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2009.03.04
 
「ZUNTATA」結成当時のヨモヤマ話
「ZUNTATA」のリーダーは誰?
高木氏のデビュー作「ダライアス」サウンド開発秘話
 


みなさん続きまして。第2回のインタビューに続いてまたまた登場となりました、ライター活動開始がなんと1993年という、業界の生きた化石こと鴫原盛之です。著書に「ファミダス ファミコン裏技編」「ゲーム職人 第1集 だから日本のゲームは面白い」(ともにマイクロマガジン社刊)のほか攻略本、ムックなどの共著も多数。今となってはあまりにも多数になってしまったので、全部でいったい何冊書いたのかはとっくの昔に忘れてしまいました……。
 

「ZUNTATA」とは?

株式会社タイトーのサウンド開発部門の総称。アーケード・コンシューマなど各種ゲームサウンドの制作をはじめ、アルバムおよびイベントの企画・制作やモバイルサイトの企画や運用も手がけるなど、その業務内容は多岐に渡る。アルバムは1987年の発足以来、これまでに80枚以上をリリースしている。

  <出席者紹介>
高木 正彦(mar.)

「ラスタンサーガ」「ナイトストライカー」などの今なお記憶に残る名曲たちを生み出したZUNTATAのコンポーザー。ライブではギターを担当していた。
なかやまらいでん(旧:中山上等兵)

タイトーで「ライトブリンガー」「グリッドシーカー」「電車でGO!」などのサウンドを手がけた後、フリーに転向。現在も精力的に作曲活動を行っている。近年の代表作は「ロストマジック」(タイトー)、「魔牙霊」(マイクロソフト)など。
石川 勝久(ばびー)

効果音制作を中心に活動するZUNTATAのサウンドデザイナー兼サウンドディレクター。効果音制作の代表作に「メタルブラック」「ダライアス外伝」「サイキックフォース」などがある。「電車でGO!」のテーマソングを歌うなど、ZUNTATAのライブパフォーマーとしても活躍している。
内田 哉

ZUNTATAのチーフプロデューサー。ZUNTATAを率いる傍ら、各種サウンド制作はもちろん、サウンドドライバの開発や様々なサウンドエンタメコンテンツの企画設計など幅広い活動を行っている。
   

 
●「ZUNTATA」結成当時のヨモヤマ話
   
鴫原: まず最初に、「ZUNTATA」結成までの経緯からお話を聞かせていただきたいと思います。そもそも、なんで「ズンタタ」という名前にしたのか、その由来と結成した動機は何だったのかを教えてください。え~と、これは当時から在職していた高木さんにお聞きするのがよろしいでしょうか?
   
高木: はい。この質問には今までに何万回ぐらい聞かれたかなあ(笑)。1987年にアルファレコードさんから、「タイトーゲームミュージック」や「ダライアス」のCDやLPを発売させていただいたあたりから、世間的にもゲームミュージックがだんだん認知され盛り上がるようになりましたので、そこでバンドとかブランド名をつけて活動したほうがいいのではないか、という考えが出てきたのが最初のきっかけです。とはいえ、当初はバンドとかチームユニットを作ろうなどといった概念はまったくなかったですね。
   
鴫原: では、「ZUNTATA」という名前を最初に思いついたのは、やはりOGRこと小倉久佳さんですか?
   
高木: いえ、名前は元々広報担当者の発案なんです。候補にあがった名前を3つぐらい提示されて、「この中のどれかから名前を選んでくれ!」と言われたので決めました。当初は「ZUNTATTA(ズンタッタ)」という名前が候補になっていて、これなら3拍子のリズム感みたいな名前になっていて面白いと思ったんですよね。でも、「『ズンタッタ』だと何か詰まるような感じがするからどうしよう?」と、正式に決まるまで社内でも随分議論したように記憶していますが、最終的にはここから「T」を1文字取った「ZUNTATA」となりました。
   
内田: そうだったんだ!広報の方の発案だなんて今、初めて知りましたよ!(一同爆笑)。
   
鴫原: 「ZUNTATA」発足後、最初に発売されたゲームミュージックCDは「タイトーゲームミュージック」になるかと思いますが、当時としてはかなり売れたほうに入るのでしょうか?
   
大野: (当日同席していたユーブック大野)
もちろん!当時のアルファレコードで出していた関連レーベルだと、2万枚ぐらい売れたとしても「今回のはイマイチだったな、じゃあ次の作品ではまた頑張ります」って言っていたぐらいだから(笑)。ちなみに、タイトーとアルファレコードとの接点が最初にできたのは「マル勝」(角川書店)のイベントだったんだよね。そこで自分たちが「GMOバンド」というのをやっていて、販売ブースでアルバムを売っているところに、「なんでタイトーのアルバムがないんですか?!」とタイトーの広報の方に言われたところからコネクションが出来上がったんだよね。
   
  ※「GMOバンド」:このイベントのために結成した企画バンド。構成は、ツインキーボード男1女1・シンセドラム・ゲームプレイヤーの4人編成。確かステージはこの1回きり。
   
鴫原: あの「ZUNTATA」の弁天様みたいなロゴマークはどうやってできたのですか?
   
