本名 | 金本 敏夫(韓国名は黄 敏夫) | 生年月日 | 昭和43年10月23日 |
出身地 | 千葉県千葉市(出生地は山口県下松市) | 初土俵 | 昭和60年 7月 |
所属 | 間垣[18] | 新十枚目 | 平成 4年 7月 |
改名歴 | 金本→若闘将 | ||
最高位 | 十 9 | 最終 | 平成 5年 9月 |
十枚目略歴 |
若闘将 敏男(わかとうしょう としお) 平成 4年 7月 東十13 9勝 6敗 平成 4年 9月 東十 9 7勝 8敗 平成 4年11月 西十10 7勝 8敗 平成 5年 1月 東十13 8勝 7敗 平成 5年 3月 東十10 4勝11敗 通算 5場所 35勝40敗 | ||
---|---|---|---|
得意手 | 左四つ、上手投げ | 身長 体重 | 182cm 116kg |
備考 | 運転手の二男で、千草台中学校から習志野高校では柔道部で活躍し、千葉市大会で個人優勝を果たした。他にも空手・野球も習ったり、プロレスラーを志していたのでウェイトトレーニングのジムにも通った。高校 2年生の春に「力士になろう」と急に思い立ち、事務の会長に紹介されて入門した。 若闘将の名は、中日ドラゴンズのファンだった兄が監督の異名「闘将」に因んで命名した。 足腰の良さを生かした上手投げが強く、勝負度胸も良かった。 24歳の若さで廃業した。 勝ち気な性格。 廃業後は千葉市で兄と水商売を始め、独立したが不調で止めてしまった。 1年半後に体力を生かしてピアノ運送会社に勤務したが、会社勤務が性格に合わず、自動車の販売業に転向した。以後は上昇気流に乗り、平成 9年 4月に権利を買い取った冠婚葬祭の「元天社」・自動車販売の「トーショーコーポレーション」・興行の「A&M;」・雑貨輸入販売の「Carat Japan」・金融会社を擁する「トーショーグループ」を設立して会長を務めたが、紹介手数料の名目で無関係の貸金業者を紹介して多重債務者から金を騙し取ったとして12年 5月に詐欺罪の容疑で逮捕され、10月には主犯格として懲役 3年(求刑は懲役 4年)の判決を受けた。19年 5月31日に、無許可で貸金業を営んで法定利息の約22〜46倍に上る高額の利息を得ていたとして、出資法違反(高金利)などの疑いで再び逮捕された。 趣味は音楽・ギター演奏・読書。 |