詩人ホメロスが謡った『イリアス』『オデュッセイア』の世界を歴史的に検証する。『イリアス』にはほとんど歴史を類推できるような背景がなく、他方で考古学的に証明できる戦乱の痕跡が矢じり一つしかないことからも、トロイア戦争を史実とするには無理があるのではないかと提起する。今から70年ほど前の本なので、解説を読むとその後の新発見により本書をそのまま真に受けることはできないようだが、丁寧にそして様々な側面から反証していて読み応えがある。
本書の解説によればこのフィンリー説の後、トロイアの港などの発掘によりトロイア戦争は実際あったという説が有力なようだ。
また当時の社会を両詩から読み解こうとしている。農耕や労働、富、家族、共同体(支配関係)など分析され、検証の過程は読んでいて楽しい。
『イリアス』と『オデュッセイア』がそもそも同じ人物の作なのかも確証が持てないと指摘する。両者の違いはローマ帝国のプリニウス(紀元後23〜79年)が指摘していて、『オデュッセイア』では魔法、魔力がより多く登場するというp47。また神々との関わりでも『イリアス』では様々な神が人間を贔屓したりまた貶めたり個々のつながりが散りばめられているが、『オデュッセイア』ではアテネがオデュッセウスを着実に導いていく形で関わりがある。それに『オデュッセイア』では『イリアス』のような多数の英雄、英雄譚が盛り盛りになっておらず、英雄はオデュッセウスのみである。『イリアス』は東方(小アジア)に目が向けられていて、『オデュッセイア』は西方に向けられていることも違いを指摘するポイントになっている。歴史的に紀元前9世紀末から1世紀半の間にシチリアや南イタリアに進出する西方への動きを『オデュッセイア』は反映しているのではないかという。ただし地理学者エラトステネス(紀元前276〜194年)が「風の袋を縫い上げた革職人を見つけた時にはオデュッセウス漂流の場所をも見出すことができるだろう」と指摘するほど、旅の航路を辿ることは難しいとされている。
ギリシア人はホメロスの両詩を称えながらも、道徳面で受け入れられないところもあったようだ。アキレウスを英雄視して船隊を率いてトロイアの12の町を破壊して上等の財貨を奪ったと高らかに謡うが、プラトンは『法律』の中で「財貨を盗むことは卑しむべき行為で、略奪は恥ずべき行為」と言い切りこの「詩人やいいかげんな神話作者に欺かれてその言葉を真に受けることがないように」諫言するp123。オデュッセウスは狡知に長けた英雄であった。彼の祖父アウトリュコスは「盗みと誓い破りにかけては余人に及ぶ者がなかった」とされるがそれはヘルメス神から授けられたものだった。
英雄の概念がその後現れる共同体の義務と相反するという指摘は面白い。ホメロスの時代からギリシア社会に移行する中で、「英雄という種族は急速に凋落」してむしろギリシアでは英雄を飼い慣らし武勇の暴走をコントロールするようになった。本書は『イリアス』と現在は残っていないアイスキュロスの劇の内容を比較して、ギリシア社会の中から生まれた後者ではアキレウスが戦闘に参加しなかったことを義務を怠ったという形で描いたと指摘した。『イリアス』では公的義務に対する違反について言及されていない。アガメムノンによってアキレウスの想い人ブリセイスを奪われたことによる名誉毀損と精神の崩壊が不参加の原因だった。
『イリアス』の世界では名誉が第一であり戦いと勝利がそれを得る場で、そして名誉を証明するものが戦利品だった。戦闘の後、敵の武具を剥ぎ取る場面がよく登場する。日本の戦国時代では手柄を示す為に首級を上げることがされたが、武士あるいは戦士の行動原理は似ているように思う。組織化された兵士との違いだろうか。
贈物の贈与についても社会で重要な位置を占めていたという。その際、贈物の系譜が重視され本書ではメネラウスがテレマコスに混酒器を贈る場面で、ヘパイストス神が造りシドンの王がかつて所持し英雄パイディモスがメネラウスに送ったものだと説明する。この世界の贈物は現代の商取引に現れるような利益を得るためではなくて、名誉を与えるためだった。これは贈る側にも名誉が認められたということである。大切なものをあげてもいいと思えることがあるが、その時の心の状態はどうだろう。あげることに喜びがあり、損をするような気持ちでは決してなくむしろ誇らしいのではないだろうか。相手を尊敬するような気持ちもあるかもしれない。しかし献上という名の強制的な徴収であればそうはならないが。
ピレインphileinという言葉の論考も含蓄がある。現代語では「愛する」と訳されるが当時の感情を的確に表しているわけではなさそうだ。人と人との好ましい結び付きがある場合はどんな場面でも使われたようだ。実際オデュッセウスが故郷と妻に焦がれて悲嘆に暮れることはあっても愛情を示すような場面はどこにもないことを指摘する。一方アキレウスとパトロクロスの間には熱烈な友情が示される。これは当時女性の立場が低く、対等でなければ個人的な感情の疎通はなかったとして、対等である貴族の男性間にのみそのようなやり取りがあった裏返しだと解釈している。そもそもホメロスからギリシア文学に至るまで夫や妻という言葉はなかったようで、現代の夫婦観とは全く違う習俗があった。
