総 説

南中国の鳥インフルエンザ事情

塚本健司1)†    守野 繁2)

1)(独)農業技術研究機構動物衛生研究所(〒305-0856 つくば市観音台3-1-5)
2)農林水産省動物検疫所(〒235-0008 横浜市磯子区原町11-1)

Recent Status of Avian Influenza in Southern China
Kenji Tsukamoto1)*† and Shigeru Morino2)

1)National Institute of Animal Health, 3-1-5 Kannondai, Tsukuba 305-0856
2)Animal Quarantine Service, 11-1 Hara-machi, Isoko-ku, Yokohama 235-0008

I.は じ め に
 1997年までは,一般には鳥インフルエンザウイルスが人に直接感染して,重症化することはないと考えられていたが,この年に香港で18人が高病原性鳥インフルエンザウイルス(H5N1)に感染し,6人が死亡した.このニュースで世界が混乱する中,香港政府は汚染源と考えられた全家禽類140万羽を処分して徹底的な防疫に努めた.その結果,新たな感染はなくなり,このウイルスは撲滅された.ところが,その親株の汚染が鶏で広まる様相を見せている.2001年,2002年になって,香港で高病原性鳥インフルエンザが発生し,それぞれ120万羽,90万羽が処分され,2003年にも小規模の発生があった.さらに,2003年2月福建省に旅行した香港の家族4人がH5ウイルスに感染し2人が死亡する2度目の感染が起きた.南中国の高病原性鳥インフルエンザウイルスは,人の新型インフルエンザとしても注目されており,徹底的な原因究明と疫学調査が行われている.1997年以降の南中国の鳥インフルエンザ事情をまとめた.
 
II.香港における高病原性鳥インフルエンザの発生
   本病は1997年以降香港で4度発生している.その概要を紹介する.
1.1997年の発生
   香港北部の新界地区は中国本土に面した山村地帯で,1997年5月にここの養鶏場でH5ウイルスによる高病原性鳥インフルエンザが発生した[24].同じ時期に,5歳の男子が肺炎と多臓器不全で死亡した.8月にその患者からこれまで人に感染したことのないH5亜型のウイルスが分離され,人に病原性が強い可能性が示唆された.幸い,ウイルスの遺伝子断片はすべてトリ型で,人でただちに大流行する可能性は低かった[21].
 11月〜12月になって,H5ウイルスが生鳥マーケットの家禽類でふたたび分離されるようになり,同じ頃に17名感染して5名が死亡した[24].感染者は生鳥マーケットで鶏と接触したか,生鳥マーケットの近くに住んでいたことから,H5ウイルスが鳥から人へ直接感染した可能性が指摘された.鳥感染を絶たなければ,人感染者が増えるばかりか,人で大流行するウイルスに変異する可能性があった.
 香港政府は,12月24日以降中国本土から家禽類を輸入することを禁止し,12月29日から全家禽類の処分を開始したところ,人感染も終息し,感染源は鶏と確認された.淘汰前の生鳥マーケットのH5ウイルス保有率はアヒル2.4%,ガチョウ2.5%,鶏19.5%であり,1980年頃(それぞれ0.25%,0.07%,0%)と比較べ高率であったことが確認されている[23].
 遺伝子解析:1997年に患者から分離された株と鶏から分離された株はともに高病原性株で,両者は高い相同性(99%以上)を示した[2, 20, 21, 28].そのHA遺伝子は1996年に広東省の農場で死亡したガチョウから分離されたH5ウイルス(Gd/96株)[27]と近縁で,NA遺伝子は香港のカモから分離された株[Teal/W312/97(H6N1)][11]に類似していた,また,他の内部遺伝子(M,NP,NS,PA,PB1,PB2)は香港で分離されたカモのH6ウイルス[Teal/W312/97(H6N1)]又はウズラのH9ウイルス[Quail/G1/97(H9N2)]に近かった[3, 5, 6, 7, 11].これらのことから,1997年のウイルスは3種類のウイルスが生鳥マーケットで出合い,遺伝子交雑を起こして誕生したと考えられている[12, 22].
 病原性:18名の感染者は多臓器不全を示す重症の患者から軽い呼吸器症状を示す患者まで,その症状は多様であった.分離ウイルスはいずれの株もマウスに高い病原性を示したが,その程度には違いがあり,ウイルス1個でマウスを殺す病原性の大変強い株と,1000個以上なければ殺さない株に分かれた.これまでの高病原性ウイルスはマウスを殺すのに約100万個以上必要なことから,1997年のウイルスはマウス病原性が高いこと,人病原性はマウス試験である程度推定できることが明らかになった[4].また,マウス病原性は複数の遺伝子によって規定されているが,中でもPB2蛋白質の627番目のリジンが重要なことが分かった[10].
 鳥類では鶏・ウズラは高率に死亡し,ガチョウとエミュ―は神経症状を示し髄膜脳炎・心筋炎・膵炎になるが,アヒルとハトは無症状であった[17].
2.2001年の発生
   香港大学は1998年から,広東省から香港の水禽類卸売市場に輸入されてくるガチョウ・アヒルについて,定期的にウイルス調査を実施している.1999〜2000年になってこれらの水禽類からH5ウイルスが分離されるようになった.そのウイルスはH5ウイルス(Gd/96株)と未知の水禽類のウイルスが遺伝子交雑して生まれた新しい遺伝子型であった(遺伝子型BおよびC).この水禽類は卸売市場で肉処理されてから販売されるために鶏の汚染源にはなりにくい.
 ところが,2001年になって,生鳥マーケットの陸生家禽からもH5ウイルスが分離され始めた[9].1月に1株,4月に11株が分離された.4月の時点では死亡は目立たなかったが,5月中頃になって急に増加し始めた.香港政府は個別では対応できずに,生鳥マーケットの家禽類と,まだ感染がなかった養鶏場の家禽類(120万羽)をすべて処分した.
 遺伝子解析:1997年の分離株は単一の遺伝子型であったのに対して,2001年の分離株は5つの遺伝子型に分かれていた(A,B,C,D,E)[9](図1).最初に生鳥マーケットで分離されたウイルスは遺伝子型Cで,続いて遺伝子型D,B,Eが現れ,最後に遺伝子型Aが高率に分離されるようになった.遺伝子型Aの出現と死亡率の増加時期が一致していた.
 ウイルスが生鳥マーケットを汚染していた2カ月間に,遺伝子型Cが香港を汚染していたH9ウイルスと遺伝子交雑を起こして,遺伝子型Dが誕生したことも分かった[9](図1).幸いにも,哺乳類に親和性のウイルスとの遺伝子交雑は起こらなかった.
 病原性:分離株は鶏,ウズラ,マウスに対して,1999年のガチョウ株よりも強い病原性を有していた[9](表1).中でも,遺伝子型A,B,Eは鶏を1日で死亡させるほど病原性が強かった.また,遺伝子型A,Cは,分離株の中ではマウス病原性が高いが,1997年のヒト株ほどではない.

