2月に入り「働き方改革実現会議」で、「長時間労働是正」に向けての議論が始まった。争点は、「残業時間の上限規制」と「勤務間インターバル規制」の導入。先んじて制度を導入している先端企業の事例から、その効果と課題を探りたい。

 今回は、「2020年までに残業ゼロを実現する」と宣言した日本電産で、人事担当常務執行役員を務める石井健明氏に話を聞いた。月平均60時間の残業上限規制の導入が見込まれるなか、同社の「残業ゼロ」の狙いと対策とは――。

残業ゼロは目的ではなく、結果

<b>石井健明</b>(いしい・たけあき)氏<br />1981年一橋大学卒、三菱銀行入行。東京三菱銀行米州審査部長、三菱UFJフィナンシャルグループ財務企画部主計室長などを経て、2009年に日本電産入社。2012年から常務執行役員。
石井健明(いしい・たけあき)氏
1981年一橋大学卒、三菱銀行入行。東京三菱銀行米州審査部長、三菱UFJフィナンシャルグループ財務企画部主計室長などを経て、2009年に日本電産入社。2012年から常務執行役員。

2020年までに「残業をゼロ」にすると宣言した理由は?

石井常務執行役員(以下、敬称略):わが社は2000年代に入り、海外企業の買収を始めました。欧米企業では残業をしないで定時に帰るのが当たり前です。OECD諸国の生産性を見ても、日本は20位前後で推移しています。しかも、生産性がトップクラスの国と比べると2倍くらいの差がついています。ホワイトカラーの生産性をもっと上げよう、できるはずだ、残業ゼロでいこう、と永守重信会長が打ち出しました。

OECD加盟諸国の労働生産性=2015年/35国比較(出所:日本生産性本部「労働生産性の国際比較 2016年版」)
OECD加盟諸国の労働生産性=2015年/35国比較(出所:日本生産性本部「労働生産性の国際比較 2016年版」)
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 残業ゼロは目的ではありません。あくまでも目的は生産性の向上であり、その結果としての残業ゼロです。生産性を上げる、ビジネスで利益を上げる、あくまでもこの両立を目指していきます。そのためには、人への投資、設備への投資を進めます。わが社はコストに厳しい会社ですが、投資に関しては積極的。永守会長は、(人や設備への)投資については、これまでほとんどNOと言ったことはありません。

残業ゼロを実現するために、1000億円投資をするとか。具体的な中身は?どのように進めるのでしょうか。

石井:生産・開発部門では、スーパーコンピューターの導入を加速します。人工知能の活用も進めます。最新の機械、システムへの投資は、いずれも億単位。社員に対する教育投資にも力を入れます。

 この2月、社内の「働き方改革委員会」の下に7つの分科会を立ち上げました(下図)。いずれも役員クラスが委員長を務め、各部門から4、5人の社員が参加しています。

 第一に英語の分科会を立ち上げたのは、わが社は海外の顧客も多く、資料を翻訳したり、会議で通訳を入れたりすることで、業務が非効率になっているためです。すべての社員が英語で仕事ができるようになると、効率化が進むと考えています。

「働き方改革」の着手により、残業時間が半減した日本電産
「働き方改革」の着手により、残業時間が半減した日本電産

 第二の委員会は、管理職のマネジメント力向上。上司が忙しすぎると、部下がどのように仕事を進めているか分からなくなります。まずは1日のはじめに、その日にやることを把握します。そして最後に1日のアウトプットを把握することを徹底する方針です。

 経営とはマイクロマネジメントである、と永守会長は常々言っています。通常、マイクロマネジメントとは否定的な意味合いで使われますが、この場合は、肯定的な意味合いです。たとえばオーケストラの指揮者は、それぞれのパートがどのタイミングでどのくらいの音量で、どのような音色で音楽を奏でるのかをすべて把握しています。経営者も管理職も、指揮者と同じだというのです。部下がいつ何をするのか、把握した上で動かす役割を担うというのです。

すでに2015年から取り組みをはじめ、残業が減り始めていると聞きます。どのような取り組みをされたのですか。

石井:2015年下期から、全社平均の残業は月29時間から16時間にまで減りました。約半減したことになります。

 まず「残業を減らそう」という積極的な声がけ、これで3割ほど減りました。残り2割は、会議を減らしたことが大きいようです。会議に出席する人を減らす、時間を減らすことを徹底しました。1時間の会議を45分として、日中、上司が会議でほとんど席にいないという状況をなくしたのです。上司が会議の合間に15分でも席に戻れば、部下の相談を受けることができる。これで仕事がかなり流れるようになりました。

生産性の向上を目指す上で、時間当たり生産性をどう測るのでしょうか。生産現場と違い、事務部門では難しいかと思います。

石井:難しいのは事実です。時間当たりの労働生産性の定義をいうなら、時間あたりの創造的付加価値。「付加価値額」を「労働投入量(労働者数×労働時間)」で割ったものです。これを測るには、先ほど言ったマネジメント力、部下のアウトプットを把握する力を上げていくしかない。業務フローの改革も必要でしょう。

残業代が減った分は、賞与や教育費で還元する

社員にとっては、残業が減ると、残業代が減ってしまうという心配があります。これには、どう対処するのでしょうか。

石井:実は、社員が直接、永守会長に声を届ける仕組みがあります。そのなかには「残業代が減ると、住宅ローンが返せない」という声があったのは事実です。会長は「収入が減らないようにするから、安心して残業を減らしてくれ」と返しました。