トロイアの発掘を行なったシュリーマンについても詳細な言及がある。『イリアス』がトロイア戦争の従軍記と信じていたシュリーマンがオデュッセウスとペネロペの骨壺を発掘しようとして失敗した後の手紙が印象的である。「ホメロスは叙事詩人であって歴史家ではありませんでした。彼はイリオンの高く聳える塔も、神によって造られたという城壁も、プリアモスの宮殿も見なかったのです。なぜなら、トロイアが破壊されてから三百年後にそこを訪れたとき(中略)10フィートもある厚い層とともに埋もれていたのですから……」
ただし著者が念を押すように歴史学としてトロイア戦争の史実が曖昧であることとこの叙事詩の文学的価値には関係がない。
とはいえ現在でも様々な角度から史実性を追究されていて、『トロイア戦争』(エリック・クライン、訳西村)によるとヒッタイト文書の解読からウィルサがイリオンではないかと推測され、このウィルサで起こった四度の戦争を記している。またアレクサンドロス・パリスの実在が推論されている。まだ推論の域は出ないようだが、歴史的な愉しみがある。ちなみに1993年に線文字B粘土板が250枚以上発見されたことからヒッタイト文書に出てくるアッヒヤワ(ギリシア)はテーバイ(テーベ)のことを指すのではないかと解釈されているようだp187。
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オデュッセウスの世界 (岩波文庫 青 464-1) 文庫 – 1994/7/18
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イギリスの歴史家フィンリー(一九一二―八六)の,明快で読みものとしても楽しめるギリシア古代史入門.社会学,人類学の成果を踏まえ,二大叙事詩『イリアス』『オデュッセイア』を詳細に読みこむことによって,ギリシア古代がどのような社会であったかを説き明かし,新しいホメロス学の方法を提起したものとして大きな反響を呼んだ.
- 本の長さ385ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1994/7/18
- ISBN-104003346416
- ISBN-13978-4003346419
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1994/7/18)
- 発売日 : 1994/7/18
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 385ページ
- ISBN-10 : 4003346416
- ISBN-13 : 978-4003346419
- Amazon 売れ筋ランキング: - 235,523位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 36位古代ギリシア史
- - 595位ヨーロッパ史一般の本
- - 1,629位岩波文庫
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年11月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2017年11月26日に日本でレビュー済み
贈与や賓客に関する文化親類学的解説が面白い。ただし、イリアス、オデュッセイアの登場人物と、前ギリシャ史を一定程度知っている必要あり。
解説の要点が全体を理解する上で役に立つ。
ホメロスが歌っている世界はミュケナイ文化が崩壊した後二、三百年続いた暗黒時代初期すなわち前10-9世紀を示している。
ミュケナイ時代(前1800-1600)と暗黒時代(前1200-800)の間に激しい断絶があり、ミュケナイ時代の出来事はホメロスの叙事詩にはほとんど反映されていない。
その世界では社会制度や国家がまだ確立されておらず、王や貴族などの有力者の「家(オイコス)」が経済と政治の中心として機能していた点で未開社会に近い。
王(バシレウス)は存在したが独裁君主ではなく、世襲制は確立されておらず、「対等なものの中の第一」として共同体を指導した。
10年間にわたるトロイア戦争というような大規模な戦争は考えられない。
国際関係は賓客(クセノス)関係によって維持され、その意味で個人的なものであり、条約にあたるものはなかった。
解説の要点が全体を理解する上で役に立つ。
ホメロスが歌っている世界はミュケナイ文化が崩壊した後二、三百年続いた暗黒時代初期すなわち前10-9世紀を示している。
ミュケナイ時代(前1800-1600)と暗黒時代(前1200-800)の間に激しい断絶があり、ミュケナイ時代の出来事はホメロスの叙事詩にはほとんど反映されていない。
