ノート:十牛図

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出典の明記の要請[編集]

記事の根拠としている研究書、あるいは査読雑誌掲載論文を挙げてください。サイトではなく。--218.221.146.210 2006年6月3日 (土) 06:12 (UTC)[返信]

これ以上続くのであれば半保護申請したほうがいいかもしれませんな。--SINOBU 2006年6月3日 (土) 06:15 (UTC)[返信]

保護ですか、確かにやむなしの観はありますね。一方ノートで意見訊いてからという思いもあります。--218.221.146.210 2006年6月3日 (土) 06:22 (UTC)[返信]

保護しました[編集]

とりあえず、あまりにも非建設的なので、保護しました。

>>125.31.79.84さん他 著作権者のサイトの許可を得て転載していると主張中の皆様

  • これまで、他者のサイトから無断でコピペしてきた例が後を絶たなかったので、記事中で主張されても、何の根拠にもなりませんので、ご遠慮下さい。皆様が著作権侵害をしていると思っているのではなく、ウィキペディアには慎重にならざるを得ない事情が続いているのだとご理解いただけますと幸いです。まだ、草案段階ですが、Wikipedia:自著作物の持ち込みあたりがご参考になるかと思います。
  • 上の問題はそれとして、それ以前の問題として、書かれていることそのものへ疑義が出ています。出版された書物や雑誌などに既に書かれている事であるという典拠を示すことは可能でしょうか? ウィキペディアは、百科事典なので、独自研究をそのまま書くことには色々議論がありますので、どうぞ典拠を示してください。

よろしくお願いいたします--すぐり 2006年6月3日 (土) 06:27 (UTC)(ちょっと加筆--すぐり 2006年6月3日 (土) 06:33 (UTC)[返信]

保護解除の提案[編集]

同様のスパム行為が廓庵禅師履歴)でも見られましたが、収まっていると思います。保護解除しても宜しいのではないでしょうか。 --Kanjy 2006年7月9日 (日) 18:21 (UTC)[返信]

あと一週間待って異議がなければ保護解除依頼したいと思います。 --Kanjy 2006年7月12日 (水) 03:47 (UTC)[返信]

賛否を表明する資格があるのか無いのか判ってないのですが、落ち着いているようなら解除賛成です。--Tears for Asia 2006年7月12日 (水) 03:59 (UTC)[返信]

有難うございます。保護解除依頼を出しました。 --Kanjy 2006年7月17日 (月) 15:09 (UTC)[返信]

Kotoitoさんにより保護解除されました。有難うございました。 --Kanjy 2006年7月17日 (月) 18:10 (UTC)[返信]

問題点の指摘[編集]

2017/06/26[編集]

