プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
新品:
¥1,210¥1,210 税込
ポイント: 37pt
(3%)
無料お届け日:
4月1日 月曜日
発送元: Amazon.co.jp 販売者: Amazon.co.jp
新品:
¥1,210¥1,210 税込
ポイント: 37pt
(3%)
無料お届け日:
4月1日 月曜日
発送元: Amazon.co.jp
販売者: Amazon.co.jp
中古品: ¥12
中古品:
¥12

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
仏教とキリスト教 (新潮選書) 単行本(ソフトカバー) – 1986/9/19
ひろ さちや
(著)
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥1,210","priceAmount":1210.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"1,210","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"jTgIyk0J01CPLD19NaI4TedYLTPPzcBiVi97WjL0grPqiS6w3B9n0f1y2SJMXrJAkcKjnZVHn79JfSRf3szHofg2f9NU2LvZhWcr1P7IR1a4JVh2%2BOFNOARPtPTgMiBt","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}, {"displayPrice":"¥12","priceAmount":12.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"12","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"jTgIyk0J01CPLD19NaI4TedYLTPPzcBiWENw%2F604vaGZfAGp9sGJLbp1029ajC3wgSU8QKOVjpdMeOz98PjNL%2FHcMiGaY6VunP7bxNBuFEUsHnfQmqqepb8O%2F7WVfbZX9Pp5mJEbUv3eAmXD7ONP59h16TiQVH3LcAstl8EzUBLnEJQE7lR%2Bcg%3D%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"USED","aapiBuyingOptionIndex":1}]}
購入オプションとあわせ買い
ひろさちや先生による、仏教とキリスト教の比較と分析です。 50のQ&A形式で、どなたでも、わかりやすく宗教の違いを学んでいくことができます。 瞑想
- ISBN-104106003147
- ISBN-13978-4106003141
- 出版社新潮社
- 発売日1986/9/19
- 言語日本語
- 本の長さ191ページ
よく一緒に購入されている商品

対象商品: 仏教とキリスト教 (新潮選書)
¥1,210¥1,210
最短で4月1日 月曜日のお届け予定です
残り4点(入荷予定あり)
¥1,100¥1,100
最短で4月5日 金曜日のお届け予定です
残り4点(入荷予定あり)
¥1,100¥1,100
最短で4月1日 月曜日のお届け予定です
残り2点(入荷予定あり)
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
出版社より

![]() |
![]() |
|
---|---|---|
仏教とキリスト教―どう違うか50のQ&A― | 仏教に学ぶ老い方・死に方 | |
カスタマーレビュー |
5つ星のうち3.8
13
|
5つ星のうち3.5
7
|
価格 | ¥1,210¥1,210 | ¥1,320¥1,320 |
【新潮選書】ひろさちや 作品 | キリストの愛かホトケの慈悲か。天国と極楽は同じか。輪廻思想と復活思想の違いは? 南無阿弥陀仏とアーメンの意味は……。ユニークで画期的な宗教案内。 | 日本人はなぜ老いを恐れるのか? それは、よく働き、世の役に立つことが人の価値と思い込んでいるから。誰もが避けられない老いと死を古来、人々はどうとらえてきたのか検証し、現代人がいかに向き合うべきかを解き明かす。仏教の叡智が教える、ほんとうに豊かで幸せになるための「老いと死の哲学」。 |
