水曜どうでしょう・カルトクイズ大会の裏

 本題に入る前に一言…。
 水曜どうでしょうとは、一言で言えば北海道で一番人気のあるローカル深夜番組です。
 内容について知りたい方は関連サイトで調べてください。ここでは省略します。
 なので、このコーナーは「水曜どうでしょう」を知っている人のみご覧ください。
 


この話は4部構成です。
第1話:予選編  第2話:決勝編  第3話:収録終了後編  第4話:収録終了後編・2



第1話 予選編

 やはり、語らねばなるまい…。あの日の事実を!

時は1998年1月31日。私は「第1回水曜どうでしょうカルトクイズ世界大会」(これが正式名称)会場であるHTBの駐車場にいた。会場には開始前から大勢のファン(=マニア?)が集まっていた。既に入り口には第1問の看板、そして「○」と「×」のボード…。つまり最初は○×クイズというわけだ。このあたりはOAされているので、雨竜町の問題で一気に人数が絞られたのはご存知だろう。

「番組で初めて大泉洋が鈴井貴之のことを“ミスター”と呼んだのは雨竜町である」

私は考えた。なぜこの問題が解けないのか??アーヘンの幽霊ホテルの部屋番号がわかる人達がなぜこのくらいの問題を間違うのか?私は当然答えは知っていたから自信満々に「○」へ行ったが、「×」へ行った人達の行動がわからなかった。
本気で間違えているのか?それとも「もう鈴井・大泉を見たから」と言って帰る気だったのか?
いろいろ考えたが、大泉さんが「○」の札を掲げた瞬間に会場が絶叫状態だったので、たぶん本当に間違えたのだろう。

「○」に残ったのは13人くらいだったと思う。だが、私以外全員が落胆していたのはどういうことだ。
これでは私一人がバカみたいではないか。たぶん私以外の正解者はきっとわかっていなかったのだと思う。(いたとしても、ほんのわずかだ)
正解者はこの時点で1次予選通過が決定。スタッフの人に誘導されて会場の隅っこへ移動。
そこへ藤村Dが話しかけてきた。

「よくわかったねぇ。すごいよ君たちは。」

だが、本当にわかったヤツが少ないことはわかっていたようだ…。

ところが、このあと敗者復活戦が行われた。2次予選は20人程度を考えていたそうだが足りないということらしい。その間、我々(雨竜町問題の正解者)は寒い中1時間も待たされたのだった。しかも当日は雪。寒かった…。敗者復活戦のあと、一同は集められて「1次予選通過者」として紹介された。このあと局内へ移動するのだが、敗者との区別がつかないということで、予選通過者全員手を上げてスタッフに誘導された。
(このへんはOA時のオープニングの一部に映っている)

導かれるがままにHTBの裏口から局内に入り、1階の広い部屋に着いた。
2次予選の会場である。
そこには机が並び、奥には紅白の垂れ幕や早押しクイズで使うようなボタンと回転灯。
先の展開が読めた。
要はまず筆記試験でもして、上位3人くらいが早押しクイズで決勝戦だろう…と思っていたらその通りだった。

思えば私はいつも「どうでしょう」で先の展開を読もうとしている。
そしてそれがたまに当るから困る。
サイコロでは大体先が読めるし、「原付西日本縦断」に至っては、直前の放送(四国八十八ヶ所巡り2)の後枠の「新企画」の単語で推察したことがある。


話を戻そう。


2次予選は選抜筆記試験。OAでも大泉さんが言っていたが何とここ(2次予選)まで来ておきながら帰ったヤツらがいた。たぶん敗者復活戦で残ったヤツか、雨竜町問題で正解してガッカリしたヤツだろう。何が「用事がある」だ?そんなことだったら始めから来るな!「貴様にどうでしょうマニアの資格なんかない!」と言いたくなった。

カルトな難問40問(くわしくは筆記試験問題公開ページを見てほしい)と言われて、正直困った。
確かに○×クイズは後半の問題は結構難しかったから、2次予選ならそれ以上の問題が出るのだろうと思ったからだ。とりあえず問題用紙が配布されたのだが…何と解答時間をこの時まで決めていなかった。さすがだ。スタッフ協議の結果50分と決定。スタッフの1人はこんな言い訳をしていた。


