3.11フクシマ事態が問う近代日本のあり方を<社会主義>という視角から見直そうとするのが著者の眼目。その中心に二つの「神話」が存在する。「社会主義・共産主義の神話」と「原子力の平和利用神話」の二つである。原水爆反対と表裏一体の「平和利用」幻想はいつどのように形成されたのか、また社会主義と恒久平和の関係が戦前にまで遡って検討される。
第一章では1901年結成後20日で禁止された社会民主党結成宣言の四大原理(社会主義・民主主義・平和主義・国際主義)の意義を明らかにし、幸徳秋水が遭遇した1906年のサンフランシスコ大地震の<災害ユートピア>体験がより過激な「社会革命党宣言」に至った道筋を示す。続く第二章では第一次大戦、ロシア革命と世界の激動の中で生まれた第一次共産党(1921年結成)は弾圧と1923年の関東大震災を機に壊滅。朝鮮人・中国人虐殺や大杉栄虐殺事件など記すべき事象は多いが、このとき警視庁官房主事で辣腕を振るったのがのちに「原子力の父」となる正力松太郎であったことは偶然とも思えない。第三章は再建された共産党はコミンテルンの指導により「天皇制打倒」をスローガンに唱え急進化するが実体は壊滅しており西欧共産党が直面した反ファシズム統一戦線や独ソ不可侵条約締結による困難を経験することなく終わった。これより先1913年に早くもSF作家H.G.ウェルズが原子爆弾と原子エネルギー産業化の二つの「夢」を語り始めており、ロシア革命後のレーニンの「共産主義とは、ソビエト権力プラス全国の電化」と言うテーゼに影響しており、日本でも受容されていたが作家海野十三は「神への冒涜」ではないかと問うていた。周知のとおり現実はナチに追われた亡命科学者の進言からマンハッタン計画と進むのだが、ここでもウェルズの影響が刻印されている。他方、日本の原爆開発は初歩的な段階で終わったが関係した科学者の責任は問われることはなかった。
第四章から戦後世界に入る。なぜ原爆を日本に投下したのか、「早期終戦・人命救助説」や「天佑説」は今日まで残る原爆投下正当化論である。原爆の「戦時利用」と「平時利用」の二分法により「戦争抑止力」と「平和利用」のふたつの道に進んでいく。戦後日本では合法化された第三次共産党が活動しはじめ、戦前の合法左翼も日本社会党を結成する。しかしその当時は原爆には言及されることはほとんどなかった。1949年のソ連核実験成功以後、日本の左翼のなかでは「原子力の平和利用」が反占領軍・反米運動の合言葉になる。注目すべきは徳田球一の『原爆パンフ』で左翼版「平和利用論」の原型となった。このパンフの理論的裏づけは第五章で取り上げられる核物理学者の武谷三男であった。著者はヒバクシャ丸山真男の言説と対比させながら当時の武谷に対し激しい批判を浴びせる。いわく「あからさまな原爆賛美」、「科学万能論」、「観念的な科学技術礼賛」、「戦時日本の原爆開発への関与の正当化」、「教条的で独断的な科学技術論」、「過去の言動についての無責任な居直り」。武谷はさらに前言を翻して「被害者=日本民族」と規定し「被爆国だからこそ」という論理を振りかざすことになる。冷戦が始まり社会党は左右に分裂し共産党は地下にもぐり武装闘争に走り国民から見放された。一方で武谷は「自主・民主・公開」の原子力研究の平和利用三原則を提唱し原子力基本法に組み込まれ原発が出発する。
第六章からが白眉である。1953年米大統領アイゼンハワーの「アトムズ・フォー・ピース」演説を契機に東西の「核勢力圏」が形成され日本もターゲットとなる。正力と中曽根康弘のコンビは日本の「原子力の平和利用」に推し進める。ところが直後にビキニ被爆事件(1954年3月)が起きる。核実験反対・核兵器の製造使用禁止が訴えられると同時に平和利用も主張される不思議な関係は以後も続く。原発導入を裏から支えたのが東海大総長で右派社会党の代議士松前重義であった。また原水禁大会でも「反原爆」と「平和利用」は切り離され両立していた、安全と放射能の危険は無視されて。「死の灰」に反応し自説を変更しはじめたのが武谷であったが、それが左翼の全体認識にはならず日本共産党への影響力を喪失する。むしろソ連の水爆実験と原子力発電所建設成功に確信して「平和利用」の道へと突き進むのが宮本顕治率いる第四次共産党(1955年)。武谷技術論と決別したことを示すのが1956年7月の永田博論文である。武谷の理論的・思想的変転についての評価は「居直り」や「説明なしの退却」ともあり簡単ではないようだ。
第七章と第八章は「二人は実は(著書)『ワイマール期ベルリンの日本人』の登場人物であり、重要な証言者であり、調査協力者」であった平野義太郎と有澤廣巳に対する仮借ない批判である。平野は戦前には講座派マルクス主義の論客だが転向して戦中は「大アジア主義」により日本のアジア侵略を正当化し、戦後は過去を封印してふたたびマルクス主義者としてコミンテルンの世界認識と日本共産党の見解を代弁。原水爆には反対しながら「原子力の平和利用」を、武谷が自然科学からの主張であるのと平行して社会科学の立場から主張し続けた。武谷が共産党と距離を置いたのに対し平野は「社会主義の防衛的核」を是認し「平和利用の可能性」に固執した。1961年8大会綱領を決めた第四次共産党の当時の原子力問題に関する当時の主張は「原子力のもつ人類の福祉のための無限の可能性(は)人民が主権をもつ新しい民主主義の社会、さらに社会主義、共産主義の社会においてのみ可能である」と“バラ色”である。