お菓子の歩み (明治末期迄)

【 原始時代 】

年号(年) 西暦(年) 記事
    古能実、久多毛能(果実)を主食の一部として食す。(桃、柿、梨、栗など)
農耕に依り五穀(米、麦、粟、稗、豆)を産し、且つ此れ等を加工す。(米の粉、麦の粉、豆の粉、糒(ほしい)甘葛煎(あまずら)、甘草、飴(たがね)を甘味料として用ふ。
垂仁 90 61 田道間守勅を受け「非時香菓」(トキジクノカグノコノミ)を常世国に求め行く。
景行 元 71 橘を得て帰りたるも帝の崩後なりし為陵前にて食を断ち殉死す。
(菓祖神)

【 大和時代 】

欽明 13 552 仏教伝来す
大宝 元 701 大膳職に主菓餅二人を置く。(大宝令) (掌二菓子一、造二雑餅一) 菓子・・・木果子
雑餅・・・糠米、硬米、黍、大麦、小豆、豆、胡麻、玉蜀黍を以って餅を作り、更に之に草の芽嫩、草の根、木の実を入れる。

【 奈良時代 】

和銅 3 710 平城京遷都
太平 9 737 但馬国より阿米(飴)を壇料として献ず。(東大寺正倉院文書)
太平勝宝 4 752 大仏開眼
同 6 754 唐僧鑑真和上、庶糖五百斤余、甘庶八十束持ち来る。(東大寺献物帳)
太平宝字 3 759 海南島より砂糖来る。(東大寺献物帳)
同大事の普照法師の奏に依り、橘樹を畿内七道に植ゆ。(官符)

【 平安時代 】

延暦 13 794 平安京遷都
弘仁 6 815 近江崇福寺僧永忠、天皇行幸に際し茶を煎じ奉る。(日本後記)
此の頃より唐菓子の輸入次第に増す。
八種(バイシ、テンセイ、トウシ、ヒチラ、カツコ、ツイシ、ケイシン、ダンキ)
十四種の菓餅(ブト、ヘイタン、マガリ、トウトン、カクナワ、ギョケイ、ムキカタ、ツバイモチ、ムキナワ、ヘイコウ、ツズク、コメ、コントン、イリモチ)
雑餅として、大餅(祭祀料)、小餅(吉例用)、薄餅、赤餅、白餅、黒餅等多く用ひらる。
玄猪餅・・・大豆、小豆、大角豆、胡麻、栗、柿、甘味(七種にて作る) 鏡餅、千載餅、三日夜餅
天安 元 857 麦の粉製”青ざし”作らる。(枕草子)
延長 5 927 延喜式完成す。
延喜式大膳職菓子原料 糠糒、栗糒、糖、大豆、小豆、荏子、胡麻、味噌、塩、甘葛煎、栗、薯蕷、梨、桃、柑子、柚、橘、米粉、麦粉、熬大豆粉、小豆粉、焼米、大饗、大臣大饗盛んなり 唐菓子、木菓子、雑餅、料理の一部として使用さる。

【 鎌倉時代 】

建久 2 1191 栄西宋より帰り、肥前及博多に茶子を植ゆ。
同 3 1192 源頼朝幕府を創設す。明恵上人茶子を深瀬、宇治等に移植す。
禅宗勃興と共に”点心”の風興る。羹、メン(饂飩、索メン類)を用ふ。
仁冶 2 1241 幕府”風流菓子”を禁じ倹素を強ふ。(吾妻鏡)
延元元 1336 後醍醐天皇吉野へ遷幸さる。
興国 2 1341 林浄因帰化し、饅頭の製法を伝ふ。(奈良饅頭)
正平 14 1359 浄因次子祐天惟祐京都に移る。 ”庭訓往来”出版さる。

【 室町時代 】

正平 23 1368 義満室町幕府を開設す。
応永 30 1423 一条兼良”公家根元”出版さる。 ”海人藻芥”出版さる。
文安 元 1241 幕府”風流菓子”を禁じ倹素を強ふ。(吾妻鏡)
延元元 1467 応仁の乱起る。東山文化隆盛。喫茶の法成る。
文明 1469-86 ”尺素往来”出版さる。
明応 1492-1500 ”饅頭屋本(節用集)”出版さる。
”古今奈良伝授”出る。 ”職人尽七十番歌合”出版さる。
永正 9 1512 京に餅座あり。
太永 2 1522 茶道中興の祖、千利休生る。
永禄 12 1569 ルイス・フロイス、二条城にて信長に謁し金平糖(瓶入)を献す。
(日本耶蘇会士通信)

【 安土・桃山時代 】

天正年間 1573-91 茶の湯大いに興る。ちまき、葛餅、草餅、蕨餅。
(菓子は料理より離れて茶味助く)
天正 6 1578 正月元旦信長安土城にて将に茶及南蛮菓子を饗す。(信長公記)
南蛮菓子の輸入漸く高まる。
カステーラ、パン、ボウロ、コンフェートス(金平糖)、アルフェートス(有平糖)、カルメイラ等。
同 15 1587 秀吉北野大茶会を催す。
おこし米、煎餅、きんとん、飴羊羹、あぶり餅、長五郎飴、真盛豆、松風、まんじゅう、みたらし団子、柿、桃、やき栗等。
同 17 1589 練羊羹京都伏見にて創製さる。
文禄年間 1592-95 熊本にて朝鮮あめ始めらる。
慶長 元 1596 大島人”直川智(スナオカワチ)”南支ミン地方より甘蔗を持ち帰り、
製糖を始む。