その世界では社会制度や国家がまだ確立されておらず、王や貴族などの有力者の「家(オイコス)」が経済と政治の中心として機能していた点で未開社会に近い。
王(バシレウス)は存在したが独裁君主ではなく、世襲制は確立されておらず、「対等なものの中の第一」として共同体を指導した。
10年間にわたるトロイア戦争というような大規模な戦争は考えられない。
国際関係は賓客(クセノス)関係によって維持され、その意味で個人的なものであり、条約にあたるものはなかった。
2013年10月23日に日本でレビュー済み
イーリアスとオデュッセイアを縦横に読みこんだ博学な歴史家の説明は、楽しくホメロスを読んでいる読者にいろいろ気づかせてくれる点が多いのが嬉しい。自分もホメロスの両書とも大好きなので
いろんな翻訳で幾度となく読んできたので、本書で引用される各部分がどの場面で、どの場面に前後するかなどは一応おぼえているのだが、著者の説明で、「そういえばそうだな」と何気に語られているセリフの裏側にある当時の社会や人間関係などに気づかせてくれる点が多いのが楽しく、一段とホメロス好きになってしまう。ただ、翻訳者の巻末の説明にあるように、どうも著者の解釈はその後の研究でやや時代遅れの傾向があり、翻訳者の控え目な指摘でも、どうも鍵になる重要なポイントでずれているようで、結構致命的な時代遅れの気がする。たとえば、実際にトロイアでの大きな戦争はなかったと著者は語るが、どうもそうではないことは現在の通説のようだ。読者側は、本書を読む前に、いろんな媒体で、最近の考え方を知っているから、本書を読んで、「トロイア戦争はなかった」などと言われると、変なことを言う人だな、と思えてしまうわけだが、仮に、専門的な学説は知らなかったにしても、イーリアスを読めば、創作であっても、こんな大昔に、これだけの大戦争を単に想像だけで書いたとは到底思えないし、登場人物も、全部根も葉もない作りものにしては、彩り豊かなリアリティがあって、やっぱりなにか元になる実話があったはずだ、と思うのが普通だと思うし、そういう点でシュリーマンの感覚は、現代人に共通のものだと思う。社会制度の著者の推測も、やや割り切りすぎるきらいがあって、その割に論拠が明らかでない(太古の昔で無理だと思う)ので、読んでいて明瞭でない印象を持つが、果たして、解説を読むと、まさにそういう点が現行の研究では歩の悪い話になっているようだ。翻訳のせいではなく、著者の原文のせいだと思うが、もっと普通に書いて、分かりやすい文章にすべきところを、妙に持って回った論理的らしき文章や、或いは論理的な飛躍を故意に楽しんで頭のキレを示しているのかと思われる、いささか無意味な文章が随所にあって、その辺りを見ても個性は強い感情の強い人に思えるが、その割に用意周到でない人にも思えてくる。そういう人に悪い人はいないのかもしれないが、もう少しなんとかならなかったものかなあ、と嘆息したくなるところがあった。
いろんな翻訳で幾度となく読んできたので、本書で引用される各部分がどの場面で、どの場面に前後するかなどは一応おぼえているのだが、著者の説明で、「そういえばそうだな」と何気に語られているセリフの裏側にある当時の社会や人間関係などに気づかせてくれる点が多いのが楽しく、一段とホメロス好きになってしまう。ただ、翻訳者の巻末の説明にあるように、どうも著者の解釈はその後の研究でやや時代遅れの傾向があり、翻訳者の控え目な指摘でも、どうも鍵になる重要なポイントでずれているようで、結構致命的な時代遅れの気がする。たとえば、実際にトロイアでの大きな戦争はなかったと著者は語るが、どうもそうではないことは現在の通説のようだ。読者側は、本書を読む前に、いろんな媒体で、最近の考え方を知っているから、本書を読んで、「トロイア戦争はなかった」などと言われると、変なことを言う人だな、と思えてしまうわけだが、仮に、専門的な学説は知らなかったにしても、イーリアスを読めば、創作であっても、こんな大昔に、これだけの大戦争を単に想像だけで書いたとは到底思えないし、登場人物も、全部根も葉もない作りものにしては、彩り豊かなリアリティがあって、やっぱりなにか元になる実話があったはずだ、と思うのが普通だと思うし、そういう点でシュリーマンの感覚は、現代人に共通のものだと思う。社会制度の著者の推測も、やや割り切りすぎるきらいがあって、その割に論拠が明らかでない(太古の昔で無理だと思う)ので、読んでいて明瞭でない印象を持つが、果たして、解説を読むと、まさにそういう点が現行の研究では歩の悪い話になっているようだ。翻訳のせいではなく、著者の原文のせいだと思うが、もっと普通に書いて、分かりやすい文章にすべきところを、妙に持って回った論理的らしき文章や、或いは論理的な飛躍を故意に楽しんで頭のキレを示しているのかと思われる、いささか無意味な文章が随所にあって、その辺りを見ても個性は強い感情の強い人に思えるが、その割に用意周到でない人にも思えてくる。そういう人に悪い人はいないのかもしれないが、もう少しなんとかならなかったものかなあ、と嘆息したくなるところがあった。