青函トンネルは2000(平成12)年3月に、開業12周年を迎えた。開業初年度の1988(昭和63)年に306万人を数えた旅客数も、1999(平成11)年には150万人を割るまでに至っている。青函トンネルの保守点検費や電気代などのコストは年間10億円かかっている。その上、今後の改修費は1100億円を越すと見積もられており、JR北海道にとって重い足かせになりつつある。
青函トンネルの構想は戦前からあったが具体化せず、空襲によって青函連絡船に大被害が出た後の1946(昭和21)年に、初めて地質調査が行われた。53年8月、鉄道敷設法予定線に組み込まれ、津軽海峡の水深調査が始められた。1964(昭和29)年9月、洞爺丸事件が起き、1430人が死亡したことにより、建設計画が具体化した。1964年5月、北海道側で斜坑掘削が開始され、1967年3月、先進導坑の掘削が始まった。1971(昭和46)年11月、新幹線断面の本工事起工式が北海道側で行われた。76年5月に異常出水があり、青函トンネルは水没の危機に瀕したが、工事関係者の努力によって克服し、1983(昭和58)年1月、ついに先進導坑が貫通した。