「何しろ、この番組ですから」


妙に納得してしまった。

そしていよいよスタート…。寒い外に2時間以上いたため手がかじかんでうまく動かなかった。第1問からスラスラ答えを書いていく私を見て、大泉さんがこう言った。


「何で君はそんなにスラスラ書けちゃうの?!」


わかるからとしか言えなかったが、その時のことはあまり覚えていない。書くのに真剣(というか夢中)だったからだ。むしろ嬉野Dとのやりとりの方が印象に残っている。ヨーロッパ関係の問題で答えがわからず悩んでいたときだった。


嬉:「どうだい?難しいかい?」
私:「うーん、わからないですね…」
嬉:「そうだねぇ。これ(宿泊料の問題)なんて字幕でしか出てないからねぇ」

この時はカメラを回していないため、嬉野Dは様子を見まわっていたのである。

確か解答中だったと思うが、問題用紙の1枚目に名前と住所を書けと言われた。そして席番を決めるからそれも書いて欲しいと言われた。確かに、初対面で顔と名前は一致しないだろう。懸命な措置だと思う。そしてあっという間の50分が終了。スタッフ(ミスター含む)が採点の為に控え室へ。その間に別のスタッフがカメラなど機材のセッティングを始めた。
意外にも(?)機材のセッティングが早く終わったため、大泉さん・藤村D・嬉野Dは参加者との記念撮影に応じていた。ちなみに私はカメラを持っていかなかったので、その時の様子を写真でお見せすることができない。その間、何もすることがなかった。参加者は限られた範囲でしか行動を許されなかったため、自販機でジュースを買って飲んでいるしかなかった。

そして、運命の結果発表。
本当は勝ち残る自信が無かった。それは前述の通りなのだが、発表が進むにつれて心配が「まさか…」に変わり「大泉洋くん、26点」と発表された瞬間、勝利を確信した。というかこの時点で発表されていないのは私一人だから当たり前と言われればそうなのだが。正直、「何故この程度の点数(32点)で?」とその時(一瞬)考えたが1桁台の点数が続出していればそれも無理のないことであった…。同時に自分がかなり異常であることにも気がついた。


今まで、どうでしょうマニアというものはサイコロの旅のルートくらいソラで言えて、出演者の行動や発言を大雑把にでも把握しているものだと思っていた。現在でこそそこまで見る人は多くなったが、当時としてはかなり貴重な存在だった。 


と、いうわけで決勝進出決定。なお、筆記試験挑戦者全てに参加記念色紙とオリジナルプリクラ(ミスター・大泉さんが写っている)がプレゼントされた。


続きは次回…。


第2話 決勝編

さて、決勝戦である。皆さんも(…と言ってもOA見た人だけだが)ご存知のように
決勝進出者は以下の4名。

 1:墨谷さん
 2:私(田鎖)
 3:能登さん
 4:大泉さん(シード権?)

意外なのは、女性が2名もいるということ。女性の方が深夜番組を熱心に見るのだろうか?大泉さんは「ビンボーくさい面々」と称していたが、あの中で一番ビンボーくさいのは大泉さんであることは誰が見ても明らかだったが、さすがにそれは言えなかった…

さて、筆記試験の結果発表が終わり、決勝戦の前にお約束(?)の一言が…。それは、

「こちらで着替えてください」

遂に来てしまった…。場違いスタイリスト・小松江里子さんの登場である。まさか王子様の衣装とか着せられるのか?とその時は思ったが…用意されたのは着物であった。しかもそれはどうみても「笑点」の衣装にしか見えない。(後で聞いたら、やはり笑点を意識していたらしい…)着替えの手間を省くため、ジーンズとTシャツを着たまま上から羽織るような感じで着物を装備。ちなみにこの衣装、かなり高かったらしく(借りたのか買ったのかは不明。たぶん借り物)プロデューサーの土井さんが愚痴をこぼしていた。

「高すぎるんだよ、それ…」

確かこの時だったと思うが、藤村Dがこんなことを教えてくれた。

藤:「ほぉ、田鎖君は学生なんだ。」
私:「はい、北海学園です。」
藤:「あ、じゃあ大泉と同じ大学なんだ…アイツ、教職試験落ちたら俺達のせいにしようとしてるんだよ」

