バカンス真っ只中という巷の空気。この連載のための取材をしようと、役所、企業にコンタクトを取るも、「担当者が夏休み中なので、8月いっぱいは無理」という答えが返ってくる。日本の常識からすると、休みの長さが半端ではなく、この時期のパリは全く仕事にならない。

クロード・モネの家

ジヴェルニーのモネの家

 そんなわけで、今回はパリからのワンデー・トリップ。ジヴェルニーにあるモネの家をご紹介することにする。

 印象派の巨匠、クロード・モネが生まれたのは、1840年。今から150年以上前、日本はまだ鎖国状態にある時代のことである。モネはパリ生まれだが、5歳の時に、ノルマンディーの海沿いの町、ルアーブルに家族で移転。少年時代は、ノルマンディー地方で過ごした。

 10代で風刺画を描いたりしていたが、画家ウージェーヌ・ブーダンとの出会いによって、彼は本格的に絵を学び、師も得意としていた海や空など、移りゆく風景をとらえることを始める。そして、画学校で学ぶためにパリへ上り、後に印象派の画家たちと呼ばれることになるシスレー、ルノワールらと親交を深めてゆく。

 20代から30代にかけて、モネの暮らし向きは決して楽なものではなかったらしい。今でこそ高値で取引される印象派の絵も、最初は画壇における全くのアウトローで、毎年、サロンと呼ばれる官展に出品するも落選続き。その落選作を集めて彼らが行った展覧会がそもそも「印象派」の始まりだったくらいだ。

 そんな時期を経て、絵がぽつぽつと売れ出し、ほかの仲間たちに比べると、まだ恵まれた経過をたどったモネ。パリでの人気はそれほどに目覚ましいものではなかったが、アメリカで売れ始めたのが大きく、外での成果でもって、遅まきながら本国での評判も上がっていったということのようだ。

モネ43歳にして移り住んだ村

 と、そこまでは今回訪れるジヴェルニー以前の時代のこと。そして、ここに居を構えたのは、モネ43歳の時である。

ヴェルノンの駅には、ジヴェルニーを目指す人々のための案内がこんなふうな形でも表示されている

 ジヴェルニーはパリの北西およそ80キロ。ノルマンディー地方に抜ける道の途中にある。公共交通機関を使う場合、まず、パリのサンラザール駅から1時間ほど電車に乗り、ヴェルノン駅下車。そこからジヴェルニー行きのバスが出ている。ちなみに、パリ―ヴェルノン間の電車の値段は往復25ユーロほど、バスは往復で4ユーロだ。

 7月終わりの平日の朝、このルートでジヴェルニーに向かった。サンラザール駅はバカンスへ出かける人でかなり混雑している。ヴェルノン駅に降り立ってみると、一緒に降りた乗客の大半がジヴェルニーを目指す人らしく、閑散とした駅前のバス停の方向にみな同じように進んでゆく。

 見たところ、リタイア組のフランス人たちもいれば、英語圏からやってきたティーンエイジャーのカップルやファミリー、そして韓国人らしき若者たちもいる。