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おばあちゃんの回想録 木槿の国の学校 日本統治下の朝鮮の小学校教師として 単行本(ソフトカバー) – 2016/9/16
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門田隆将氏、推薦!
『ついに「朝鮮」の真実が明らかに! 市井の人の体験は、戦後作られたイデオロギーによる歴史とは全く異なっていました。温かくて、ほのぼのする朝鮮の人々との真実の交流に心が洗われます。』
日本統治下時代、日本人と朝鮮人とはどのような関係にあったのか。朝鮮での学校の様子はどうであったのか。日本統治下の朝鮮の学校教育という制度の中に身を置き、子どもたちと関わりながら、戦中、戦後の激動期を気丈に生きた一人の女性教師の足跡。その中から朝鮮統治のありのままの姿が見えてくる。
- 本の長さ260ページ
- 言語日本語
- 出版社梓書院
- 発売日2016/9/16
- 寸法18.8 x 12.8 x 2.5 cm
- ISBN-10487035585X
- ISBN-13978-4870355859
商品の説明
出版社からのコメント
日本統治時代、朝鮮の生活はどのようなものだったのか。小学校教師として、日本統治下の朝鮮で多くの子どもたちや朝鮮の人々とふれあってきた著者。そんな著者が語る貴重な証言の数々には、朝鮮人と日本人の心温まる交流もあれば、日韓併合がもたらした光と闇も散見する。戦後の朝鮮における反日教育、また国内における自虐史観によってゆがめられた真実の姿が、ありのままに浮かんでくる貴重な一冊。
著者について
【編者】上野幹久
昭和24(1949)年、福岡県朝倉市(現)に生まれる。福岡教育大学卒業後、久留米市内の小学校に勤務。福岡教育大学の附属小学校や久留米市教育委員会などを経て、平成11 年に久留米市立の小学校校長となる。11 年間の校長生活を送り、退職後は同市の教育センターに勤務。また、福岡教育大学後援会長を務める。平成27 年度まで2年間八女郡広川町教育研究所長。
著書として、教育エッセイ『白墨浪漫』シリーズ(自費出版)がある。福岡県久留米市在住。
昭和24(1949)年、福岡県朝倉市(現)に生まれる。福岡教育大学卒業後、久留米市内の小学校に勤務。福岡教育大学の附属小学校や久留米市教育委員会などを経て、平成11 年に久留米市立の小学校校長となる。11 年間の校長生活を送り、退職後は同市の教育センターに勤務。また、福岡教育大学後援会長を務める。平成27 年度まで2年間八女郡広川町教育研究所長。
著書として、教育エッセイ『白墨浪漫』シリーズ(自費出版)がある。福岡県久留米市在住。
登録情報
- 出版社 : 梓書院 (2016/9/16)
- 発売日 : 2016/9/16
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 260ページ
- ISBN-10 : 487035585X
- ISBN-13 : 978-4870355859
- 寸法 : 18.8 x 12.8 x 2.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 687,499位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 606位昭和・平成
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年7月18日に日本でレビュー済み
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筆者は終戦で引き揚げて来て、大変苦労されたようだが、それよりも朝鮮の小学校での子供達思いの教師生活の話が胸を打つ。こういう先生方がもっともっと長く朝鮮で教育に従事していたら、今のような法無視、国際法無視の情けない韓国人・北朝鮮人にはならずに済んだかも知れない。
