日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
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現代教学へのアプローチ 宗教と科学について−ニューエイジ批判を通しての一考察− ←前次→

宗教と科学について−ニューエイジ批判を通しての一考察−
渋  沢  光  紀   
(前現代宗教研究所研究員)   

一、融合する科学と宗教
 −われらはいっしょにこれから何を論ずるか−
  おれたちはみな農民である ずいぶん忙しく仕事もつらい
  もっと明るく生き生きと 生活をする道を見付けたい
  われらの古い師父たちの中にはそういふ人も応々あった
  近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
  世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
  自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
  この方向は古い聖者の踏みまた教えた道ではないか
  新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
  正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
  われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である
(「農民芸術概論綱要」序論 宮澤 賢治)
 大正十三年「春と修羅」を出版した宮澤賢治は、その翌々年に、自らの目指す第四次元芸術へのマニフェストともいうべき「農民芸術概論」を書いています。この中で賢治は、未来には意識の進化と科学の進歩によって、農業・芸術・科学・宗教が統合されるという第四次元への進化を語り、宇宙大の求道のヴィジョンをまるで誓願のように歌い上げています。賢治の言葉が誓願のように響くのは、このすぐあとに「宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷たく暗い 芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した」と述べるような悲観的な現状認識があったからでしょう。賢治がこうした現状をもたらした原因を、明治維新以来の日本の近代化とそれに伴う工業化に見ていただろうことは、間違いないと思います。
 「芸術をもてあの灰色の労働を燃やせ」と叫び、灰色の都市化にたいして田園の農民芸術を対置した宮澤賢治は、しかし、近代科学のあるべき未来像としては、芸術や宗教と融合した新しい科学を想い描いていたといえます。この賢治の新しい科学の構想は、六十年後の一九八〇年代に日本の出版文化においてブームとなった、ニューサイエンス*1やニューエイジ*2の主張を、すでに先取りしていたように見えるのです。
 ニューサイエンスやニューエイジという言葉は、七十年代後半から関連翻訳本の出版社によって使われはじめ、八十年代に「精神世界の本」の中心的ジャンルとして定着した用語ですが、ニューサイエンスは近代科学の限界を指摘して登場した新たな科学理論のジャンルを指し、ニューエイジはより宗教に近づいて新たな宗教と科学の実現をめざす精神世界の動向全般を指している、と一応分けられるでしょう。しかし、ニューサイエンスはアメリカではニュー・エイジ・サイエンスと呼ばれるように、六十年代アメリカの対抗文化を担った「ニュー・エイジ」世代から出てきた一連の文化的動向の流れと捉えることが出来ます。ニューサイエンスからは、エコロジー運動に影響を与えた「ガイヤ仮説」や、東洋神秘思想と量子力学の一致を論じた「タオ自然学」、宇宙意識を理論化したトランスパーソナル心理学など多くの科学的理論が提唱されましたが、詳しくは付録の「ニューサイエンスの成立史」を参照して下さい。ニューエイジ全般の主な傾向としては、(一)自然や人間に潜在する霊的な力に目覚めることを通して、宇宙意識に到る意識の変容を目指す、(二)近代科学に対して古代の叡智や超科学の存在を述べ、神秘現象や宗教を科学としてあつかう、(三)現代を人類の霊的進化の転換期として捉え、個々人による霊的覚醒が地球規模の危機を救うとみる、などを上げることができると思います。こうしたニューエイジの傾向の反映は、日本では八十年代に登場したオウム真理教や幸福の科学などの新新宗教に顕著に表れています。このニューエイジ的な傾向を、宗教学者の島薗進氏は「新霊性運動」という言葉で捉えています。
 先の序論にもどってその類似を見てみましょう。そこでは、農民の暮らしからエコロジーの問題が触れられ、近代科学と宗教と直観の一致が語られています。古い聖者が踏みまた教えた道である「自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する」という、言葉はニューエイジに見られる古代の叡智と霊的意識の進化の見解に重なりますし、ケン・ウィルバーのアートマン・プロジェクト(春秋社刊)*3に述べられる「意識の進化」の理論とも「世界が一の意識になり生物となる」という言葉は、J・E・ラブロックの唱えた仮説である「地球生命体(ガイア)」*4を思わせますし、「銀河系を自らの中に意識」するという言葉も、大宇宙と小宇宙が感応しあう「万物照応」の神秘的世界観や、量子物理学が示した実体を否定した縁起的世界観を連想させます。そして、菩薩道の悲願として膾炙された「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉もまた、ニューエイジの特徴でもあるホーリズム(全体主義)を示しているといえるでしょう。
 しかし、筆者は別にここで宮澤賢治がニューエイジやニューサイエンスの先駆者であるなどと述べたい訳ではなく、賢治の生きた時代に既に八〇年代のニューエイジ・ブームと同様な新思潮のブームがあり、賢治もまたその時代の思潮の影響を受けていたことを指摘しておきたかったのです。その時代思潮というのは、文学者の鈴木貞美氏が「大正生命主義」という名で取り上げた当時の主だった思想傾向で、その生命主義的世界観を支える「神秘主義」の流行なのです。大正生命主義とは、鈴木氏によれば「日露戦争後から関東大震災に至る時代の思想・文化状況において、『生命』の語が氾濫し、『生命』がその時代のスーパーコンセプトになっていた現象を名づけたもの」と定義されています。現代もまた、「生命」という言葉が時代のスーパーコンセプトに押し上げられている状況にあるといえます。 生命という語は氾濫していますが、しかし生命が何であるのか未だ明確に定義されているわけではありません。そうした状況の中で宗教界においても伝統・新宗教を問わず、「宇宙生命」や「久遠の生命」と表現される「生命主義的世界観」が、きちんとした検討を通すことなく教義の中心を説明する口当たりのよい現代的概念になっているという現状があります。しかし、それは六十年前の神秘主義・生命主義の流行がただ無批判に反復されているだけかもしれないのです。ニューエイジの諸要素を教義に繰り込んだオウム真理教の事件以後の問題としても、ニューエイジを含む生命主義的世界観をどう捉えるかは大きな宗教的課題になると思います。
 今回の日蓮教学の現代化を考察する共同研究のテーマは「宗教と科学」であり、当初はニューサイエンスを教学に活用できるかどうか等が検討されていたのですが、しかし、より本質的な問題の立て方として、逆に、なぜ新にしろ旧にしろ科学を宗教に適用しなければならないのかが問われなければならないでしょう。 いうまでもなく、宗教と科学の関係が問題になったのは、西洋近代が科学と共に始まり、それまで諸学の王の座にいた神学が科学によって追いやられてからのことです。しかし、科学万能の神話が作られていったのは科学技術が飛躍的に発展した十九世紀の時代になります。この十九世紀に、「宗教・科学・哲学」の統合を主張するスピリチュアリズムやニューソート*5、神智学などの西洋神秘主義の動きが起こってきます。こうした思想は、日本においては明治以来の急激な西洋文化吸収の中で新思想として紹介され、日本の思想界、宗教界、とりわけ新宗教に影響を与えていきました。
 本稿ではまず、「宗教」と「科学」の統合を唱えるルーツとしてスピリチュアリズムと神智学を取り上げて概要を解説し、また、その影響も取り込んだ大正生命主義についても触れて、新宗教やニューエイジに共通して見られる教義のルーツが、神智学や当時の心霊研究を背景にした生命主義的世界観に求められることなどを見ていきます。その上で現代のニューエイジにみられる、生命主義・神秘主義の下に「科学と宗教の統合」を唱えた典型として、オウム真理教の教義を具体例として取り上げ、科学と宗教の問題を解明しようと思います。そして次に、本覚思想を全面的に展開したという創価学会員松戸行雄氏の凡夫本仏論を取り上げ、そのニューエイジに通じる観心主義偏重の御遺文理解を批判する中で、ニューエイジ=本覚思想性を払拭した、あるべき日蓮教学の現代化を考えていきたいと思います。

二、近代意識の裏面としての神秘主義−スピリチュアリズムと神智学−
 近代における心霊研究とスピリチュアリズムの始まりを訊ねると、「ハイズヴィルの降霊術事件」という出来事があります。一八四八年の春、アメリカ合衆国のニューヨーク州ウェイン郡ハイズヴィル村に住むフォクス姉妹は、期せずして霊界通信の方法を発明しました。この通信の方法は、「霊魂」が叩く音を、一打がA、二打がB、三打がC−とアルファベットに翻訳する簡単なモールス信号だったといわれます。この降霊術は、現実の電信網によりアメリカ全土に伝えられ、こうした降霊術の集まりが各地で催され驚異的なブームなり、またたく間にヨーロッパ大陸も席捲したといわれます。
 その後に組織された全米スピリチュアリズム連盟が採択した定義によれば、スピリチュアリズムとは「霊能者が霊界に住む者たちとの交信によって一般に提供した事実に基づく科学、哲学、宗教」であると述べられています。その中での科学とは、霊現象を調査・分析・分類する実証主義であること。哲学とは、その科学的成果に基づいて霊界・人間界・自然界に通ずる法則を思索すること。そして宗教とは、その全体が神のみ業であるという信仰に至ること、を指しています。ここでなにより第一義に置かれているのは、まず心霊現象が、近代の知の基本構造を規定する「実証主義」によって、実験的に科学的客観性を証明されたということにあります。
 しかし、この「実証主義」を含むところに、近代スピリチュアリズムの逆説があります。もともとスピリチュアリズムとは、近代が否定してきた霊現象という不可視なもの・非現実的なものを求める反近代的な性格を持っているのですが、科学的客観性を求めるあまりに、否定すべき近代社会の基盤をなしている実証主義によってしか成立しえない立場に立ってしまった、といえるのです。そもそも事のはじめからスピリチュアリズムには、モールス信号と霊界通信の対応のように、近代科学や近代社会の陰画としての、いわばサブカルチャー的な性格がありました。
 こうしたサブカルチャーとしての性格は、現代ではコンピューターと脳の対応として捉えられるでしょう。例えばオウム真理教では、人間の脳をハードディスクのように見て、悪いデータを消して良いデータに入れ替えることが簡単にできると考えていたようです。身心機能を徹底的にテクノロジーの対象と見た、いわゆる洗脳ですが、薬物等である程度そうしたことが可能であるとしても、そのデータ主義による修行の結果出来上がるのは、ロボトミー化された成就者でしかないといえるでしょう。オウム真理教の宗教科学観については、また後でふれます。
 宗教を科学であると主張するもう一つの流れとして、オウムの教義の中心にも取り入れられている神智学があります。神智学は、ロシア生まれの霊媒師でチベット山中において教義を習得したとされるヘレナ・ペトロヴァナ・ブラヴァッキー夫人と、心霊術研究家として広く名声を博していたヘンリー・ステル・オルコット大佐の出会いから始まりました。一八七五年に二人は、当時流行していた霊の物質的顕れを探求する心霊主義と袂を分かち、神智学協会をニューヨークにおいて設立しました。神智学協会設立当時の多くの神智学者は、十九世紀の末期を新しい「霊的覚醒」の時代であるアクエリアス(水瓶座)の曙として、つまり新時代(ニューエイジ)と考えていました。意識の霊的進化によって地上天国が実現する新時代は、彼らにはすぐ近くだと思われていたのです。ですから、ヒッピームーヴメントから始まる二十世紀のニューエイジ運動は、まったくのリバイバルといえます。*6
 神智学の教義については、「科学、宗教、哲学の総合」という副題のついたブラヴァッキー夫人の主著といわれる「シークレットドクトリン」などがありますが、「神智学大要」(たま出版)によってその概要を見てみますと、神智学とは意識の進化としてのヨーガを近代において再発見し、「カルマと転生の思想」を復活させ、これを新たな「意識と生命」の思想として西洋思想の中に位置付けたものであることがわかります。神智学では、宇宙を、物質界・アストラル界・メンタル界・直観(ブッディ)界・大霊(アートマン)界・モナド界・神界の七界層に分けていますが、これはヨーガでいう七つのチャクラをへて上昇する意識の階梯化と同じ分け方です。神智学は、こうした霊的覚醒の修行の階梯を世界の各宗教に当てはめることによって、次のように世界の諸宗教を統一する原理を説いています。
   無数の星辰を擁する宇宙は意識ある大生命の顕現である。この唯一大生命、この宇宙神(ロゴス)は常に一体者(ユニティ)である。しかし宇宙にエネルギーを与えるにあたって、宇宙神は三位一体としての、三様の働き方をする。
 この宇宙大生命は、キリスト教のゴッド、ヒンズー教のイシュヴァラ、ゾロアスター教のアフラ・マズダ、回教徒のアッラー、そして神智学徒の宇宙ロゴス、となる。
(「神智学大要」たま出版)
 このように神智学においては、霊的覚醒をめぐって密教・ヒンズー教・キリスト教など渾然一体の思想が展開されるわけです。意識の至高点である「神人」を想定した霊的ヒエラルキー構造の内に全ての宗教を位置付けるというこの構図は、トランスパーソナル心理学の理論家ケン・ウィルバーや、あえて上げればキリスト宣言における麻原彰晃も採用しているのですが、ここで注目しておきたいのは、神智学の「宇宙は意識ある大生命の顕現」「唯一大生命」という世界観です。こうした永遠にして一なる大生命を宇宙の本体とみる世界観は、大生命の思想として日本の新宗教の世界観に共通して見られる生命主義的世界観です。
 では次に、こうした西洋神秘主義の流れがどのように日本に入ってきたかを見ていこうと思います。(「世界神秘学事典」平河出版社等を参照)