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (1986/9/19)
- 発売日 : 1986/9/19
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 191ページ
- ISBN-10 : 4106003147
- ISBN-13 : 978-4106003141
- Amazon 売れ筋ランキング: - 375,025位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 59位比較宗教 (本)
- - 564位キリスト教入門
- - 777位キリスト教一般関連書籍
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2018年11月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「一つの宗教しか知らない者は、ほんとうはその宗教をよく理解していないのでしょう。他の宗教と比較することによって、自分の信ずる宗教の特質がよくわかります。自分の信ずる宗教の理解が深まります」(本書あとがきより)
私は仏教の在家信者です。今まで仏教系の本ばかり読んできましたが、教養としてキリスト教もかじってみようかな、ぐらいの軽い気持ちで購入しました。
感想はまさに冒頭の「あとがき」の通りでした。単なる豆知識としでではなく、より仏教の考え方が深まったと思います。
それにしても、著者「ひろさちや」さんは、仏教学者だと思っていたのですが、キリスト教についてもよく勉強しておられ、頭が下がる思いです。
私は仏教の在家信者です。今まで仏教系の本ばかり読んできましたが、教養としてキリスト教もかじってみようかな、ぐらいの軽い気持ちで購入しました。
感想はまさに冒頭の「あとがき」の通りでした。単なる豆知識としでではなく、より仏教の考え方が深まったと思います。
それにしても、著者「ひろさちや」さんは、仏教学者だと思っていたのですが、キリスト教についてもよく勉強しておられ、頭が下がる思いです。
2012年5月2日に日本でレビュー済み
日本人は冠婚葬祭の時ぐらいしか宗教に関心を持たないが、他国の人々は全て、道徳や考え方、生き方の根拠として宗教が存在する為に、最も大事な人生の上でのテーマである。日本においては殆どが仏教で、キリスト教は少数である。しかし、仏教も発祥のインドのものよりも、葬式仏教として元の姿から大分変わっている。仏教の場合、開祖の釈迦(ブッダ)の教えが説いてある経典が仏教の中での全ての根拠となるはずだが、日本の仏教の場合、歴史上の風土や習慣・生活・葬送等に合わせて、独自に都合の良いように変えられて来た様で、其の根拠からかけ離れてしまっている。戒名・位牌は日本独自のもので、お金の掛け方で行く先が決まるとされている。又、発祥インドでは墓を建てることが無く、火葬して川や山に遺灰を撒くそうである。キリスト教の場合、死者の魂は神の御許へ行っているとされ、墓は其の入口にすぎない。しかし、各教会独自の納骨堂に大事に納めている所もある様だが。「千の風になって」の歌詞の内容の様に、魂は墓には無いのだから、インド仏教の様に散骨・自然葬であってもよいのではと思え、其の辺りがもう一つ曖昧に感じる。又、キリスト教の場合、キリストは開祖ではない。キリスト誕生前から旧約聖書が存在していた。其の旧約聖書と、キリスト誕生後の新約聖書の二つの聖書を根拠とする。キリスト教と呼ぶのは、あくまでも他の宗教と区別する為に、勝手に人間が付けただけのものである。父と子(キリスト)と聖霊の三位一体の神とされていて、人間が誕生する前から存在して、神の形に似せて人間を造られた事を始め、天地創造、万物の神とされる。又、三位一体の神は唯一神とされ、他に神はいないとされる。故に、神は絶対の権力を持ち、人間は神に絶対服従しなければならないとされている(人間が人間に服従する事とは違う事に注意)。神からの預言・考え・言葉・指針等が聖書に記されている為に、信者は其れを根拠にした生活を送らなければならないのだが、歴史を振り返っても、カトリックの腐敗(免罪符の発行、バチカンの教皇権力等)や、現在の政治や権力組織、キリスト教組織等が聖書を自分達の都合の良い様に利用する事等があって、その様にはなっていない。