2016年12月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私は編者(上野幹久氏)と同じ福岡で生まれ育った同世代で、私の身内にも多くの朝鮮からの引き揚げ者がいて、断片的に朝鮮での生活を聞いていた。大学卒業後、大阪に出て長年教師を生業としてきた。この間「平和教育」や「人権教育」などを扱う場面で、同僚の多くが「イデオロギー」を通してしか発言しないことに違和感をもっていた。例えば平和教育はいつの間にか「国旗掲揚反対運動」になってしまった。あるときクラスの生徒に「私は国旗掲揚には賛成です」と話すと、在日韓国人の生徒が「先生僕も賛成です」と話しかけてきた。彼の家族はどのような過去をかかえてこの日本にやって来たのだろうか。
「木槿の国の学校」では、朝鮮で生まれ育った著者(上野瓏子氏)が、家庭の事情で一時内地の学校で教育を受け再び朝鮮の高等女学校に入り教師になる。幼少時代から教師として成長していく中で見聞きした戦前・戦後の朝鮮と日本の市井の人々の様子が語られている。重要なのは、イデオロギーや政治的主張にとらわれない一教師としての体験を「回想」していることである。本文の要所要所には編者の参考資料により客観的な時代の流れがわかるようになっており、1日で一気に読み終えてしまった。また、本文に登場する人々の姿をそのまま脚本化し映像化して多くの朝鮮や日本の若者たちに見てほしい内容である。きっと朝鮮版「二十四の瞳」や「少年時代」のような映画ができると思う。
「木槿の国の学校」では、朝鮮で生まれ育った著者(上野瓏子氏)が、家庭の事情で一時内地の学校で教育を受け再び朝鮮の高等女学校に入り教師になる。幼少時代から教師として成長していく中で見聞きした戦前・戦後の朝鮮と日本の市井の人々の様子が語られている。重要なのは、イデオロギーや政治的主張にとらわれない一教師としての体験を「回想」していることである。本文の要所要所には編者の参考資料により客観的な時代の流れがわかるようになっており、1日で一気に読み終えてしまった。また、本文に登場する人々の姿をそのまま脚本化し映像化して多くの朝鮮や日本の若者たちに見てほしい内容である。きっと朝鮮版「二十四の瞳」や「少年時代」のような映画ができると思う。
2016年10月21日に日本でレビュー済み
『木槿の国の学校』読後すぐに「この本はより多くの日本人、韓国・朝鮮の人々に読んでもらわなければならない」という思いがわき上がってきました。
解決の糸口は見えたものの従軍慰安婦や強制連行に関する韓国の日本に対する謝罪要求や竹島をめぐる一方的な主張などは、日本人として悲しく辛いものがあります。
そこまで、日本人は統治下の朝鮮の人々に対して非人道的な行いをしてきたのかという疑問が消えません。
そうした、日本人の切歯扼腕する思いは、近年少しずつ澱み変質してきて、逆に嫌韓という現象となって表れてきました。書店に並ぶ数多くの韓国否定本やヘイトスピーチなどがその表れです。これらは日本人にとって溜飲を下げる側面もありますが、恨みが恨みを呼ぶという情けない状況にあるといってよいでしょう。
さて、そんな日本と韓国との複雑な情勢の中、『木槿の国の学校』は、一小学校教師の回想録という形式で日本の朝鮮統治の有様が客観的に生き生きと描かれています。語り手である上野さんが関わった一人一人の言葉や、残された物から当時の様子が映像を見るかのように浮かんできます。そこには、イデオロギー的な偏りはなく、事実のみがもつ重さをもって私たちに強く訴えてくるのです。
今、日韓両国にとって必要なことは、事実を知ることに他なりません。最初に主張ありきで偏ったデータだけに頼った嫌韓本や日本叩き本ではなく、当時の日本人や朝鮮人がどのようなことを考えどのような行動をしていたかという事実を書いた書物に触れることがとても大切だと思います。『木槿の国の学校』は正にそのような本です。生死を賭けた戦場や、権謀術数渦巻く政治の話ではなく、無垢な子どもたちを教育する学校が舞台であることが、イデオロギーから解放される大きな要素でもあると思います。
日本は、ヨーロッパの植民地支配とは異なり、当時の朝鮮に多くの財を投入してインフラ整備や教育制度を整えた。これが事実だと思います。
そして、日本が敗戦することにより、韓国は自国の成り立ちを正当化するために日本を悪玉に仕立て上げた。そのため、親日派とされた人々は厳しい弾圧にあった。これも事実だと思います。
しかし、最も大切なことは、そうした日本の統治下に於いて、日本人と朝鮮人が強い差別意識なく互いに仲良く協力し合っていたという事実、これこそが多くの人々に知って欲しい事実です。76ページあたりから書かれている学校の様子には、「日本人が朝鮮人に対していばりちらしていた」という認識を覆す事実が生き生きと書かれています。
