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 コラム・時評
内外の識者による様々な立場からの意見です
天安門事件とアルシュ・サミット
國廣 道彦
元駐中国大使(前AAN委員)

國廣 道彦
くにひろ・みちひこ 外務省経済局長、外務審議官を経て駐インドネシア、駐中国大使。01年−03年AAN委員。現在NTTデータ顧問など。72歳。

1989年6月4日、天安門広場で人民解放軍が学生、市民を戦車と銃で弾圧したテレビの映像は世界中を駆け巡った。そのとき、私はエヴィアンでアルシュ・サミットの準備会合に出席していた。皆大きなショックを受けたが、特に議長国フランスのシェルパ(大統領補佐官ジャック・アタリ)はこのような行為は絶対に許せないと厳しく非難した。アルシュ・サミットがフランス革命200周年記念日にあわせて開催されることになっていたこともあり、断固糾弾せざるを得ないという姿勢であった。 わが国も6月4日に外務報道官談話、5日に官房長官談話を発表して、この流血事件に対する遺憾の意と事態の悪化防止の希望を表明したが、米国とECの反応はもっと激しかった。

7月4日にアタリからこの問題に関する宣言案が送られてきた。この事件を「残酷な抑圧」(brutal repression)と非難して4〜5項目からなる対中制裁を提案するものであった。しかし、当時の日本国内の空気は国交正常化以来せっかく築き上げてきた日中関係をこの事件のために台無しにすることにためらいがあった。日本政府としても、自国民を武力で弾圧したという行為については強く非難するが、中国を国際的に孤立させてしまうのはわが国の国益に合わないという考え方を決めていた。

日本は孤立

アタリの案文の終わりにも、中国との正常な協力関係に戻れるような条件が可能な限り早期に作り出されることを希望するという趣旨の文章があったものの、制裁措置を書き並べながらこのような言い方をするのは中国にとってあまりにも屈辱的だと私たちは思った。7月7日にランブイエ城で行われた最後のシェルパ会合が開かれた。私は政務局長会議を担当してくれていた山下情報局長とともに出席して、サミット参加国が中国を袋叩きにするような内容にならないよう努力したが、米国は議会との関係で甘い姿勢は取れないというし、英国もECの立場に縛られてか黙したままであった。

休憩中にリチャード・マコーマック(米国のシェルパ)が、EC諸国の間では日本が中国に厳しい姿勢を示したがらないのは経済的利益を守りたいからだと言っていると教えてくれた。そこで私は、「我々は歴史的に中国を孤立させたら排外的になることを知っている。それでも日本は耐えられようが、周辺のアジアの国々にとっては大きな脅威になる。私は日本の経済的利益を守るために発言しているのではない。この地域の安全を考えているのである」と言って説得を試みたが、結局のところ制裁措置を若干修正する程度でアタリ案をベースに詰めることになった。

そこで山下局長が帰国し、「ただし、我々は中国の孤立化を意図するものではない」という一文を追加する案をまとめてもらったのだが、私の非公式打診に対し、アタリはこの案を即座に拒否した。

12日の午後宇野総理一行がパリに到着したが、解決のめどが立っていないことを報告するほかなかった。実際のところ、私は米国との「構造協議」の立ち上げという難題を抱えていて、通産省と大蔵省を説得しつつ、米側にわが方の回答を受け入れさせるのに時間をとられてしまうという事情もあった。同時に、政務局長会議で取り上げられていた東欧援助、とくにポーランドの債務救済問題について本省で大蔵、通産両省との連絡が取れていないことが判明し、その収拾を小倉審議官にしてもらったのだが、そこでも難題を抱えてしまっていた。

7月13日夜のフランス革命記念前夜祭はコンコルド広場で盛大に繰り広げられた。賑やかな音楽が鳴り響く中で「自由」、「平等」、「博愛」のプラカードを掲げたパレードが延々と続き、華やかな花火が打ち上げられていた。その人の波を見下ろす海軍省ビルで首脳の歓迎ディナーが催され、私たちシェルパはそれと相対する部屋で首脳と同じ豪華なメニューのご馳走にあずかっていた。フランス一番のシェフの料理ということだったが、私は何も味わえなかった。あまりの忙しさで胃袋が裏返った感じだったからだ。食事もそこそこに、私たちはコミュニケの最終打ち合わせに入った。いくつかの問題点が残っていたが、わが方にとって最大の問題は中国に関する宣言の書き方であった。

中国に関する宣言案についての私の主張を支持する国はどこもなかったが、私は「中国を孤立させないように」という一節を括弧入りで残すことを要求した。

ところが14日になって、事態が変わってきた。

一つは、午前中のフランス革命200周年記念式典の席で、アタリが宇野総理に近づいてきて、中国に関する宣言案は変えられないので日本も同意して欲しいと言ってきた。これに対して宇野総理が「外国が中国を孤立させるというのではなく、中国が自分を孤立させないよう希望するという表現の仕方があるのではないか」と言ったら、そういう表現なら考えられると答えたとのことであった。その後すぐにサミットの首脳会談が始まったので、私からメモで"so that China will not isolate itself"という書き方なら同意できるのかと聞いたら、OKと書いて戻ってきた。私は歌人の宇野、国対の宇野のねばりと能力に感服した。