(この文節は3.11以後の日本共産党の引用ではなぜか省略されているらしい)。ソ連の核実験を巡り原水禁運動は分裂するが「平和のとりでとしての社会主義」(上田耕一郎)を主張し続け見解を変更するのは実に70年代になってからであった。そのうえ「新しいエネルギー源である原子力」論に立ち、広がりつつあった脱原発運動(牽引車の一人が武谷であったのは皮肉であろう)に対して「反科学」のレッテルをはり運動を封殺する役割を果たし、3.11フクシマ原発事故を迎えたのである。今日もなお「将来にわたる可能性を否定しない」と「科学的社会主義」の立場からの立論を維持しているのは“一貫”していると褒められるべきなのだろうか。他方の労農派マルクス主義者有澤は社会党推薦で5名の原子力委員に名を連ね原子力行政の中心にい続けた。有澤は戦前東大助教授のときドイツに留学し「大内グループ」の一員として日本資本主義論争に加わるが検挙され、戦中は日本の総力戦準備基本調査に従事した(その結論が戦後復興の指針となったのも歴史の皮肉か)。日本経済自立・経済成長のためのエネルギー源として原子力を位置づける思考は没するまで変わらなかった。著者は「結果的には、『安全神話』と『原子力村』の支配を招いた」と断罪している。この章では60年代後半の佐藤内閣における極秘の核兵器製造・保有計画にも触れている。
終章は「原水爆に反対しつつも原子力発電にはたちむかえなかった日本の社会主義・平和運動・平和主義思想」の問題をえぐり「刷新」を求める。1986年のチェルノブイリ事故こそ「ソ連の崩壊の真の原因」(ゴルバチョフ)でありレーニン・トロツキーの「夢」が「悪夢」となり社会主義の理想は解体した。他方、日本は原発を増設し続け反核運動は「爆」と「発」を結合できず3.11を迎えたのである。「唯一の被爆国」ではなく「最初の被爆国」として「核なき世界」へむかえ!が著者の提言である。「すべてを疑え」、「汝の道を歩め」を座右の銘として自然の報復と文明の狂気を切開しようとした渾身の試論である。

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日本の社会主義――原爆反対・原発推進の論理 (岩波現代全書) 単行本(ソフトカバー) – 2013/12/19
加藤 哲郎
(著)
日本の社会主義は、資本主義・帝国主義に対する最大の抵抗勢力、平和を求める思想・運動であったと同時に、原子力にあこがれ裏切られる歩みでもあった。その軌跡を、知識人言説やSF小説など戦前から現在までの様々な資料からたどり、「社会主義・共産主義の神話」と「原子力の平和利用神話」とが日本でなぜ結びついたのかを抉り出す。
- 本の長さ288ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2013/12/19
- 寸法13.5 x 2.1 x 19.5 cm
- ISBN-104000291181
- ISBN-13978-4000291187
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2013/12/19)
- 発売日 : 2013/12/19
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 288ページ
- ISBN-10 : 4000291181
- ISBN-13 : 978-4000291187
- 寸法 : 13.5 x 2.1 x 19.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 813,225位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2013年12月27日に日本でレビュー済み
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2015年11月7日に日本でレビュー済み
単純な図式で、自民党は利権絡みで原子力発電推進、再武装も賛成。日本共産党など社会主義政党は原子力も再軍備も大反対と思っていたが、敗戦直後からの歴史背景を紐解いて行くと非常に複雑であったことがわかる。
ソ連の原子力推進に絆され、日本社会党や日本共産党が全面的な原子力反対キャンペーンを展開できなかったことを知った。
また、社会主義者と朝鮮総連との関係も詳細に記されていて、断片的な知識であった当時の北朝鮮ユートピア思想の一端も垣間見ることができた。
社会主義・共産主義の後退と、もはや後戻りの出来なくなった核汚染。精緻で突き放した文体が悲壮感を醸し出す。
読んだ人によっては、絶望感に襲われるかもしれないので、敢えて☆を4つにしておきました。
良書であることは間違いありません。
ソ連の原子力推進に絆され、日本社会党や日本共産党が全面的な原子力反対キャンペーンを展開できなかったことを知った。
また、社会主義者と朝鮮総連との関係も詳細に記されていて、断片的な知識であった当時の北朝鮮ユートピア思想の一端も垣間見ることができた。
社会主義・共産主義の後退と、もはや後戻りの出来なくなった核汚染。精緻で突き放した文体が悲壮感を醸し出す。
読んだ人によっては、絶望感に襲われるかもしれないので、敢えて☆を4つにしておきました。
良書であることは間違いありません。