IP利用者による先日の編集により、下記の記述が十牛図に加わりました。問題点の指摘を書いておきます。

大乗経典の[[大般涅槃経]]では当の「畜者」の不浄の言が、[[須陀洹]]、[[斯陀含]]、[[阿那含]]をもとらえるとして、それらの者に(畜者の言ではなく)正法を受持・聞法することを説いていること<ref>大正新脩大蔵経テキストデータベース 『大般涅槃經 ([[曇無讖]]譯)』 (T0374_.12.0397a03: ~): 第二人者名'''須陀洹斯陀含'''。若得'''正法受持正法從佛聞法'''。如其所聞聞已書寫受持讀誦轉爲他説。若聞法已不寫不受不持不説。而言奴婢'''不淨之物佛聽畜者'''無有是處。是名第二人。</ref><ref>大正新脩大蔵経テキストデータベース 『大般涅槃經 (曇無讖譯)』 (T0374_.12.0397a09:  ~): 第三人者名'''阿那含'''。阿那含者誹謗正法。若言'''聽畜奴婢僕使不淨之物'''。受持外道典籍書論及爲客塵煩惱所障。</ref>(詳細は『[[四沙門果#大乗『涅槃経』に見る解釈|大乗『涅槃経』に見る解釈]]』を参照)
  • 「不浄の言」との記述をしているが、その出典たる脚注内では「不浄之」となっており、「言」とは異なる。
  • この脚注の2個目には「畜者」の語はなく、「畜奴婢僕」としか書いていないのだから、こちらは「畜者」について述べる際の出典としては使えない。
  • 須陀洹斯陀含阿那含をもとらえる」というときの「をもとらえる」が、出典のどの語に相当するのか不明。
  • 「畜者の言ではなく」は、出典のどの語に相当するのか不明。
  • なお、全体としてこのような経典解説(大般涅槃経解説)は、出典が一次資料のみであるうえ、信頼できる二次資料において未発表の説なので独自研究に該当している。--Leonidjp会話2017年6月26日 (月) 12:07 (UTC)[返信]
編集した。いつの時代にも「人類家畜化計画」とか「人間動物化計画」と呼ばれる事象を企てる(金剛)童子はいるという点を押さえておけばいいのであって、このページに概訳まで付ける必要はみとめられない。--118.83.146.234 2017年6月26日 (月) 18:40 (UTC)[返信]
報告 IP利用者の編集によってこうなりましたが↓、なお残存する問題点および新規に発生した問題点を挙げておきます。
[[大般涅槃経]]では「畜者」が[[須陀洹]]、[[斯陀含]]、[[阿那含]]をも奴婢僕使化するとして、それらの者(須陀洹、斯陀含、阿那含)に(畜者ではなく)正法を聞法し受持するよう説いている<ref>大正新脩大蔵経テキストデータベース 『大般涅槃經 ([[曇無讖]]譯)』 (T0374_.12.0397a03: ~): 第二人者名'''須陀洹斯陀含'''。若得'''正法受持正法從佛聞法'''。如其所聞聞已書寫受持讀誦轉爲他説。若聞法已不寫不受不持不説。而言'''奴婢'''不淨之物佛聽'''畜者'''無有是處。是名第二人。</ref><ref>大正新脩大蔵経テキストデータベース 『大般涅槃經 (曇無讖譯)』 (T0374_.12.0397a09:  ~): 第三人者名'''阿那含'''。阿那含者誹謗正法。若言聽'''畜奴婢僕使'''不淨之物。受持外道典籍書論及爲客塵煩惱所障。</ref>
  • (新規) 「奴婢僕使化する」との記述があるが、その出典たる脚注内では、脚注の2個目に「奴婢僕使」とあるだけであり、これは「奴婢僕使」とは異なる。化の字が無いので。「奴婢僕使」に化を付けて更に「する」を加えて動詞化するというこの読み方を支持する二次資料は明示されていない。
  • (新規) 「奴婢僕使化する」の目的語が「須陀洹斯陀含阿那含」であることの根拠が不明。脚注内の「奴婢僕使」が出てくる文では「須陀洹斯陀含阿那含」は言及されぬまま文が終わっている。
  • この脚注の2個目には「畜者」の語はなく、「畜奴婢僕」としか書いていないのだから、こちらは「畜者」について述べる際の出典としては使えない。畜と畜者は字面が違う以上、二次資料がなければ「字面が違っても同じ単語である」とはいえない。
  • なお、全体としてこのような経典解説(大般涅槃経解説)は、出典が一次資料のみであるうえ、信頼できる二次資料において未発表の説なので独自研究に該当している。--Leonidjp会話2017年6月27日 (火) 00:16 (UTC)[返信]
