2016 年 64 巻 1 号 p. 16-19
アルミニウム地金の輸入量が年間1万トンとなり,国産化への要望が高まる昭和に入ってもアルミニウムの国産化は困難であるとされていた。後に昭和電工の社長となる森矗昶(もりのぶてる)は,「電気の原料化」という経営理念のもとに,ボーキサイトに代わる国内で入手可能な明礬(みょうばん)石を原料とする独自技術と自らが建設に携わった長野県大町の水力発電による電気を使って,電解精錬によるアルミニウムの生産に挑戦し,多くの困難を乗り越えて,1934(昭和9)年,わが国初の国産アルミニウムの工業的生産に成功した。2014(平成26)年,80年の歴史に幕を閉じたわが国のアルミニウム工業の興りをまとめた。