この時初めて大泉さんが教職過程を履修していることを知った。それも、教員採用試験に落ちたときの口実も。うーん、大泉先生…。「試験に出るどうでしょう2」ではないが、あまり違和感がない。ただ、教師として向いているかといえば、向いてないだろう。それはこのあとに書くことでわかると思う。

さて、決勝進出者にはごほうび(?)として、昼食が用意された。どこかの弁当屋さんのカツ弁当(またはサイコロステーキ弁当)と「金の烏龍茶」。ここはテレビ局らしい光景だ。しかし食べる時間があまりなかった。この食事、決勝進出者だけが食べることを許された。ギャラリー(2次予選脱落者)には配られなかった。さすがにそこまで予算がなかったようだ。しかし、誰一人として(昼食の為に)帰る人はいなかった。みんな、決勝の行く末を見届けたかったのだろう。

そして決勝戦収録開始。ミスターの一声で始まった。

カットされた部分で何の問題が出たかはここでは書かない

なぜかって?

覚えてないのだ。それはOA自体の尺は40分(前編・後編あわせて)だが、実際の収録時間は3時間以上である。その間、ずっとあんな感じでダラダラとクイズをやっていたのだから。何度もテープチェンジがあり、そのたびに「休憩します」と言われた。こちらも負けじと(?)スタッフにお茶を要求した。HTBのADさんは優秀で、すぐにお茶を持ってきた。

決勝戦で印象に残ったところと言えば、やはり1番は大泉さんと私の争いやりとりになる。例えば、大泉さんがある問題に正解し、そのときの状況などを(調子に乗って)喋りだしたときに

「この先問題になるかもしれないじゃないですか…」

と私が言ったシーン。正確には言おうとしたのだが、すかさず藤村Dが

「そうだよおまえ、田鎖君の方がよっぽど(展開を)わかってるじゃねぇか」

と言ってくれたので遮られた。

だが、このダブルパンチはさすがに効いたらしく、結果的に大泉さんは

「じゃ君やればいいじゃん」

と言って逆上し、
試合放棄しようとした。OA上ではこのシーンは1度きりだが、実は3〜4回あったことを付記しておこう。(大泉さんの「姫路城です」というボケを、私がわざと無視して藤村Dに「次の問題を…」と言ってボケ殺しをした場面など)

言葉のやりとりのパターンは違うが、結果的に大泉さんにかなりの(精神的)ダメージを与えた。“大泉マニア”には悪いが、番組的にはかなりおいしいシーンであった。収録後に藤村Dやプロデューサーからお褒めの言葉も頂戴した。視聴率はどうだったのか?(特にリターンズは気になる…)試合放棄発言のあと、大泉さんはすねて、舞台上でカメラに背を向けて寝っころがった。(ここはOAされてない)そのたびに藤村Dやギャラリーは爆笑。ミスターが大泉さんを諌めてなんとか再開。その繰り返しだった。ミスターには悪いことをしたと反省。(大泉さんに対しては反省の余地無し)しかしミスターは一体何故あの場にいたのか疑問だ。ミスターが読み上げたフリップ問題は3問(OA上では1問)。まさかこのためだけにいたのではあるまい…。 

OAを見た方が他に印象に残ったシーンといえば、

 「ボタンを押した後のランプの不可解な点灯
 「私があまりに答え過ぎなのでボタンを遠ざけられる
 「いつのまにかボタンが戻ってる
 「小道具の扇子でボタンを押す男」
 「最強問題・バレンチノ

だろうか。順に解説しよう。(これ以外の質問はメールででも…)

1:「ボタンを押した後のランプの不可解な点灯」
まず、私がボタンを押したのにランプがつかなかったシーン。これは私がボタンを強く叩きすぎた為に、接続コードがとれかけていたのだ。この直後にスタッフが直してくれた。次に、大泉さんの解答途中に他の人(墨谷さんと能登さん)がボタンを押したらランプがついたシーン。これは藤村D含むスタッフの悪意(?)で、こうしたら面白くなるという演出サイドの配慮と考えられる。あるいは、女性陣があまりにも差をつけられた(原因は私と大泉さんの点の取り合い)ための配慮かもしれないが、どちらにしても大泉さんの解答権を奪ったことには違いない。あのランプはスタッフがどうにでもできたらしい。幸い私は大泉さんのような目に遭わなかった。