「教頭は朝鮮人だった」「朝鮮人と日本人は冗談を言い合うほど関係は良好だった」「朝鮮の南先生からは書籍を借りて女性の生き方を学んだ」「朝鮮語は禁じられておらず私も努めて朝鮮語を理解しようとした」など、その一方で「朝鮮人はお風呂にも入らないと朝鮮人を差別する考えを持つ日本人がいた」「朝鮮人である教頭は日本人を侮蔑する発言をし、この先生の前では発言に気をつけた」「朝鮮語は下品な言葉だから使わないようにと朝鮮の先生から釘を刺された」など、これまでのイデオロギーに偏った考え方を覆すような新しい事実が次々に語られています。本当に、驚かされることばかりです。
日本国内にも、日本が悪かったという考えに固執する人々、逆に日本は全く悪くはなく正しいことだけを行ったにすぎないという両極端の考えの人が存在します。最初に述べたように多くの日本人にこの本をよんでもらい事実を知って欲しいと思いました。
そして、できるならば、韓国の方々にもこの本を読んでもらい、事実を知って欲しいと願うところですがおそらくそれは無理な話だと思います。そうした意味では、韓国にも、自分たちが一方的に正しいと主張するだけでなく、異論を受け入れる、国としてのゆとりをもってもらいたいと切に望みます。
解決の糸口は見えたものの従軍慰安婦や強制連行に関する韓国の日本に対する謝罪要求や竹島をめぐる一方的な主張などは、日本人として悲しく辛いものがあります。
そこまで、日本人は統治下の朝鮮の人々に対して非人道的な行いをしてきたのかという疑問が消えません。
そうした、日本人の切歯扼腕する思いは、近年少しずつ澱み変質してきて、逆に嫌韓という現象となって表れてきました。書店に並ぶ数多くの韓国否定本やヘイトスピーチなどがその表れです。これらは日本人にとって溜飲を下げる側面もありますが、恨みが恨みを呼ぶという情けない状況にあるといってよいでしょう。
さて、そんな日本と韓国との複雑な情勢の中、『木槿の国の学校』は、一小学校教師の回想録という形式で日本の朝鮮統治の有様が客観的に生き生きと描かれています。語り手である上野さんが関わった一人一人の言葉や、残された物から当時の様子が映像を見るかのように浮かんできます。そこには、イデオロギー的な偏りはなく、事実のみがもつ重さをもって私たちに強く訴えてくるのです。
今、日韓両国にとって必要なことは、事実を知ることに他なりません。最初に主張ありきで偏ったデータだけに頼った嫌韓本や日本叩き本ではなく、当時の日本人や朝鮮人がどのようなことを考えどのような行動をしていたかという事実を書いた書物に触れることがとても大切だと思います。『木槿の国の学校』は正にそのような本です。生死を賭けた戦場や、権謀術数渦巻く政治の話ではなく、無垢な子どもたちを教育する学校が舞台であることが、イデオロギーから解放される大きな要素でもあると思います。
日本は、ヨーロッパの植民地支配とは異なり、当時の朝鮮に多くの財を投入してインフラ整備や教育制度を整えた。これが事実だと思います。
そして、日本が敗戦することにより、韓国は自国の成り立ちを正当化するために日本を悪玉に仕立て上げた。そのため、親日派とされた人々は厳しい弾圧にあった。これも事実だと思います。
しかし、最も大切なことは、そうした日本の統治下に於いて、日本人と朝鮮人が強い差別意識なく互いに仲良く協力し合っていたという事実、これこそが多くの人々に知って欲しい事実です。76ページあたりから書かれている学校の様子には、「日本人が朝鮮人に対していばりちらしていた」という認識を覆す事実が生き生きと書かれています。
「教頭は朝鮮人だった」「朝鮮人と日本人は冗談を言い合うほど関係は良好だった」「朝鮮の南先生からは書籍を借りて女性の生き方を学んだ」「朝鮮語は禁じられておらず私も努めて朝鮮語を理解しようとした」など、その一方で「朝鮮人はお風呂にも入らないと朝鮮人を差別する考えを持つ日本人がいた」「朝鮮人である教頭は日本人を侮蔑する発言をし、この先生の前では発言に気をつけた」「朝鮮語は下品な言葉だから使わないようにと朝鮮の先生から釘を刺された」など、これまでのイデオロギーに偏った考え方を覆すような新しい事実が次々に語られています。本当に、驚かされることばかりです。
日本国内にも、日本が悪かったという考えに固執する人々、逆に日本は全く悪くはなく正しいことだけを行ったにすぎないという両極端の考えの人が存在します。最初に述べたように多くの日本人にこの本をよんでもらい事実を知って欲しいと思いました。