阿那含の「若言聽畜奴婢僕使不淨之物。受持外道典籍書論…」は、極めて短略で婉曲的な表現をとっているので分かり難い出典なのは確かだが、利用者:Leonidjp は「(もし)奴婢を畜して不淨之物を僕使するを聴くと言うは、外道典籍書論を受持して…若(ごと)し」などと読ませたいのであろう。私は「(もし)奴婢を僕して不淨之物を使う畜(者)に聴くと言うは、」と読みたいのだが、いずれにしろ「不淨之物」というのは女性や女性器(男性器もか)を意味するのだし、それが外道畜者であることに変わりはないのである。人の病いは獣医師をいくら増やしても面倒みきれないのであり、この記述はとても重要なので若干の編集は加えた。合わせて、廓庵の弟子の解説を窓表示にしたり二重に記述したりする必要はないので、その部分も編集した。--118.83.146.234 2017年6月27日 (火) 17:47 (UTC)[返信]
報告 IP利用者の編集によってこうなりましたが↓、なお残存する問題点および新規に発生した問題点を挙げておきます。独自研究性は解決しておりません。
[[大般涅槃経]]では「畜(者)」の障りは[[須陀洹]]、[[斯陀含]]、[[阿那含]]にもおよぶとして、それらの者(須陀洹、斯陀含、阿那含)に正法を聞法し受持するよう説いている<ref>大正新脩大蔵経テキストデータベース 『大般涅槃經 ([[曇無讖]]譯)』 (T0374_.12.0397a03: ~): 第二人者名'''須陀洹斯陀含'''。若得'''正法受持正法從佛聞法'''。如其所聞聞已書寫受持讀誦轉爲他説。若聞法已不寫不受不持不説。而言奴婢不淨之物佛聽'''畜者'''無有是處。是名第二人。</ref><ref>大正新脩大蔵経テキストデータベース 『大般涅槃經 (曇無讖譯)』 (T0374_.12.0397a09:  ~): 第三人者名'''阿那含'''。阿那含者誹謗正法。若言聽'''畜'''奴婢僕使不淨之物。受持外道典籍書論及爲客塵煩惱所'''障'''。</ref>
  • (新規) 脚注内にある「障」の字を「障り」と読むこと自体が正しい読み方であると述べている二次資料は挙げられていない。【「畜(者)」の障り】との記述があるが、「障」の字は「煩悩所障」や「所障」という熟語の一部である可能性もあり、二次資料無しに読み方を決めるのは独自研究の披露
  • (新規) 「障」の「およぶ」範囲に「須陀洹斯陀含阿那含」が含まれるという記述を、脚注内のどの語が出典として担っているのか不明。脚注内で「障」の字が出てくる文においては、「須陀洹斯陀含阿那含」は言及されぬまま文が終わっている。
  • (新規) 「障」の字は、その出典たる2個の脚注のうち2個目にしか出てこないので、1個目の脚注は、「障」に関するこの記述の出典としては使えない。
  • (新規) 「畜(者)」という丸括弧で何を示したいのか不明瞭。畜と畜者という2語がどのような関係性にあるかについては出典は何も言っておらず(なぜなら、畜と畜者はそれぞれ別々の文に存在しているから)、従ってこのように丸括弧で隣接させて表記することには根拠が無い。二次資料による支持はもちろん無い。
  • なお、全体としてこのような経典解説(大般涅槃経解説)は、出典が一次資料のみであるうえ、信頼できる二次資料において未発表の説なので独自研究に該当している。--Leonidjp会話2017年6月28日 (水) 02:02 (UTC)[返信]
下線部追記。--Leonidjp会話2017年6月28日 (水) 11:03 (UTC)[返信]
>「障」の字は「煩悩所障」や「所障」という熟語の一部である可能性もあり、
あいにく「客塵煩惱」の方が四字熟語である。思いがけず外部からこうむる煩悩のような意味あいで、流行病い、伝染性の熱病・火病のようなものである。思いがけずというのは、予想もしないところ、例えば朝日新聞社やNHKやTBS・MBSのようなメディアを通して(畜者の)障りがあったなどである。ほとんどその通り「客塵煩惱が障る所と為す」と読めばいいのである。
余談だが、NHKは連続強姦魔まで出して性犯罪がひと通り出揃ったかと思ったら、今度はタクシー運転手が骨折する暴行事件を起こして、巨額横領事件は起きるは覚醒剤を製造する職員はいるはで、昔ならば全員白装束で打ち揃って、御祓いとか加持祈祷でもしてもらって悔過する所でしょう。ちなみにインドのラジニーシというグルはちゃんと悔過し、リベラルアーツ的見地からみて、仏乗は出だしたとみられる。--118.83.146.234 2017年6月28日 (水) 18:15 (UTC)[返信]
>「障」の字は、その出典たる2個の脚注のうち2個目にしか出てこない
仏典であるので「畜」だの「障」だのを連呼するはずはなく、全体の文意から判断できる。--118.83.146.234 2017年6月28日 (水) 18:15 (UTC)[返信]