 残業代が減ったことで浮いた人件費の半分は、賞与に載せています。残り半分は、社員への教育投資という形で還元します。英語、マネジメント、IT、技術など、社内施設で勤務時間終了後に数々の研修講座を開いています。むろん社員が率先して研修を受けないことには還元されませんが。

 2016年の冬の賞与では、残業代が減った分の補てんとして、一人当たり7万円ほど上乗せされました。ただし、今後はベースの給与に入れるべきでしょう。今年から給与に組み込む形での改定を検討しています。

若いころ、また伸び盛りの時期には、がむしゃらに働きたい人もいます。そうした社員であっても残業ゼロは守らなければならないのでしょうか。私なども会社員時代は猛烈に働いていましたが、時間をかければよりよいものができると思い、苦ではありませんでした。要領が悪い分、時間でカバーしてようやく人に追いついていた面もあります。

石井:世の中は変わっています。これまでは時間をかけて仕事をする人が評価をされてきましたが、これからは単位時間当たりのアウトプットが評価される時代です。手が遅い人でも、時間をかけて頑張ればよかった時代は終わったのです。

 これからは、勤務を終えた後に自己啓発をして力をつけて、手の速い人に追いついてもらいたい。そういう意味では厳しくなっています。先輩に夜遅くまで仕事を教えてもらう時代はもはや終わりを告げました。

残業規制を厳しくすると、サービス残業が増える心配はありませんか。

石井:リスクはあると思います。それについては非常に神経質になっています。わが社にもかつてはサービス残業をする人がいましたが、3年ほど前にほぼゼロになりました。勤怠管理のシステムを導入し、自己申告と入退館の記録を突き合わせて、明らかに差がある人に関しては「何かありませんか」と人事から問い合わせをしています。「自宅で仕事をしている」というケースがあれば、在宅勤務制度がなくても、申告して残業としてつけさせるよう管理職に指導をしました。

お客さまに「明日朝までに」と言われないような競争力を

「明日の朝までにどうしても仕上げてほしい」。こうした顧客からの無理難題に対応することも、長時間労働の一因と言われています。つまり「お客様は神様です」という意識。こうした意識や商慣行を変える必要もありますか?

石井:ビジネスの競争上必要ならば、それは残るでしょう。突発事項に対応せざるをえないこともある。そういう意味では、残業が完璧にゼロにはならないでしょう。ただし、お客さまに「明日朝までに」と言われないような競争力をつける、そうした工夫はしなければいけません。

会社がどのような成長段階にあるかも、影響しそうです。

石井:会社の創業期に、働き方改革を実行して残業ゼロを達成するのは無理です。永守会長自身が「人の倍働いて会社を大きくしてきた」とよく言うように、わが社にもそうした時期があったということです。

 ただし今は、会社も大きくなり違うステージにきています。いい人材を確保するためにも、残業を減らす必要があります。その場合の人材とは、日本に限らず世界各国を指しています。

残業を減らすには、会社全体で仕事の「量」の調整、そして過剰品質の強迫観念を捨てる「質」のコントロールも必要なのでは。

石井:量を調整するよりも、1人当たりの仕事量が多ければ、人を採用することが必要です。私が7年前に日本電産に転職してきた当時の売り上げ高は約6000億円、それが今や1兆2000億円。人事のスタッフも当時25人だったのが、50人に膨らみました。会社全体の2020年の売り上げ目標は2兆円。仕事が増えるなかで、新卒採用も2017年度は500人、18年度は750人、19年度は1000人と増やしていきます。1人当たりの負荷が大きくて支えきれないとなったら、人を採用しなくてはいけません。 

 質のコントロールでいえば、製品の質は落とせない、不良品を出すことはできませんから。サービスの質については、競争との兼ね合いでしょう。最終的には競争に勝てばいいのです。

 社内業務に関していうなら、「こんな資料はいらない」と、永守会長自ら度々発言しています。もっと(業務の見直しについては)徹底しないといけないでしょう。

経営層にはコーチングを受けさせる

残業ゼロに向けて、社内の仕組みの改革には着手しました。では社員、管理職、経営者がそれぞれするべきことは何でしょうか。

石井:社員は自身への投資、管理職はマネジメント力をつけること、これは先にお話ししたとおりです。そして経営層については今、コーチングのレッスンを受けさせることを検討しています。事業本部長、新任の役員クラスが対象です。

 成功している人は、自分のやり方で成功してきたから、これまでのスタイルでいいと思ってしまいがちです。しかし必ずしも、そのやり方で部下や周りが動くとは限らないのです。360度調査をした上でコーチングを受けさせることで、本人への気づきを促したいと思っています。

 永守流の経営改革が注目されることも多いのですが、わが社は当たり前にやらないといけないことをただ実行しているだけ。ただし、やると決めたら、絶対に実行する。早く完璧に実行する。

 経営破たんしたメーカーからわが社に転職してくる社員も少なからずいるのですが、みな問題点は正確に把握しています。ではなぜ経営が厳しくなったのかといえば、「でもね」といって問題解決に取り組んでこなかっただけ。わが社は拍子抜けするくらい、当たり前のことをやっているだけです。

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