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ソドムの百二十日 単行本 – 1990/6/1
- 本の長さ449ページ
- 言語日本語
- 出版社青土社
- 発売日1990/6/1
- ISBN-104791750837
- ISBN-13978-4791750832
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登録情報
- 出版社 : 青土社 (1990/6/1)
- 発売日 : 1990/6/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 449ページ
- ISBN-10 : 4791750837
- ISBN-13 : 978-4791750832
- Amazon 売れ筋ランキング: - 502,376位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 737位フランス文学研究
- - 775位フランス文学 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年12月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
マルキ=ド=サドの思想がひしひしと伝わります。澁澤節が苦手な方はこちらの訳書が良いと思います。
2016年1月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読みはじめは様々なエログロのオンパレードで入り込んでいきましたが、中盤からは単純な日記調が淡々と続き、まるで拷問を受けてるようでした...
2020年4月22日に日本でレビュー済み
中学2年だったか3年だったか学校の図書館の片隅で見つけたのがこの本だった。
ちょうどハリーポッターの最終巻を読み終わり、大作ファンタジーというものに飢えていた時期だった。
作者のことは知らなかったが、聖書についてわずかばかりの知識を持っていた自分はあのソドムが滅ぶまでの120日を記した架空のドキュメンタリーのようなものだろうと思い手に取ってしまった。間違いだった。
読み始めてから舞台がフランスであり登場人物たちが悍しく退廃的な存在だと気がついた。しかし、恐ろしくも詳細な描写は私の心を捉えて離さず、この本を片手に授業中も机の下で読み耽っていた。
今振り返ると性というものを意識し始めたばかりの当時の私はあまりの醜悪さと熱量に囚われていたと言える。
そして、今、この本を最初に読んでからほぼ10年がたった。
思春期の私の骨子となり、最も大きな影響を与えてくれたこの本に対する感想を一言で言える程度には心の整理がついたと思う。
つまり、なんで先生は中学の図書館にこんな本置いたの?
ちょうどハリーポッターの最終巻を読み終わり、大作ファンタジーというものに飢えていた時期だった。
作者のことは知らなかったが、聖書についてわずかばかりの知識を持っていた自分はあのソドムが滅ぶまでの120日を記した架空のドキュメンタリーのようなものだろうと思い手に取ってしまった。間違いだった。
読み始めてから舞台がフランスであり登場人物たちが悍しく退廃的な存在だと気がついた。しかし、恐ろしくも詳細な描写は私の心を捉えて離さず、この本を片手に授業中も机の下で読み耽っていた。
今振り返ると性というものを意識し始めたばかりの当時の私はあまりの醜悪さと熱量に囚われていたと言える。
そして、今、この本を最初に読んでからほぼ10年がたった。
思春期の私の骨子となり、最も大きな影響を与えてくれたこの本に対する感想を一言で言える程度には心の整理がついたと思う。
つまり、なんで先生は中学の図書館にこんな本置いたの?
2015年9月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
途中まで読んで、気分が悪くなりそのまま棚の奥へ。
どう言う精神状態でこう言う本が書けるのか、理解不可能。
決して手にしない方がいい。具合が悪くなった。
これまで読んだ本の中で最悪だ。
どう言う精神状態でこう言う本が書けるのか、理解不可能。
決して手にしない方がいい。具合が悪くなった。
これまで読んだ本の中で最悪だ。
2016年11月28日に日本でレビュー済み
澁澤龍彦の訳で序文のみは読んでいました。序文からしてすでにただならぬ雰囲気だったので、一度本文を読んでみたいという望みはつのるばかり。
本書は、その「ソドムの120日」の全訳です。澁澤訳の持っていた華麗さや微妙な味わいはないにしても、長大なる全文を訳してくれたのはまさに努力賞もの。
