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 運に恵まれる人もいれば、不運が続く人もいる。それは列車でも同じだ。かつて「運に見放された機関車」が京都を走っていた。車両の大半は故障ばかりで、誕生からわずか12年で姿を消した。来年で引退から40年。整備を担当した元国鉄職員は、今も悲運の機関車が忘れられない。

 機関車はDD54。1966年に登場した赤色の旅客用ディーゼル機関車で、71年までに40両が製造された。山陰線を走り、その中心となった基地が福知山市の福知山機関区だった。当時の西ドイツの技術を使った大型エンジンを積み、活躍するはずだったが……。

 「とにかく故障ばかり。1カ所だけでなく、体中が悪い感じ」。そう語るのは機関区の検査係だった大地洋次郎さん(76)=同市=だ。製造された40両のうち「まともなのは15両ぐらい。蒸気機関車(SL)から置き換わり、整備も楽になると思ったのに」。走行中に動けなくなり、活躍の場を譲ったSLが救援する皮肉な光景も見られた。

 SLは検査係が手で触り、ハンマーでたたけば「体調」は把握できた。しかし、DD54は入念に整備しても、不調は突然やってくる。同市の元機関士、足立雄二さん(81)は「故障が嫌で乗りたくなかった」。いつしか、乗務後の機関士へのあいさつは決まって「今日の調子、どうだった?」に。機関区には壊れて動けない車両が留め置かれ、部品取りに使われた。

 そんなある日、DD54に最初で最後の大役が訪れる。昭和天皇が乗る「お召し列車」を牽引(けんいん)することになったのだ。68年10月、山陰線を上り、二条駅(中京区)まで向かうコース。万一の故障に備えて機関車は2両連結。大地さんは異常時の要員として乗務することになった。本番までの1カ月、機関士と同じ時間、同区間を走る訓練を続けた。

 当日、大地さんらは支給された…

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