『風土』(1935)は不思議な、魅力ある書である。本書は英語圏ではClimate and Culture(1961 気候と文化)と題して出版されているようだが、和辻の言う「風土」は決して、人と社会を規定する所与の客観的自然環境では、ない。そうではなくて、特定の地域に棲む人々が自然環境・気象条件によって規定され、同時に人間側から自然環境への主体的な働きかけと生の営みのなかで歴史的に形成された文化的な環境、「人間の自己了解の仕方(p.19)」を、彼は「風土」と呼んでいる。
井上貞光は本書巻末の解説で、それを「第二の自然」(p.368)と言い換え、高島善哉は「社会的自然」(p.369)と表現し直しているようだ。評者は、特定の地域に棲む人々の文化/環境規定性を和辻が「風土」で論じているという意味で、あたかも特定のワインが特定のブドウ品種を原材料とするだけでなく、特定の土壌でその味わい/風味上の特色を得ることに例えて、「テロワール」と呼びたい衝動にすら駆られる。和辻自身もまた、本書第5章で「風土学」の系譜、先行業績を紹介し、マルクスが「生産の仕方が地理的空間の自然条件に依存することを承認し(p.347)」ていると言及したり、ルドルフ・フォン・チェルレンの国土学(Geopolitik)概念が、国家の「地理的な個性(p.354)」を認めていることに触れたりしている。
グローバル化、情報化著しい現代、21世紀の読者が本書を読めば、本書所収の各論がしたためられた1920年代末(昭和四年)の時期と比較して格段に把握・理解が容易になった、世界中の気候条件や各国の文化と価値観、その背景など、現代で得られる豊富な諸情報を根拠にして、本書の内容をエスノセントリズムや単なる民族的偏見、決めつけ、先入観、ステレオタイプにすぎないと批判し、切って捨てることは容易だろう。もちろん、戸坂潤が指摘しているように、安易な天皇制擁護論に帰結している点も見過ごせない。しかしこれらの特徴は、人類の共通項にではなく、むしろ個々の民族/国家の特殊性/固有性をクローズアップする、研究視角によって必然的にもたらされたものであると了解できる。
「風土」規定論が、ある種の「運命論」である点は明白である。和辻自身も「宿命」論であると認めている(p.303)。しかしながら、和辻が本書において、実に饒舌に展開する「比較文化論」:モンスーン(南洋)の「受容的・忍従的」人間類型、沙漠の「服従(イスラム)的・戦闘的・意志的」人間類型、牧場(欧州)の「合理的精神」、という風土の3類型論、ならびにモンスーン型のサブ類型論である、インドの「横溢」(p.44)、大陸シナ(中国)の「茫漠」と「非服従な忍従(p.184)」、日本の「しめやかな激情・戦闘的な恬淡」論(p.205)、家(イエ)論(p.218)、ウチ=ソト論は、前述の多くの批判や欠点、弱点を差し引いても、極めて魅力的に読者を惹きつけ、「なるほど」と説得してしまう魔力が備わっていると感じる。井上貞光が指摘するように、「天才的な詩人的直観(p.369)」と豊かな筆致が、学問的手続きや因果関係の論証を欠いたままの主観的な断定を、糊塗してしまうようだ。
社会科学の作法では、普遍性と特殊性、抽象と具象の両面を考慮・分析する必要が求められるのが通例である。だが、和辻の『風土』は多くの弱点をもちながらも、特定社会の「固有性」の説明として、説得力を感じさせる。実際、日本の社会と天皇・祭りごととの関連について、神と人々との血縁関係および神との距離(距て)で説明しているくだり(p.223)は、丸山眞男が「超国家主義の論理と心理(1946)」で描いた、権威が天皇を中心として「同心円」状に広がり、悠久の時間軸をタテにとれば円錐形に広がるという社会構造論との、親和性、近似性を不思議にも感じさせるものとなっている。
日本には議会制民主主義が定着しているとは言い難い点、政治家の不正や公共の問題に、民衆がさして関心を示さない問題(p.248)の提起も、現代社会にまで通ずる。「議会政治が真に民衆の輿論を反映していないと同じように、無産大衆の運動も厳密には無産運動指導者衆の運動であって無産大衆の輿論を現したものではない。それが顕著にロシア的性格を示すのは、ロシアが昔も今も専制国家であってかつて政治への民衆の関与を実現したことがないという事実と、日本の民衆の公共への無関心、非共同的な生活態度との間に、きわめて近い類似性が存在するからである。P.250」という鋭い指摘には、日本社会の「通奏低音」を理解する上で、深いものがあるまいか。
