オシムさんじゃないと選ばれないだろうと思っていた……羽生直剛を今も苦しめる日本代表の記憶

有名サッカー関係者にさまざまなエピソードを伺うこのインタビューシリーズ。今回はジェフ千葉の羽生直剛さんに登場していただきました。オシム監督時代のジェフ千葉で頭角を現し、オシム氏が率いた日本代表ではトップ下としてダイナミックなプレーを見せていたことを覚えているサッカーファンは多いでしょう。そんな羽生さんにオシムJAPANの記憶や自身のプレーについて振り返っていただきました。 (千葉駅・蘇我のグルメランチ

オシムさんじゃないと選ばれないだろうと思っていた……羽生直剛を今も苦しめる日本代表の記憶

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2000年、2004年とアジアカップを連覇していた日本は

イビチャ・オシムさんに率いられて2007年の大会に臨むことになった。

だが準決勝でサウジアラビアの後塵を拝し

3位決定戦で韓国と対戦することになる。

 

試合はスコアレスドローのまま120分間を終え

PK戦は5人ずつ終えて誰も失敗しなかった。

そして運命の6人目、羽生直剛の蹴ったボールはGKに弾かれてしまう。

試合後、羽生は真っ青な顔をしていたが逃げることなく報道陣に対応していた。

 

PK失敗が羽生に大きな傷になっていたことは

あのとき傍から見ていてよくわかった。

あのときから10年が経った。

そろそろあの話が出来るようになっているのではないか。

 

だが「アジアカップの話を」と切り出したとき、

羽生の顔は悲しみと苦しみで大きくゆがんだ。

それからしばらくして、いつもの表情に戻ると

羽生はあのときの苦しみの理由をゆっくりと話はじめた。

 

 

アジアカップがサッカー人生のどん底でした

いや、まぁ、もう自分のサッカー人生には切っても切れないものだったと思うけど、あんまり振り返りたくもないですね、正直。なんか、もう。終わり方が……そうですね。あのとき、どん底でしたね。自分の中で。サッカー人生の中で。

 

2006年、日本代表にイビチャ・オシムさんが就任して、その練習が効率よく回るっていう意味で、ジェフで指導を受けていた自分が呼ばれたというのもあったと思います。けど、僕、少なくとも僕は、代表って……オレ……オレが行くべきとこじゃないと思ってたし、選ばれたときに純粋にうれしいって気持ちはなかったですね。責任感というか、オレが代表選手でいいのかとか、そういう思いが強かったですね……。

 

ジーコ監督のとき、日本代表候補選手の50人ぐらいの枠に入ったときは純粋にうれしかったんですよ。だけど、オシム代表監督になって呼んでもらって……。もちろん感謝してるし、今あるのはオシムさんのおかげだし。ジェフの監督だったときから、「お前もっと上を見ろ」「もっと野心を持て」「なんでお前はそこで満足してるんだ」ってずっと言われてたから。「なんでお前ら代表に行こうと思わないんだ?」とかも言われてて、代表監督になったとき、ジェフの選手を連れて行ってくれたというか……。

 

そういう感覚なんですよ。だから……気持ちのいい、こう……すべてがこう……受け入れていい、うれしさとはまた自分の中では違ったし。だから、常に余裕がない状態で練習をやっていて、代表を楽しむなんて思いもなかったし。「とにかくやらなきゃ」「オレがここで何もできなかったらオシムさんにも失礼だし、日本を……背負って立つなんて……オレが……。もっとやんなきゃ、もっと」という気持ちで日々過ごしてたから。それで結果、ああいうふうになったから。

 

自分の力なさ加減と、ショックは……やっぱり大きかったですね。オシムさんが「今でも羽生は泣いているのか」と言っている記事を読んだことがあって、「今でも結構泣いてるんだよな」って。そういう思いのほうが強いんです。日本代表になったことは、もちろんうれしかったし、光栄なことだったんですけど。今「元日本代表」と言われることとか、周りの人からは「そうやって箔が付いてていいですね」って言われるし、他の選手に比べると幸せだと本当に思うけど、自分の中で「オレ、代表だったんだぜ」という気持ちにはまったくならないですね。

 

2001年に北京で開催されたユニバーシアード大会で優勝したし、決勝の決勝ゴールを挙げましたけど、でも、あれは全然違って。ホント、全然違いますよ。みんな同じ世代だし、別にお金がかかってるわけでもないし、みんな同じ境遇で大学生で、学生の友達みたいな集まりだし。じゃあ優勝したからどうだ、負けたからなんだ、というのはないし。何かやったときに、そんな騒がれるわけでもなく、叩かれるわけでもなく。そこは純粋にみんなとそこにいられることが楽しいと思って。もちろん監督が、しかも縁もゆかりものない監督が選んでくれて、一つのピースとして当てはめてくれたので、そこに楽しさとか充実感もありました。ただ勝ってよかったと思いますけど、仮にあそこで負けても今何もそんなにないんじゃないですか。

