【第18回】
  1966(昭和41)年〜1970(昭和45)年


 ターミナル整備と西鉄名店街の展開

 今回は1960年代から70年代初頭にかけて、県内主要都市で駅やバスセンターなどの交通施設と商業施設の複合的整備を行った、西鉄のターミナル開発についてご紹介します。
  幹線道路と鉄道が平面交差する都市中心部の踏切は、交通渋滞の原因となり、鉄道線路自体も地域の交流を分断して都市発展の妨げになると、指摘されるようになりました。
  筑後平野の中心都市、久留米でも、西鉄久留米駅周辺でこの状況が深刻化し、国や自治体の協力と援助を受けて、69年に大牟田線(当時)の連続立体化が竣工、駅やバスセンターも拡張し施設も一新しました。
  県南の鉱工業都市、大牟田では、西鉄栄町駅が狭隘で拡張の余地も無く、社会的にも問題となっていました。そこで歴史的に市勢発展との縁が深い三井グループの協力を得て、西鉄は駅移転用地を含む土地を取得、70年に新栄町駅を開業すると同時に駅前一帯の再開発を行い、百貨店を含む一大商業拠点を出現させました。
  筑豊地域の中心都市、飯塚では、ローカルバスや特急・急行バスの拠点として古い歴史を有する中央発着所を建替えて複合ビルを建設、66年に飯塚バスセンターとして開業しました。
  これら鉄道やバスの拠点整備に併せて、西鉄では商業施設の建設を行い、沿線の人々を積極的に誘致することで、都市の活性化を図りました。
  この中核を担ったのが、地元有名店が結集する専門店街「西鉄名店街」でした。飯塚、久留米、大牟田(新栄町)と西鉄名店街は次々と開店、各都市の商業活動を牽引するブランドとして、人々に親しまれました。
  次回はホテル、スーパー、レストラン業への進出など、70年代の事業多角化についてご紹介します。



完成した西鉄久留米駅・バスセンター・駅ビル。高架化されたホーム下には久留米西鉄名店街がオープン、同年12月までには、福岡駅に次いで電車とバスを直結する構造の2ホーム10バースの「西鉄久留米バスセンター」も開設された。4階建ての駅ビルも竣工、久留米市における都市交通と商業の一大拠点が誕生した。 西鉄久留米駅での高架開通祝賀列車のテープカット。国道3号・209号を含む9カ所の踏切道と立体交差し、周辺の交通混雑緩和を目的とした、1,465mの高架線は1969(昭和44)年3月1日に開通した。同時にダイヤ改正が実施され、特急は福岡-大牟田間の所要時間が65分と5分短縮された。
新築された飯塚バスセンター。戦前から筑豊地域におけるバス交通の要であった中央発着所は、1966(昭和41)年11月1日に、3階建ての飯塚バスセンターに生まれ変わった。1階は2ホーム6バース、2階には福岡に次いで「飯塚西鉄名店街」がオープン、周辺の店舗とともに飯塚市における商業の中心地を形成した。 移転した新栄町駅。大牟田市中心部に位置しながら施設が狭隘であった西鉄栄町駅は、1970(昭和45)年4月28日に211m北側へ移転、「新栄町」と改称された。大牟田西鉄名店街およびバス発着所も併設され、駅前一帯46,200平方メートルも西鉄が再開発、大牟田井筒屋やスーパーなどを誘致して、都市の活性化を図った。