「10歳の子供がクルマに突撃」日本全国で荒稼ぎした「当たり屋家族」 のヤバすぎる正体

昭和事件史(5)前編
ミゾロギ・ダイスケ プロフィール

大阪に住んでいた当たり屋家族

当たり屋行為では、事故の加害者(実際は被害者)が警察に通報すれば事故現場検証が行われることになり、小沢らは写真を撮られていた。そして、その写真が新聞各紙に掲載されると、他にも被害に心当たりのある人たちからの警察への連絡が相次ぎ、北海道から九州まで全29件の犯行が明らかになる。

また、指名手配の効果は絶大で、警察が小沢の潜伏先を把握するまでにさほど時間を要さなかった。

「交通事故の被害者をよそおい運転者から示談金をだまし取っていた『子供を使った当たり屋事件』の高知県香美郡●●生まれ無職小沢石雄(44)は三日午前零時五十分、また共犯で小沢の愛人の江口淑恵(27)=本籍大阪市●●区=は同日零時半、大阪市西成区桜通り●●の潜伏先で西成署員に逮捕された。また同時に十歳と三歳の子供も無事同署に保護された」(日本経済新聞1966年9月3日付朝刊)

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小沢は、“内縁の妻”または“愛人”とされる江口、10歳の少年A、3歳の幼児Bと一緒に、大阪府内の賃貸住宅に真新しい家財道具を設えて生活していた。その家を世話した江口の知人の通報により、捜査員は9月2日夜に近くで待機を始め、0時過ぎに室内に踏み込むと、まず室内にいた江口を逮捕。約20分後に、「いつまで待たせるんだ」と入ってきた小沢の身柄をおさえた。小沢と江口は別の家に転居する支度をしていたのだった。

逮捕により様々な事実が判明

逮捕された大人2人と、保護された2人の子供は警察署に移動。当時の警察は、記者が容疑者を直接取材する機会を設けており、そこで小沢と江口はなんとも身勝手な釈明をした。また、新聞は少年Aの声も紙面に掲載しているが、それは人々を同情させるものだった。3人は何を語ったのか? そして、いかなる理由から当たり屋行為を繰り返したのか? 後編<「何も知らない」「お母ちゃんはいい人や」昭和の当たり屋家族の実行犯、10歳の少年の切なすぎる証言>では、引き続き、当時の報道をもとに事件の深層に迫ってみたい。

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