 

ジェフでやるときは楽しかったし、メンバーで何か成し遂げようと思えたてました。あのチームを作ってくれたオシムさんにも感謝してます。もしあのチームをオシムさんじゃない代表監督が見て、「ジェフがいいサッカーをしていて、コイツとコイツがいいぞ」って思ってくれて選ばれて、そこで「羽生、行ってこい」というんだったらすっと入ってくるけど。オシムさんが代表監督になったときは、ある意味、僕を引っ張り上げてくれたと言うか、代表に連れて行ってくれることで、オシムチルドレンとか言われて入っていくことに、少し僕は違和感がありましたね。オシムさんじゃないと選ばれないだろうと自分で思っていましたからね。

 

代表で何をしたって、自分でも別に何をしたわけでもないと思うし、ホント、半々です。気持ち的には。オシムさんに感謝してるし、経験できたことは間違いなく人生のプラスだったけど、どん底を味わった場所でもあるから……。そういうのは複雑に……交差する感じですね。

 

どうしても自分の思いを少し抑えてしまう

代表チームはいつも緊張の場でしたね。リラックスできる時間なんてなくて。自分は、その……エリート中のエリートというわけじゃないし、一緒にやるのはテレビで見てた人、海外でプレーしている人、それこそ(中村)俊輔さんや、高原(直泰)が来てとか。なんか、そんな人たちとやれるレベルじゃないと思ってたから。それが自分の弱さでもあると思うんですけどね。そこでもっとプラスで考えて、この人たちを抜かなきゃとか、この人たちと競り合おうとか、もっと上に、と言えないのが自分のメンタル、人間的な弱さでした。優しすぎるとか。

 

それは今でも同じだと思いますね。もっと主張しなきゃいけないとか、いい意味で偉そうにしなきゃいけなかったり、そういうのをやんなきゃいけないと思います。今、ジェフに帰ってきてもっと引っ張らなきゃいけないとか、もっと若手としゃべってあげて「それは違う」とか若い選手に言ってあげなきゃいけないというのが自分の課題でもあると思いますけどね。でも、どうしても自分の思いを少し抑えてとなってしまうというか……。

 

FC東京のときは、長くいればいるほど、そういうのもできるようになったし、今FC東京の選手と話したりすると、「いなくなって存在の大きさをわかりました」って言ってくれたヤツもいるから、少なからずそうやって何かを伝えていけたのかなと思ったりもしますよ。でも、そう思う反面、もっと強く主張して、もっと強く言えればもっと変わったかもしれないとも思うし。自分のそういう弱さみたいなのは歳を取れば取るほど、痛感します。

 

……でもね、オレはこうやってここまできたから、という思いもあって。

 

たとえば代表を背負うことをオレはすごい重く感じたし、今でもそう思ってて。そしてその責任感みたいなのもすごく大事にしてきたつもりだから。何をするのにも甘く見ないというか、そういうのはすごく敏感にしているというか。口先だけにならなかったり、やると決めたことに対して責任持って最後までやり遂げようとすることを重視してきたし、それでここまで来ちゃったので。ある意味ずっと危機感をずっと持ちながらやることを決めているというか、危機感をモチベーションに変えるというか。

 

オレはいつも切羽詰まってる、ヤバイと思ってやることで、「だから今ココでやらなきゃいけない」というように気持ちを変えていくんです。「どうにかなるでしょ」「楽しめばいいでしょ」みたいなのはダメで。選手で「こうやって海外行ってどうこうしてやる」とかそんな話をするのがいて、もちろんそれを言うのはすごいと思うけど、それで口だけになっている選手を見ていると、オレはそうはなりたくないと思うし。

 

もっと主張しなきゃいけない、強いコミュニケーション取らなければいけないと思う反面、自分はこうやってやってきた、オレはここでこうやって来たという面も自負するところはあるから。まぁだけど、海外に行こうという選手も多いし、海外から代表になる選手もいるし、そういう選手は海外に行くだけじゃなくて、行ってから勝ち取っていかなきゃいけないこともあるだろうと思います。待ってても順番が回ってくるわけじゃないから、自分を出していける人が海外で成功すると思うから。そんな人が初めて代表に選ばれたっていうときには、奪い取っていなかければいけないというメンタリティがすごく強いと思うんですよ。

 

でも僕とかは、ここで足引っ張っちゃいけないというか、ここでやんなきゃいけないというか、どうにかして期待に応えなければいけないとか、そういうことのほうが強いから。それがプラスに出る試合もあればマイナスに出る試合も多いんじゃないかなって。それは代表だけじゃなくて、今までのサッカー人生で。もっと若かったときかな、特に。