 

南中国の鳥インフルエンザ事情

図1 香港で分離されたH5ウイルスの進化(文献[9]に2002年の分離株を追加したもの)
 


 
3.2002年の発生
   2002年の発生報告については,香港特別行政府のホームページに詳細に報告された.残念ながら,今はそれをみることはできないが,その概要を紹介したい.
 H5ウイルスは2月に養鶏場で発生する前に,1月9〜16日にかけて生鳥マーケットで分離されていた.養鶏場の最初の発生は2月1日であり,その後2月末までに22養鶏場に派生し,4月にも2養鶏場で確認された.処分羽数は90万羽に達した.
 この発生で注意すべきことは,ウイルスの遺伝子型が同じでも,死亡率が鶏群によって大きく違う点である.死亡率が2日間で26%の養鶏場もあれば,18日間で0.6%と低い養鶏場もあり,典型的な発症・死亡が見られなかった養鶏場では発見が遅れた.
 疫学分析から,中国本土から輸入されてくる陸生家禽類を介して,ウイルスが香港の生鳥マーケットへ持ち込まれたとすれば,その時期は12月中旬から1月初旬と推定されている.また,生鳥マーケットから養鶏場にウイルスが5〜6度にわたって持ち込まれ,その後,人や物資の移動を介して近隣の養鶏場に広まったと考えられている.
 また,鶏卸売市場を経ずに,闇で生鳥マーケットへ鶏を直接出荷していた農場もあった.消毒が不十分なこのルートを遡って,ウイルスが養鶏場に持ち込まれた可能性も考えられる.
 遺伝子解析:生鳥マーケットで分離されたH5ウイルスの遺伝子型は6種類(X,X1,X2,X3,B,Z)で,養鶏場で分離された3種類(Z型:13養鶏場,Z1型:8養鶏場,X型:1養鶏場)と合わせれば,一度に7種類の遺伝子型が流行したことになる(図1).また,2001年流行株の中で,2002年にも流行したものは遺伝子型Bのみで,多くは新しく確認された遺伝子型であった.
 病原性:詳細は未公表.
 
4.2003年の発生
   2002年12月初旬,公園の死亡水禽類からH5ウイルスが分離されてから,12月下旬には生鳥マーケットと養鶏場にも感染が広がり,2003年1月までに約3万羽が処分された.
 一方,2003年1月に,福建省に帰省していた香港の家族がH5ウイルスによると思われる肺炎になり,母親と男の子は回復したが,父親と女の子は死亡した.その後,男の子と香港の病院で死亡した父親からH5ウイルスが分離され,1997年以来2度目の人感染例となった.この家族は福建省で鶏と接触したことが分かっている.ウイルスの遺伝子断片はすべて鳥型であったことから,人―人感染の可能性は差し迫った脅威ではないものの,詳細な検討が求められている.この発生を受けて,日本の厚生労働省は人用H5ワクチンの開発に着手した.
 遺伝子解析:詳細は未公表.
 病原性:詳細は未公表.