三、西洋神秘主義の日本における受容
 日本における神智学の受容は、ブラヴァッキー夫人の協力者であったオルコット大佐の力に依るところが大きかったといえます。神智学がヒンドゥ教や仏教に傾斜したことはすでにふれましたが、オルコットは一八八二年セイロンで仏教徒になる改宗を行い、その後「仏教の教理問答」(A Buddhist Catechism)を書いて多くの仏教徒と接触をしています。この著書は、一八八五年(明治十八年)敬虔な仏教信者であり京都中学校長であった今立吐酔により「仏教問答」として訳出されて、日本の仏教徒に影響を与えています。その後の明治二二年にオルコット大佐は、水谷同朋などの仏教徒や心霊研究家たちによって日本に招かれ、神智学を紹介しています。その反応としては機未だ熟さずといったところだったようです。表立ちはしませんでしたが、オルコット自ら紹介した神智学の影響は仏教や神道系霊学に確実に広がっていったと推測されます。
 再び心霊研究や神智学が本格的に受容されるのは、明治末期ごろになります。一九一〇年(明治四三年)高橋五郎は「心霊万能論」の中で神智学にふれて次のように述べています。
   「神智会は、露国婦人ブラバトスキを祖師として、妙智の造語を喋々し、印度に、合衆国に、幾多の新聞雑誌を有して、其神秘的交感を宣伝しつつあり。――旧来の霊智(神智)主義を参酌し、仏教を加味して、米国に創立せる者に係る、米人オルコット之を印度に唱えて、亦勢力あり。人皆以って神たり得べし。吾人は皆可能的の神の神(potential gods)なりと主張す。多少の観るべき教義も亦少なかるざるが、其創立者ブラバトスキの自から交霊的媒介たりし事あるにも拘はらず、交霊術(スピリチズム)を排斥して、虚妄と為すを主義とす。」(傍線は筆者)
 この文章は、続いて交霊術を要素とする心霊思想家・高橋五郎の立場から、交霊術を排する神智学の見解を独断と非難しているのですが、神智学の主張を「人皆以って神たり得べし。吾人は皆可能的の神なり」とまとめているのは正鵠をえているといえます。この言葉は、仏教においては「可能的の仏」としての「仏性論」と重なり、神道においては「神人合一」の神秘体験となるわけで、日本の宗教土壌において「吾人は皆可能的の神」という思想はさほど抵抗なく受け入れられたと思います。
 むしろ、神智学のもう一つのキーワードである「カルマと転生の思想」の方が、仏教思想として既に知られていたとはいえ、新鮮な衝撃を与えたのではないでしょうか。
 というのは今昔物語や法華験記にみられる日本における転生思想は、その後の浄土教による往生思想や、沙婆即寂光・草木国土悉皆成仏を説く本覚思想や、常世の国という日本固有の浄土観念によって、隅に追いやられていたと考えられるからです。もちろん因果応報と業の観念は根強くありますが、カルマによる輪廻転生は、「死ねば皆ホトケになる」という通念が広まる中で忘れ去られていたといえるでしょう。現代にいたってもニューエイジや新新宗教に見られるように、「カルマと転生の思想」が新鮮に受けとられるのは、この思想が日本近代において再び輸入された近代思想であるからにほかなりません。
 神智学が近代の思想であるといえるのは、例えばチャクラによって意識の進化がなされる事を説く際にも、古代の神智によって諸宗教を統一する世界認識を説くのにも、その説明の仕方としては、近代科学の成果を取り入れた科学的概念を用いてなされていることからも見て取ることができます。
 日本における西洋神秘主義受容の歴史に戻りますと「近代スピリチュアリズム」が日本に本格的に移入されたのも明治四〇年代になってからで、日本が日露戦争に勝利して欧米に追い付いたという意識を持ちはじめた一九一〇年代です。ちなみに一九一〇年の明治四三年には大逆事件が起きています。このころから大正十二年の関東大震災まで、洋書の輸入と翻訳が盛んに行われており、例えば第一次大戦後に欧州で起こったシュールレアリズムなどの芸術運動も間を置かず紹介、翻訳されるなど、当時の日本の人々は今日でも驚くほどリアルタイムに世界の文化状況を生きていたといえるのです。こうした状況を背景にして、大正教養主義、大正デモクラシー、大正モダニズム、そして大正生命主義といった文化傾向が成立しました。
 宗教社会学者の西山茂氏は、近現代において日本資本主義が発展のピークを迎えた後に、神秘・霊術ブームがおこり霊術系新宗教が台頭するという時代サイクルがうかがえる、と述べています*7。その一回目が、富国強兵の近代化が一段落した明治末から大正にかけてで、「千里眼ブーム」から始って大本教や太霊道が台頭した時期です。そして二回目が、高度経済成長後のオイルショックから現在にいたる、超能力・オカルトブームと霊術系新宗教、新新宗教の台頭の時期となります。この反復する時代背景という分析は興味深いのですが、今は次に取り上げる大正生命主義が、一回目の神秘・霊術ブームと重なることを確認しておきます。
 明治四二年にはオルコット大佐の招聘者の一人である平井金造の「心霊の研究」、明治四三年には先にふれた高橋五郎の「心霊万能論」、大正元年には平田元吉の「心霊の秘密」がそれぞれ刊行されています。こうした欧米レベルの超常現象研究を背景に、明治四三年から東京大学助教授の福来友吉博士らが、欧米を手本にした本格的心霊現象研究に乗り出してきます。透視を巡るこの実験はセンセーショナルな話題となり、いわゆる「千里眼ブーム」を引き起こしました。福来博士の実証主義による超常現象の科学的証明は、現在でもそうですが、アカデミズムに受け入られることなくに学職を辞すこととなります。福来はその後も、月の裏側を念写する三田光一という被験者を得て、その研究成果をスピリチュアリスト国際学会などで発表し続けました。
 また、一時大本教に身を置いた浅野和三郎は、心霊現象の事実はすでに当然のこととして受け入れ、それをいかに科学的に説明できるかを考えました。浅野は、「日本の神道は、日本に現れたスピリチュアリズムで、古来世界に出現した数ある教義の中で、日本の古神道ほど、二十世紀のスピリチュアリズムと、多くの肝要な点に於いて冥合するものは恐らくありますまい。」と述べています。ここで注意をしなければならないことは、浅野のいう「日本の古神道」は二十世紀のスピリチュアリズムの眼鏡を通すことで、新たに見出されたものであるということです。つまり、古神道といっても日本の近代以前の古神道ではなく、近代スピリチュアリズムによって再生(あるいは捏造)された古神道だといえます。このことは、古来からの伝法を標榜する新宗教の教義についても同様にいえることです。ともかくも浅野は、スピリチュアリズムを神道に投影することにより、神道の科学化を試みたのです。浅野和三郎は、やがて日本の心霊研究の中心となる「心霊科学研究所」を大正十二年に設立しました。
 このような神智学・スピリチュアリズムの受容は、大本教をはじめとして当時の新宗教における霊界観の形成にかなりの影響を及ぼしたといえます。宗教学者の対馬路人氏によりますと、新宗教に共通する霊界思想とは、宇宙を目に見える現界と目に見えない霊界に分けて、現界をこの現世の物質界とし、霊界を神々や死者や霊魂が充満する霊的精神界と見て、その交流と影響関係を考える思想、ということになります*8。つまりスピリチュアリズムと同じく霊界と現実界との交流です。その関係をみると、現象界は霊界の影と見る霊界優位の「霊主体従」型ですが、しかし、霊界の存在も正邪の差はあれ霊的な生命エネルギーを実体とするのですから、広くいえば一元的な宇宙生命内における霊と物質の二分化としてとらえることが出来るわけで、霊界思想は広くは大生命の思想に含まれるのです。ここに神智学の「宇宙は意識ある唯一大生命の顕現である」という思想を重ねて見ることができます。こうした西洋神秘主義の影響を受けての上で、「大生命の思想・霊界思想」という新宗教の教義に共通する世界観が形成されていったと見ることが出来るでしょう。
 次に、大生命の思想形成の土壌ともなった大正生命主義についてふれ、科学と宗教の問題に入っていこうと思います。

四、大正生命主義の諸相
 鈴木貞美氏が提唱して定着しつつある大正生命主義という用語は、「要するに(従来言われていた)大正教養主義は、広く哲学や芸術を吸収した文化的人格を形成するという思想傾向にとどまるものではなく、その底に普遍的な生命の発現こそが文化創造の原基であるという思想をもっていた」ので、大正期の思想界では「生命」の語がスーパーコンセプトの役割を演じた、ということから名づけられています*9。従って、当然ながらその適応範囲は広すぎるほどなのですが、鈴木氏はその思想的要素を次のようにまとめています。
   東洋的生命観(特に道教的老壮思想的なそれ、またそれらと仏教的・儒教的な生命観が集合したもの)が受け皿となり、キリスト教スピリチュアリズム系の思想が受容され、そこに、ショーペンハウエルやニーチェ、トルストイらの生命思想が加わってゆく過程があり、一方実証主義の動力線が「内部の自然」の観念を定着させ、そしてヘッケルの生気的生命一元論やドイツ観念論心理学などの受容が重なり、思想的な前史がつくられた。そこに、進化論や遺伝学の影響を受けた「生物学主義」ともいうべき、ベルグソン、ジェイムズ、デューイ、オイケンらの二十世紀哲学が流入して形成されたもの、ということが出来よう。
(「大正生命主義、その前提、前史、前夜」大正生命主義と現代 P七六)
 まさに思想の坩堝の様相を呈していますが、こうした西欧諸思想を融合していく受け皿としての東洋的生命観に注目する必要があります。この東洋的生命観とは、生死一如の生命一元論に通じ、また草木国土悉皆成仏のアミニズムを説く「本覚思想」*10であるといっていいでしょう。汎神論的生命の横溢をのべる生命主義にとっては、西欧のキリスト教的思想土壌よりも、むしろアミニズムに通じる本覚思想の土壌のほうが習合しやすかったといえます。神智学やスピリチュアリズムの受容においても見てきたように、西洋神秘主義の宇宙即生命と見る生命主義的一元的世界観を受け入れる受け皿として、沙婆即寂光、生死即涅槃、久遠即今とする本覚思想の絶対一元論があったことは間違いないでしょう。
 こうした日本的融通無碍ともいうべき本覚思想の土壌の上に、欧米の神秘主義、実証主義科学、実験心理学、生物主義哲学などの翻訳文化が、習合・混在して大正生命主義とよべるような思想的様相を呈した、と考えられます。大正期の新宗教ブームも、当然にこの生命主義の影響の中にあり、そこから大生命の思想や霊界思想としてまとめられる世界観を発達させてきたといえます。そして、この生命主義の思潮においては、精神現象も科学的に解明されると考えられていたのであり、宗教・科学・哲学の統一がいわば科学万能の名の下に意図されていたといってよいでしょう。
 この宗教と科学の融合を計る試みは、一九八〇年代にブームとなったニューエイジなどの新たな生命主義的思潮において再び反復しました。鈴木氏は、七〇年代末からのニューサイエンスなどの翻訳文献より始まるこの流行を、八〇年代生命主義と名づけています。このこの八〇年代生命主義の思潮を受けて、「真の宗教は科学である」とするオウム真理教や、幸福の科学などの新新宗教がでてきました。今回(一九九四〜九五年当時)、教学の現代化プロジェクトが日蓮教学の現代化を試みるに当って「宗教と科学」をテーマとしたのも、こうしたブームの様相を受けてのことでした。したがってオウム事件以後はなおさらに、このポスト・モダン的ともニューエイジ的とも呼ばれる生命主義的思潮をどう捉えるかが問題となるのです。

