ノート:津山三十人殺し

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ノート:津山事件から転送)

項目統合の提案[編集]

記事名はどっちが妥当なのか不明ですが、内容は津山事件の方はスタブで数行程度のものですから、向こうは消してredirectにしてしまえばいいんじゃないですかね。 Hermeneus 2005年6月13日 (月) 07:50 (UTC)[返信]

googleで検索したところ、わずかに「津山事件」が多かったのでそちらに統合しようかと思います。--Ligar 2005年6月14日 (火) 06:06 (UTC)[返信]
統合おつかれさまです。Hermeneus 2005年6月18日 (土) 08:29 (UTC)[返信]

大量殺人犯罪の記録について[編集]

「この記録は1996年にオーストラリアで起きたポートアーサー事件まで塗り替えられる事はなかった。」という記述について、韓国で1982年に1人の警官が57人(自身を含めて58人)を殺害、35人に重軽傷を負わせたという事件があったようです(→en:Woo Bum-Kon)。『「八つ墓村」は実在する』でも言及されています。人数に諸説あるようで、また、軍事政権下の事件で情報統制が行われたためか、ネット上でも今ひとつ情報がないようなのですが、この韓国の事件について詳しくご存じの方はいらっしゃらないでしょうか。--Impromptu 2006年5月19日 (金) 00:35 (UTC)[返信]

「何位」と記入されていますが、どういった条件下での比較か分かりません。"単独犯による短時間の大量殺人"という定義だとテロリストの自爆テロなんかも入りかねません。比較する条件を追加するか、何位という表現を削除するかどちらかが適当だと思います。ご意見がないようであれば、何位という表現を削除しておきます。Fuji 3 2006年6月21日 (水) 05:11 (UTC)[返信]

文献の信頼性と検証可能性について[編集]

本文中の調査文献で取り上げられている筑波昭氏の著書については、各方面から創作が含まれているのではないかという指摘があり、本文中にも記述されていますが要出典タグがつけられています。

巷の指摘の中でも説得力があるのは、これまた調査文献に取り上げられている事件研究所の同人誌やその筆者のブログがありますが、残念ながら検証可能性がないとされてしまいます。また、この同人誌で参照している資料は当時の司法省刑事局の報告書であり信頼性ではピカイチですが、残念ながら入手・閲覧が非常に困難なため、これも検証可能性の問題が生じます。

筑波昭氏の著書は信頼性に疑問が呈されていながらも、公の出版物であり検証可能性も満たしているので、Wikipediaでは大手を振って出典とされてしまいます。Wikipedia以外でも各所で引用されており、本項の本文の記述が影響を受けている可能性もあります(確認はしていません)。

事件に興味を持つ者としては非常に歯がゆい状況なのですが、現在のWikipediaではしかたのないことなのでしょうか? --114.191.192.235 2012年5月23日 (水) 19:35 (UTC)[返信]

確かに、Wikipediaでは内容の信頼性よりも検証可能性の方が重視される傾向があるので、おっしゃるご懸念はごもっともです。
ただ、この件についてはいい方向に展開しています。事件研究所の同人誌にISBNコードが付与され流通するようになり、国会図書館にも所蔵されました。このため、検証可能性では筑波氏の著書と同等になりましたので、あとは内容の信頼性を判断しながら出典とすることが可能です。要出典タグを貼られるいわれはもうありません。既に本文ではそのあたりが編集されているようですね。
1次資料として大変有用な司法省の報告書についても、検証可能性を満たす出典においてその存在と内容が明らかにされ、実際に閲覧する方法も示されていることから、検証可能性を満たす出典として扱えると思います。
ご指摘の通り、本文の記述の中には、筑波氏の著書の影響を受けている箇所が確かに存在していますので、時間のあるときに編集したいと思っています。--118.19.93.15 2012年8月16日 (木) 16:45 (UTC)[返信]
すみません、なかなか編集する暇がないので、正確性タグを貼り付けておきました。
事件について、Wikipediaから引用されている例をよく見かけるようになってきたので、注意喚起です。118.19.93.15 2012年10月25日 (木) 02:39 (UTC)[返信]

記述について疑問[編集]

文章を構文的に読み取れない部分がありますので確認いたします。
>>「なお、当時村に残っていたとされている夜這いの風習についてはこれを強く否定している[7]。ただし、の配偶者であった人物も当時、都井との関係があったとされており、また都井が残した遺書にその名前が記載されており、事件を決行することにした理由のひとつとして彼女の帰郷を挙げていることから、>>
このとは上述の90代の老人を指すのでしょうか。そうすると90歳代の老人の配偶者と都井との間に男女の関係があったということでしょうか?