インデント戻します。
>>「客塵煩惱が障る所と為す」と読めばいいのである。
コメント 客塵煩悩と、畜や畜者との関係が何なのかが、脚注内を読むだけでは未だにはっきりしない。なぜならその3つは別々の文に存在していて、各々の文は他の2つに言及せずに終わっているのだから。二次資料なしでこの3単語の相互関係を設定すれば独自研究でしかない。
>>仏典であるので「畜」だの「障」だのを連呼するはずはなく、全体の文意から判断できる
コメント それは、信頼できる二次資料において未発表の説を披露しているだけです。それを独自研究の披露と言います。昔から知られていることに独自研究などないと? 「昔から知られている」という主張自体の出典はどこですかね? 昔から存在しているのは経文の原文であって、あなたが現代日本語で書いた〈経文の解説〉は「昔から知られ」てなんかいません。それはあなたがWikipediaに書くことで初めて世に出た説であって、あなたの説は信頼できる二次資料において未発表です。ならばそれは独自研究の披露に該当します。
ここで指摘されている問題点はまだ全く解決していません。--Leonidjp会話2017年6月28日 (水) 22:29 (UTC)[返信]

一応、念のために言っておくと、私はNHKが外道畜者の集団だと主張しているのでは全くありません。その奴婢になっている側面も全く否定するのではありません。NHKは、かつては綺麗な発音・発声法を磨いて知性や教養知識または語学力さえ培えば、化粧や整形では如何ともし難い体型的なもののために民放はちょっと無理かなあと思う女子大生にとって希望の星の放送局であったのが、いつの頃からか、そうしたリクルート学生や新人や若手お天気お姉さんが、いったい先輩の何が評価されているのかベンチマークするのが非常に難しい放送局となり、やっぱ局の内外で枕営業のひとつもやらないと全国区進出はおろか、契約更新もままならないのかなあという脅迫観念が密かに蔓延して、起きた事象のひとつが某地方局での不倫カーセックス事件だったかもしれないというのが、リベラルアーツからみた見解です。
同事件では、まさに不浄之物を「使」もしくは「僕使」するという、何とまああな怖ろしやの放送局か、歴史は名を変え品を変えて繰り返し、いつの時代も同じなのかという事象となっていて、それが「昔から知られている」ということの所以です。--118.83.146.234 2017年6月29日 (木) 18:13 (UTC)--118.83.135.134 2017年6月30日 (金) 19:13 (UTC)[返信]
一応、念のために言っておくと、ここで指摘されている問題点はまだ全く解決していません。--Leonidjp会話2017年6月29日 (木) 22:47 (UTC)[返信]
利用者‐会話:Leonidjpは、NHKの「聽畜奴婢僕使不淨之物。」の体質問題は全く解決していないと言いたいらしい。日本の仏教界は日本語の能力に欠けると見下す Leonidjp らしい記述である。Leonidjp はNHKは穢れた不浄の組織というのでしょう。翻ってみると、「ニイタカヤマノボレ1208」という暗号電文は仏教に精通していなくても思いつきそうだが、「トラトラトラ」となるとそうはいきません。戦前の御用仏教学者もしくは梵文学者、さもなければ御用僧籍が関与していそうです。しかし、彼らが大乗仏教の教義儀軌のフレームを理解していたかというと、大乗仏教はトラトラトラで終わるのではなくヤマヤマでもなく、精進を証得することをもって初めて大乗がそこからやっと始まるのですから、理解していたはずがありません。この戦前からの体質はNHKともども引きずっていると Leonidjp は言うのでしょう。
御用学者や御用僧籍が無知不善を蔓延させたからと言って全てがそれに客塵煩惱所障となる訳ではないですが、NHKについては Leonidjp の主張に反対はしないでおきます。なぜなら、トリプル不倫と騒がれたお天気お姉さんの場合、実際は「君の方が土日担当と言うのは腑に落ちない。何とかしたいと思ってる」とか何とか言い寄って来た男についつい…。で、普通の男性と付き合っても罪悪感に苛まれるし、どうせよごれたこのからだ、あなたと一緒におちたいのと、他局の妻子持ちのイケメンお天気お兄さんと不倫関係になったというが真相ではなかろうかというのが、リベラルアーツからの推論だからです。(修正)--118.83.135.134 2017年6月30日 (金) 19:13 (UTC)[返信]
(追記)利用者‐会話:Leonidjpは、「素人みたいなカマトトぶったのが平日帯の…」と言い寄ったのがいるという情報を持っているらしい。リベラルアーツ的にみると、あれは人気のあった半井さんの後継として、NHK報道局がクボジュン風の演出を煽っただけとみられますが。NHKは恐らくスカートの丈とか、果てはブラジャーの種類や固定位置にまで口出した可能性はあるでしょうね。Leonidjp は、NHKはベテランアナウンサーを歴史番組で花魁に仕立てる演出を平気でやるような放送局で、「聽畜奴婢僕使不淨之物。」の体質問題は全く解決していないと確信しているようです。(旧:118.83.135.134)--118.83.135.42 2017年7月1日 (土) 19:04 (UTC)[返信]