 前述の「大正生命主義と現代」の中で、森岡正博氏は「生命主義は一般的にいって、ロマン主義への自閉傾向を本質的に持っているのではないか(八〇年代生命主義とは何であったか・P二六七)」と指摘しています。「ロマン主義への自閉的傾向」とは、いいかえれば、自分の夢(ロマン)に浸ったままに自我を肥大させ、自閉した妄想を現実と取り違える危険性とも言えるでしょう。自分達とは異なった「他者」との交流を考慮しない、いわば他者性不在の閉鎖的な共同体についての危惧を指摘していると思います。
 いわゆるニューエイジや新宗教の思想は、「他者性」を落としたところの個我から出発して、個を捨てて一なる宇宙意識や大生命にいたる霊的進化をすすめますが、傍目からみればその一なる宇宙意識や大生命が、そのグループ(共同体)のみで通用する我が儘勝手なグルであったり教祖であったりするのです。こうした閉鎖性をもつ生命主義への危惧について、鈴木氏は「大正生命主義と現代」の後書きにおいて、その全体論(ホーリズム)の危険性にふれて次のように述べています。
   しかし、世界が、二度目の熱い戦争に向かったとき、このホーリズムは、全体主義(トータリズム)と結合した。ナチス・ドイツではエコロジカルな政策も展開されたが、それを支えたヘッケルの理論は、人種間の優生学という思想をもっていたために、ユダヤ人の虐殺にも根拠を与えた。ホーリスティックな生命観は、悠久の生命に生きる「日本民族の大義」とも決して無縁ではなかった。生命観のホーリズムが国家や社会や民族などのトータリズムと結合したときの危険性を、これらの歴史的な事件はよく教えてくれる。二一世紀に向けて、新たな生命観が問われる今日、われわれは、二〇世紀の生命観とその発現のしかた、そして、その行方について、さらに検討を重ねる必要があるだろう。
(大正生命主義と現代 P二九五)
 「人間は皆相身互い」といった相互扶助の強調の下に、平等や博愛を保証するかに思えるホーリズムが、政治的全体主義へと転化し極めて差別的に機能してしまうということは、確かに歴史の教えるところでしょう。生命力の賛美にしても両刃の剣であり、戦前の「近代の超克」を巡る論議にみられたように、「『戦争は歴史の最もヴァイタルな力』、『総じて近代が行詰まったところに総力戦がある、つまり総力戦は近代の超克だ』(「総力戦の哲学」一九四三年中央公論一月号)」といって戦争を歴史の生命力の必然として位置付け、破壊の肯定につながっていったという苦い経過もあります*11。こうした危惧は、生命主義だけに限っての問題ではありません。仏教の縁起観にしても通俗的に相依相関のホーリズムと捉えられていることを思えば、再び戦前のように、仏教が教義的に戦争を支援する可能性は大いにありえるといえます。ですから、仏教の縁起観を量子力学に結び付けて全包括的な世界観を提起したF・カプラをはじめニュー・サイエンスやニューエイジの思想においては、特にこの危険性を考慮する必要があるのです。

 スピリチュアリズム・神智学・大正生命主義の検討を通して、現在のニューエイジや新宗教に共通する生命主義的世界観、とくに科学と宗教の統一を説く教義のルーツを見てきましたが、そこに一貫して見て取れることは、近代化に対抗しつつ現れた大いなる力への欲求であり、無限の可能性を秘めた生命力への渇仰であり、生命主義(ヴァイタリズム)の信仰といっていいでしょう。
 この生命主義は科学という呪符を必要としたのですが、しかし、科学と宗教の融合の試みは、スピリチュアリズムにみられるように近代科学に根拠をおかざるおえない矛盾を背負って現れざるおえず、それは現代のニューサイエンスにいたるまで続いている矛盾なのです。ここで最初の課題に戻って考えれば、いったい宗教は科学を必要とするのでしょうか。

五、客観性=真理という神話
 そもそも宗教にとって科学が問題となってくるのは、科学的言説には客観的真理があるが宗教的言説は主観的で真理とはいえない、という点にあるのでしょう。しかし、こうした捉え方自体が、真理を客観と結び付けた近代科学の枠組みから規定されているといえるのです。では、近代科学の枠組みとは一体何でしょうか。
 近代科学とは、自然現象を客観的で不変とされる「数学」によって説明する解釈体系の一つであり、自然には何らかの隠された不変(法則)があるとみる、いわば不変のイデア界を想定するプラトン主義的な信念に貫かれているといえます。そうした意味では、宗教的な形而上学とルーツは重なっているところがあったのです。しかし、実験による実証性を媒介にして、真理を人間の存在とは独立した「客観」としたことで、主観的な宗教真理は真理に値しないとされたわけです。あるいは良くいっても、科学が実証によって客観的真理と認めるまでは宗教は真理を保留されたのです。ですから、現在でも宗教を科学的に証明しようとする宗教領域が、悟り・瞑想・超能力など、物質的身体を介して物質的に計測、計量しうる領域に集中するのは当然かもしれません。
 しかし宗教の真理は、修行による体験主義的境地にあるというよりも、人々に教えが伝わって行くという、「言葉の交流」の中にこそ顕れるものと筆者は考えます。言葉は、表現と解読というコミュニケーション・ルールの中にあって(言語の違いはルールの違いとしてあるのですが)、言葉において人間は、主観(わたし)と客観(あなた)の間における真理を問題にしてきたといえるでしょう。*12
 こうした交流の中にあらわれる宗教的真理は、そもそも人間(主観)から独立した不変的法則を真理とする科学とは異なったものなのです。極端にいえば厳密に客観的真理に値する科学とは、自然科学に限られるのではないでしょうか。主観的で非合理的な人間行動が対象となる社会科学や人文科学の分野においては、自然科学におけるような客観性が成立するでしょうか。もう少しいえば、近代科学は主観と客観を分けて客観を真理としましたが、科学の追求する客観も結局は人間が認識するものであるならば、量子力学派の不確定性原理を待たずとも「主観を離れた客観はない」といえるはずです。本来分けられない主観と客観を無理に分離してみせたことに、近代科学の成功と限界があったといえるでしょう。
 ニューサイエンスも、近代科学の限界がデカルト的心身二元論(主観・客観の分離)にあると批判して登場したのですが、F・カプラにみられるように量子力学の物質観と東洋神秘主義の世界観の相似を強調しすぎたため、まるで宗教的真理が科学によって証明されたかのような錯覚をあたえました。量子力学の主張は、極微の世界では不変の実体も客観も見出し得ないという、それまでの決定論的な科学観の変更を迫るものでしたが、これを受けてカプラは、その著作「タオ自然学(工作舎刊)」において、実体のない、関係性のみでなりたつ量子力学の物質観が、存在の根底に空や無をみる東洋宗教の世界観と似ていることを指摘し、科学と宗教を一つとみる新たな科学観の確立を提唱したのです。
 しかし、言語のルールの根拠を物理法則にもとめられないように、その宗教観の正しさを物理学の世界観に証明してもらうことはできません。同じくニューサイエンティストに数え上げられるケン・ウィルバーでさえ「空像としての世界(青土社)」の中で、カプラは範疇錯誤を侵していると批判しましたが、宗教観の正しさを科学に求めること自体が、科学的真理を優位にみる科学信仰の立場にあるといえるでしょう。
 ニューサイエンスは、近代科学を相対化して新たなるパラダイムへの提唱をしたことで大きな意義をもったのですが、しかし思想としてはデビット・ボームの「明在系・暗在系」の考え方に見られるように世界観としてプラトン主義的であり、結局は近代科学と同じ大枠に入ってしまうのではないかと思います。ですから、その洗礼を受けた現代のニューエイジャーや新新宗教の教団に顕著なように、ニューサイエンスを無比判に受け入れることは、形而上学的なオカルト科学に赴く危険性が大いにあるのです。
 次に具体例として、「真の宗教は科学である」と考えたオウム真理教の言説を検討することで宗教と科学の問題を詰めて行きます。

六、「真の宗教は科学である」のか
 オウム真理教の機関誌ヴァジラヤーナ・サッチャに、大滝寿成の筆者名で「《アカデミックに徹底検証》真の宗教は科学である」という記事が連載されていました。その内容は、神秘体験の客観的測定とか麻原の体験談を因果法則の根拠に引くとか、今となっては無残な観も呈している論考なのですが、オウム真理教がなぜ宗教は科学でなければならないと考えたのかを伺うサンプルにはなります。
 大滝氏は、科学を「論理性」と「実証性」と「客観性」を備えたものと定義し、オウムの修行はそれらの条件を充たすものとして、その修行の論理性・実証性・客観性を説明しています。しかし、それは類比以上のことではなく、本人自身にしても神秘体験の科学的証明が、体験した者の主観的な体験談を集めることでしか客観的データにはなりえないとわかっているようなので、科学と力むほどの説得力はありません。
 では、なぜオウムの修行が科学なのかといえば、「わたしたちの目的としている悟りとは宇宙の法則を完全に理解した状態だからである。当然科学とは合致していなければならない。そして、科学に合致した宗教イコール“真理”ということができる。」というのです。つまり、科学は真理であり、そのために真理といえる宗教は科学でなければならない、という前提がまずあるわけです。この前提は、麻原の「もともと神秘思想というものは、科学文明がそこへ到達していないがゆえに神秘思想なのです。つまり、科学が高度に発達した場合、その神秘的なものはすべて科学によって割り切ることができるはずです。」という見解に沿ったものですが、この科学=真理=宗教という前提は、すでに見てきた近代神秘主義以来の等式です。
 神秘思想がもともと科学(真理)だという見方は、神智学のアーカシャ記録の考えからもきています。オウムは神智学経由のヨーガを教義と修行の基本に置いているのですが、神智学では世界を、「目に見える物質界」・「イメージ素のアストラル界」・「音素だけのコーザル界」の三つに分け、こうした世界の果てに、宇宙の全現象が永遠に記録されているアーカシャ記録と呼ばれるエーテル状の全記憶情報媒体が連なっている、と説明しています*13。麻原は、この神智学の宇宙構造をそのまま踏襲しているので、アーカシャ記録の全情報性をコーザル界に置いて、精神科学(コーザル世界)から降ろされた情報が現世の科学となっている、と説明しているわけです。そして、「精神科学の世界から情報が降りるのは直観によってであり、アインシュタインはじめ偉大な科学者は皆インスピレーションによって精神世界の情報を得て、それを理論化・実験によって検証し、個々の科学法則をつくってきた」と語り、また、その逆を言っているのですが、「釈尊も最高の科学者であった」と述べています。つまりは、精神世界は真理なのだから科学に他ならないという理屈であり、いわば真理は常に科学であるはずだとする、逆転した科学信仰であり科学万能論でしかありません。
 実際にオウムの科学観が、未知ではあるが決定された法則性を想定する古典的決定論に基づくことや、宗教を優位におきながらも釈尊を科学者とせずにはおれないことを見れば、世界(宇宙)はやがて科学によって全て解明されると単純に信じた十九世紀の科学信仰の態度と変わりないといえるでしょう。しかし、こうした素朴な科学万能信仰のルーツを考えてみると、宗教にも科学にも共通するプラトン主義という大きな思想的枠組みを見ることができます。
 科学の歴史を簡単に見てみましょう。西欧中世では科学は哲学と厳密には区別されずに、科学の目的は人間を含めた自然界を観察分類し、神の秩序の顕現としての法則を発見することにありました。こうした古代ギリシャ以来の「観察」を基本方法とした科学に対し、十七世紀にガリレオ・ガリレイが登場して、「実験科学」という測定に基づく新しい方法を用い、その実験結果を「数学」によって記述することで、数量化できない主観的要素を除外して、客観性を求める近代科学の路線をひいたのです。ガリレオが自然を記述するのに数学を用いたのは、数学的に調和したイデア界を真実の世界としたプラトン思想の影響がありました。*14
 しかし、プラトンにとっては数学に代表される理念的なイデア界のみが真実であり、感覚的な現実界は影(虚仮)でしかありません。人々は想起(アナムネーシス)によってイデア界とつながるだけだったのですが、ガリレオはイデア界をわれわれの生きる現実界に重ねあわせ、イデア界の言語である数学によって現実界の真理も解明できると考えたのです。そして、科学者の活動を数学的に客観性を持つ対象に限定することで、イデア界の言語である「数学という理念」は、科学の名において「現実化」するものとされたのです。だから科学によってやがて全てが解明されるという科学信仰も、数量化されたイデア(理念)こそが客観的な現実であるとみる近代科学の特徴そのものに由来するといえるでしょう。逆にいえば、それが現実的なものであっても数量化できない主観的なイデア(観念)は、非科学的とされて宗教や迷信の領域に追いやられるか、真理を保留されていったのです。
 西欧の近代オカルティズムは、こうした近代科学のまさしく陰画として現れました。神智学などの近代神秘主義の流れは、イデア界(精神世界)こそ科学(真理)であると主張して登場してきたのです。したがって、科学信仰も神秘主義も、現象の背後に全知のイデア界を見るというプラトン的構図を前提としている点ではルーツは同じといえるのです。そしてこの構図は、オウム真理教のみならず新宗教・ニューエイジにも共通してうかがえるものです。近代において神秘主義の宗教が、科学を執拗に標榜する理由もここにあるのかもしれません。ニューサイエンスにおいても、その取り込んだ対象は東洋神秘主義の流れであって、そこにもイデア界と現象界というプラトン的構図が読み取れます。  
 しかし、デカルトの科学的理性の確立にはじまる科学的態度とは、確実な知を見出すために対象を批判的に吟味して、その吟味にたえたものだけを承認していくというものです。また、科学は科学的に把捉できる領域にかぎって解明していくもので、神の存在や不死の問題などの形而上学は対象から外れるわけです。前章で述べたように、科学的真理といっても自然科学の他は、社会科学や人文科学と名はついても政治・経済・思想・宗教・文学など科学的検証の厳密さを適用できる領域とはいいがたいわけで、科学を真理の証明とみるのは、いわば近代の呪縛であるといえます。。
 結論としていえば、「真の宗教は科学である」必要はありません。宗教的言説と科学的客観性の証明は別のレベルに属することで、科学的証明によって宗教的真理が確定するものではないからです。宗教体験において身心相関的な変化を測定することはできますが、それは機能の変化を見ることであり、精神内容に立ち入るためにはその人の体験を聞く必要があるはずです。その体験内容が伝わるのは「言葉」によってであり、テレパシーではなく言葉によってこそ宗教性は顕れる、と筆者は考えています。
 また、ニューサイエンスを援用して日蓮教学を語るという本プロジェクトの当初の試みについていえば、それはアプローチの方向が逆転しているといわざるおえません。まず、ニューサイエンティストが言及する宗教領域が、ヨーガや禅にみられる体験重視の神秘主義であることをおさえておく必要があります。むしろ、既にニューサイエンスが帯びているところの宗教性を、日蓮教学としてどう捉えるかが問題なのです。従って、日蓮教学の現代化において「宗教と科学」をどう考えるかというテーマは、筆者にとっては宗教と科学の融合を掲げるニューエイジや新宗教を日蓮教学はどのように捉えるのか、という問題になるのです。
 次にこの問題を考える具体例として、生命主義的ともニューエイジ的ともいえる松戸行雄氏の凡夫本仏論を取り上げますが、その前に日蓮聖人に照らしてみれば今日のニューエイジ的思想は何であるかを検討しておく必要があるでしょう。