プロテスタントはカトリックの腐敗に抗してルターの宗教改革によって生まれたもので、聖書其の物に立ち返るべきだと説いた。日本では、内村鑑三が無教会主義を唱えて、キリスト教組織の教えではなく、聖書其の物から教えられる様にと説いた(其の当時は開国後で、西欧列強諸国のキリスト教組織を通しての侵略に対しての危惧も含んでいたであろうが)。宗教組織は個人を抑圧する。因みに、旧約聖書はキリスト教だけのものでは無く、イスラム教のものでもある。聖書はキリスト教組織の為のものではない。かえってイスラム教徒の方が聖書に忠実である(例えばイスラム系の銀行は、お金を貸しても利子は取らない等)。又、聖書には、キリストを真似た偽救世主(及び、新興宗教)が、後に数多く出現して来る事が預言されている(ものみの塔(エホバの王国)、モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)、統一教会...等)。
2008年2月6日に日本でレビュー済み
私は、カトリック信徒だが、著者の「わかりやすい」評判と違って、???という感想しかもてなかった。
キリスト教、と、ひとつにくくってしまっているところが、最大の問題。
キリスト教といっても、カトリック(西方のローマンカトリックや東方正教会)やプロテスタントがあり、それぞれが異なる。
また、カトリック内でも、プロテスタント内でも、聖書の解釈も狭義もまったく異なる。
数箇所のみ、「カトリックは、、、」という部分があったが、それも、ローマンカトリックか、東方正教会のカトリックなのか、神学あるいは信徒でなければ、読んでいても判断できず、そのまま受取ってしまって大変危険。
キリスト教とくくらず、プロテスタントのxxxは、xxxxxは、東方正教会は、、、などという主語があれば、まだよかったが、
この本は、キリスト教のあらゆる宗派のごったまぜでしかない。
キリスト教は・・・である、という断言も、宗派によってはそうではないのだから。
著者は他の書籍も数冊読んだが、あらゆる宗教を学んでいるにしても、もうすこし深く学んでほしい、と思う。噂話の拾い集め程度の知識では、と思った。
キリスト教、と、ひとつにくくってしまっているところが、最大の問題。
キリスト教といっても、カトリック(西方のローマンカトリックや東方正教会)やプロテスタントがあり、それぞれが異なる。
また、カトリック内でも、プロテスタント内でも、聖書の解釈も狭義もまったく異なる。
数箇所のみ、「カトリックは、、、」という部分があったが、それも、ローマンカトリックか、東方正教会のカトリックなのか、神学あるいは信徒でなければ、読んでいても判断できず、そのまま受取ってしまって大変危険。
キリスト教とくくらず、プロテスタントのxxxは、xxxxxは、東方正教会は、、、などという主語があれば、まだよかったが、
この本は、キリスト教のあらゆる宗派のごったまぜでしかない。
キリスト教は・・・である、という断言も、宗派によってはそうではないのだから。
著者は他の書籍も数冊読んだが、あらゆる宗教を学んでいるにしても、もうすこし深く学んでほしい、と思う。噂話の拾い集め程度の知識では、と思った。
2004年1月28日に日本でレビュー済み
日本人の多くは檀家制度のせいで、一応、仏教徒が多いですよね?
でも、仏教を知った上で納得して「仏教徒だ!」と言い切れる人がどれだけいるでしょう?
こう問われ、「・・・」と沈黙してしまった方に、是非、この際読んで頂きたいと思います!!!
キリスト教を毛嫌いしている人も、この際いかがですか?今や国際時代、欧米人を(韓国も多いけど)理解しようと思うなら、キリスト教の理解は避けられないと思います!大丈夫!!!この本はとてもわかりやすく書いてありますから。是非トライしてみて下さい!!!
でも、仏教を知った上で納得して「仏教徒だ!」と言い切れる人がどれだけいるでしょう?
こう問われ、「・・・」と沈黙してしまった方に、是非、この際読んで頂きたいと思います!!!
キリスト教を毛嫌いしている人も、この際いかがですか?今や国際時代、欧米人を(韓国も多いけど)理解しようと思うなら、キリスト教の理解は避けられないと思います!大丈夫!!!この本はとてもわかりやすく書いてありますから。是非トライしてみて下さい!!!
