米空港で理不尽な対応、身をもって知った「外国人であるということ」
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米国の入国審査で、係官が発した言葉に耳を疑った。
「このビザでは滞在できない」
4月19日夕、当時ロサンゼルス支局長だった私は、ロサンゼルス国際空港にいた。1泊2日のメキシコ出張を終え、航空機でメキシコシティーから到着したところだった。
あぜんとする私に係官は続けた。「このビザは何だ?」
通用しなかった報道関係者向けビザ、「会社のレターを出せ」
私は、「Iビザ」と呼ばれる報道関係者に発給されるビザを取得し、2021年5月下旬、米国に赴任していた。米国在住期間は間もなく2年がたとうとしていた。
「これは報道関係者向けのビザだ。私は日本の新聞記者で、今はロサンゼルス支局長を務めている」
私はそう答え、米国の運転免許証や国際記者証も提示した。
運転免許証は米国の居住者でなければ取得できない。米国での住所も記載されている。「これで文句はないだろう」という私の予想は、あっけなく外れた。
「ここで新聞記者として働いていることを証明する会社のレターを出せ」。係官は免許証に目もくれず、そう言った。
「今は持っていない。私はロサンゼルスに住んで2年近くになる。出張で昨日メキシコシティーに行き、きょう帰ってきた」。そう説明しても、係官は「会社のレターがないと駄目だ」と譲らない。
そもそも、報道機関の記者として米国で取材活動に従事するという証明がなければ、「Iビザ」は取得できない。私は取得時、東京・赤坂にある在日本米国大使館に会社のレターを提出し、大使館員の面接も受けていた。
係官にそんな道理は通用しない。20分ほど押し問答が続くと、「異変」を感じた係官の上司がやってきた。
パスポート取り上げられ別室へ、頭をよぎるメキシコ送還の悪夢
その上司も私の説明に耳を貸そうとしなかった。「レターを出せ」と繰り返し、「ないのなら送り返すことになる」と言い出した。
私はパスポートを取り上げられたまま、別室に連れていかれた。「自分はどうなってしまうのか」。不安に駆られながら部屋に入ると、40人ほどの外国人が押し黙ったまま、いすに座っていた。みながこの部屋にいる別の係官から自分の名前が呼ばれるのを待っており、空気がことのほか重かった。
隣にいた男性に「何時間ここにいるのか」と尋ねると、「1時間半になる」と小声で答えた。
2時間ほど待つと、別室の係官が私の名前を呼んだ。私の仕事上の肩書やどんな記事を書いているのか、家族構成などを尋ねてきた。10分ほどのやりとりで入国が認められた。「会社のレターを出せ」とは一度も言われなかった。
最終的に入国できた以上、私のビザに何の問題もなかったのは明らかだ。実際、それまで欧州やメキシコ、カナダと米国外の出張を何度も繰り返してきたが、米国への再入国でビザにクレームが付いたことは一度もなかった。多くの場合、1分とかからずに入国が認められていた。
入国審査で足止めされた約3時間、私の中では、メキシコに送り返されるのではないかという恐怖と、不当な扱いを受けたことに対する怒りが交錯していた。この時ほど、外国人である自分の立場の弱さを痛感させられたことはない。
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