七、日蓮聖人のニューエイジ批判
 仏教の終末論というべき末法の危機を受けとめた鎌倉仏教の各祖師達は、観念的な中古天台本覚思想と対決し、今でいうニューエイジ的な超越思想の対極に救済を見出していたといえるでしょう。つまり、観念観法を使う修行階梯による超越的な悟りの境地を、「時にあわず」としてすでに否定していたのです。
 末法思想は、幾つかの説がありますが仏の滅後を三時に分けて、教も行も証もある正法の時代が千年、教と行はあるが証はない像法の時代が千年、行も証もなく教のみ残った五濁悪世の末法時代が一万年続き、経典も悉く滅して仏法滅尽し、誰一人として成仏できず救われない時代となる、という絶望的な衰退史観であるといえます。だから逆に鎌倉仏教の祖師達は、滅尽しない正法によって罪業深い最低の人々を救う道を要請されていたといえるのです。*15
 こうした末法の世での救いを、まず鎌倉仏教の先陣として専修性に求めたのが、法然上人の選択本願念仏集でした。その説くところは、末法の凡夫は罪業深く自力で悟れる可能性はないが、そうした者こそ弥陀の本願という超越者の救済にかなう者で、念仏さえ唱えれば浄土に往生できる、という易行道の主張でした。法然は、これを末法における唯一の救いと見て、仏教修行の観念観法を否定したのです。この法然に見られる諸特徴、凡夫が念仏のみで往生できるという易行性と救済性、そして是一非諸の専修性は、鎌倉仏教全般の特徴として影響をあたえたといえるでしょう。
 後に続く日蓮聖人にしても、法然浄土教を謗法として徹底的に批判していますが、これは法然上人が法華経を難行道に入れて捨てた罪を責めているのであり、易行道によっての救済を否定しているわけではありません。むしろ、法然批判の守護国家論においても、逆に法華経こそ易行の中の易行として念仏に百千万倍勝れている、と述べています。そして、法華経こそが末法の最低の機である愚者・悪人・女人・常没の闡提*16を救う正法であることを論証し、法然の謗法を批判しているのです。
 日蓮聖人は、時を選んで末法における難行を否定し、「身を苦しめ行をなすとも法華・涅槃に至らざれば一分の利益無く、有因無果の外道なり(守護国家論)」と述べ、仏教修行の基本である戒・定・慧の三学をも意味をなさないと考えたのです。
   仏正しく戒・定の二法を制止して、一向に慧の一分に限る。慧また堪えざれば信をもって慧に代う。信の一字を詮となす。
(四信五品抄 平成新修日蓮聖人遺文集 P六三九)
 末法時においては、解脱をめざす修行(戒・定)も意味を失い、慧さえ不可能となったとき、末法時における衆生救済を誓願した釈尊の慈悲によって、慧に代わる「信」のみで救済が叶うとして、その「信」に妙法五字の題目受持をおいたのです。その南無妙法蓮華経の題目には、三学も法華経も釈尊の修行の功徳も備わっており、だから、理解もなくただ口に南無妙法蓮華経と唱える弟子の位でさえ、その受持の功徳は「福十号に過ぎたり(十号具足の釈尊を供養するに越えた福徳)」と述べているのです。
 日蓮聖人もまた、末法正機の法華経の救済観から、オウム的な解脱をめざす修行を、さらにいえば密教的な行や禅の悟りを否定したといえます。もちろん法然浄土教に対しても、正法である法華経を毀謗した罪で徹底的に弾劾するのですが、それは法華経でなければ末法の凡夫を救うことができないという必然性からきているのです。法華経の題目に下種結縁して、はじめて末法の凡夫は名字即の位で成仏できるのです。その他の教えでは救済できないからこそ、専持題目を勧めたのです。その点で法然の専修念仏との対決は不可避であったといえるでしょう。
 日蓮聖人の教えでは、末法凡夫の救済は、法華経の教主釈尊の慈悲によって可能となります。その成仏観は、観心本尊抄の自然譲与段に「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう」と述べられています。ここで絶対者である釈尊と相対的な凡夫は、まさしく向き合っています。その間には埋められない距離がはっきりとあるのですが、釈尊の修行と悟りの全てが籠められた妙法五字を「受持」することで、凡夫は釈尊と等しくなることができるのです。この他力の慈悲と自力の受持が出会う時が、妙法五字の題目であり教観一致の受持成仏となるのです。
 ここでは天台流の観念観法が否定されると共に、本覚思想にもとづく観心主義、ニューエイジ流の内在的超越性も否定されています。釈尊の因行果徳として示される超越性は、妙法五字にあるのであって、凡夫にすでに内在しているものではありません。この超越性は、題目受持という色読行為のなかで始めて現れるものです。色読は、法華経の正しさを身をもって証明することですが、日蓮聖人は、如来の使いとして誓願を立て正法を行じることの中に事の一念三千の成仏を観たといえるでしょう。
 
八、創価学会・凡夫本仏論批判
 破門後の日蓮正宗と創価学会の対立の中で、創価学会員の松戸行雄氏が、日蓮正宗との教義論争において本覚思想を打ち出した凡夫本仏論を試論として提唱しましたが、内容を読むとまさにニューエイジの文脈での日蓮聖人の御遺文解釈をしています。
 松戸氏の著作は、創価学会と正宗の抗争の中で、正宗教義と決別した創価ルネッサンスを目指す「試論」として書かれたもので、正宗との教義論争が基調となっていますが、創価学会の教義として認知されているものではありません。
 松戸氏の「日蓮思想の革新(論創社一九九四年三月刊)」における主張を要約すると、『日蓮正宗では、本仏日蓮から伝わる正統な御本尊と御題目が、歴代の大石寺法主によって信徒に取りつがれるとされてきたが、そのような信仰の相承は時代錯誤の封建制度にほかならない。日蓮聖人の教えは「凡夫が仏になる」ことを示した人間主義の仏教であり、その教えは、凡夫であった日蓮聖人と同じく我々凡夫も仏となれるという凡夫本仏の教えであり、本尊は御題目を受持する凡夫の姿にある』ということになるでしょう。 
 この主張は、たんに本仏を、日蓮(正宗)から凡夫(学会)へ移しただけとも読み取れるのですが、そうした事情の斟酌とは別に、筆者が松戸氏の日蓮解釈にニューエイジ流の文脈を読み取るのは、次のような箇所からです。
   大聖人は徹底して内在に超越を、凡夫に仏を見ている。大聖人は仏教そのものを再び、阿弥陀仏などの超越からの「救済」を立てない内在的「解脱」の宗教として回復しようとする宗教革命を目指したのである。
(人間主義の「日蓮本仏論」を求めて みくに書房 P一五〇)
   南無妙法蓮華経は私たち自身の生命そのもの、またその構造原理としてしかいいようのない妙理である。(略)「南無妙法蓮華経とは何か」と本質的規定を求められるのであれば、宇宙即我の境智冥合の姿といえる。
(日蓮思想の革新 P一四七/P一八六)
 凡夫の中に超越を見るというのは、それは「仏性」のことをいっているのでしょう。外部からの救済を立てずに、自らの仏性(潜在能力)の可能性を開き解脱するという考え方は、欧米で受け入れられた禅や神智学経由のヨーガを取り込んだニューエイジの特徴でもあるといえます。つまり、松戸氏は、日蓮仏教を「悟り」の宗教として、宇宙即我の境地を求める解脱型の宗教だといっているのです。
 日蓮聖人がそうした解脱型の宗教を否定したことは既に述べましたが、しかし、真っ向から対立する見解なので、次に出来るだけその誤りを明らかにしていきます。
 松戸氏には「上からの超越的な救済」に対する過敏な否定があります。それは、封建的と批判する法主血脈相承の反動もあるのでしょうが、「宇宙即我の境智冥合の姿」という梵我一如のヴェーダーンタ的一元論と変わらない解脱型宗教の要請からも来ているといえます。では松戸氏のいう通り、日蓮聖人は「徹底的して内在に超越を、凡夫に仏を」見て、外在する超越からの「救済」を立てなかったのでしょうか。
 しかし、松戸氏の思い込みに反して、日蓮聖人は経典を介して超越者・教主釈尊としっかり向き合っていたといえます。そうでなければ「教主釈尊の御使」という自・他を明確に自覚した言葉はでてくるはずがありません。
   日蓮は幼若の者なれども、法華経を弘れば釈迦仏の御使ぞかし。(略)教主釈尊の御使なれば天照大神・正八幡宮も頭をかたぶけ、手を合せて地に伏し給うべき事なり。
(種種御振舞御書 平成新修日蓮聖人遺文集 P四五八)
 前に受持成仏について述べましたが、それは、超越者釈尊の慈悲(誓願)によって与えられる妙法五字(釈尊の因果)を凡夫が信じ、受け持つことで、凡夫の心の仏界が顕れる、ということでした。松戸氏の凡夫本仏論には、釈尊と向き合った受持する者の「信」が欠けています。だから、自己を中心とした独善の悟りに赴くという、いわゆる禅天魔に陥る危険性があり、教学的には観心偏重の己心本尊論*17だと言わざるおえません。また、南無妙法蓮華経を梵我一如的な法体としたことは、本稿の論旨でいえば、御題目を生命論的世界の中に拡散させてしまったといえるでしょう。
   「つまり南無妙法蓮華経という仏(人)の悟った法は仏が創造したものではないという意味では、妙法の理は最初から存在すると言えよう。」
(日蓮思想の革新 P一七二)
 この最初から存在する「妙法の理」とは何でしょうか。それを松戸氏は、生命であり、そこに内在する「宿命転換のメカニズム」である、と述べていますが、これはニューエイジ流の解脱理論であると共に、典型的な「本覚思想」の応用理論なのです。天台本覚思想文献の牛頭法門要纂に、「生死の二法は一心の妙用、有無の二道は本覚の真徳なり」とありますが、二項対立をいともたやすく一如に還元する大乗起信論に端を発するこうした生死観が、のちの大生命の思想のルーツと考えられます。田村芳朗氏は本覚思想についてこう述べています。
   積極的にいえば、生も死も、ともに絶対の真理、永遠の生命の活現のすがたということである。一心の妙用とは、生死を主体的精神でもって掌握することを意味する。生死観は、ここに、その窮みに達したといえよう。
(「天台本覚論」日本思想体系 岩波書店 P五二五)
 本覚思想の生死観は、生死を一如として結局は「死」を消してしまいます。ですから残った全一の「生」は、霊界をも含めて生命力の増減としてしかとらえられなくなるのです。そこでは、生命力が旺盛か、低下している(気枯れ=穢れている)かが関心の的となり、いかに生命力を増大するかが求められ、生命パワーを授ける福運や気や本尊などの功徳が信仰の問題となっていきます。
 松戸氏が強調する「即は転換の原理」というのも、災い転じて福と為すという類の「一心の妙用」に他なりません。松戸氏は、御題目=生命が内蔵している宿命転換のメカニズムを、「人間革命・現状変革できるまでいかに働かせられるかが信仰実践の問題」だと述べていますが、他者性の配慮を欠いた宿命転換など御都合主義でしかありません。そのことは折伏大行進以来度々その方針を転じてきた創価学会の行動によく表れています。
 創価学会の生命論は、戸田城聖によって宇宙即生命の大生命哲学として説かれ、その宇宙生命力は大石寺の大御本尊に集まると大宣伝して、正宗教学との接続をはたしたものですが、創価学会にとっては、その御本尊と縁が切れれば正宗教学とも縁が切れるのではないでしょうか。外にパワーの源泉を求めず内に転化した凡夫本仏論は、そういう意味では象徴的であり、この先を暗示しているともいえます。
 松戸氏が、南無妙法蓮華経を「衆生本有の理」(人間にもともと備わっている法則)として次のように述べているのを読むと、既に人には潜在的に全知(悟り)の法則があって、人はただそれに気付けばよいとする現状肯定の本覚思想を、生命論の文脈で語っているのが明らかでしょう。
   法華経をたもつということに、釈尊なり大聖人が久遠の教主・人格として私たち衆生を救うという意味はまったくない。私たち自身に内在する仏界、または私たち自身の存在自体がある法則性なり、成仏を可能性として秘めている構造をもっているので、それを活動させるとき、無理なく自然に私たちの仏性が開花して行くということである。
(日蓮思想の革新 P一四九)
 本覚思想で御遺文を解釈するから、「法華経をたもつということに、釈尊なり大聖人が久遠の教主・人格として私たち衆生を救うという意味はまったくない」という誤った見方になってしまうわけです。しかし、日蓮聖人の「己心の釈尊」は「久遠の教主釈尊」であって、「自然本覚仏」などではありません。
 たしかに、この文の前に引用されている「御講聞書」の、「本理に称うとは妙法華経の本理に称うと云う事なり。本理に叶うとは此の経を持ち奉るをいうなり」という論理に沿えば、「救うという意味はまったくなくなって」しまうでしょう。自他の区別が全くなくなってしまっているからです。こういう本覚思想そのままの文献をもとにした見方からは当然の帰結かもしれませんが、しかし、「法華経をたもつ」という言葉から教主釈尊の慈悲と誓願を抜いてしまえば、その本来の意味を失うことになります。あとに残るのは、「たもつ」ではなく、天然自然の理を「さとる」ことにしかなりません。これは、「今、ここに、天国はあなたの下に」あることを、「悟ればいい」という、自他の別も歴史感覚もないニューエイジに共通する傾向なのです。*18
 しかし、松戸氏は、「立正安国を標榜し、現状変革のために闘った大聖人には、こうした意味での無差別な現状肯定の思想はない(日蓮思想の革新 P一五一)。」とも述べています。確かに聖人には「無差別な現状肯定の思想はない」のですが、その理由は松戸氏の考えと全く違います。なぜならば、正宗教学が脱仏として捨てて、松戸氏が「単なる想像(平成の教義論争 P二三)」として否定した久遠の教主釈迦牟尼仏が、日蓮聖人の目にはありありと実在していたからです。
   此の三の大事は日蓮が申したるにはあらず。只偏に釈迦如来の御神我身に入かわせ給いけるにや。我身ながらも悦び身にあまる。法花経の一念三千と申す大事の法門は此れなり。
(平成新修日蓮聖人遺文集 撰時抄 P五一六)
   仏の入滅は既に二千余年を経たり。然りと雖も法華経を信ずる者の許に仏の音声を留めて時々刻々念々に我死せざる由を聞かしむるなり。
(平成新修日蓮聖人遺文集 守護国家論 P二九)
 日蓮聖人は、正法たる法華経の教主釈尊を全身で感じ受け止めたからこそ、仏の救済の予言を信じ、末法時の世を救う如来使として立正安国論を上奏し、正法による社会を実現せんとしたのです。末法時に正法を広めるにあたり、法華経に書かれた現世利益と現世値難の相反する二つの証文を前にして、日蓮聖人は「いわずわ今生は事なくも、後生は必無間地獄に堕つべし。いうならば三障四摩必競起るべしとしぬ。二辺の中にはいうべし。(開目抄)」という覚悟をもって広宣流布に臨んだのです。「無理なく、自然に仏性を開花して」広宣流布したのではありません。生命力(福運)を増し、宿命転換をはかるような現世利益を目的として広宣流布したのでもないのです。教主釈尊の教えが「正しい」がために、受難を覚悟で布教し現状変革のために闘ったのです。教主釈尊という超越的他者と凡夫日蓮との間の緊張関係が、日蓮聖人をして教主釈尊の未来記の実現に赴かせたといえます。その現状変革の行動には、仏滅後二千二百二十余年という時代の歴史認識と現状分析、未来へのヴィジョンが裏打ちされていました。日蓮聖人の仏教は、松戸氏のいう仏性の開花による「自己実現型成仏」を宗教革命とするようなちゃちな宗教ではありません。
 そして、恣意的な日蓮聖人理解を排するためにも重要な点ですが、十三世紀の鎌倉時代には人間主義や民主主義などという近代概念は勿論なかったし、人類生存の危機という意味での平和の問題や、社会的自由・平等を理想とする社会理念が欠落していたため、今日的意味での自由・平等の問題も存在しなかったことにも思いを馳せるべきでしょう。日蓮聖人を現代に蘇らせるとしても、日蓮聖人を政治主義的に矮小化してしまってはなりません。