 

 

 

PKを蹴るのはたぶんコーチが決めたんだと思います。コーチは多分、僕が蹴りたくないと思っていなかったんでしょうね。PKは昔から苦手でしたけどね(笑)。

 

PKもそうだし、その試合、めっちゃ外しまくったから。そっちのほうも気にしてましたね。そのチャンスに決めてればPKなかったし。そこまでのパフォーマンスが悪すぎてというか、外しまくってての、オレが決めてればこの試合が終わってたんだという思いを持ってペナルティスポットに行ったから。それで外したから、オレが全部ぶちこわしたんだなって。思うって言うか……そうすね……そういう感じですね。

 

今でもバンちゃん(播戸竜二)なんかはいじってくるんですけどね(笑)。(鈴木)啓太とかのLINEグループに入ってるんですけど、「啓太の引退試合にお前来いよ。PKお前蹴れよ」みたいな。そんなの言ってくるから。みんなは「そこまで気にしてないでしょ」って思ってるんでしょうね。オレももしそういう人が周りにいたらそう言うけど、自分のことだとやっぱりね……。

 

試合後に記者に囲まれたとき「蹴りたくなかった」と言って、そこからバッシングされたのは……まぁそうですね、でもどうなんですかね。まぁあの言葉には前後があって「苦手だし蹴りたくなかった面もある」みたいな事を言ったのを、そこだけを取ってああいうことになったんですけど……。

 

ブラジルの選手とかでもPK戦になったら蹴らないヤツがいるじゃないですか。ああいうの見ると、そこはメディアの人って難しいんだなって。ネタにしなきゃいけないし、読んでもらえるようにというか。でも、そこは別に辛くなかったというか、「そうやって言われちゃうんだ。まぁオレが悪いんだな」って思えたので。もちろんショックだったし、「そこだけ切り取られるんだ」とは思いましたけど、まぁ、周りの人とかも「オレも蹴りたくねぇな」とか言ってくれる人もいたから。そこはあんまりね、傷つかなかったんです。

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代表から外れて…今思えば少しホッとしていた

代表で充実してたことはないですね。もちろんじゃあ練習が終わった後、誰とかと話したとかは楽しかった……いい経験になったというか、いろんな選手と話せるようになって、話してみて、楽しいと思うことはあったけど、自分のサッカーで楽しくできたという感覚は正直あまりないですね。余計にかけちゃったんでしょうね、プレッシャーを自分に。だからダメなんでしょうね(笑)。

 

だけど代表に行った後にクラブに帰ってくると、やっぱりちょっと肩の力が抜けてサッカーができるとか。だから日本のクラブを相手にしたとき、少し余裕があるみたいな。だからこう、やりやすさを感じるようになりました。プレッシャーのレベルで言えば、ちょっと下がるし、外からの圧力とか背負わなければいけないものも少し下がる。もちろんサポーターの人はいるけど、自分のプレーを100パーセント理解してくれている人が周りにいて、サポーターの人もいて、そういう中でやるのはやりやすいなぁって思うというか。

 

代表に選ばれなくなって……うーん、そうですね……。そんなショックじゃなかったんでしょうね。今思えば。少しホッとしていたんじゃないですかね。結果残せなかったというのもあるし、オレなんかが行く場所じゃないってずっと思ってきてやってたから、それでオシムさんだから入ってたけど、岡田武史監督に代わって外れたのは普通というか。そうオレは思っちゃいましたね。

 

もちろんその中で成長しようとは思っていました。だけど代表から外れたからどうだというより、もっと自分が上手くなりたいとか、もっと自分が本当にいい選手になったら呼ばれたいと思っていたと思います。日本代表は結果の出せない人がいる場所じゃないし、そこはどんどん結果が残せる人が入ってく場所だから、当たり前だと思っていました。

 

「1点でも取れていたらなぁ」というのはありますね。何かチームに貢献したという試合があまりなかったから。でもチャンスは来てたんでね。そうですね……まぁチャンス……決めてればね、変わってましたね。たぶんね。多少ね。まぁでもまぁ。

 

それでもね、今はそういう経験ができて、何と言うかな、そういう苦しみを味わえたことを今後に生かすだけというか。そういうふうにしか思ってないから。あの経験があったからこそ人と話すときに、より厳しく話せるかもしれないし、より優しく話せるかもしれないし。うーん、運命じゃないけど、それは何かの意味があってこうなったんだって思ってるから。

 

ああなった理由は何なのだろうと思ったり、なんで起こったのかって考えながら、サッカーしていくというのか、またこう……またこう成長していけるというか。そういう意識ですかね。それで自分の弱さはこれだとか、だからこうなったんだっていうのもわかって。

