音声ブラウザ専用。こちらより記事見出しへ移動可能です。クリック。

音声ブラウザ専用。こちらより検索フォームへ移動可能です。クリック。

NIKKEI NET

音声ブラウザ専用。こちらより記事見出しへ移動可能です。クリック。

連載企画:「日本サッカー世界への挑戦」・大住良之

60.「ワールドカップの持ち回りシステム終了」から見えてくるもの

 国際サッカー連盟(FIFA)は、10月29日に開かれた理事会で「ワールドカップ持ち回りシステム(ローテーションシステム)」に終止符を打ち、2018年以降の大会については「オープンビッド(自由立候補)」にすると決定した。

 ただし、前2大会を開催した地域のサッカー連盟に属する協会は立候補することができない。すなわち2018年大会に関して言えば、2010年大会(南アフリカ開催)のアフリカサッカー連盟(CAF)、2014年大会(ブラジル開催=翌10月30日に正式決定)の南米サッカー連盟(CONMEBOL)所属協会は除外され、FIFA参加の残りの4地域連盟(アジア=AFC、北中米カリブ海=CONCACAF、オセアニア=OFC、ヨーロッパ=UEFA)に属する協会に限られる。

 2000年に採用されたばかりで、6地域連盟のうち2連盟しか「持ち回り」をしていないうちにシステムが廃棄されたというのは驚きだが、その背景には、現在のワールドカップがどんな大会であるかということが見えてくる。

●ブラッター会長が主唱したシステム

 「持ち回りシステム」を主唱したのは、FIFAの現会長であるジョゼフ・ブラッター(スイス)である。

 話は2000年7月にさかのぼる。彼が1998年に会長に当選して間もなくのことである。FIFA理事会で2006年大会の開催国決定が行われた。このときにはまだ「持ち回りシステム」は採用されていない。最終的な立候補は、ドイツ、イングランドのヨーロッパ2協会と、南アフリカ、モロッコのアフリカ2協会、計4協会。

 開催国決定は会長を含めて25人のメンバーからなるFIFA理事会で行われる。いずれかの候補が投票数の過半数を取るまで、最下位の得票候補を落としながら続けられるという方法だった。ただし会長は、2候補による決戦投票が同数になった場合にのみ投票するという決まりだった。

●ブラッターとアフリカ

 ところで、ブラッターは98年に行われたFIFA会長選挙で不利と伝えられた下馬評をひっくり返し、ヨーロッパサッカー連盟(UEFA)会長だったレンナート・ヨハンソンに競り勝って当選を果たした会長である。勝敗を決めたのは、アフリカ諸国の取り込みの成功だった。ブラッターはアフリカにワールドカップをもってくることを約束したのだ。

 彼が事務総長だった1995年、ナイジェリアで開催される予定だったU−20ワールドカップを直前にキャンセルし、中東のアラブ首長国連邦(UAE)にもっていってしまったことがあった。治安と衛生面で大きな不安があり、ヨーロッパ諸国がボイコットを計画していたからだ。

 しかしこれはナイジェリアだけでなくアフリカ諸国の誇りを大きく傷つけた。24年間FIFAの会長職にあったジョアン・アベランジェ(ブラジル)が引退を決め、その後任候補としてブラッターが名乗りを挙げたとき、アフリカ諸国がいっせいに反発したのは当然だった。

●スキャンダラスな2006年開催国決定

 しかしブラッターは「こんどこそ、間違いなくアフリカにもってくる」と約束し、FIFA会長の座を手に入れたのだ。95年に中止されたU−20ワールドカップを99年にアフリカで強硬に開催したのも、そうした約束の一環だった。そして2000年7月、2006年ワールドカップの開催国決定がやってきた。

 当然のことながら、ブラッターは早くから「アフリカ支持」を打ち出し、そのなかでも南アフリカを「ワールドカップを開催するすべての要件を備えている」と強く推薦した。しかし結果はドイツの勝利だった。

 理事会の投票では、12対12となり最後にブラッター会長が1票を投じて南アフリカに決定するという筋書きにはならなかったのだ。南アフリカに投票するはずだった理事が棄権してしまい(その意図は今日になっても謎とされている)、「会長投票」を待たずに12対11でドイツが勝つというスキャンダラスな結果だった。

●1000億円を超すテレビマネーの威力

 この一件は、不可解な行動をとったオセアニアのデンプシー理事の真意が取りざたされたが、実際には、ブラッター会長の指示だったと、私は推測している。原因はテレビからの圧力である。

 ワールドカップの放映権は、1998年大会までは世界の公共放送連合が1大会あたり約100億円から150億円程度で保有していた。日本でいえばNHKのような公共放送の電波に乗せて、大会をできるだけ多くの人に見てもらうことは、「世界にサッカーを広める」というFIFAの方針であったとともに、ワールドカップの主要財源のひとつであった公式スポンサー(場内看板のスポンサー)が望んだことでもあった。

 しかしオリンピックの放映権契約が500億円を超すなかで、FIFAは方向を転換し、2002年大会以降の放映権をドイツのエージェントに売却した。総額1000億円を超す巨額の契約で、ワールドカップの財政構造が根本から覆された。テレビは、ワールドカップのあり方に対し、FIFAに巨大な影響を与える存在となったのである。