九、日蓮教学の現代化のために−その指針をめぐって−
 松戸氏の試論はニューエイジ批判の一環として取り上げたのですが、筆者が「宗教と科学」をめぐる今回の論考においてニューエイジを問題にしつづけた動機の一つは、松戸氏が理想とする「凡夫が本仏になる」という結論そのものにあったのです。つまり、ヨーガや禅や神秘修行や生命主義や本覚思想も含めての「悟り」の問題です。あるいは、他者性の欠落の問題といってもいいでしょう。筆者は、それがオウムにも共通するニューエイジ全般の問題点であると考えていたからです。
 欧米の若者が、東洋の宗教と神秘主義に魅せられたのは、なによりも自らが「悟る」という意識の変革にあったといえます。付録のニューサイエンスの成立史で触れたように「人間の潜在能力開発運動」で試みられたのは、体験的な超越的意識の獲得でした。しかし、超越的体験を求めれば当然その体現者が必要となってきます。探求者や信者のグル巡りが始まり、グルイズムが定着していきます。悟りをめざす神秘主義には霊的階層化がともない、その霊的階層世界を前提にして師匠と弟子の支配被支配の関係が恒常化していくという過程が、失敗したバグワン・ラジネーシ教団など多くの集団で見られました。
 結局、グル池田大作へのグルイズムを持つ創価学会員・松戸氏は、久遠本仏を単なる想像に過ぎないとして、日蓮仏教を「悟り」の中に解消してしまったといえるでしょう。それは創価学会の欲望肯定の生命論に沿った流れではあったとは思いますが、何の歯止めもないままにますますグル中心の意識に自閉していくのではないかと危惧されます。松戸氏は「一人一人日蓮になれ(平成の教義論争 P二七)」と言っていますが、そういうことを言う前に、すでに時を隔てて超越的な他者となっている日蓮聖人と対面し、対話を試みたほうがいいでしょう。日蓮聖人はけして、「凡夫が本仏」などといわないだろうことは保証します。

 日蓮聖人の仏教は、悟りの仏教ではないことは明らかです。経典を通して、仏のいまだ滅せざる声を聴きつづけた聖人にとって、はじめから末法の世に一人悟ることなど甲斐なきことと考えたはずです。日蓮聖人には、歴史の必然をとらえる明確な意識がありました。また、正邪を明らかにしなければ滅びるという危機意識もあったのです。したがって、超越的他者である教主釈尊の誓願を受けて立ち、法華最勝の立場から立正安国論を奏上し、末法の凡夫の救いとして妙法五字七字の受持成仏を説いた日蓮聖人の仏教は、国土を含めての成仏を目指した「救済宗教」であったといえるでしょう。
 しかし、この救済は、末法の時間論と経典から導きだした予言を伴う切迫したものでした。実は日蓮聖人の仏教は、その解釈を誤れば危険でもあるのです。私たちは、オウム以後の現代教学の方向を探るためにも、その危険性ははっきりさせる必要があります。
 立正安国論での邪法によって災難がおきるという予言は、撰時抄にいたると予言者をも巻き込んだ予言となります。日蓮聖人は、予言者の受難が災難を招来し、後に正法が広まる次第を次のように述べています。
   日蓮は閻浮第一の法花経の行者なり。此をそしり此をあだむ人を結構せん人は、閻浮第一の大難にあうべし。これは、日本国をふりゆるがす正嘉の大地震、一天を罰する文永の大彗星等なり。此等をみよ。
(平成新修日蓮聖人遺文集 撰時抄 P四九〇)
   其時に智人一人出現せん。彼の悪鬼の入れる大僧等、時の王臣万民等を語て悪口罵杖木瓦礫、流罪死罪に行はん時、釈迦・多宝・十方の諸仏、地涌の大菩薩らに仰せつけ、大菩薩は梵・帝・日月・四天等に申しくだされ、其時天変地夭盛なるべし。国主等其のいさめを用ひずば隣国にをほせつけて、彼々の国々の悪王悪比丘等をせめらるるならば、前代未聞の大闘諍一閻浮提に起るべし。其時日月所照の四天下の一切衆生、或は国ををしみ、或は身ををしむゆえに、一切の仏・菩薩にいのりをかくともしるしなくば、彼のにくみつる一の小僧を信じて、無量の大僧等・八万の大王等・一切の万民、皆頭を地につけ掌を合せて、一同に南無妙法蓮華経ととなうべし。
(撰時抄 同 P四八一)
 「大集経」に書かれた闘諍堅固・白法隠没の時、まさに前代未聞の世界戦争が起こり、その後に正法が広宣流布されると述べているこの箇所は、石原莞爾によって「最終戦争論」*19の論拠として引かれたところでもあります。この撰時抄の大戦争予言に先立って日蓮聖人は、立正安国論の中で法然上人を徹底的に批判し、「謗法の人を禁じて正道の侶を重んぜば、国中安穏にして天下太平ならん」と述べて、涅槃経の一節を引用しています。この涅槃経の引用部分は、正法を誹謗するものを一闡提として、正法護持のためには一闡提を殺すことも良しとして、一闡提に対しての武装化を肯定した箇所にあたります。
   「善男子、若し能く一闡提を殺すこと有らん者は、則ちこの三種の殺の中に堕ず。善男子、彼の諸の波羅門等は一切皆是れ一闡提なり」
(立正安国論 P九一)
 もちろん日蓮聖人は、正法護持の為とはいえ殺人を肯定しているわけではありません。「夫れ釈迦の以前の仏教は其の罪を斬ると雖も、能仁(釈迦、筆者注)の以後の経説は則ち其の施を止む(立正安国論 P九四)」として、釈尊以後においては謗法者には布施を止める事で罰することとしているのです。幕府に奏上する邪法退治の提案も、安国論では「止施」に限られています。しかし、その意識においては止施以上の治罰を含んでいるといえます。
 当然ながら、日蓮聖人の時代と現代を安易に結ぶことはできません。時代感覚も生活状況も宗教と政治の関係も大きく違っているからです。しかし、違っている点も踏まえた上で、オウム事件以後なおさらに、この立正安国論・撰時抄に見られるような予言の言葉を「現代における救済論」として読まなければならないのではないかとおもいます。
 先師をたづねれば、日本が近代を迎えるにあたり優陀那院日輝和上は、立正安国論は時の用に立たずと捨て去りました。近代に入って田中智学居士は、立正安国論を中心に仏の未来記を語り国立戒壇の目標を掲げました。立正安国論を巡って対極に位置するこの二師の教学は、今なお日蓮宗に影響を与え続けています。これより立教開宗七五〇を迎えるにあたり、現在の価値相対的な社会の中での宗教的救済をめぐって、教学の根本の問題がいま問われているといえるでしょう。
 本稿で筆者が問題にしたかったのは、広くいえば「脳内革命」のような本が異常に売れてしまうような世の中の危険な風潮といっていいかもしれません。また、再び国立戒壇を御遺命として国諌をもくろむ顕正会の動向も、この風潮と無縁ではありません。できれば、そうした風潮を見定めて指針を示す教学の立脚点を明らかにしたかったのですが、自らの非才と不勉強を恥じるばかりです。
 最後に、この二年半にわたる教学の現代化プロジェクトの共同研究を通じて、優れた先輩各聖達と共に刺激と啓発に満ちた討論ができたことを深く感謝し、また、お世話になった現宗研
所長はじめ各聖に厚く御礼申し上げ、拙文を閉じさせていただきます。終わり
付 録
ニューサイエンスの成立史
 米国ではニュー・エイジ・サイエンスと呼ばれるというジャンルの発祥の源を考えると、まず一九五〇年代の米国カルフォルニア中心に展開されたビートゼネレーションの運動を端緒として呼ぶ事ができると思う。詩人のキンズバーグ、アラン・ワッツ等によって担われたこの文化運動は、ワッツによって「ビート禅」が提唱された事からもわかるように、当時布教されていた鈴木大拙の禅仏教の影響が大変強かった。
 そして六〇年代に入り、この東洋思想に触媒されたカルフォルニアの文化状況は、ヒッピームーヴメントを経て一層加速化されて、いわゆるカルフォルニア文化圏といわれる「対抗文化(カウンターカルチャー)」の土壌を生み出すにいたる。西洋占星術によるとこの時期に魚座の時代から水瓶座(アクエリアス)の時代に変わるという事で、この対抗文化の世代を、ニューエイジ(新時代)と呼んでいる。しかし、レイチェル・ストームの「ニューエイジの歴史と現在(角川選書)」によると、ニューエイジの歴史は六十年代ではなく一九世紀末の神智学協会から始まる。神智学者達はすでに十九世紀末期をアクエリアスの時代の曙と考えていた。また、米国におけるスピリチュアリズムの流行も十九世紀後半であり、これらの神秘主義の潮流は、急速な西洋文物を輸入した明治期からの日本にも大きな影響を与え、大本教系の新宗教や心霊研究など、大正・昭和初期の霊学・霊術の運動を生む原因ともなっている。だから六十年代以降のニューエイジ運動とは、こうした神秘主義のリバイバルと見ることができる。しかし、歴史は繰り返すとも同じではない。
 ヒッピームーヴメントで開かれた新しい地平は、何よりもドラッグによる「意識の変容と拡大」だった。LSDに代表されるドラッグ体験は、近代合理主義では解釈できない神秘体験として、フロイトやユングの無意識層や仏教の悟り・神秘主義者の至高体験の存在を実証する根拠となった。そしてこの意識の変容という体験は、「本当の現実(リアリティ)」とは何か?「人間の潜在能力」とは何か?「われわれ存在するものの関係」とは何か?という問への探求と実験を導くこととなった。
 こうした探求は、当時中国侵攻により米国に移住したチベット僧が伝えたチベット密教や、平和部隊によってもたらされた上座部仏教、ヒンズー教やG・I・グルジェフとイスラム神秘主義(スーフィズム)・シュタイナーと人智学・クリシュナムルティやブラヴァツキーの神智学などの秘教的宗教の流れと共に、フロイト・ユング等の精神分析・心理学療法の流れなどを比較・実験・混在させるなかで、多くの研究所や道場を通して行われた。人間の潜在能力開発運動(ヒューマンポテンシャルムーヴメント)を掲げ設立されたエサレン研究所やオアシス研究所などが有名である。
 こうしたカリフォルニア文化の土壌の上に、カプラの著「タオ自然学」に代表される形で、量子力学の物質観がもちこまれる。量子力学においては、物質の根源は特定できる実体ではなく、万物は「複雑に入り組んだ現象の織物」というべきもので、相互作用こそ物質の根源の実態であり、また観測者の影響を受けないような「客観性」は無い(不確定性原理)とされる。これは、ミクロ・レベルの話ではあるが、客体としての実在の否定であり、我々の意識作用を除いては、客観的な実在などありえないこととなる。
 カプラは、この量子力学の物質観が、古代宗教の世界観に相似していることを指摘し、特に仏教の中観派による空の哲学と華厳の世界観に結びつけた。最先端の科学的見地と仏教などの伝統的宗教の教えの一致というカプラの見解は、同時期に起こってきた西洋近代主義に端を発する科学技術への批判と、新しい包括的で相互関連的な科学観・世界観の思考の枠組みを求める動きに合流していく。
 一九六八年の夏、アーサー・ケストラーの呼びかけに応じて十五人の著名な科学者がオーストリアの村アルプバッハに集まり、還元主義にもとずく機械論的世界観を論駁し、人間行動における人間的価値を生かしうる新しい科学の総合をめざして論議しあった。この「還元主義を超えて」となづけられたアルプバッハシンポジウムでは、遺伝学者から心理学者にいたるまでの今日の生命科学における代表的指導者たちの見解が求められた。ここで示された基本的見解は、人間の活動をネズミの行動や元素の反応で説明しようとする要素還元主義は、全ての現象を基本的な物理ー化学的法則に還元しうると考えた十九世紀の機械論的思考であり、その手法は、価値とか意味とか目的などの、人間に有益な側面をいれる余地がない、という点にある。ケストラーはここでホロンという概念を持ち出し、我々の習慣的思考に根深くある「部分と全体」という二元的思考法を超えるパラダイムを提唱し、機械的な世界観(還元主義)を超えた科学・世界観の確立を促している。
 以上のように、ニューサイエンスの成立には様々な要素が相互に関わっているが、「パラダイムブック」(日本実業出版社)を参考に次の三つの観点から整理する事ができる。
〇意識観の変更 −対抗文化の流れ(潜在能力開発と神秘主義への探求)
〇物質観の変更 −量子力学と不確定性原理によるパラダイム・シフト
〇生物観の変更 −要素還元主義を超えて、システム科学を踏まえた全包括的アプローチ
 これらの科学観の変更には、デカルト・ニュートン以来の主客を明確に分けて対象を基本単位に分析する要素還元主義的で機械論的、決定論的、二元論的な世界観にたいする批判があり、これに対しての新たな見方として、実在の根底に全体的関連を見て取る全包括的、相依相関的なアプローチを目指すこととなった。
 以上述べたことと重複するが二つ強調しておきたい。一つはニューサイエンスの土壌となったニューエイジ運動が、いきなり六十年代から始まったものではなく、その前段階として十九世紀後半より二十世紀に到る近代意識の裏面史というべき神秘主義運動の流れを受けていることで、それは日本においても現在の新霊性運動なるものが、明治末期より大正期における千里眼や念写など霊術・神秘主義ブームのリバイバルとも看做しうる事と同じである。
 もう一つは、ニューエイジにおける禅の影響である。これはカプラのタオ自然学における東洋思想の引用が、ウパニシャッド・易経・老荘などと共に鈴木大拙の言葉と多くの禅語が引かれ、大乗起信論や華厳経からの引用が多いことからもわかる。特に華厳経の、一珠が互いに全てを映す帝釈網の比喩は、相依相関や相即相入を示す量子力学的世界観「万物の宇宙的織物」との相似、また部分に全体を含むホログラムとの相似を指摘するのによく引用されている。
 さて、次にニューサイエンスの個々の理論にふれて仏教思想との関連を考えてみたいが、個々の理論を詳細に説明し検討して行く余裕もないので、雑駁になってしまうが、物質・意識のそれぞれに関して代表的と思えるフィリッチョフ・カプラとケン・ウィルバーを取り上げて述べていきたい。

