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川田谷村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。足立郡石戸領のうち。古くは箕田荘に属したといい,一説には石戸郷に属したという。はじめ旗本牧野氏の知行,慶安3年一族3氏に分地。天正18年9月7日の伊奈忠次が牧野半右衛門に宛てた知行書立に「河田谷」とある(武文)。牧野氏は以来江戸期を通じてこの付近一帯を知行。持添新田は幕府領。検地は寛文2年。村高は「田園簿」1,322石,うち田521石余・畑801石余,「元禄郷帳」1,241石余,「天保郷帳」1,249石余。村の規模は東西14町・南北1里余。化政期の家数500軒。村内は牧野3氏の知行地から上川田谷村・下川田谷村上分・下川田谷村下分と私称された。高札場は3か所。地内に牧野氏の陣屋がある。石戸領総鎮守である諏訪社は,天正19年徳川家康から社領3石の寄進を受けた。神社はほかに氷川社・山王社・雷電社など。寺院は天台宗泉福寺。同寺は天正19年徳川家康から寺領5石の寄進を受けた。明治元年村内を3分する私称村名を廃止して川田谷村と統一。同4年埼玉県に所属。同6年公立小学校(現川田谷小学校)を弥勒院内に開校。同9年の生徒数303。同7年江戸期に川田谷村枝郷であった樋詰【ひのつめ】村を合併。同9年の戸数514・人口2,886,馬20,似艜【にたりひらた】船2・川下小船3・渡船2・荷車79。農業を主とし,商業を副業とする者があった。物産は繭・米・大麦・小麦・菜種・大豆・藍葉・アワ・甘藷・蚕卵紙・清酒など。ほかに製茶を行う。明治7年枝郷樋詰村を合併。明治12年北足立郡に所属。同22年の町村制施行後も1村として存続。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7286814