2: 「私があまりに答え過ぎなのでボタンを遠ざけられる」
まぁ、当然かもしれないので笑って受け入れた。答え過ぎとはいわれるが、答えたほうが結果的に(番組が)面白くなったのは誰が見ても明らかだった。「なんでそんな問題がわかる?!」という人物がいなければ、こうしたカルトクイズは成功しない。
ちなみにこのクイズ大会決勝戦は、誰も答えられない問題というものがなかった。どんな難しい問題にも誰かが必ず答えていた。この点は非常にプロデューサーやディレクター・スタッフから評価された。普通、クイズ番組には大抵誰も解答できない問題というものがあり、それは解答者の知識・常識不足と問題製作者の認識・読みの甘さを露呈する。ところがこのカルトクイズ大会ではそれがなかったため、クイズの企画としては成功したと言えるのではなかろうか。

3: 「いつのまにかボタンが戻ってる」
前述の項目2で、ボタンを遠ざけられたのに気がつくと戻っていた…。実はボタンを押した(答えた)ときに手前にボタンを引き、少しづつ手前に引き寄せていたのである。一気にやるとさすがにばれるので(ばれたけど)少しづつ引き寄せていた。だから多く解答する必要があったわけだ。(単にわかる問題が多くあっただけだが…)

4:「小道具の扇子でボタンを押す男」
これはかなり笑いがとれたボタンを再び離されたら絶対にやってやろうと思っていた。小道具の扇子もスタイリストが用意したものだが、大泉さんが扇ぐ程度にしか使っていなかったので、こんな風に使ってくるとは誰も考えなかったはずだ。しかし、扇子でボタンを押すのは意外にやりづらかった。その後は普通に手でボタンを押した。

5:「最強問題・バレンチノ」
100点問題であり、最終問題である。1秒間の映像を見て、映像内の大泉さんが何と言うのかをあてる問題だ。「100点」と聞いたとき、私はうなだれていたがあれは芝居だ。

なぜかって?

左右の2人は後半戦はほとんど答えていないため、この問題に答えてくるとは考えにくかった。だから、大泉さんから解答権を奪ってしまえば勝利は確定する。そう考えた。(実は大泉さんがクイズ1問に対して何回もボタンを押すため、途中から解答権は1問につきひとり1回になった

私は考えた。

大泉さんは必ず、私より先にボタンを押してくる決まっている。彼はそういう性格の男なのだ。たとえ一般人(…でもないか)が相手であっても負けたくはない。そう思っていたことだろう。ならば押すふりをして、問題文を読まれる前に大泉さんに先にボタンを押させてしまえばいい。そうすれば彼の優勝はなくなる…

そして運命の映像がモニターに映し出されたまさにその直後、大泉さんはボタンを押してしまったのだ。問題文が読み上げられる前に…。当然答えられるわけがなく、大泉さんの優勝は消えた。彼はまさに、私の作戦に引っかかったのである。すなわち、私に騙されたのだ。

さて、大泉さんのことはいいが問題は自分が答えなければいけない。映像の時点で答えの目星はついていたのだが確信がなかった。するとごていねいに映像をもう1度(頼みもしないのに)見せてくれたのである。これで答えは決まった。万が一間違えてもいい。そう思ってボタンを押した。答え方が疑問形(半信半疑)だったが、たぶんその時心のどこかに不安があったのだと思う。

そして結果は…ご存知の通りである。合計点数215点。ダントツで優勝。

「水曜どうでしょう マニア世界一」に認定された。

ミスターに冠をつけていただき(このシーンはOAされていない)、2次予選から続いた収録は終了した。次回は収録終了後の裏話と賞品の秘密を…。


第3話 収録終了後編

収録終了直前に言われたこと。それは優勝賞品の発表。
しかしミスターの口からは…

「優勝した田鎖君には、…大泉洋君が自宅まで車で送ります!

の一言。そう、この大会に賞品なんてなかったのである。
一応、ミスターがつけてくれたも賞品だとか…。

・賞品1:冠(紙製・アゴひも付)

…しかし、このままではこちらも引き下がれない。自業自得とはいえ、全道中にマニアっぷりをさらけだしてこのまま帰ったのではあまりにカッコ悪い。そこで、とりあえず目の前にあったサイコロをもらおうと思ったらそれも賞品だった。

・賞品2:サイコロキャラメル(中身入り)いっぱい

収録終了直後、まず目をつけたのがミスターが使ったフリップ。そこで試しに…

それ、もらってもよろしいですか?