そして、できるならば、韓国の方々にもこの本を読んでもらい、事実を知って欲しいと願うところですがおそらくそれは無理な話だと思います。そうした意味では、韓国にも、自分たちが一方的に正しいと主張するだけでなく、異論を受け入れる、国としてのゆとりをもってもらいたいと切に望みます。
2017年3月7日に日本でレビュー済み
どのようなことにも両面があり、その光と影がある。本書は、苦労もあれば懐かしい良い思い出もある回想録である。
著者は、97歳。かつて日本統治下の朝鮮の小学校の教師として1939年から終戦まで朝鮮で暮らした。
日本は朝鮮に限らず、当時の国力からすれば過剰なほどの税金をつぎ込んで、統治下の国々のインフラ整備をした。その土地の人のための学校、病院を建て産業を興し、生活の向上を図ったが、これは、欧米の白人統治下の植民地では決してなかったことだった。
だからと言って、日本の歴史のすべてを美化するつもりは微塵もない。異民族の支配による負の面があることも否定はしない。
だが、本書によれば、日韓併合前約100校だった小学校は、昭和18年には官立公立合わせて約4300校の急増。朝鮮人児童の学費は安く抑えられていたそうだ。又日本は高等教育にも力を入れ、大正13年に創設された「京城帝国大学」は、大阪、名古屋帝大よりも早い。大正時代には、朝鮮児童たちのために朝鮮の偉人を讃える唱歌まで作った。こんな優しい統治者は世界中探しても、ほかにいない!優しいを通り越して、お人よしと言っても過言ではない。
戦後、著者がなつかしい韓国を再訪した時、案内役の韓国人教育者(日本時代、朝鮮の師範学校教員だった人)は、「日本のお陰で韓国に学校教育の土台ができて、国を支える人材が育成も継続された」と感謝したという。このような人もいるのである。
しかし、それはそれ、残念なことだが韓国では、戦後の反日教育方針から日本の統治の影ばかりが強調され、光の部分が語られてこなかった。すでに日本統治時代は遠く、日韓の良い関係など夢のまた夢!日韓合意で日本が10億円支払った後も韓国は約束を守らず、世界中に「×××像」を増設し続けている。
また、戦後多額に及ぶ日本のODAによる各種インフラ整備・技術協力は、東南アジア中東アフリカ南米の世界の途上国各国から感謝されているが、韓国内では適切にODAの内容が報道もされず、反日教育された国民からは感謝もされていない。
日本は、もはや韓国に敢えて近寄らず、よりよい関係のために適切な距離こそ必要ではないだろうか…。
著者は、97歳。かつて日本統治下の朝鮮の小学校の教師として1939年から終戦まで朝鮮で暮らした。
日本は朝鮮に限らず、当時の国力からすれば過剰なほどの税金をつぎ込んで、統治下の国々のインフラ整備をした。その土地の人のための学校、病院を建て産業を興し、生活の向上を図ったが、これは、欧米の白人統治下の植民地では決してなかったことだった。
だからと言って、日本の歴史のすべてを美化するつもりは微塵もない。異民族の支配による負の面があることも否定はしない。
だが、本書によれば、日韓併合前約100校だった小学校は、昭和18年には官立公立合わせて約4300校の急増。朝鮮人児童の学費は安く抑えられていたそうだ。又日本は高等教育にも力を入れ、大正13年に創設された「京城帝国大学」は、大阪、名古屋帝大よりも早い。大正時代には、朝鮮児童たちのために朝鮮の偉人を讃える唱歌まで作った。こんな優しい統治者は世界中探しても、ほかにいない!優しいを通り越して、お人よしと言っても過言ではない。
戦後、著者がなつかしい韓国を再訪した時、案内役の韓国人教育者(日本時代、朝鮮の師範学校教員だった人)は、「日本のお陰で韓国に学校教育の土台ができて、国を支える人材が育成も継続された」と感謝したという。このような人もいるのである。
しかし、それはそれ、残念なことだが韓国では、戦後の反日教育方針から日本の統治の影ばかりが強調され、光の部分が語られてこなかった。すでに日本統治時代は遠く、日韓の良い関係など夢のまた夢!日韓合意で日本が10億円支払った後も韓国は約束を守らず、世界中に「×××像」を増設し続けている。
また、戦後多額に及ぶ日本のODAによる各種インフラ整備・技術協力は、東南アジア中東アフリカ南米の世界の途上国各国から感謝されているが、韓国内では適切にODAの内容が報道もされず、反日教育された国民からは感謝もされていない。
日本は、もはや韓国に敢えて近寄らず、よりよい関係のために適切な距離こそ必要ではないだろうか…。