一応、念のために言っておくと、ここで指摘されている問題点はまだ全く解決していません。--Leonidjp会話2017年7月1日 (土) 22:28 (UTC)[返信]
この問題は非常に難しく、無視しようと思ったが、 利用者:Leonidjp がリベラルアーツのサルネタを督促しているようなので、それを知見として示しておく。
群をつくるニホンザルのようなサル社会では、メスの支持を得られないとボスにはなれないという話しは最近は子供でも知っていそうなほど有名である。犬にはそういう面はないようだが、女性やおっとりした飼い主だと、犬は自分の方が格上だと思ってしまってどうにも面倒なことになるので、犬の躾方教室のようなものがあったりする。私も子供の頃、ご主人が病気のご家庭の犬に襲われて本当に怖い思いをしたことがある。実のところ、NHKの連続強姦魔の職員が犯行を始めたのも、不倫カーセックス・スキャンダルが起きたのも同じ地方局で、局長は女性だったのであった。
ここからが本題で、ではNHKは躾方教室を設置すべきかと言うと、今の時代にそれはないだろうし、サル社会型組織への脱皮を目指せばいいかというと、フジテレビと違って戦前からの体質を引きずっているから一朝一夕にはいかないと思われる。その証拠に、スパンキング型リーダー・シップを発揮した前会長は逆に排斥されてしまった。犬猿の仲ということなかれ、サル社会では他の群に移ることが比較的容易らしいが、イヌ社会はそうはいかないだろうという話しであって、前会長の起用は時期早尚だったとみられる。ここはやはり仏教やギリシャ神話などから学んで、まずは相転換、ネコ社会型組織への脱皮を図るべきであろう。NHKは最近、ネコ社会も大変だという特番を放送したようで、そのVTRから学ぶべきこともあるだろうが、NHKはストーリーを捏造するからだいぶん差っ引いて見るべきであることも、リベラルアーツの知見として付け加えておきます。--118.83.145.55 2017年7月3日 (月) 18:24 (UTC)[返信]
コメント ここはあくまで、十牛図の記事をどうするかに関する議論のためのページです。NHKの問題点に関する話題は、(たとえ真実であろうがなかろうが)場違いです。--Jkr2255 2017年7月3日 (月) 23:36 (UTC)[返信]
Jkr2255様、コメントありがとうございます。
なお、6日ほど前にここで指摘された問題点はまだ全く解決していません。
>>利用者:Leonidjp がリベラルアーツのサルネタを督促しているようなので
コメント 私はそのようなものを記入することを督促しておりません。--Leonidjp会話2017年7月3日 (月) 23:47 (UTC)[返信]
To User:Jkr2255
ついつい 利用者:Leonidjp にのせられてしまいました。Leonidjp は日本の仏教界は日本語の能力に欠けるとして仏教界を見下していることをなかば公言して「分かりにくい荒らし」を繰り返し、臨済宗の名僧知識に礼を低くするつもりなどないという意思表示をするためだけに、ノートの議論では自分の投稿を1字下げるというルールさえ破っています(差分)。また、中道や中観を論じることと畜生道を論じることは観点が違うだけといっており、現在ブロック依頼を申請しています(差分)。(旧: 118.83.145.55) --118.83.135.142 2017年7月4日 (火) 18:50 (UTC)[返信]
十牛図の記事内容に関係のない話題の投稿がまだ続きますね。
ここで指摘された問題点はまだ全く解決していません。--Leonidjp会話2017年7月4日 (火) 22:55 (UTC)[返信]
提案  2017年6月30日 (金) 19:13 (UTC) から 2017年7月3日 (月) 18:24 (UTC) までの間にIP利用者がここに投稿した、NHKにまつわる書き込みは、十牛図の記事やその出典とされる大般涅槃経に関係のない内容なのでコメントアウトしたいのですが、よろしいですか。--Leonidjp会話2017年7月7日 (金) 02:51 (UTC)[返信]
To User:Jkr2255
利用者:Leonidjp は、「聽畜奴婢僕使不淨之物。」の記述に借りて、NHKの体質問題を議論することに飽き足らず、履歴表示で埋もれてしまった記述を、コメントアウトと称して、差分表示で目立たせる魂胆のようです。この提案には賛成しないで下さい。--118.83.145.55 2017年7月9日 (日) 18:47 (UTC)[返信]