と頼んでみたら、ミスターは

え?こんなもの欲しいの?

半ば呆れた感じで返答した。
しかしフリップはHTBが作ったもので、ミスターの私物のはずがない。ミスターはなんとスタッフに確認をとってくれた。そしてスタッフの了承を得て渡してくれた。

・賞品3:フリップ問題のフリップ3枚(ミスターの指紋つき)

ついでに前にあった名前ボードも頂いた。このボードは3枚あり、1枚が自分の名前のもの、1枚は大泉の名前入り、もう1つは未使用!

・賞品4:名前ボード(この賞品に関してはまた後ほど話題に登場。)

さらに自分の胸に付けていた番号札ももらった。

・賞品5:番号札(2番)

撤収作業中。嬉野Dが私に話しかけてきた。

何もないのも難だから、これあげるよ。

白い箱を渡してくれた。気になる中身は、な、なんとGショック!それもフラッシュG!今でこそどこでも手に入る品だが、当時は貴重だった。そんなフラッシュGを嬉野Dは気前よく私にくださったのだ。ちなみにこのフラッシュGは、以前の番組OAの中で視聴者プレゼントになったものと同じもの。たぶん、スポンサーから多く(視聴者用に)もらったのだろう。

・賞品6:フラッシュG(未使用)

そして控え室へ戻り、着替えた後。
ミスターと大泉さんの準備ができ次第出発ということで、控え室で待機する。控え室の机の上に筆記試験の問題用紙の余りがあったので、こっそり頂く。ここで奪っておいた(?)おかげで、今回の公開に至ったというわけですな。筆記試験問題公開ページでも書いたが、この試験問題は誰の手にも戻っていない。すなわちお蔵入りされるところだったわけだ。実際、この筆記試験問題は後に行われた「生き地獄体験ツアー」にて再利用(全てではないが、ほとんどの問題は同じ)されている。ネタばれを防ごうとでもしていたのだろうか。(だとすると、ツアーの計画はこの時点でできていたのかもしれない…)

・賞品7:筆記試験問題用紙(未使用)

さて、控え室で藤村Dが「これを君にあげようじゃないか」と言って持ってきたのは何とあの「オーストラリア大陸縦断」で使用した網つきの帽子!!しかも本人曰く「僕が使ってたやつだけど、こんなのでよければ」…いえいえ、とんでもない。ありがたく頂戴いたしましたよぉ。

・賞品8:オーストラリア大陸縦断で使用した網付きの帽子(藤村D使用済み)

いろいろなものをもらったのはいいが、その日私は手ぶらで来た為、入れ物がなかった。そこで、目の前にあったHTB紙袋(サイコロフリップなどを入れるやつと同型)をもらうことにした。

・賞品(?)9:HTBの紙袋

控え室では、スタッフの方達といろんな話をした
ホワイトストーンズ」の脚本はできているのに、なかなか撮影に踏み切れないジレンマを聞きちょっと同情した。普段“旅”のみを視聴者(あるいは局の上の人達)が要望するため、思ったことができない場合もあることを聞いた。(余談だが「ホワイトストーンズ」は撮影に時間がかかる上に、機材がいつものデジカメではないため運ぶのも大変らしい。予算も結構かかるそうだ。)プロデューサー土井さんが「これからは田鎖君にも編集を手伝ってもらいたいね」と言ってくれたりしてちょっと嬉しかった。冗談だとはわかっていても。そして、筆記試験問題の私の解答に関する質問も出た。「何でわかっちゃったの?」と…。

そしてそこへ大泉さんが登場。大泉さんともいろんな話ができた。大学の話(出身大学は同じ北海学園大学)、番組の話など…。そして大泉さんは「賞品3:名前ボード」の“大泉洋”の裏にサインを書いてくれた。“おめでとう”メッセージ入りで。

質問の中で、大泉さんが私にこんなことを聞いてきた。

今までで一番君にとって面白かった企画は何?

