗礼にもあらず、但しは、法則にも、誡命にもあらざるなり、赤心の悔改と赤心の信仰とは、いかなる塲合に於ても尤も大なる宗教なり。而して宗教は、ヒユーマニチーの深奥に向つて寛々たる明燈たるべきものなり。人生実に測るべからざるものあり、人生実に知るべからざるものあり。願くは吾等信仰をして皮相の迷信たらしめず、深く人間と神との間に、成立たしめんことを。

     復讐と戦争

 一個人の間には復讐なり。国民と国民の間には戦争なり。復讐の時代はやうやく過ぎて、而して戦争も亦た漸く少なからんとす。宗教の希望は一個人の復讐を絶つと共に、国民間の戦争を断たんとするにあるべし。

     自殺

 苦惨の海に漂ふて、よるべなぎさの浮き身となる時は、人は自然に自殺を企つるものなり。人は己れを殺すことを以て、己れの財産を蕩尽たうじんすると同じ様に考ふるなり。
 然れども名誉は自殺を促すことあり。名誉の唯一の保護者の位地に自殺を置くことあり。人の生命は名誉よりも軽くなることあるは奇怪ならずや。
 外に又た自殺は自ら為したる害に対して、自ら加ふる害の如きことあり。この塲合には自殺は自伐の復讐なり。この復讐によりて万事を決せんとす。嗚呼あゝ、人間の事いかに悲しむべきにあらずや。

     自殺と復讐

「ハムレツト」を読みたるものはおもしろき自殺と復讐の関係を知るべし。英国の思想にては、自殺は東洋の思想にて考へらるゝよりも苦しきものなり。「死」は其塲かぎりのものにあらず、死の後に何か心地よからぬことありと思ふは彼の思想なり。「死」は最後のものにして、残るは唯だ形骸のみとするは我が思想なり。此点に於て彼我大なる差違あり。
 短剣を以て自ら加ふるは極めて易し、然れども人は之を為すよりも寧ろ自らの受けたる害に対して復讐し、而して復た其の復讐の復讐として自ら殺さるゝを喜ぶなり。自殺は自ら殺すものにして人に害を与ふるものならず、人は之をたふとぶべきに、かへつて人を害したる後に自ら殺すを快とす、奇怪なるかな。
 ハムレツトは其対手の悔悟の時に手を下すを以て、復讐の精神に外れたるものとして、之を為さず、復讐は敵を地獄に追ひ堕すを以て、尤も成功あるものと思へり、嗚呼復讐、汝の心果して奈何いかん
(明治二十六年五月)





底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
   1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
   1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「平和 一二號」平和社(日本平和會)
   1893(明治26)年5月3日
入力:kamille
校正:鈴木厚司
2004年10月31日作成
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