2018年4月30日に日本でレビュー済み
1986年の本。著者は宗教学者(?)。
曰く・・・
東方正教会は、偶像崇拝の誤解を避けるために画像(イコン)は用いるが、聖像を刻んでこれを礼拝することはない。
東方正教会には14の自立教会がある。そのうち、ギリシア正教会とロシア正教会が大きい。
仏教では「仏」を真理の体現者と考える。仏は真理そのもの。宇宙の中心に真理そのものである仏(宇宙仏?)がある。宇宙そのもののような仏。顕教では、これを大ビルシャナ仏(摩訶毘盧遮那仏)とよぶ。大ビルシャナ仏は沈黙の仏であるが、自分の毛穴から百千億のシャカ仏(分身)を説法のために放出する。わたしたちの世界にやってきたのがお釈迦様。分身を通じて、人間の言葉でもって仏教を教わる。
密教では、おなじ宇宙仏を「大日如来」とよぶ。密教の大日如来は雄弁に説法する。ただし、宇宙語(一種の象徴言語)。なので、密教においては宇宙語を勉強する必要がある。自分の受信装置の埃を払えば美しい大日如来の声が聞こえる、というのが密教の考え方。シャカ仏なしに直接、宇宙仏の説法を聴聞しようとするのが密教。
宗教の世界には近親憎悪の原理が当てはまりそう。カトリックとプロテスタントは仲が悪く、仏教も近い宗派ほど仲が悪い。カトリック神父と禅僧が交流することはあっても、曹洞宗と臨済宗の間の交流はほとんどない。
キリスト教の神は、宇宙の外にいる超越神であり、実在者であり、創造者であり、霊であり、意志と計画をもつ人格的存在である。したがって、人間と神の間には大きな断絶があり、その断絶を埋めてくれるのがイエス・キリストである。
仏教はわたしたちが仏になるための教え。みずから悟りをひらいて仏になることが期待されている。多仏。
キリスト教の神が「愛の神」であるのに対して、仏の本質は「真理(法)」だと考えられている。
仏教においては、仏と人間の間に断絶はない。仏と人間の間には無限の距離があるが、人間は仏に向かって歩み続けることができる。
プロテスタント教会には、懺悔告白のような儀式がない。だから、プロテスタント信者の多いアメリカでは、精神分析医やカウンセラーが繁盛するという説がある。
閻魔大王の前身はインド神話のヤマ。ヤマはインド神話において人間第1号とされ、死者第1号でもある。ヤマは人跡未踏の道をたどって天界(天国)に到達して王となった。ヤマのあとに次々と死者がやってくる。ヤマはそこで、天国にふさわしくない死者を地獄に追いやるようになった。
カトリック教会は煉獄を正式の教義とする。東方正教会は煉獄における浄化とそこからの救いを認めているが正式の教義とはしていない。プロテスタントは煉獄を全面否定する。煉獄(罪の浄化)の思想はどこか免罪符の考え方につながっているため。
カトリックの煉獄は仏教の地獄に相当する。仏教の地獄は永遠世界ではないが、キリスト教の地獄は終身刑であり、煉獄は有期刑。
卍は、サンスクリットで「スワスティカ」といい、ヒンドゥー教では瑞兆の印として用いられていた。
お経は釈迦の教えを記録したものであって、言うならば哲学的文献である。ところが日本仏教では美声でもってお経を読誦すれば呪術的な効果があると信じられた。日本人は仏教を呪術的効果のある宗教として受け入れたという経緯がある。
キリスト教の考え方の根底には、人間は万物の霊長であって動物よりも次元の高い存在である、という考え方がある。だから、セックスにおいても、動物のようなセックスはよくない、とする。人間は純潔でなければならない。ということは一夫一妻制の結婚を前提としたセックスのみが人間に許されている。だから、婚前交渉や浮気は禁止。
仏教においては、戒を守ろうとする自発的な気持ちが大事と考える。キリスト教のように他律的に命令されてするのは仏教ではあまり歓迎されない。あくまでも自発性を重んずる。仮に戒を破ったとしても罰せられることはない。仏教は、人間は弱い存在であって、完全に戒を守り切る力はない、と見る。