他方、並行的に開かれていた外相会議で三塚外務大臣が極めて説得的な発言をして、ベーカー長官から「殆どの点に同意する」という発言を取り付け、ハウ(英)、ゲンシャー(独)、クラーク(加)外相も支持発言をした。
 「我々は中国の抑圧行為に対して、我々の非難の気持ちを伝え、中国が開放と改革の政策を続け我々先進民主主義国と協力関係を保つことを欲するならば、このような行為は決して繰り返してはならないことを示す必要があると考える。と同時に我々は中国を孤立に追いやることを欲していない。我々は中国が国際世論に耳を傾け、単に言葉の上だけでなく実際の行動により、従来の『改革・開放』政策へのコミットメントが変わらないことを示すのであれば、われわれは、これに対する支援と協力を再開する用意がある、というメッセージを中国に対し伝える必要があると考える」
 「我々は中国を孤立化させてはならないと考えるが、それは決してわが国と中国との経済関係を重視しているからではない。むしろ、アジアの平和と安定のために必要であるからそのように主張している」

三塚大臣はその直前のアセアン外相会議出席したときアセアン諸国の意見を直接聞いていたので、自信を持って発言したのであり、最後にリー・クアンユー首相の次の後言葉を紹介して締めくくった。  「中国は価値判断の基準が異なり、そのようなこと(外から圧力をかける)をすれば怒らせるだけである。自分は『怒って、いらだった中国』よりも、平和の隣人としての中国のほうがよいと思っている。国内の変化は遅いであろうが、40〜50年後には近代的な中国になりうる」

14日の夜、シェルパと政務局長の合同会議が開かれてコミュニケの最終作業が行われたが、EC、独などは依然「孤立化云々」の語句を入れることに反対した。この会合には米大統領安全保障補佐官のブレント・スコークロフトが特別参加していたが、彼は私に向かって「日本は天安門事件の再発を憂慮していないのか」と面罵した。私は「日本はどの国にも劣らず中国の行為を非難しているし、このようなことを再び繰り返してはならないと中国に申し入れている」と反論したが、後述する話との関係もあり、私は彼が何を考えていたのか未だに解せないでいる。

その後アタリ議長から「日本から提案があると聞いている」と発言があり、私からカッコ内の日本案を中国が自分で孤立を避けるようにすることを希望するという趣旨の表現に修正したいと提案した。ECの政務局長がこれにも反対したが、意外にも米国の政務局長が「もともとの日本案でよいではないか」と言い出した。議論末英国のシェルパ(ロデリック・ブレイズウエイト)が修辞上の助け舟を出してくれて、「我々は中国当局が、政治、経済改革と開放へ向けての動きを再開することにより、中国の孤立化を避け、可能な限り早期に協力関係への復帰をもたらす条件を作り出すことを期待する」という文章が合意された。なお、制裁措置については、サミットとしての制裁という形にはせず、それまでに各国がとった措置を過去形で書き並べることに合意ができていたので、宣言全体としてわが国の意見を反映したものになった。

後で聞いたことだが、このように米国の態度が急変したのはポーランド、ハンガリーを訪問の後13日に到着したブッシュ大統領がシェルパの報告を聞いて、それは日本の言う通りと答えたからだという。私からマッコーマックに礼を言ったら、「日本が頑張っていてくれたから助かった」と逆に感謝された。さらに後で聞いたことであるが、ブッシュはスコークロフトを7月1日に密かに北京に派遣していたのであるから、日本の立場を支持して当然であったともいえる。しかし、当時の米議会の空気を考えれば、ブッシュ本人でなければ日本案への支持は誰も決められなかったのだろう。

中国は反発したが・・・

中国はこの宣言に反発し、7月17日付人民日報社説で、「中国内政に対する乱暴な干渉を受け入れることはできない」と発表した。北京の我が方大使館から中国政府にアルシュ・サミットについて通報したのに対しても、中国側はこの宣言に対する不満を述べるとともに、「わが国が孤立に向かうと言う心配は無用」と答えただけで、日本の努力に対する感謝は一言もなかった。

ところが、翌年5月7日、ヒューストン・サミットの前に訪中した宇野元総理に対して、江沢民総書記が「昨年のサミットで中国を孤立させるべきでないと主張された宇野元総理に賛意を表する。中国を客観的存在として孤立させることは不可能である」と述べた。呉学謙外相も「日本政府は次回サミットにおいて、前回宇野総理が行ったと同様に中日関係を円滑に発展させるよう努力してもらいたい」と語った。これがさらに橋本大使に対する李鵬総理からのODA再開のじきじきの要請につながる。

先般温家邦首相がフランスを訪問し、エッフェル塔を赤のランプでライトアップする大歓迎を受けた。フランスは天安門事件以来の武器輸出制限を解除する意向を伝え、EU内で働きかけを行っている。15年前のフランスの態度と比べて今昔の感がある。他方、北京においては別世界のような経済発展が成し遂げられたにもかかわらず、今年も「6・4記念日」の前に「不安分子」を予備拘束して、どこかに連れ去ったと報道されている。

このような状況に対する私の違和感は別として、改革開放を推し進めて来た中国が今やWTO加入を初めとして国際社会に調和して行こうとする方向に大きく転換したことは事実である。そういう意味では、中国はアルシュ・サミットで我々が希望した方向に進んできたということができよう。中国政府は天安門事件を「騒乱」と定義し、当時政府がとった措置はその後の安定をもたらしたという立場を維持しているが、世代の交替に伴って中国が天安門事件を再評価する日もいずれ来るであろう。
                           (「霞関会会報8月号」から転載)

2004年8月5日
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