蛇足になるが、日本人の気質、「淡泊に忘れること」「戦闘的恬淡」についても言いたい。阪神大震災、東日本大震災、熊本地震、能登半島地震など、十数年にわたり、たびたび激甚災害を経験した現代人としては、和辻が「風土論」で述べている台風、大雪の他に、突発的天変地異として是非、地震災害を加えるべきではないかとも感じる。日本列島各地を突然に、繰り返し襲う巨大地震と津波が、被災住民に与える圧倒的な無力感、無情、無常観、理不尽さ、寂寥感もまた、政治家の不正や社会悪に対する、ある種病的とも思える日本人の「健忘症」を「風土論」的に説明する上で、ひょっとすると有益かも知れない。
上記のような意味で、本書は比較文化論としてやはり「古典」に数えられるべき書であると思われ、和辻の「天才的着想」を批判的にであっても味わってみることが、「日本人」を理解する上で重要である。たとえ「部族主義」への回帰という危険な魅力に身をさらしても。
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風土-人間学的考察 (岩波文庫) Kindle版
風土とは単なる自然環境ではなくして,人間の精神構造の中に刻みこまれた自己了解の仕方に他ならない.こうした観点から著者はモンスーン・沙漠・牧場という風土の三類型を設定し,日本をはじめ世界各地域の民族・文化・社会の特質を見事に浮彫りにした.今日なお論議をよんでやまぬ比較文化論の一大労作である. (解説 井上光貞)
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1979/5/16
- ファイルサイズ1524 KB
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
風土とは単なる自然環境ではなく、人間の精神構造に刻みこまれた自己了解の仕方に他ならない。この観点から著者は、モンスーン・砂漠・牧場という風土の3類型を設定し、日本をはじめ世界各地域の民族、文化、社会の特質を浮彫りにしている。
登録情報
- ASIN : B00QT9X94K
- 出版社 : 岩波書店 (1979/5/16)
- 発売日 : 1979/5/16
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 1524 KB
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2024年3月1日に日本でレビュー済み
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1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2023年9月20日に日本でレビュー済み
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"ここに風土と呼ぶのはある土地の気候、気象、地質、地味、地形、景観などの総称である(中略)しかし、それを『自然』として問題とせず『風土』として考察しようとすることには相当の理由がある"1935年発刊の本書は世界各地域の民族・文化・社会特質を浮き彫りにした考察の書、日本文化論。
個人的には著者による奈良の寺院建築や仏像の美を再発見した『古寺巡礼』が面白かったので本書も手にとりました。
さて、そんな本書はハイデッガーの存在を個人の【未來(目的)と時間性として規定する】試み『有と時間』を読んで、思想的限界を感じた著者が【存在はそれ以前に風土(環境)によって規定されるのではないか】と考え始め、風土が生み出す人間類型を3つ。温熱と湿潤に耐えなければいけない【モンスーン地域】は人間を『受容的・忍従的』なあり方に、強い乾燥下で水を勝ち取らないといけない【砂漠地域】は人間を『戦闘的・服従的』なあり方に、そして他に比べ自然が人間に従順で戦いが不要な【牧場地域】は人間を『合理主義的』なあり方に。と独創。人間が【風土によって自己を客体化し、風土によって自己を発見する】"風土が人間を作る"と考察を重ねていくのですが。
全体としては割と読みにくいが【西洋優位的な考え、進歩史観に対する反発、対等性への拘り】や、人を個人ではなく共同体として捉える視線にはモンスーン地域、東洋の島国に住む1人として共感する部分がありました。
また、3つの人間類型自体もかなりユニークな捉え方だと思いますが『うち』『そと』のへだてが有る日本の建築様式、シンメトリー、明暗の西洋美術等々【自由に横断して考察を広げている】のも自分的には好みでした。