量子力学的世界観と東洋思想との相似
 まず押さえておかなければならないのは、量子力学の登場である。これによって近代自然科学の客観性の神話が崩れ、リアリティの新たな定義がなされたのである。
 従来の科学では多くの側面を観測することにより究極的な真実に到達できると信じられていた。対象を細かく分割して行く要素還元主義の手法もその確信から生まれた。しかし、物理学における物質の根源探しにおいて、最少単位である物質の性質は、その観測の結果が観測者自身によって影響を受け、粒子とも波動ともなる二重のリアリティを示すことがわかった。ハイゼンベルグは、従来の方法では原子の世界を記述することが不可能な事から「原理的に観測可能な量の間の関係のみを理論の中で取り上げること」にやり方を変えて、物理量を行列であらわす行列力学を提出する。一方、シュレーディンガーが物質の波動関数を求める方程式を発表し、この二つの理論によって、波動と粒子の二重性をもとにしたリアリティを記述できる量子力学が誕生する。
 量子力学派の解釈によって、近代科学の確定的予測をなす絶対的客観性の信仰は崩壊し、科学の記述は全て近似値であり、観測主体と客体の相互作用ぬきにリアリティを語ることはできないとして、予測は確率論的に行われるしかないこととなった。
 この解釈によればリアリティとは観測する私の内側にあることになり、私達の見ている世界は私達の認識の構造だということになる。ハイゼンベルグは、そのS行列理論において粒子間の相互作用のみによって粒子の世界を説明し、世界は相互作用の関係性のみが存在している宇宙的織物(コズミック・ウェブ)である、と表現した。量子力学によって物理学はパラダイムシフトを起こしたが、しかし科学全体においては限界を示された機械論的世界観や要素還元主義の手法は、今なお有効であり主流といえる。その還元主義を批判して、非合理の領域をも取り込んだ新しい科学を目指したのがニューサイエンスといえるだろう。
 くりかえしになるが、カプラはこうした現代物理学の世界観と東洋思想の世界観の相似を指摘し、この二つが真の実在の異なった側面を扱っていることを示したのだ。確かにカプラの引用する次の龍樹とハイゼンベルグの言葉を比べると、同じ認識を示していると思えるだろう。
  物は相互に依存することによってその存在と性質を獲得するのであって、物それ自体に意味はない。
ナーガルジュナ
  万物は複雑に入りくんだ、現象の織物をしてその姿をあらわす。そこではさまざまな種類の結びつきが交錯し、重なりあい、結びつき、またそうすることで、その織物の姿が決定されて行く。W・ハイゼンベルグ
 ここで述べられていることは仏教でいえば縁起と空という、実体を否定した相依相関の世界観である。実体がなく関係のみの支え合いで成り立っている世界という連想で行けば、華厳宗で説く事事無碍法界、天台宗の一念三千・十界互具などと、相即相入する縁起的世界観のイメージをどんどん繋げて行くことは出来るだろう。では、この相似をもって仏教の世界観が科学的に証明されたとか、龍樹ら高僧達が瞑想の中で量子力学のリアリティを幻視していたといえるのだろうか。答えは否だ。量子力学の現在の理論は仮説であり、この先また新たな発見と仮説理論が生まれるかも知れないのだから。科学に裏付けられずとも、宗教の言葉のもつリアリティはそれ自体で有効であるといえる。
 ケン・ウィルバーは、このことをカテゴリーエラー(範疇錯誤)という言葉で批判した。ウィルバーによれば、知識の獲得にはレベルの異なる三つの様式があるという。それは、中世のキリスト教神学者ボナヴェントゥラが述べた「三つの眼」のことであり、物質の世界を知るには「肉の眼」、哲学や心の世界を知るには「理知の眼」、超越的リアリティの世界を知るには「黙想の眼」をもって把握しなければならないという。それぞれの眼はそれぞれの領域においては有効だが、他の領域を把握しようとすると間違いを犯してしまう。この過ちをウィルバーはカテゴリーエラーと呼び、人間の知識獲得の営みを歪めるものとしている。妥当な意見に思えるが、ただウィルバーのこの考えは、彼がその思想の中心に据えている「永遠の哲学」と呼んでいる発達的階層論からきている。ともあれ、ウィルバーのカテゴリーエラーの考えは、カプラ本人も承認している。