高木: 最初のマークは、当時のゲームプランナーでキャラクターデザインなどもされていた方にデザインをお願いしました。
   
なかやま: 次の2代目のマークをデザインしたのも同じ方ですね。確か小倉さんが直接頼んでいるところを見たような記憶がありますね。私がちょうど入社して配属されたぐらいの時期だから、1988年頃でしょうか。
   
内田: 実は初代のマークって、実際に採用されたもの以外にも何種類かのデザインがあったみたいですね。
   
なかやま: そのようですね。結局、最初のマークが使われたのは「ダライアス」のアルバムだけで、もう次の作品が出るときには2代目のロゴに変わってしまいましたからね。
   
鴫原: 3代目のマークからデザインが大きく変わりましたが、これには何か理由があるのですか?
   
石川: これは「ZUNTATA」という名前でタイトー自社レーベルを立ち上げるにあたって、デザインもガラッと新しく変えようという話になり、外部のデザイナーさんに頼んで作ってもらいました。今までとは全然違うポップなデザインがあがってきたので、最初は部内でも賛否両論がありました。2代目のマークの使用期間が長かったので愛着もかなり強かったですからね。
   
内田: 最初見たときはかなりインパクトがありましたね。「こんなに変えちゃっていいの?」みたいな。
   
石川: 現在使用している4代目のマークを決めるときは、いくつか候補があった中から最終的に一番おとなしくてシンボリックなものを選びました。漏れた候補の中には、3代目よりもすごい変わったデザインで、まるでヒップポップ調の「チェケラッチョ!」みたいなキャラが描いてあるのもありましたけど。
   
内田: あまり個性的過ぎるデザインにしてしまうと、後でゲームの中にスタッフロールとかで「ZUNTATA」のマークを表示したときに違和感が出てきてしまうんですよね。それこそ、「人類滅亡の危機!」みたいなシリアスなストーリーのゲームに、「チェケラッチョ!」みたいなのが出てきてはさすがにマズイですしね(笑)。
   
石川: それから、モノクロでも映えるものにしようという思いもありました。今回の完全シルエットのデザインは、個人的にかなり気に入っていますよ。
   
  ZUNTATA 歴代ロゴマーク
 
初代 2代目 3代目 現在
 
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※なくなり次第終了
   

 
●「ZUNTATA」のリーダーは誰?
   
鴫原: 「ZUNTATA」の結成当時は誰がリーダーを務めていたんですか? また、歴代のリーダーはどうやって決めていたのでしょうか。
   
高木: 「ZUNTATA」では特に「リーダー」と呼ばれる人はいないんですが、強いて言うのであればサウンド開発部署の責任者がリーダーという形になるでしょうか。初代のリーダーは今村さんといいまして、1990年にやった「ゲームミュージックフェスティバル」のライブでティンパニや管楽器を担当していた方です。
   
鴫原: そうだったんですか! 私はてっきり小倉さんかと思っていたのですが……。
   
石川: 確かに小倉さんが当時の看板タイトルをいろいろ担当していてスーパーコンポーザー的な存在でしたけど、実際は部署の責任者になったことは一度もないんです。初代の今村さん以降は殿村(Tono)さん、高木さんときて、現在は内田が第4代目のリーダーになっています。
   
なかやま: ライブをするときは、その都度リーダー役というかバンドマスターを担当する人間はコロコロ変わってはいますけどね。初期の頃は、やはり小倉さんがバンドマスターをすることが多かったように思います。
   
鴫原: 後に「ZUNTATA」は数多くのライブ活動をすることになりますが、やはりこれは「ZUNTATA」の名前やマークを決めたことで、自然とそのような活動をしなければいけないと思うようになったのがきっかけですか?
   
高木: いいえ、すぐにやろうとは誰も思わなかったですね。しばらく後になって、別のところから「ライブをやりませんか?」とお誘いを受けて参加を決めたところで 小倉さんをはじめとした他のメンバーも同じように少しずつ機運が高まったからだと思います。やはりライブをするようになった大きなきっかけは、1990年の「ゲームミュージックフェスティバル」への参加を決めたことでしょうね。
   
大野: 当時はセガの「S.S.T BAND」とタイトーの「ZUNTATA」が一番進んでいて、バンドでのライブ演奏をお願いすればコンサートとして成立しそうだったので参加をお願いしたんだよね。
   
なかやま: もうずっと以前から、「『ZUNTATA』はどこかでバンド活動もやってるんだ」と周囲の人には思われていたのですが、発足した当時は特にライブ活動をやることなんて何も考えていませんでした。ただ後になってバンドをやることが決まったから、何か形にしなくちゃと思って急遽やり始めた、というのが本当のところですね。
   