仏教は自殺を悪としていない。釈迦は仏陀であり、仏陀は永遠の存在。その仏陀が亡くなったのであるから、仏陀は自分の意志で死を選んだのだ、と考える。悟りを開いた聖者であれば自殺をしてもよいとする考え方が仏教にはある。
凡夫には自殺は許されない。いくら苦しくても、この世にあって修行を続けるべきだと仏教は教える。
浄土宗や浄土真宗の教えでは、死者の魂はすぐに阿弥陀仏の極楽浄土に往生しているのだから、墓など造る必要はない。その他の宗派でも、それが仏教であるかぎり、墓を造る必要性はまったくない。
みたいな話。
曰く・・・
東方正教会は、偶像崇拝の誤解を避けるために画像(イコン)は用いるが、聖像を刻んでこれを礼拝することはない。
東方正教会には14の自立教会がある。そのうち、ギリシア正教会とロシア正教会が大きい。
仏教では「仏」を真理の体現者と考える。仏は真理そのもの。宇宙の中心に真理そのものである仏(宇宙仏?)がある。宇宙そのもののような仏。顕教では、これを大ビルシャナ仏(摩訶毘盧遮那仏)とよぶ。大ビルシャナ仏は沈黙の仏であるが、自分の毛穴から百千億のシャカ仏(分身)を説法のために放出する。わたしたちの世界にやってきたのがお釈迦様。分身を通じて、人間の言葉でもって仏教を教わる。
密教では、おなじ宇宙仏を「大日如来」とよぶ。密教の大日如来は雄弁に説法する。ただし、宇宙語(一種の象徴言語)。なので、密教においては宇宙語を勉強する必要がある。自分の受信装置の埃を払えば美しい大日如来の声が聞こえる、というのが密教の考え方。シャカ仏なしに直接、宇宙仏の説法を聴聞しようとするのが密教。
宗教の世界には近親憎悪の原理が当てはまりそう。カトリックとプロテスタントは仲が悪く、仏教も近い宗派ほど仲が悪い。カトリック神父と禅僧が交流することはあっても、曹洞宗と臨済宗の間の交流はほとんどない。
キリスト教の神は、宇宙の外にいる超越神であり、実在者であり、創造者であり、霊であり、意志と計画をもつ人格的存在である。したがって、人間と神の間には大きな断絶があり、その断絶を埋めてくれるのがイエス・キリストである。
仏教はわたしたちが仏になるための教え。みずから悟りをひらいて仏になることが期待されている。多仏。
キリスト教の神が「愛の神」であるのに対して、仏の本質は「真理(法)」だと考えられている。
仏教においては、仏と人間の間に断絶はない。仏と人間の間には無限の距離があるが、人間は仏に向かって歩み続けることができる。
プロテスタント教会には、懺悔告白のような儀式がない。だから、プロテスタント信者の多いアメリカでは、精神分析医やカウンセラーが繁盛するという説がある。
閻魔大王の前身はインド神話のヤマ。ヤマはインド神話において人間第1号とされ、死者第1号でもある。ヤマは人跡未踏の道をたどって天界(天国)に到達して王となった。ヤマのあとに次々と死者がやってくる。ヤマはそこで、天国にふさわしくない死者を地獄に追いやるようになった。
カトリック教会は煉獄を正式の教義とする。東方正教会は煉獄における浄化とそこからの救いを認めているが正式の教義とはしていない。プロテスタントは煉獄を全面否定する。煉獄(罪の浄化)の思想はどこか免罪符の考え方につながっているため。
カトリックの煉獄は仏教の地獄に相当する。仏教の地獄は永遠世界ではないが、キリスト教の地獄は終身刑であり、煉獄は有期刑。
卍は、サンスクリットで「スワスティカ」といい、ヒンドゥー教では瑞兆の印として用いられていた。
お経は釈迦の教えを記録したものであって、言うならば哲学的文献である。ところが日本仏教では美声でもってお経を読誦すれば呪術的な効果があると信じられた。日本人は仏教を呪術的効果のある宗教として受け入れたという経緯がある。