トランスパーソナル心理学と仏教思想
 日本にトランスパーソナル心理学文献を精力的に翻訳し紹介した吉福伸逸氏によれば、現時点でのトランスパーソナル心理学が心理学や宗教に対してなした最大の貢献は、「自我」をきっちり位置付けたことだという。心理学では強い自我を持つことが重要だとされ、逆に宗教界では、我をはってはいけないとか我を捨てろとかいわれるが、トランスパーソナルからいうと、自我はまずしっかり確立すべきもので、自我にかかわる社会性をしっかり身につけた上ではじめて自我を超える成長の段階に入って行くことが大事になる。トランスパーソナル心理学は「個人性を超えた」部分だけをターゲットにしている心理学だと思われがちだが、実際にやろうとしていることは、西洋の既存の心理学の様々な学派をそれぞれしかるべき位置に位置付けて、それらを東西の様々な宗教的伝統との連続線上に置きながら、その全てを統合した意識の地図づくりをすることにあるという。この統合した意識の地図がケン・ウィルバーの「意識のスペクトル」である。
 ウィルバーにとっての現実とは、分節的な言語やイメージでは表わせない、非二元的な無境界な意識のレベルのことであり、唯心である。心のレベルと名づけられたこの唯一の現実である意識が分化して、幻想である言葉や象徴・イメージなどの地図の世界が生まれ、意識の全生成過程がはじまるという。ウィルバーの言葉を引いてみよう。
   現実に存在するものは唯心のみである。それは全包括的、非二元的、あらゆる時間的事象の無時間的な基盤ー混乱なき融合・関係はあるが二元性なきーリアリティである。これは、我々が第一の意識レベル、心のレベルと名づけてきたものである。ところが、マーヤ、つまり二元論的思考のプロセスを通して、我々は二元性ないし区分という幻想を導入し、一つの世界から二つの世界を作り出す。こういった区分は、実在するものでなくみかけのものにすぎないが、人間は万事においてそれが実在するかのように振る舞う。このようにして欺かれた人間は、主体対客体、自己対非自己、あるいは単に有機体対環境といった最初の原初的な二元論に執着する。
(「意識のスペクトル」春秋社)
 この唯一の現実である唯心が分裂することから始まる意識の生成過程とは、大乗起信論でいう、一心法から生滅する全現象が現れる過程と同じ構造を示している。
 起信論では、一心である真如(言説の相を離れた無境界・無分別)が、その生滅門の内にある如来蔵・アーラヤ識の働きによって、一心を分節して生滅の相を現す姿を描いている。ウィルバーは、一心からの分裂からはじまる意識の全生成過程を、自己疎外過程として捉えることで人間の分裂的妄想のあり方を明らかにしようとするのだが、これは、無境界の真如が生滅門のアーラヤ識によって分節・現象する起信論の構造とまったく一致する。ウィルバーの思想の大きな特徴として、仏教の如来蔵思想と唯識思想、ひいては本覚思想の影響を見ることができるだろう。その相似に言及する前に、如来蔵・唯識・本覚思想の辞書的要約をしておこう。
 如来蔵思想は、われわれ衆生の煩悩の中に自性清浄の如来が内臓されていると説く。つまり、われわれの心の中には仏に成る性質(仏性)があり、また一切の事象はこの如来蔵から生じている(如来蔵縁起)とみる。なお、「蔵」は、アーラヤの訳語である。
 唯識思想は、字の如く一切の事象は唯だわが心(識)のみとして、その心の相(姿)を、始めは三つの在り方(三性)に、さらに詳しく百法に分けて説明する。三性についていえば、悟りを求めるには先ず心の外に存在があるという間違った思い(偏計所執性)を捨て、在るのは心のみとしてのち、なお心の内で心の本性が働いて作ってしまう相(依他起性)を否定し、唯だ本性=真如(円成実性)のみを悟る、という。また、一切の事象は依他起性のアーラヤ識(蔵識)から生み出されるとする。
 本覚思想は、大乗起信論に端を発しているが、「本覚=仏心=衆生心」というように同義反復的な語意の連結をその相即的な論理の特徴としており、我々は煩悩で覆われているが、しかし我々は本来仏であり、既に仏であるとする。この仏と凡夫という対立項を不二と見る相即観は、発展して衆生の中に仏をみる内在原理から、日本の天台本覚思想においては現実の衆生こそ仏であり、この現実界こそ仏の悟りの世界に他ならないとして、今日只今を絶対不二の世界として「永遠の今」を説いた。
 要点をひろえば次のようにいえよう。
「我々には、仏性=如来蔵=真如=本覚=仏が、本当の心としてある」
「その心が唯一の現実で、全ての事象はそこから分節化(念)して生まれる」
「本当の現実は、念を離れた永遠の今である」
 こうしてみると、ウィルバーも、唯一の現実は心のみ(三界唯心)として、言葉やイメージでは表わせない(離言・離念)という唯一の「心」が分節化していく過程を、意識のスペクトルとして描き、無境界・無時空間の意識(永遠の今)を、覚るべき現実そのものとしているのだから、その基本的枠組みは大乗起信論と同じといえるし、そこには如来蔵・唯識思想と同じ「心の構造」論がある。
 この類似の原因として、鈴木大拙が欧米に広めた禅ブディズムの影響を考える事ができると思う。大乗起信論は華厳宗で重用され、大拙の臨済宗は華厳を重視している。ウィルバーの取り込んだ思想は自ら「永遠の哲学」(唯一つの真理)というように、東西を通じての真理と述べてはいるが、その発想の起点に「禅」があったことはまちがいないだろう。
 引き続きウィルバーを引用してみよう。彼によれば、全一なる意識の分断は、煩悩による染汚から始まる。
   分断がおこると、存在と無、生と死が対象化し、人は空想の未来を保証するために想像上の時間の世界に逃げ込む。
 まさに問題はここに有る。時空を超えた現在に生きることは未来を持たない事であり、未来を持たないということは死を受け入れることだからだ。ところが(有機体と同一化し環境を離れた)人間の意識は、死を受け入れることが出来ない。存在(有機体)と無(環境)の二分化から、無(死)を拒否する。そのため今を生きることも出来ない。今に生きていないという事は、全く生きていないことだ。(意識のスペクトル1■P一九八要約)
 ウィルバーが「解脱とは未来の望みではなく、現在の事実なのだ。」というとき、われわれに悟りが内在しているという見方を超えて、既に悟りが顕在しているとする本覚的立場にたっているといえるだろう。
 トランスパーソナル心理学は、神秘思想でいう神人合一や仏教でいう「悟り」などの超越的境地を含んだ心理学だが、しかし、当然ながら悟りという境地を目的としない宗教があることに目を向けておく必要がある。仏教でいえば、悟りによる成仏ではなく、救済による成仏を説く仏教である。日蓮聖人の教えは、本仏の慈悲による救済を説いた宗教であった。そして聖人の教えは、当時においての現代でいうニューエイジ的思想を批判していたといえるものである。つまり、解脱型の仏教を「時」に合わずとして退けたといえるだろう。(詳細は本文参照)
 以上、不充分ながらニューサイエンスの概説を試みたが、いわばブームの火付け役といえるカプラの「タオ自然学」出版から二十二年が過ぎ、日本におけるブームからも十五年は過ぎた現在では、この概説はその後の動向を捉えていないこともあって旧すぎるかもしれない。すでにニューサイエンスという用語自体が古臭くなっているともいえるが、今回の論旨を参照する一助となればと付録にした。
現代教学プロジェクト「宗教と科学について」参照書籍

《ニューサイエンス関連書籍》
「パラダイム・ブック」 C+Fコミュニケーションズ編・著 日本実業出版社
「ニューエイジブック」 C+Fコミュニケーションズ編・著 日本実業出版社
「アメリカ現代思想一〜四」  阿含宗総本山出版局
「ニューサイエンスと東洋」竹本忠雄・伊東俊太郎・池見酉次郎 編 誠信書房
「現代思想一九八四vol.12-1特集・ニューサイエンス」 青土社
「意識のスペクトル一・二」 K・ウィルバー著 吉福伸逸・菅靖彦 訳 春秋社
「アートマン・プロジェクト」 K・ウィルバー著 吉福伸逸・菅靖彦 訳 春秋社
「無境界」 ケン・ウィルバー著 吉福伸逸 訳 平河出版社
「永遠の哲学」 オルダス・ハクスレー著 中村保男 訳 平河出版
「意識の中心」 ジョン・C・リリー著 菅靖彦 訳 平河出版社
「超−自然学」 ローレンス・ブロア著 菅靖彦 訳 平河出版社
「自己成長の基礎知識1・2・3」R・フレイジャ+J・ファデイマン 編著 吉福伸逸 監訳 春秋社
「宗教と自然科学」「科学時代の神々」岩波講座 宗教と科学 三・四 岩波書店
「心とは」岩波講座 転換期における人間 三 岩波書店
「地球生命圏」 J・E・ラブロック著 プラブッダ訳 工作舎
「生命潮流」 ライアル・ワトソン著 木幡・村田・中野 訳 工作舎
「タオ自然学」 F・カプラ著 吉福伸逸 他 共訳 工作舎
「量子の公案」 ケン・ウィルバー編著 田中三彦+吉福伸逸 訳 工作舎
「自己組織化する宇宙」 エリッヒ・ヤンツ著 芹沢高志+内田美恵 訳 工作舎
「生命のニューサイエンス」 ルパート・シェルドレイク著 幾島+竹居 訳 工作舎
「グローバル・ブレイン」 ピーター・ラッセル著 吉福 他 訳 工作舎
「生老病死の心理学」 吉福伸逸 著 春秋社
「宇宙意識への接近」 河合隼雄+吉福伸逸 共編 春秋社
「ホリスティック医学入門」 日本ホリスティック医学協会 編 柏樹社
「奇蹟を求めて」 P・D・ウスペンスキー著 浅井雅志 訳 平河出版社
「グルジェフ・ワーク」 K・R・スピース著 武邑光裕 訳 平河出版社

《ニューエイジ・スピリチュアリズム・神智学・新宗教・生命主義 関連書籍》
「ニューエイジの歴史と現在」 レイチェル・ストーム著 角川選書
「ビー・ヒア・ナウ」 ラム・ダス+ラマ・ファウンデーション著 吉福 他 訳 平河出版
「神智学大要一・二」 A・E・パウエル編著 仲里誠桔 訳 たま出版
「ヨーガ・スートラ」「ヨーガ根本教典」 佐保田鶴治 訳著 平河出版社
「ヨーガ一・二」 エリアーデ著作集 立川武蔵 訳 せりか書房
「世界神秘学事典」 荒俣宏 編 平河出版
「新宗教事典」 井上・孝本・対馬・中牧・西山 編 弘文堂
「現代人の宗教」 大村英昭・西山茂 編 有斐閣Sシリーズ
「大正生命主義と現代」 鈴木貞美 編 河出書房
「『生命』で読む日本近代」鈴木貞美 NHKブックス
「ニューソート」 マーチン・A・ラーソン著 高橋和夫 他 訳 日本教文社

《近代科学と日蓮仏教・宗教一般》
「科学時代の神々 岩波講座 宗教と科学三」河合隼人・高橋巌・上田紀行 他 岩波書店
「科学・哲学・信仰」 村上陽一郎 第三文明社レグルス文庫
「方法序説」 デカルト 落合太郎訳 岩波文庫
「遥かなる日本ルネッサンス」 福田和也 著 文芸春秋
「科学教の迷信」 池田清彦 洋泉社
「他者なき思想−ハイデガ−問題と日本」浅利誠、芥正彦 他 藤原書店
「虚構の時代の果てーオウムと世界最終戦争」大澤真幸 ちくま新書
「宗教なき時代を生きるために」 森岡正博 著 法蔵館
「近代の超克」 河上徹太郎 他 富士房百科文庫
「人間主義の日蓮本仏論を求めて」 松戸行雄 著 みくに書房
「日蓮思想の革新」 松戸行雄 著 論創社
「平成の教義論争」 松戸行雄 著 みくに書房
「論集日本仏教史 四・鎌倉時代」 高木豊 編 雄山閣
「図説日本仏教の歴史 鎌倉時代」 高木豊 著 佼正出版
「天台本覚論」 日本思想体系 岩波書店
「平成新修日蓮聖人遺文集」
「石原莞爾選集(全一〇巻)合本版」 たまいらぼ出版