この件ですが、私が過去、祖母(近隣地域出身)、祖母の友人(当該地域出身)等から聞いた話では、上述されている90歳代の女性とは別人と思います。BlondiVela会話2015年8月10日 (月) 03:53 (UTC)[返信]

>>また、徴兵されなかった都井に対して村人の迫害があり、護身のために銃を所持したとの見方もある>>
との記述ですが、戦前の日本は現在の韓国や台湾のような全ての男子に徴兵を課すものではなく、都心部では徴兵されなかったことを運が良いと考える気風が一般ですし、農村部で甲種合格は名誉なことであって、甲種を認められない者を軽く見る見方はあっても、護身が必要となる迫害の対象になるとは思えません。いかがでしょうか。


以上の署名のないコメントは、183.72.210.70会話)さんが 2013年5月17日 (金) 05:28 (UTC) に投稿したものです(SRIA会話)による付記)。[返信]

70年後の証言の節は、途中で改行されている箇所があるものの、最後の一文以外は続きの文章です。とはインタビューに応じた90代の老人の事で、記事では事件当時、数え年で22歳と語っています。その方の配偶者と都井との間に関係があったと小説等では書かれていますが、インタビューでは否定されています。
2つ目の疑問に関しては、そもそもの出典が不明のため、削除しても問題ないと思います。どちらかというと病気のことで侮辱されたり迫害されたようですが--SRIA会話2013年5月17日 (金) 22:40 (UTC)[返信]

>>2008年7月21日放送のテレビ朝日スーパーモーニングにて、実際の被害者数は36人[要出典]だと村人から証言を得た。

この部分についてですが、村民は単に「36人殺し」と聞いていると言っているに過ぎず、実際に当方も「32人殺し」「33人殺し」「36人殺し」「38人殺し」などと聞いた事がありますが、これは全て話に尾ひれが付き、死者の数が水増しされた物だと判断出来ます。死者のみでは無く重軽傷者三人を追加しても33人が事実としての被害者数だと思います。もう一つ考えられるのは、間接的な被害者(事件の現場にいたが無傷で生き残った人達)をくわえているとも思いましたがそれでも数が合いません。却って混乱を招くと考え勝手ですが「実際の被害者数は36人[要出典]だと村人から証言を得た。」の部分は削除させていただきました。BlondiVela会話2015年8月10日 (月) 04:08 (UTC)[返信]


「事件発生現場の現在」の項で、事件発生場所の記述がありますが、地理的に疑問があります。私の勘違いだといけないので修正を掛ける前に疑問として以下提示します。
>> 津山市からアクセスすると、行重を通り抜けて北西の坂元集落へと至る。
とある部分、津山市から事件現場の方角は大まかには北になります。また行重と坂元は、両集落とも津山市から見ると大まかには北に位置するものの、両者相互の位置関係は県道68号沿いの行重が坂元から見て北西に位置し、逆に行重から見ると坂元は南東に位置します(事件発生場所である貝尾集落は坂元集落から見てさらに南東方向にあります)。したがって、上記記述は後半部分「行重を通り抜けて南東の坂元集落へと至る。」の誤りではないでしょうか?行重から見て北西に位置する集落は青山ですが、青山集落には下記に紹介するブログ記事にあるような集会所も見当たらないし、家々が散在しておりそもそも集落といった感じではありません。
また、前半部分について、津山市から直線的にアクセスしようとすると車道のない山々を越えねばならず、車利用であれば津山市から北北東に位置する美作加茂経由で(美作加茂から見ると南西に位置する)行重集落を通過するルートになると思います。著名な地名として津山市を挙げるのは理解できますが、実際にはかなりの迂回経路になるので、その旨明記する方が良いと思います。したがって、該当部分は「津山市から美作加茂を経由しアクセスすると、」のように直線上にはない経由地点を追記した方がいいと思います。
両者合わせると、「津山市から美作加茂を経由しアクセスすると、行重を通り抜けて南東の坂元集落へと至る。」のように変更すべきだと判断します。
以上の説明は、Google マップYahoo!Japan 地図及び本項目ページを参考にしたと言うFC2ブログ記事"キャンピングカーで放浪の旅"(スパムフィルター発動のためリンクは貼れません)を参考にしました。--直蔵会話2014年4月4日 (金) 06:19 (UTC)[返信]