解答ではなく、プロセスを楽しむ文化論の名著として。また哲学好きな方にもオススメ。
個人的には著者による奈良の寺院建築や仏像の美を再発見した『古寺巡礼』が面白かったので本書も手にとりました。
さて、そんな本書はハイデッガーの存在を個人の【未來(目的)と時間性として規定する】試み『有と時間』を読んで、思想的限界を感じた著者が【存在はそれ以前に風土(環境)によって規定されるのではないか】と考え始め、風土が生み出す人間類型を3つ。温熱と湿潤に耐えなければいけない【モンスーン地域】は人間を『受容的・忍従的』なあり方に、強い乾燥下で水を勝ち取らないといけない【砂漠地域】は人間を『戦闘的・服従的』なあり方に、そして他に比べ自然が人間に従順で戦いが不要な【牧場地域】は人間を『合理主義的』なあり方に。と独創。人間が【風土によって自己を客体化し、風土によって自己を発見する】"風土が人間を作る"と考察を重ねていくのですが。
全体としては割と読みにくいが【西洋優位的な考え、進歩史観に対する反発、対等性への拘り】や、人を個人ではなく共同体として捉える視線にはモンスーン地域、東洋の島国に住む1人として共感する部分がありました。
また、3つの人間類型自体もかなりユニークな捉え方だと思いますが『うち』『そと』のへだてが有る日本の建築様式、シンメトリー、明暗の西洋美術等々【自由に横断して考察を広げている】のも自分的には好みでした。
解答ではなく、プロセスを楽しむ文化論の名著として。また哲学好きな方にもオススメ。
2008年11月8日に日本でレビュー済み
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「人間存在の構造契機としての風土性」を明らかにするために書かれた由。だが、冒頭で「自然環境がいかに人間生活を規定するか」は問題ではない、と述べておきながら、結局は自然環境(風土)-->文化-->社会制度と言う風に論理展開されるので自己撞着している。また、書かれた時期が昭和初期、即ち日中戦争の最中である点にも注意すべきである。
風土の類型を、「モンスーン(インド〜東アジア)」、「砂漠(中東〜北アフリカ)」、「牧場(ヨーロッパ)」と分けるのは如何にも単純過ぎる。"受容・忍従"型で多様性を持つ筈のインドが現在、対パキスタン用に核開発に狂奔している姿を著者は何と説明するつもりか。同じく、「モンスーン」に属する中国が中世において、"合理的"なヨーロッパより遥かに技術的に進んでいた事実は何と説明するのか。著者が海外旅行をして、偶々得た知見(思い付き)を強引に哲学的思索の枠に嵌めようとするから無理が生じるのである。「人間はその土地の気候に合った様々な生活様式・文化を持っている」と書けば、それで終りの話である。それに、「南洋的人間が文化的発展を示さなかった」等と公の本で書いて許されるのだろうか ? 哲学の本場ヨーロッパを"貴"としてようだが、それで世界初の森林の大伐採を行なった西欧人の「風土」に関する価値判断が正当に出来るのだろうか ?
そして、中国の「無政府性」を強調する辺りから論旨は増々怪しくなる。更に日本の「家」制度の忠孝性とその家を統括する意味での尊皇を語っている点は、時代に阿っているとの批判は免れまい。「風土」に根ざした各地域の歴史の紹介も目新しいものは無く、そもそも「人間存在の構造契機としての風土性」を分析して、何の役に立つのか不明だった(日中戦争の正当性の論拠以外)。内容も熟考した上の論理的考察と言うよりは、直観に頼った部分が多く、時代の雰囲気に流されて気紛れで書いたとしか思えない作品。
風土の類型を、「モンスーン(インド〜東アジア)」、「砂漠(中東〜北アフリカ)」、「牧場(ヨーロッパ)」と分けるのは如何にも単純過ぎる。"受容・忍従"型で多様性を持つ筈のインドが現在、対パキスタン用に核開発に狂奔している姿を著者は何と説明するつもりか。同じく、「モンスーン」に属する中国が中世において、"合理的"なヨーロッパより遥かに技術的に進んでいた事実は何と説明するのか。著者が海外旅行をして、偶々得た知見(思い付き)を強引に哲学的思索の枠に嵌めようとするから無理が生じるのである。「人間はその土地の気候に合った様々な生活様式・文化を持っている」と書けば、それで終りの話である。それに、「南洋的人間が文化的発展を示さなかった」等と公の本で書いて許されるのだろうか ? 哲学の本場ヨーロッパを"貴"としてようだが、それで世界初の森林の大伐採を行なった西欧人の「風土」に関する価値判断が正当に出来るのだろうか ?