キリスト教の考え方の根底には、人間は万物の霊長であって動物よりも次元の高い存在である、という考え方がある。だから、セックスにおいても、動物のようなセックスはよくない、とする。人間は純潔でなければならない。ということは一夫一妻制の結婚を前提としたセックスのみが人間に許されている。だから、婚前交渉や浮気は禁止。
仏教においては、戒を守ろうとする自発的な気持ちが大事と考える。キリスト教のように他律的に命令されてするのは仏教ではあまり歓迎されない。あくまでも自発性を重んずる。仮に戒を破ったとしても罰せられることはない。仏教は、人間は弱い存在であって、完全に戒を守り切る力はない、と見る。
仏教は自殺を悪としていない。釈迦は仏陀であり、仏陀は永遠の存在。その仏陀が亡くなったのであるから、仏陀は自分の意志で死を選んだのだ、と考える。悟りを開いた聖者であれば自殺をしてもよいとする考え方が仏教にはある。
凡夫には自殺は許されない。いくら苦しくても、この世にあって修行を続けるべきだと仏教は教える。
浄土宗や浄土真宗の教えでは、死者の魂はすぐに阿弥陀仏の極楽浄土に往生しているのだから、墓など造る必要はない。その他の宗派でも、それが仏教であるかぎり、墓を造る必要性はまったくない。
みたいな話。
2016年11月2日に日本でレビュー済み
仏教とキリスト教の違いと同類性を、50の質問に答える形で初心の人に分かりやすく伝えることを
目指した本。仏教、キリスト教とそれぞれを一括りで表現できないことは、他のレビューに書かれた
通りで、仏教なら大きく大乗・小乗の区別、小さくは天台・真言・法華・浄土宗などの宗派の別があり
キリスト教では、カソリック・プロテスタント・東方教会他の様々な教会に分かれるのは、この本にも
書かれた通りで、全ての違いが詳しく説かれているわけではないが、神との契約であるキリスト教と、
釈迦の教えを糧に涅槃の道を目指す仏教という根本の大きな違いは読んで伝わる。
やはり感じるのは、その宗教が生まれた地域の風土が大きく影響していることで、灼熱の乾いた大地から
生れ出たユダヤ教やその流れから生まれるキリスト教やイスラム教の妥協のない厳しさと、アジア・モン
スーンの気候風土で生まれた仏教の教えの一面穏やかとも思える違いはそのあたりに起源がありそうに思う。
日本の仏教も、他の国ではありえない(その実態は別として)有髪、妻帯の僧侶が形式的にも実態でも許される
ことなどは、ある意味で八百万の神々が睦み合い、賑やかにこの大和の国を造ってきたことが人々の心に連綿と
伝わっていた風土習俗によって許容される素地があったからできた仏教なんだろうと、読みながら思う。
仏教、キリスト教の入門書として読みやすく分かりやすい。
目指した本。仏教、キリスト教とそれぞれを一括りで表現できないことは、他のレビューに書かれた
通りで、仏教なら大きく大乗・小乗の区別、小さくは天台・真言・法華・浄土宗などの宗派の別があり
キリスト教では、カソリック・プロテスタント・東方教会他の様々な教会に分かれるのは、この本にも
書かれた通りで、全ての違いが詳しく説かれているわけではないが、神との契約であるキリスト教と、
釈迦の教えを糧に涅槃の道を目指す仏教という根本の大きな違いは読んで伝わる。
やはり感じるのは、その宗教が生まれた地域の風土が大きく影響していることで、灼熱の乾いた大地から
生れ出たユダヤ教やその流れから生まれるキリスト教やイスラム教の妥協のない厳しさと、アジア・モン
スーンの気候風土で生まれた仏教の教えの一面穏やかとも思える違いはそのあたりに起源がありそうに思う。
日本の仏教も、他の国ではありえない(その実態は別として)有髪、妻帯の僧侶が形式的にも実態でも許される
ことなどは、ある意味で八百万の神々が睦み合い、賑やかにこの大和の国を造ってきたことが人々の心に連綿と
伝わっていた風土習俗によって許容される素地があったからできた仏教なんだろうと、読みながら思う。
仏教、キリスト教の入門書として読みやすく分かりやすい。