4ヶ月経過後も御異議がないようなので、上記提案に従って編集しました。--直蔵会話2014年8月25日 (月) 16:09 (UTC)[返信]
今更かも知れませんが、もう一つのルートは一旦鏡野町越畑まで行き、そこから山越えし、県道68号線に出ると言う方法もあります。自動車でも十分通れますが、対向車とのやり過ごしが出来にくい場所があります。県道68号線は津山側からもある程度は車で行けますが途中から車を降り、歩いて山越えをしなければならない状況ですBlondiVela会話2015年8月10日 (月) 03:53 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

本事件名については、「津山三十人殺し」の名称がメディアではよく使われている様です。

  • サンデー毎日:[1]
  • 現代ビジネス:[2]
  • 文春オンライン:[3]

また、書籍においても「津山三十人殺し」の名称が多く使われている([4][5]など)からも、現名称の津山事件より津山三十人殺し事件の方がよりWikipedia:記事名の付け方の「認知度が高い」に該当すると考えられるため、同名称への改名を提案いたします。--GOLFLF会話2023年11月1日 (水) 06:19 (UTC)[返信]

質問 書籍において「津山三十人殺し」の名称が使われていることについては首肯できます。しかしながら、あえて「事件」を加えて「津山三十人殺し事件」とする理由が分からなかったので、理由がございましたらご教示ください。
提案 私からは現在リダイレクトになっている「津山三十人殺し」を改名候補として提案いたします。
保留 その上で、現在の記事名である「津山事件」と「津山三十人殺し」のいずれが記事名として適切かは保留といたします。理由としては、事件の翌年に司法省刑事局が『津山事件報告書』を発行していることにあります[6]。国の機関が「津山事件」と呼称していることは重要な事実であると考える一方、公刊されて普及した書籍ではないとみられることから、その影響は限定的ではないかとも思えます。逆に、「津山三十人殺し」という名称についても、書名・記事名で使われている場合があるにせよ、(特に大衆向けの)書名・記事名はより多くの読者の目に触れるために略称・俗称を使うことが少なからずあります。書名・記事名も重要であるにせよ、その本文でどのように取り扱っているかも重要であると考えますので、今のところは賛否を保留いたします。--こやまひろ会話2023年11月1日 (水) 14:58 (UTC)[返信]
反対 Wikipedia:記事名の付け方の「認知度が高い」について「信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの。」と前提条件が付けられており、現状の信頼できる情報源は、文献欄に記載されている書籍のうち、司法省刑事局の『津山事件報告書』か事件研究所の『津山事件の真実』くらいしかありません。少なくとも筑波昭氏の著書については『津山事件の真実』による検証で「著者による創作あるいは捏造であるらしいことが判明」しているので除外されるべきです(松本清張石川清両氏の著作については内容未確認のため判断は保留します)。また、上記に挙げられている週刊誌については、信頼できる情報源として疑問符が付きます。
なお、改名するのであれば、こやまひろさんも記載していますが、リダイレクトになっている「津山三十人殺し」を支持します。--SRIA会話2023年11月2日 (木) 02:55 (UTC)[返信]
コメント 「津山三十人殺し」に「事件」を付けたのは、このような凶悪犯罪に関しては「〜事件」という名称がついていることに準拠したのが理由となりますが、(「事件」を除いた)「津山三十人殺し」の記事名で問題ないと考えています。「津山三十人殺し」で合意が取れるのでしたら、その名称への改名提案に変更しようと思います。--GOLFLF会話2023年11月2日 (木) 14:26 (UTC)[返信]
コメント 上記経緯を踏まえて、津山三十人殺しへの改名提案に変更いたします。--GOLFLF会話2023年11月5日 (日) 03:15 (UTC)[返信]
報告 津山三十人殺しで概ね合意は取れたと判断し、Wikipedia:移動依頼を行っています。--GOLFLF会話2023年11月14日 (火) 00:47 (UTC)[返信]