●「2006年大会は必ずヨーロッパで」

 しかし2002年大会は、放映権販売の最も大きな市場であるヨーロッパでは不都合な日本と韓国の開催である。テレビ側は、「2006年大会は必ずヨーロッパで」と要望を出したに違いない。理事会の投票が12対12になってしまったら、ブラッターは大きなジレンマに陥る。

 テレビ側の要求をのんでドイツに入れれば、アフリカが激怒し、2002年に行われる次期会長選挙での落選は間違いない。一方、会長の地位を守ろうと南アフリカに投票すれば、テレビ側からの圧力でやはりその地位を危うくされかねない。

 そこでブラッターはデンプシー理事に因果を含め、投票を棄権させたのだ。

●持ち回りのスタートは2010年

 2006年大会をヨーロッパで開催することになったことで、テレビ側からのプレッシャーは弱まった。そこでブラッター会長はかねてから持論のように語っていた「持ち回りシステム」を持ち出し、理事会にかけてFIFAの正式な方針としたのである。

 2010年大会はまだいちどもワールドカップを開催したことのない2つの地域連盟のひとつであるアフリカで、そして2014年大会は、1978年のアルゼンチン大会以来開催のない南米で行うことがそのときに決まった。

 しかし同時に、ブラッターは持ち回りのスタートが2010年大会であることも強調した。2002年アジア、2006年ヨーロッパ、2010年アフリカ、2014年南米ときたからといって、2018年が残る北中米カリブ海かオセアニアと考えるのは間違いだと釘を刺したのだ。

●2大会連続してヨーロッパから離れたことはない

 かつて、ワールドカップはヨーロッパと南米(アメリカ大陸)でほぼ交互に開催される慣習だった。

 1930年ウルグアイ、1934年イタリア、1938年フランス、1950年ブラジル、1954年スイス、1958年スウェーデン、1962年チリ、1966年イングランド、1970年メキシコ、1974年西ドイツ、1978年アルゼンチン、1982年スペイン、1986年メキシコ(コロンビアの代替開催)、1990年イタリア、1994年アメリカ、そして1998年フランス。

 2大会連続してワールドカップがヨーロッパを離れたことはなかったことがわかる。2000年に決定された持ち回りシステム、そして2010年アフリカ、2014年南米の指定は、この伝統を覆すものだった。しかしそれは最初から「ヨーロッパでの開催も6大会に1回(24年に1回)」という話ではなかったのだ。

●2014年大会は南米連盟の「談合」で決まる

 「今回のような立候補が1協会だけという事態をFIFAは望まない」

 持ち回りシステム廃棄の理由について、ブラッターはそう説明した。2010年大会の開催国決定は2004年に行われ、4協会が立候補するなか、第1回の投票で南アフリカが14票を獲得してあっさりと決定した。しかし2014年大会については、南米サッカー連盟が2003年に早くも「談合」し、ブラジル1本に絞ってしまった。2006年になってコロンビアが立候補の意思を表明するというひと幕もあったが、最終的に正式な立候補書類を提出したのはブラジルただひとつ。

 2003年に南米サッカー連盟内で実質的に開催が決まっていながら、ブラジルは「絵に描いた餅」のような計画書をつくっただけで、何も具体的な準備をしてきていない。それでも、FIFAは認めるしかなかった。

●テレビはヨーロッパでのワールドカップを必要としている

 「持ち回りシステムの採用は、これまで開催がなかったアフリカ、そして78年以来30年以上もワールドカップを開催していない南米にもっていくための方便だった」と、ブラッターは説明している。

 そして何も方針を決めていなかった2018年大会以降の大会では、このシステムを放棄すると強引に決めてしまったのだ。

 その背景に「テレビ」からの圧力があることは間違いない。「テレビ」はヨーロッパでのワールドカップを必要としている。

●2018年はヨーロッパに

 現時点で2018年大会の開催に興味を示しているのは、ヨーロッパではイングランド、ベネルクス3カ国(オランダ、ベルギー、ルクセンブルク=共同開催)、ギリシャ、ロシア、アジアからはオーストラリア、そして、「持ち回り」であれば第一優先のはずだった北中米カリブ海からアメリカとメキシコなどと言われている。日本サッカー協会も「チャンスがあるなら」と、立候補の検討にはいっているという。

 現在、最有力と言われているのはイングランドだが、「これまででもっともハードな招致合戦になる」と、地元メディアは報じている。

 しかし現代のワールドカップがテレビの意向に大きく左右される大会であることを考えるなら、北中米カリブ海やアジア地域のチームにとって2018年大会の開催は現実的とは思えない。2018年はヨーロッパに行くだろう。他の地域の国ぐには、「ヨーロッパ開催の後」を狙うのが賢明だ。

過去のコラム――――オシム・ジャパン 2010年への挑戦――――

過去のコラム・2006年への道標――すべての道はベルリンに通ず――――――――

スポーツ | 大リーグ | 野球 | サッカー | ゴルフ | 競馬

フォトニュース

PhotoNews写真

 5月5日、北京五輪の中国国内向け入場券(写真)の第3次販売分が売り出された(2008年 ロイター/Jason Lee)>> 続き

REUTERS

nikkei netCopyright 2008 Nikkei Inc. / Nikkei Digital Media, Inc. All rights reserved.