そこで、私が答えに出したのは

サイコロの旅2

であった。嘘でもなんでもない。これが私にとって一番「水曜どうでしょう」のベスト企画である。
(この理由に付いてはまた別の機会に。)

さて、ミスターの準備も出来たというので出発することになった。

帰り際にスタッフの方が、

次のクイズ大会には、チャンピオンとして出場してください

と言ってくれたが、次の瞬間にはプロデューサー(…だったと思う)が

次のクイズ大会は、この番組の最終回だね。

と言った。確か「水曜どうでしょう写真集」には“幻の最終回”として嬉野Dが文章を書いていたがそれより先に、最終回の構想がここでできていたということをここに付記しておく。

局内を導かれるがままに移動していたら、いつのまにか藤村Dのデスクに。その藤村Dの机の上には、かつて「未公開映像集」などで使ったフリップが無造作に置いてあった。その中で私が目をつけたのは「サイコロ4」のフリップだった。

これは欲しい

藤村Dにお願いしてみたらあっさり「いいよ」の一言…。そして藤村Dはミスターと大泉さんに

これにサイン書いてあげて

とフリップを渡し、2人にサインを書かせたのである。
そして、自分が持っていた「賞品3:名前ボード」の自分の名前のものの裏にもサインをと頼んだら2人は快く承諾してくれた。

・賞品10:サイコロフリップ(サイコロ4のもの)
      (表面:未使用 裏面:サイン入り)

これが賞品の秘密のすべて。予定を変更して、次回は収録終了後編・2。
3話では終わらない。(というか終わらなかった…)
 


第4話 収録終了後編・2

第4話を読むに際しての注意。
会話は私(田鎖)のうろ覚えです。多少異なる場合があります。
ニュアンスだけ感じ取ってください

さて、いよいよ本当の賞品(?)、大泉さんの運転による自宅送迎である。藤村Dが確認をとる。それは行き先

藤:「田鎖君、家はどこなの?」
私:「××です。」(←どこかは内緒。)
藤:「あ、近いじゃない。あぁよかったぁ。」(安堵の表情)

実はこの日、函館や北見、稚内から参加した人がいたらしい。どうでしょう班は遠出だけは避けたかったようだ。

そんなわけでHTB裏の駐車場へ…。外はなんと猛吹雪
外に出る直前の、大泉さんと私の会話…。

私:「大泉さん、(大学を)無事卒業できそうですか??」
大:「うーん、大丈夫だと思うけどねぇ。いざとなったら教授に「単位くれんかー」って言わなきゃ…」
(注:「単位くれんかー」は「サイコロ1」の「札幌に帰してくれんかー」と言い方が同じ。)

用意された車は、あのハイエース
「闘痔の旅」や「212市町村カントリーサインの旅2」でおなじみの、ハイエース
さっそく乗車。藤村Dに「田鎖君、後ろに乗って」と言われたので素直に後部座席へ。(ちょうど、ミスターが座る場所である。)

ところがいつまでたってもミスターが現れない。

なんとミスターは自分の車に乗ってしまった!何でも自分の車をどこかの駐車場に止めて、HTBには戻らずそのまま自宅に帰るらしい…。ミスターだけ、自分の車をダイエー西岡店の駐車場に一時的に止めるために先に出発。ダイエー西岡店で合流することになった…。なので、当然カメラが回るのはミスター合流後…(といってもほとんどOAされなかったが)

ダイエー西岡店までの車中での会話(の一部)。

藤:「それにしても、田鎖君が××在住でよかったよ。」
大:「あまり遠くだとまた212になりますからねぇ。
嬉:「近いからテープチェンジしなくても大丈夫だね。
藤:「田鎖君、最後のアレ(バレンチノ問題)どうしてわかったの?
私:「なぜと言われましても…。」
嬉:「わかってはいたのかい?」
私:「だいたいは…。」
大:「君ねぇ、やっぱり変だよ。
藤:「おいおい大泉君、一番番組を観てくれている人に向かってそれはないんじゃぁないかなぁ。

藤:「ところで、田鎖君はHTBの番組では「水曜どうでしょう」以外で他に何を見るの?
私:「特にこれといって観ている番組はないんですが…最近「なないろ倶楽部」を少々。」
藤:「えっ、あんなもの観てるの?」
(注:「なないろ倶楽部」…当時、月曜日の深夜に放映されていた女性向深夜番組。)