高木: ええ、本当のところは普通のサラリーマンコンポーザーなんです(笑)。
   
なかやま: 当時は横浜の港北区にタイトーの中央研究所があったんですけど、我々が仕事をしていた隣の部屋に倉庫があって、最初はそこを使ってバンドの練習をしていました。「フルスロットル」とかの筐体がその辺にゴロゴロ転がっているのをどかして作ったスペースでやっていましたね。
   
高木: まだその頃は、社内で堂々と仕事としてバンドの練習ができるだけの「市民権」がなかったんですよ。ですから楽器も全部自前で用意して、段ボールをパーテーション代わりに立てて作ったスペースで残業時間とかを使って練習をしていました。そんな状態でありながら、実際のステージに立たせていただけたのは今思うと本当におこがましいというか何というか(笑)。
   
   

 
●高木氏のデビュー作「ダライアス」サウンド開発秘話
   
鴫原: 「タイトーゲームミュージック」のライナーノーツに載っている小倉さんのインタビューを見てみますと、「『ダライアス』の1面のBGMはmar.に頼んで打ち込んでもらい、これが彼のデビューワークになった」とのコメントがありますが、これは事実なのでしょうか。
   
高木: はい。もちろん曲自体は小倉さんの作曲なのですが、小倉さんが忙しくて自分でやっている時間がないからと、入社直後の研修課題みたいな形で私に曲データの打ち込みをするように言われました。こうじゃない、ああじゃないといろいろ言われながらも何とか作り上げることができましたね。あと、「ダライアス」では効果音の制作も私が担当したんですよ。あのボディソニック筐体を使って、いかにプレイヤーのケツを痒くするかを考えながら、いろいろ音程とかピッチを変えて試したりして作っていましたね(笑)。
   
鴫原: 確か、ショットの発射音にも振動板が連動して動くようになっていましたよね。
   
高木: そうです。基本的に振動しないということはできなかったので、それこそずっと垂れ流し状態なんですよね。それこそ「出るものは全部出しちゃえ!」みたいな。
   
なかやま: 「ダライアス」だと、ウェーブを撃ったときのあのポワーッていう音が気持ちよくて好きでしたね。
   
鴫原: 私もそうでした! しかも、初期バージョンだと(ショットがパワーアップする)赤球があまり出てこないから、苦労してウェーブになったときはなおさら気持ちがよかったですよね。
   
高木: それから「ダライアス」では、ボスの巨大戦艦を倒したときの爆発音がものすごく長くなっていますよね? これは小倉さんに最初に作った音を聞いていただいたときに、「この音にはストーリー性がない!」と言われて手直ししているうちに、最終的にあんな音になったんですよ。「爆発音にストーリーを入れるにはどうすればいいのかな?」と思いつつも、自分なりに「いろいろああなってこうなって、最後の消えるところで最大ボーリュームでドカーンと鳴る……」などとイメージしながら作りました(一同爆笑)。
   
鴫原: 音源の調整方法とか、効果音制作のコツみたいなものはどうやって教わったのですか?
   
なかやま: 入社したときにデータの打ち込み方自体は教えてもらえるんですが、具体的にどの音を組み合わせればこんな音色になるみたいなノウハウは誰も全然教えてくれないんですよ。ですから、後はもう自分たちで独自のノウハウを身につけるしかありませんでした。
ダライアス/ZUNTATA~タイトー・ゲーム・ミュージックVOL.2
「ZUNTATA」の表記とマークが入った最初の 作品。LP版ではB面にアレンジバージョンも収録されている。
   
高木: 途中から効果音よりもBGMのほうにみんなの関心が向くようになってしまいましたが、効果音も作っていてとても面白かったですね。ことゲームにおいては、BGMも効果音もフィフティ・フィフティの関係じゃないですか? そういう意味で、BGMは効果音を邪魔しない、逆に効果音もまたBGMを邪魔しないようにバランスを考えながら作るのは本当に楽しかったですね。今思うと、両方の制作をやらせてもらえたのは、とてもたいへんでしたけどすごくいい経験になりました。
   
なかやま: 今だったら効果音はサンプリングを使えばリアルな音がすぐ出せるようになりますが、この頃はPSGとかの音源をいろいろいじって、いかに要求されたとおりの音を出せるかを考えながら作るという時代でしたからね。ひとつひとつの音に対して、本当に手間をかけて作っていました。それと当時は、みなさんが効果音を作っている姿がすごくカッコよく見えたんですよね。効果音を実際に(楽器で)弾いたりしながら作っていましたから、普通の曲を作っているのとまったく同じように見えましたからね。
       

  次回も引き続き、「ZUNTATA」スタッフのみなさんが制作を手がけたゲームミュージック作曲時のエピソードなどをお伝えします。お楽しみに!

★次回 ZUNTATAインタビュー2/4回 は、2009.03.11公開です
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