物語の形をとっているのは序文と第一部で、第二部~第四部まではプランを箇条書きにしただけで終わっています。それでも、その箇条書きが几帳面なほどしっかり書かれているので、ストーリーをたどれなくてもどかしいということはありません。
説明不要かと思いますがいちおう内容について解説すると、ルイ14世の治世の末、4人の権力者が、かき集めた奴隷を使って性の一大狂宴を繰り広げるというものです。全編にわたって乱交・スカトロ・悪趣味のオンパレードで、特に不潔なもの・醜悪なものについての精緻な描写があふれています。まともに想像力を働かせると耐えがたいものになるはずなのですけど、被害者の心理がほとんど描かれず、まるで一種の観察記録というか、百科全書のような無機的なタッチで描かれているため、感情移入の機会はほとんどありません(間違っても、読んでいて楽しい本ではありませんが・・・)。
残酷描写は後半になるにつれてほとんど幻想的なレベルにまで高まります。以前、作家で映画評論家の友成純一氏が「人体を玩具にするのもここまで来たらSFだ」と書いていたと記憶していますが、まさにその通り。シュールレアリスムの芸術家たちがサドを崇拝したのも、なるほどとうなずけます。
なお、本書の装丁はかの横尾忠則氏です。60年代~70年代のアングラ文化において、横尾氏が澁澤氏と交流を持っていたことを考えると、妥当な人選というべきでしょうか。
本書は、その「ソドムの120日」の全訳です。澁澤訳の持っていた華麗さや微妙な味わいはないにしても、長大なる全文を訳してくれたのはまさに努力賞もの。
物語の形をとっているのは序文と第一部で、第二部~第四部まではプランを箇条書きにしただけで終わっています。それでも、その箇条書きが几帳面なほどしっかり書かれているので、ストーリーをたどれなくてもどかしいということはありません。
説明不要かと思いますがいちおう内容について解説すると、ルイ14世の治世の末、4人の権力者が、かき集めた奴隷を使って性の一大狂宴を繰り広げるというものです。全編にわたって乱交・スカトロ・悪趣味のオンパレードで、特に不潔なもの・醜悪なものについての精緻な描写があふれています。まともに想像力を働かせると耐えがたいものになるはずなのですけど、被害者の心理がほとんど描かれず、まるで一種の観察記録というか、百科全書のような無機的なタッチで描かれているため、感情移入の機会はほとんどありません(間違っても、読んでいて楽しい本ではありませんが・・・)。
残酷描写は後半になるにつれてほとんど幻想的なレベルにまで高まります。以前、作家で映画評論家の友成純一氏が「人体を玩具にするのもここまで来たらSFだ」と書いていたと記憶していますが、まさにその通り。シュールレアリスムの芸術家たちがサドを崇拝したのも、なるほどとうなずけます。
なお、本書の装丁はかの横尾忠則氏です。60年代~70年代のアングラ文化において、横尾氏が澁澤氏と交流を持っていたことを考えると、妥当な人選というべきでしょうか。
2005年4月17日に日本でレビュー済み
サドの生涯はそのほとんどが謎といっても過言ではありません。また、サド文学がどこまで彼の実像なのかもはっきりしませんが、『ソドムの百二十日』を構造分析する上で、サドの描いたものはサドの分身だとします。まず、『ソドムの百二十日』は単純な二項対立からなっています。負の極にあるもの、「なぜ母は自分を生んだのかという生存と母なるものへの嫌悪」「女性性器の侮蔑」「男性との性交への偏差」「妊婦を本能的に憎む性質」「残虐な拷問」などがあげられますが、その対極、正の極にあるものもサドが意識するかしないかにかかわらず随時顔を見せています。それは「限りなく美しいものへの志向」に代表させられます。しかし、負の極にあるものと正の極にあるものとは別々に分離しているのではなく、ひとつにつながって循環運動をなしています。すなわち、「限りなく美しいもの」とその「醜い死」、また「死者との一体化」というふうにです。ここで注目しなければならないのは、その循環運動はサドの世界認識とパラレルな関係にあるということです。「富者は貧者を救ってはならない、なぜならばそんなことをすれば両者の差異が消滅してしまうからだ」「私は悪に荷担する。神は善を創造したが悪も創造した、だから私は悪に生きることによって善と悪のバランスを保つのだ」などに象徴されるように、サドの精神界には正と負にエネルギーが集まり、中間には何も存在していません。これがサド文学を読むときに感じる空白感のもとであり、サドがシーソーのように考えている世界観なのです。ですからボスによって定立された、「世界内存在の異常なあり方が性において集約的に現れたのが、性倒錯である」というものがサドにはぴったり当てはまるのです。