そして、中国の「無政府性」を強調する辺りから論旨は増々怪しくなる。更に日本の「家」制度の忠孝性とその家を統括する意味での尊皇を語っている点は、時代に阿っているとの批判は免れまい。「風土」に根ざした各地域の歴史の紹介も目新しいものは無く、そもそも「人間存在の構造契機としての風土性」を分析して、何の役に立つのか不明だった(日中戦争の正当性の論拠以外)。内容も熟考した上の論理的考察と言うよりは、直観に頼った部分が多く、時代の雰囲気に流されて気紛れで書いたとしか思えない作品。
2019年9月2日に日本でレビュー済み
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100年前に書かれたものだが、全く古さを感じない。
戦前の知識人の優れた教養と倫理観が伝わり、はるか以前に失われたものを再発見できる点で新鮮である。世界の地域のうちモンスーン地域、沙漠地域、牧場地域の3類型に分類し、それぞれの人間を取り巻く環境を「風土」と定義し人間の生存条件からアプローチして鋭く考察している。
和辻の西洋哲学と東洋哲学の融合を目指す理念を表現した哲学書としても、天才的な洞察と文章表現能力に触れることで優れたノンフィクション・エッセイとして読むこともできる。
戦前の知識人の優れた教養と倫理観が伝わり、はるか以前に失われたものを再発見できる点で新鮮である。世界の地域のうちモンスーン地域、沙漠地域、牧場地域の3類型に分類し、それぞれの人間を取り巻く環境を「風土」と定義し人間の生存条件からアプローチして鋭く考察している。
和辻の西洋哲学と東洋哲学の融合を目指す理念を表現した哲学書としても、天才的な洞察と文章表現能力に触れることで優れたノンフィクション・エッセイとして読むこともできる。
2021年10月29日に日本でレビュー済み
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半世紀前学生時代に購入して読んだのですが、題名だけ記憶していて中身を忘れていました。本も古本屋に販売してしまい、しまったと思っていましたが、いま復刻版が出てうれしい限りです。まだ読んでいませんがこれからゆっくり読んでみようと思います。ただ1ページに入る文字が小さすぎて読むのに苦労するのではないかと想像しています。文字を大きくすると全体がわかりにくくなるので困っています。
2024年2月25日に日本でレビュー済み
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小さくて読めない!大きくすると行がはみ出しずらさなければならず、スムーズに動かないのでイライラ😖
そうなら最初に断って欲しい!
そうなら最初に断って欲しい!
2017年8月11日に日本でレビュー済み
牧場的風土のヨーロッパ。
砂漠的風土のオリエント。
開拓者風土のアメリカ。
モンスーン「季節風」風土の日本。
著者は世界の風土をおおまかに
4つに分けて(日本以外の極東アジアを省いている)
「ヨーロッパ対日本という軸こそが
世界の文化の基本軸になる」と説いた。
ヨーロッパと日本の
文化比較論でよく持ちだされる
考察だけど、
かなり無理がある。
砂漠的風土のオリエント。
開拓者風土のアメリカ。
モンスーン「季節風」風土の日本。
著者は世界の風土をおおまかに
4つに分けて(日本以外の極東アジアを省いている)
「ヨーロッパ対日本という軸こそが
世界の文化の基本軸になる」と説いた。
ヨーロッパと日本の
文化比較論でよく持ちだされる
考察だけど、
かなり無理がある。