【 江戸時代 】

慶長 8 1603 家康江戸幕府を開設す。
元和 6 1623 琉球”儀間真常”をミン地方に派し、製糖法を習はしむ。
寛永 16 1639 鎖国令出ず。”毛吹草”出版さる。
寛永 20頃 1643 此頃より京菓子司江戸に移住す。
中島浄雲、求肥を江戸に伝ふ。(武江年表)桔梗屋 紅屋
正保の頃 1644-47 ”料理物語”出版さる。 加賀にて長生殿等落雁創製さる。
万冶 元 1658 ”京童、洛陽名所集”出版さる。 柏餅一般に使用さる。
寛文の頃 1661-72 輸入砂糖需要増大、価格騰貴す。
寛文 6 1666 ”訓蒙図彙”出版さる
天和 3 1683 江戸”桔梗屋菓子目録”出版さる。(一話一言
貞享 元 1684 京都”擁州府志”出版さる。
元禄 5 1692 ”本朝食鑑”出版さる。
同 6 1693 菓子製法京都”男重宝記”出版さる。
此頃より菓子と果物(水菓子)の分立
同 10 1697 宮崎安貞”の農業全書”を刊行し、”甘庶”の栽培を説く。
同 14 1701 ”摂陽群談”出版さる。
正徳年間 1711-15 砂糖輸入は国富を害すと論ぜられる。
(銀の流出多し、輸入量430万斤)
正徳 3 1713 ”和漢三歳図会”出版さる。
享保 3 1718 京都”御前菓子秘伝抄”出版さる。(菓子製法)
同 4 1719 ”長崎夜話草”出版さる。
同 9 1724 ”槐記”書始めらる。(自9年正月至20年正月)
同 12 1727 幕府甘庶を浜御殿に栽培し、諸国に栽培を奨励す。
元文年間 1736-40 江戸長命寺の桜餅現る。
宝暦 11 1761 古今名物御前菓子抄図式”(上下)出版さる。
此頃より上菓子と雑菓子との区別漸く別たる。
明和頃   武蔵、甲州、駿河、讃岐、和歌山、長州の各地に甘庶栽培さる。
安永 4 1775 京菓子仲間二百四十八軒に制限さる。
同 6 1777 名物番附”富貴地座位”出版さる。
寛政 2 1790 江戸にて大福餅作らる。
同 4 1792 江戸”喜太郎”の練羊羹現る。
同 11 1799 鈴木越後”喜太郎羊羹”を改良す
享和 元 1801 大阪にて”粟おこし”作らる。
文化 4 1807 船橋家織江、江戸羊羹を完成す。
文化文政
時代
  菓業界隆盛を極む。
献上菓子、賀祝宴菓子、捻物、錦華糖、微塵棒、加林糖、御家宝、甘納豆、最中、寒天王、鉄砲玉 茶道家元の好み菓子盛んとなる。
天保 3 1832 ”喜遊笑覧”出版さる。
同 6 1835 阿波、讃岐の製糖、藩営直売に依り盛大となる。
”近世風俗史(守貞漫稿)”書始めらる。
同 10 1839 ”菓子大全”出版さる。玉露の製造法成り、茶の湯、喫茶大成す。
同 12 1841 江戸根元”菓子話船橋”出版さる。
改革の為京株仲間一時解散を命じぜらる。
同 14 1843 大阪砂糖店組、薬屋仲間より独立す。
弘化 元 1844 江川太郎左衛門、兵利改革に伴ひ”パン”を用ふ。
嘉永 4 1851 株仲間再興令により復活す。
同 5 1852 ”鼎左秘録”出版さる。
同 6 1853 ペルリー来朝(黒船来る)
安政 元 1854 ”江戸自慢”出版さる。幕末志士往来のため京都に於ける献上菓子製造盛んになる。(有職菓子)
文久 2 1862 ”名菓秘録”出版さる。

【 明治時代 】

慶応 3 1867 王政復古
同 4 1871 廃藩置県に依り”藩営砂糖”打撃を蒙る。
5 1872 英国より甜菜糖を北海道に移植す。明治政府製糖振興策を採る。
京都府牛乳の使用を奨励す。
9 1876 京都亀屋良則、勅題菓を始む。
11 1878 風月同”ビスケット”の機械を設く。
15 1882 爪哇、香港より良価低廉なる砂糖の輸入増大す。
17 1884 菓子税創設され、その結果粗製濫造の弊生ず。
19 1886 同業組合準則により、京都菓子商組合設立さる。
此の頃牛乳、牛酪応用の洋菓子現る。
23 1890 第三回内国勧業博覧会(東京)に高浜平兵衛京菓子を代表して干菓子細工を出品、最高賞を受く。
工芸菓子博覧会出品の嚆矢とす。
26 1893 芥川”ドロップ”を始む。
27-28 1894-5 日清戦争。台湾領有により砂糖工業近代化し生産大いに興る。
32 1899 チョコレートの使用者漸く現る。
会社組織の菓子業者現す(森永製菓会社)
33 1900 京都にて大日本菓子協会設立さる。
パリ万国博覧会に、高浜平兵衛、田中平吉、谷口平三郎等、初めて日本菓子(京菓子)を世界に紹介絶賛を博す。
44 1911 東京赤坂溜池にて第一回全国菓子飴大品評会開催さる。
現存全菓博の濫觴。