そしてダイエー西岡店に到着。ミスターは黒のコートを着て入り口付近で待っていたが猛吹雪にかなりやられた様子。ミスターが乗車した。大泉さんはすかさず「お疲れ様ですミスター」と声をかけた。主従関係を見た。

車を再度発進させた直後、藤村Dの合図でミスターがカメラに向かって第1声

ミ:「さて、カルトの王者田鎖君の家まで大泉君が運転して送るという事で、我々は今車に乗ってですね、田鎖君の家へと向かっているわけなんですが…

ここからカメラはノーカット。

ミ:「もう、ファンにとっては夢のような出来事ですね。」
私:「はい、光栄です。」
藤:「あれですよ、どうでしょう班の車に同乗した人は田鎖君が初めてですよ。
ミス:「そういえば、そうですねぇ。」
大:「田鎖君、道案内してよ。」
私:「あ、すいません。あの信号を右に曲がってください。」
大:「よぉーし。」

このとき、私の脳裏には「もしかしたら千歳空港とか連れて行かれるのか??」とありもしないことを考えていた。

大:「田鎖君はアレかな?彼女とかはいるのかな?
私:「いえ、いないんですよ。」
大:「おいおい、こういう時は嘘でもいるとか言っといた方がいいぞ。
藤:「そうだよぉ、今V(VTRのこと)回ってるんだから。」
ミ:「あのねぇ、本人がいないって言ってるんだから無理させるんじゃないよ、君ら。」

大:「ところでこれまだ真っ直ぐ?」
私:「あ、あそこを左に入ってください。」
大:「えっ、これ?…あ、過ぎちゃった。」(一同爆笑)
藤:「おやおや、道を間違えましたかなぁ?
大:「これ、戻ったほうがいい?」
私:「いえ、そのままもう少し進んでください。その先にそば屋があるので、そこを左に。」
大:「はいはいはいはいはーい。今度は大丈夫だぞォ。

大:「おっ、新堀ギターなんて看板がある。うれしー撮っとけよぉ。」

自宅前に到着!

私:「ここです。」
大:「おぉ、ここが君の家か。まぁまぁじゃないか。僕の家よりは小さいかな。
ミ:「おまえは…(苦笑)、そういう事言うんじゃない!
藤:「さぁさぁさぁさぁ、(車から)降りましょう。
大:「おぉ、うれしーが田鎖君の家の車のナンバーまで撮ってるぞぉ。
(さすがに「自分のです」とは言えなかった…。)

藤:「さぁさぁ3人(ミスター、大泉さん、私)とも並んでください。」

ミ:「さぁ、田鎖君の家の前に到着しました!
大:「近かったですね。」
ミ:「優勝したのに賞品がこれだけというのも難ですが…。
藤:「あ、でもいろいろあげましたけどね。」
ミ:「もう絶対に第2回(カルトクイズ大会)はないとは思いますが…これからも、田鎖君には水曜どうでしょうを観つづけてもらいましょう!
大:「なんたって世界一ですからね。
私:「はい、今日はどうもありがとうございました。」
藤:「いやいや、礼を言うのはこっちだよぉ、田鎖君。君がいなかったら、この企画はなかったかもしれなかったんだから。」

そして4人は私と握手をして、再び車に乗って帰っていった。帰り際…。

私:「大泉さん、留年しないでくださいね。
大:「余計なお世話だよ!」(藤村D、爆笑)

こうして、夢のような1日が終わった。
平成10年1月31日の出来事であった…。

そして、この日の模様は平成10年2月18日と25日に放映されることになる。この放送後、親戚・友人・知人からの問い合わせが殺到。会う友人のほとんどが「テレビ見たぞー」と一言…。それだけならまだしも、すすきので友人と食事中に店の店員や見知らぬ人から声をかけられた(実話)。深夜とはいえ当時の平均視聴率5%テレビの影響力の怖さを思い知った。

1年後、「生き地獄体験ツアー」では多くの参加者に写真撮影を求められた。そして2000年に「どうでしょうリターンズ」にて再放送され、再び知名度向上(笑)。(まさか再放送するとは当時は夢にも思わなかった。誤算だ。ほぼ同時期にネット上に出没し、現在に至る。

それでは、第2回カルトクイズ大会でお会いしましょう…。


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