報告 インデント戻します。上記2017/06/28 11:03(UTC)の日付で指摘した問題点に対しては具体的な対応がなされず、たとえ当ノートにおいて応答があっても出典として二次資料が提示されることはなく単にIP利用者が自身の執筆内容を自己肯定するのみという経過をたどったまま約25日ほど経ちました。各問題点は解消していないため、当該部分は、信頼できる二次資料において未発表の説として削除しました。
また、下記の箇所は、【畜者や畜人が「牧牛、牧羊」と同様の意味だと主張したいかのように見受けられるが、これらが同様の意味だとする出典は未だ無い】旨の指摘をテンプレートで行ってから既に30日弱経っているが、出典の提示がないため、除去した。そもそも畜者や畜人が十牛図と関係が有ると述べている出典自体が無い。

[[大乗仏教]]ではこれ(引用者注:これとは、牧牛者・牧羊者のこと)に「畜者(畜人)」が加わり<ref>[http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E7%95%9C%E8%80%85&mode=search&uop=1 畜者], [http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E7%95%9C%E4%BA%BA&mode=search&uop=1 畜人] - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。</ref>

また、下記の文は「解釈」の節に載っているが、経文の中で特定の単語の出現があることを示したにすぎないので、これは十牛図の解釈を述べた文とは言えない。また、牧牛者(牧牛人)、牧羊者(牧羊人)という4語がそもそも十牛図と関係があると述べている出典が無いため、これら4語についての記述は、現在の版の十牛図記事にとっては瑣末な(あるいは潜在的に無関係かもしれない)情報なので、本文とはせず注釈化しておく。

「牧牛者(牧牛人)」や「牧羊者(牧羊人)」の語はすでに部派仏典にみられる<ref>[http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E7%89%A7%E7%89%9B&mode=search&uarsers%5B0%5D=%E9%98%BF%E5%90%AB%E9%83%A8&uarsers%5B63%5D=%E6%AF%98%E6%9B%87%E9%83%A8 牧牛 (阿含部 毘曇部)], [http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E7%89%A7%E7%BE%8A&mode=search&uarsers%5B0%5D=%E9%98%BF%E5%90%AB%E9%83%A8&uarsers%5B14%5D=%E6%AF%98%E6%9B%87%E9%83%A8 牧羊 (阿含部 毘曇部)] - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。</ref>。

削除前との差分はこれ→(差分)。--Leonidjp会話2017年7月23日 (日) 06:36 (UTC)[返信]

2017/06/27[編集]

現在の版では「概説」の節に、図中の人物を童子と見なす旨の記述がありますが、これ自体の出典が無いので、その節中の童子に関する記述は無出典として除去します。--Leonidjp会話2017年6月27日 (火) 07:18 (UTC)[返信]

上述の告知から7日以上経ちましたが出典の提示がありませんでしたので、告知のとおりに編集します。なお、現在の版の十牛図#概説には各図の解釈も書いてありますが、解釈は十牛図#解釈の節に置くことにします。解釈と「解釈でないもの」を分けるということです。いずれにしても、出典の無い記述は除去します。--Leonidjp会話2017年7月7日 (金) 05:02 (UTC)[返信]

編集しました(差分)。--Leonidjp会話2017年7月7日 (金) 05:18 (UTC)[返信]

本日さらに編集して、現在までにこのように変わりましたのでおしらせしておきます。--Leonidjp会話2017年7月7日 (金) 08:33 (UTC)[返信]

廓庵と弟子の慈遠の関係性、信憑性[編集]

廓庵の弟子という慈遠は、慧能を祭り上げて南宗禅を頓悟禅とし、自らをも鼓吹した荷沢神会をほうふつとさせるものがあり、慈遠の序の記述が十牛図の解釈に混乱を生んできたことが容易に推測されます。ページ本文には何らかの工夫が必要ではないでしょうか。--118.83.135.142 2017年7月4日 (火) 18:32 (UTC)[返信]

>>廓庵の弟子という慈遠は、慧能を祭り上げて南宗禅を頓悟禅とし、自らをも鼓吹した荷沢神会をほうふつとさせるものがあり、慈遠の序の記述が十牛図の解釈に混乱を生んできたことが容易に推測されます。
コメント その主張自体が、信頼できる二次資料において未発表の説ですので独自研究です。独自研究に基づいて記事を改変することは、Wikipediaの方針上、容認されません。--Leonidjp会話2017年7月4日 (火) 22:48 (UTC)[返信]

文献の紹介[編集]

廓庵の十牛図には各図に漢文と詩(漢詩)が付いていますが、それは下記の文献の175頁以降に載っていますので、十牛図に載せたければそこから取れます。漢文と漢詩の原文は転載しても著作権の問題は多分ないと思うので。

  • 上田閑照・柳田聖山 『十牛図』 筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、1992年12月

--Leonidjp会話2017年7月7日 (金) 10:55 (UTC)[返信]