もし1点とか2点とか決めてちょっと有頂天になって、自分のミスっていうのがあまり浮き彫りにならなくて、そのまま流れちゃったかもしれなないじゃないですか。何となくアジアカップで活躍して、次の年オシムさんが倒れちゃったら代表を外れてしまったというときに、逆にこう、そのまま時間が過ぎちゃうというか。

 

もしあの経験が何もなかったとしたら、こういう話もできなかったし(苦笑)、自分の心に深く刻まれたものもなかったかもしれない。あれがあったからこそ、いろいろなことを考えたり、学んだり、こうして話が出来るきっかけを得られたんだと思います。そういう機会をオシムさんに与えてもらった、体験させてもらったと思うしかないし。

 

まぁ、自分の中でのそういう糧にできたと思うし、オレみたいなヤツがいれば違うようなヤツもいるっていう、そういう考えができたし。そういう意味ではすごい経験したなぁと思いますよ。

 

もしも代表に選ばれてなかったら、全然違ってたんじゃないですか、それは。代表に入ったからここまでやってこられたというのがあるんじゃないですかね。自分のサッカー人生の中で大きな失敗があったから、ここまで来られたと思ってるし。

 

あのミスがあったから、だからこのままじゃ終われない、何か成し遂げてからやめたいというのを持ってるのかもしれないし。ちょっと成功して、みんなからチヤホヤされてたら、もっと早く「もういいや」って思ったかもしれないし。でもなんかこう、どっかもう一回、帳消しにしたいじゃないけど、あそこにいた意味だったり、そっから成長したことをもう一回示したいという気持ちもあって。だからこの歳になってまだやろうと思ってるのかなって。

 

……でもまぁね、あそこで決めて優勝したほうがよかったですよ(笑)。

 

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グルメで最初に入れる検索キーワードは「オシャレ」

アジアカップでベトナムにいたときは、みんなフォー食べてました。フォーしか食ってなかった。ヤット(遠藤保仁)とかと、上手い食い方はどうだ、何を入れるといいかって試してました。あのときの食べ物の思い出ってそれだけですね。

 

あれから10年経って、今は脂身とか食べないようにしています。昔は食べてましたけど。何も気にしないで食べてました(笑)。それでもまぁバランスよく食べるってことだけは気を付けてましたね。

 

サラダ食べて汁物飲んで、肉や魚とご飯食って。それからフルーツ食べようって。あとはその日のトレーニングの負荷と自分の感覚を大事に、たとえばちょっと体重が増えたとか、今日の練習キツかったと思ったら筋破壊がたくさん起こっているんだからタンパク質を多めに食べようとか。そして試合の前は逆に炭水化物を多めにとか、そんな当たり前のことですよ。でも休みの前は結構好きなの食べちゃうんです。そしてそこで好きなのを食べちゃうから、週が始まったら節制しようと思えるから。

 

好きなのは餃子ですね。野菜も肉も入っているし。というか餃子みんな好きなんです。上手く焼いてくれれば餃子はみんな好きです。だから特別に餃子が美味しい店を知らないんですよ、逆に。

 

あとは和食好きなんですけど、検索キーワードに最初に入れるのは「オシャレ」なんです。ゴミゴミしてない、席が広いのが好きで、写真なんか見て、安そうだと思ったところに行くのが多いですかね。まぁ「オシャレ」「餃子」と一緒に入れることはないですかね(笑)。

 

お勧めの店を紹介しろって言われても……どうしても紹介しなければいけないんだったら、西荻窪にあるイタリア料理の店なんですけど、名前は出したくないです。昔はすいてたんですよ。で、そのときに行ってピザを食べたらめっちゃうまかったんです。

 

そんなとき、オレは純粋においしいと思うんだけど、嫁は「あんまり人がいないのって何か問題があるんじゃない?」って。でも今すごく混むようになっちゃって。そうしたらもう予約とか土日は入りにくくなって。すいてるときにもっと行けばよかったなって。そしてここで名前を明かすと、よけい混んじゃうじゃないですか。そこまでオシャレじゃないかもしれないけど、雰囲気がいいんですよ。釜もあって。マルゲリータすごいおいしいですよ。ぐるなびだったら掲載されてると思いますよ。探してみてくださいね。

 

 

 

羽生直剛 プロフィール

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筑波大学を卒業後、2002年にジェフユナイテッド市原入団。2006年にはオシム監督率いる日本代表にも選出。アジアカップ2007では3位決定戦の韓国戦でPK戦で失敗し4位となった。JリーグではFC東京などを経て2017年から再び千葉でプレーしている。

1979年生まれ、千葉県出身。

 

 

 

 

 

取材・文:森雅史(もり・まさふみ)

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佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本サッカー協会公認C級コーチライセンス保有、日本蹴球合同会社代表。

 

 

 

 

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