水利科学
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一般論文
聖武天皇と国土経営
松浦 茂樹
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2017 年 61 巻 5 号 p. 53-70

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抄録

東大寺大仏を建立したことで有名な聖武天皇は,また都を平城京から恭仁京,難波京と遷したのち,再び平城京に還ってきた。この間,天平12(740)年12月からわずか4年半である。その意図について,国土経営の観点から仮説を論じたものである。 木津川沿いの恭仁京への遷都は,平城京の物資輸送に大きな役割を果たしていた大和川舟運に支障が生じたからと考える。天平6(734)年4月,畿内は大地震に見舞われたが,その時に地すべり地帯である大和川亀ノ瀬峡谷部で舟運に影響を与える変動が生じたとの推測からである。舟運のための淀川・木津川整備は,恭仁京遷都に合わせて進められていったのだろう。 難波京遷都は,海外との文化交流あるいは文物の移入のための表玄関の整備と考える。平城京還都は,天平17(745)年4月に美濃国を震源とした大規模な内陸直下型群発性に襲われたことが最大の理由と考える。当時,恭仁京に都の人々は住んでいたが,地震に襲われた直後,先を争って平城京に帰っていった。

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© 2017 一般社団法人 日本治山治水協会
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