 *1 ニューサイエンスというジャンルを表わす言葉は、日本でだけ通用する和製英語である。フリッチョフ・カプラの「タオ自然学」(工作舎)が、日本におけるニューサイエンス、もしくはニューエイジ・サイエンスの震源といえるが、工作舎がこの本を翻訳出版した当時には、この言葉はなかった。その後に工作舎を中心に、ライアル・ワトソンの「生命潮流」やアーサー・ケストラーの「ホロン革命」などの一連の本が、ニューサイエンスと名づけられて次々と出版されたことで、この言葉が出版界で定着して使用されることになる。だからニューサイエンスという言葉自体は、工作舎がつくった出版戦略上のコピーだが、この言葉に象徴される思想的潮流があることは確かである。日本における翻訳出版は、仕掛け人の工作舎の他は、春秋社、平河出版など宗教ジャンルの出版社が担っていった。付録のニューサイエンスの成立史を参照のこと。
 *2 現代におけるニューエイジという言葉は、輪廻転生やリーディングやチャネリングや死後の世界といった精神世界の話題を題材にしたシャーリー・マクレーンの「アウト・オン・ア・リム」(地湧社一九八六年刊)の出版と共に、一般に広まった。八〇年代精神世界ブームの総称ともいえるニューエイジを担った世代は、本稿の付録にも述べたように六〇年代変革期の影響を受けた世代である。この本の翻訳者・山川紘矢氏のあとがきに、「この“真理”を本当に知ったものだけが、これから来るアクエリアスの時代に生き残れるのではないかと思いをはせるとき時、この本は、私達にとって、特別の意味を持っているといえましょう。」とあるが、真理を知るものが生き残れるというニューエイジに特徴的な危機意識は、オウム真理教の破滅的な事件につながっているといえよう。
 *3 ケン・ウィルバーは、トランスパーソナル(超個と訳せる)心理学の理論家。アートマン・プロジェクトとは、「人間の心理的発達が、自然の進化と同じに、次第に高度になって行く統一性を生み出す目標を持っている」という考察から、全人類の歴史においても究極的な統一である仏陀、神、アートマンを目指しているという、人類の進化、成長、発達のシナリオ。いわば、個人の自己実現である悟りを人類史に当てはめた、地球規模の成仏理論といえるだろう。
 *4 ラブロックのガイア仮説は、行きとし行けるもの全ては全体でひとつの生命体をなしているという仮説を、大気分析とシステム論から説明している。地球規模の環境問題を表す言葉として、既にあったバックミンスター・フラーの「宇宙船地球号」という機械操作的イメージに対し、地球生命体との共生という生物的イメージを打ち出した。ガイヤは、ギリシャ神話の大地母神の名である。地球生命圏(工作舎)参照。
 *5 ニューソート(新思想)は、一般に十九世紀のアメリカで、R・W・エマソンの哲学を支えにして徐々に社会に浸透していったキリスト教の新しい宗教運動と考えられている。しかし、その源流としては新教のカルヴァンに火刑にされたセルヴェストスや、霊視者といわれるエマニュエル・スウェデンボルグがあげられる。スウェデンボルグにおいては、自然哲学者(科学者)として並外れた資質を持ちながら、自然の探求をキリスト教の教説と結び付け、あくまで神の創造されたものとしての自然と宇宙を解明しようとした。こうした独自な思想がニューソートの源流となり、アメリカにおいて治療家のクウィンビーやエヴァンズ、クリスチャンサイエンスのエディー夫人らを経て、ディヴァイン・サイエンス(神の科学)やレリジャス・サイエンス(宗教科学)などを生み出して行く。その教えの特徴としては、「人間の意識と生命は宇宙を直結している」「あらゆる病の本質は、自己意識に対する無知が原因である」「原罪はなく、あらゆる人がキリストを内包している」などの言葉にあるように、人間の暗い面を否定して神の愛と人間に宿る神性を信じ、健康、成功、幸福という望ましい状態をこの世でかちえようとする、いわば現世利益志向の実践的な哲学である。日本におけるニューソートは、大本教から分れて成長の家をつくった谷口雅春の光明思想において見ることができる。その思想はニューソートの教えに共通し、人は神の子として本来は病いはなく罪も貧困もないことを説き、不死なる生命を礼拝し生命の法則に則った生活を勧める。この考え方の基本は、人は神の分霊だとする大生命の思想にほかならい。今回の論考では、こうした生命主義的世界観のルーツとして神智学とスピリチュアリズムを取り上げたが、ニューソートも加わった相互の影響の中から、日本の現世利益を強調する新宗教の教義がつくられ、また今日の生命主義的な精神世界ブームやニューエイジといわれる状況が生まれたといえる。詳しくは「ニューソート その系譜と現代的意義」(日本教文社)を参照のこと。
 *6 ニューエイジの定義については、シュタイナー学者・高橋巌氏による次のような説明がある。
    ニューエイジの歴史と現在−地上の楽園を求めて(角川選書)より
    一九世紀末から今日迄の激動する百年間、地球との生活環境の変化に応じて、人間の意識も劇的な変貌を遂げた。本書はそのような近代意識の成立過程において「ニューエイジ」という言葉で包括できるような、いわば近代意識の裏面の流れを独特の仕方で綿密に跡付けている。「ニューエイジ」的な意識の特徴は、第一にこの世の現実の中には、眼に見えぬ第二の現実が組み込まれており、その第二の現実の観点から見れば、自然も人生もまったく異なった意味を語りはじめる、という実感にあるのだが、この実感は一方に於いては、皮膚の色、、民族的、宗教的な相違を超えて、人間同士の間、人間と動物の間、更には人間と自然の間の環境を消し去ろうとする。最近の流行語で言えば「フルクサス(流動)」の立場を生じさせるが、他方においては、この第二の現実を世俗的な利害関係に役立たせようとする、権力構造をも生み出す。−高橋 巌(訳者)による前書きから−
 *7 大村英昭・西山茂 編「現代人の宗教」(有斐閣Sシリーズ)第5章 現代の宗教運動−(霊=術)系新宗教の流行と「2つの近代化」、また東京西部教化センター刊「最近の新宗教の動向と日蓮主義」を参照のこと。
 *8 宗教学者の対馬 路人氏は、新宗教の共通する世界観を生命主義的世界観として、新宗教辞典(弘文堂)において次のように説明している。
 新宗教の世界観の特徴の一つは、それが世界・宇宙の全体を1個の決して衰退することのない、産出力に満ちあふれた生命体ないし生命の流れととらえているところにある。
 たとえば、「天道は生々にして、天地に死と申すことは更にえんなきものに御座候(黒住教教書)」
「大いなる生命が一切者に貫流し、とどまらず、退くことなく、豊かに流れて、供給自ずから無限である。 成長の家(生命の実相)」「生命とは宇宙とともに、存在し宇宙より先でもなければ、あとから偶発的に、あるいは なにびとかによってつくられて生じたものでもない。宇宙自体が生命そのものであり・創価学会(戸田城聖論文集)」など、宇宙生命を説く考えに至る所で出会うことができる。
 また、こうした生命主義的世界像とかかわって、世界全体の構造に関しては現世中心の一元論へ収れんする傾向が強いことが指摘できよう。−略−
 ところでこうした一元的で生命主義的な世界像では、世界の中に生きている個々の生命体はいわばこの生命の流れの一部を担っているないし参与している(全体と部分の関係)存在ととらえられる。個々の人間もそうした生命の流れの一部であり、その運命、幸(生命力の開花)不幸(生命力の阻害)は究極的にその生命のながれとのつながりのあり方に左右されるということになる。このように新宗教の生命主義的世界像の下では人間存在のあり方、その幸・不幸、救済の方途といった問題はこの生命のつながりの論理、あるいは生命連帯の論理によって説明される。それゆえこの生命のつながりの論理の構造をあきらかにすることによって、新宗教の救済観の基本構造がかなり明確になるのである。(P二二三−二二四から抜粋)
 *9 鈴木氏は「大正生命主義」に大きな影を投げかけた十九世紀末から二十世紀初頭の西欧の生命主義的思想を五つあげている。
   第一は、「個体発生は系統発生を繰り返す」と述べたエルンスト・ヘッケルの進化論や遺伝学を統合した生気論的「生命一元論」
   第二は、アンリ・ベルグソンの「創造的進化」
   第三は、ウィリアム・ジェイムズの多元主義的プラグマティズム
   第四は、エレン・ケイのリベラルなフェミニズム思想
   第五は、ロシアの無政府主義者、クロポトキンの「相互扶助論」
    このような生命主義的思想は、当時の西欧においてはキリスト教によって排撃され、機械論的科学の立場からは近代合理主義の名によって攻撃されたという。この各項目の詳しい説明は河出書房新社の「大正生命主義と現代」を参照のこと。
 *10 煩悩を次第に破して覚りを得るのを始覚というのに対し、心の本性は本来覚りの性を具えていることを本覚という。
 本覚思想は、日本中古天台の観心重視の現実絶対肯定の思想を表わす術語として有名だが、その起源は「大乗起信論」にあり、これを中国の華厳宗、日本の空海、中古天台教学が発展させた。「起信論」では、心真如門(真理界)で真如を、心生滅門(現象界)で本覚を説き、内に本来覚りの性をそなえている(本覚)から、はじめて覚る(始覚)こともできるとする。本覚思想が爛熟した中古天台では、無作三身思想とあいまって、凡夫の日常の振舞を本覚の動作として絶対肯定し、さらには、仏は虚仏、凡夫こそ実仏と考えた。そこから、現象面で堕落・退廃の思想という印象を与へる事態も生じたが、その、現象的存在は全て本覚の発露であるという絶対的一元論は、茶道などの日本文化史にも影響を与えた。(「日蓮宗事典」、「日蓮辞典」、「日本仏教語辞典(平凡社)」参照)
 <~ 竹内好によると、「近代の超克」というのは、戦争中の日本の知識人をとらえた流行語の一つ、あるいはマジナイ語の一つであった。「近代の超克」は「大東亜戦争」と結び付いて、西洋近代を超克する今大戦を肯定するシンボルの役目を果たした。
 固有な意味での「近代の超克」は、雑誌「文学界」の昭和十七年(一九四二)九、十月号に載った、当代一流の知識人を集めて行なったシンポジウムを指すが、「近代の超克」という言葉は、このシンポジウムによってシンボル化されたという。「近代の超克」は、戦争とファシズムのイデオロギーを代表するものとして戦後はつねに「悪名高き」という形容詞をつけられ言及された。
 いま一つ「悪名高き」座談会として、西田幾太郎と田辺元に師事する京都学派の四人の哲学者・歴史家によって行われ、昭和十七年から十八年にかけて前後三回「中央公論」に掲載された「世界史的立場と日本(第一回)」、「東亜共栄圏の倫理と歴史性(第二回)」「総力戦の哲学(第三回)」がある。引用は「総力戦の哲学」からだが、竹内良知は京都学派が「ランケのモラリッシュ・エネルギーという思想から『道義的生命力』という概念をつくりあげ――戦争の侵略性をおおいかくすことに務めた。(「昭和思想史」総論)」と指摘している。
 *12 インド以東の東洋において、釈尊こそが最初に本質存在探求の学としての論理主義を提示した、と主張する袴谷憲昭氏は、その著「唯識の解釈学」で仏教史において釈尊の論理主義とインド思想の習俗的事実主義が交錯するようすを次のように述べている。此処で言う事実主義とは、ヨーガの「境地」を前提とするような体験主義である。
     インド思想史における仏教登場の意味合とは、霊魂(アートマン)はあると主張されていたそれまでのインド思想の「事実主義」に対して、仏教は霊魂はない(無我説)とその「事実主義」を否定するとともに、霊魂(アートマン)とは五蘊であると、「場所」的に捉えられていた霊魂の「本質」を論理的に指摘するものだったのである。
 この「本質存在」探求の学が仏教思想史においてはアビダルマと呼ばれる説一切有部を頂点とする法(ダルマ)の教義を形成する。しかし、その法が「場所」的に捉えられるようになるや、かかる「場所」的な法はないと再びその「事実主義」を否定して「法無我」を主張したのがナーガールジュナによって確立された大乗仏教であり、それは後の数少ない批判的な中論学派によって継承された。しかるに、釈尊以来のいわば今にも切れそうな細い線のような仏教史を絶えず取り囲んでいたのは、インド思想の「事実主義」とは明確な一線を画しがたいような、苦行主義的体験に基づくわかりやすい仏教だったのである。(「唯識の解釈学」 春秋社 参照)
    この苦行主義的体験に基づくわかりやすい仏教を代表するのが、ヨーガの神秘体験を事実として訴え、大衆運動としての大乗仏教を吸収しつつ、実践体験上の深層の心を重視する唯識思想を確立した、実修行派(瑜伽行派Yogacara)と呼ばれる学派である。
 袴谷氏は、この唯識と如来蔵思想を中心とした仏教の流れを、本覚思想として批判し、釈尊の問答法(対機説法)に示されるような、言葉を重視した、そして物語や超越性を否定した仏教を「正しい仏教」として対峙させている。
 袴谷氏は、この正しい仏教の「正しさ」の根拠を、批判的に研究する姿勢そのものに置いている。いわば正しい判断力で考えるという営み自体に、正しい仏教を見出しているといえよう。こうした根底的な批判の姿勢こそ、超越的な夢想にやすやすと魅せられてしまう者が多い現状において、もっとも必要とされることではないだろうか。
 *13 アーカシャとは梵語で虚空を意味するが、アーカシャ記録とは宇宙の全ての現象が永遠に記録されているエーテル状の全記憶媒体のこと。ブラヴァツキーやシュタイナーなどの神智学系の神秘家によると、物理界・幽星界・神界・天空などの世界の果てに、それを取り巻くように不思議な境界線が遠く伸びているという。ここには全宇宙の歴史が時間の流れにしたがって配列されたおり、アーカシャ自体は解読不能な言語によって記された書籍にたとえられる。
 この考え方は、仏教でいえば、逆に内面化して、仏陀の全知が含まれる如来蔵やアーラヤ識、また密教の種子の考え方に相応する。(「世界神秘学辞典」平河出版より)
 *14 文芸評論家の福田和也氏の著作「遥かなる日本ルネサンス(文芸春秋社)」における、ガリレオ・ガリレイのよる近代科学の成立と、科学の成立による「人間」という理念の誕生に関する見解を参照。
(「遥かなる日本ルネサンス」P一〇〇〜一一〇部分 文芸春秋 刊)
 *15 論集「日本仏教史」四巻 鎌倉時代 高木豊 編(雄山閣)を参照のこと。
 *16 常没とは、涅槃経に説かれる恒河七種の衆生の一で、「常没とは所謂大魚なり、大悪業(の果)を受け、身重くして深きに處る「是の故に常に没す」とある。一闡提は、梵語イッチャンティカの音写で断善根、不信の意。
 日蓮聖人は、誹謗正法の者を恒河第一の一闡提常没としたが、この仏種を断ぜられた一闡提も謗法という逆縁を以って、「是の好き良薬を今留めて此に置く」(寿量品)との仏の慈悲によって現世、後世に善根を得て成仏できるとした。
(日蓮辞典、本化聖典大辞林参照)
 *17 法華経信仰によって己心に本尊を見て、信仰者の心がそのまま本仏であるとする観心主義に立脚した本尊観。日蓮聖人は「観心本尊妙」において妙法五字の受持による釈尊の因行果徳の自然譲与を説いて、五字受持が本門本尊を受領する観心の法門であることを示し、こうして超越の釈尊を受持者の忌に具することを「忌の釈尊」と表現されたが、聖人滅後に観心偏重の教学が進展する中で、信仰者の己心に本仏を見る己心本尊説が主張されるようになった。これは、忌の釈尊をさらに仏勅を発動する超越的対象としてとらえていた聖人の釈尊観・本尊観とは異質なものである。(「日蓮宗事典」参照・要約)
 *18 「ニューエイジの歴史と現在」を書いたレイチェル・ストームは、海外でのニューエイジと創価学会の結びつきについて次のように述べている。
 しかし、今世紀、悟りを求める西洋人に深い影響を与えた日本の運動は、禅だけではない。日蓮正宗もまた、西洋に深く浸透してきた。日蓮正宗は、かって日本で仕事をしていたイギリスの事業家によって、一九七〇年代にイギリスに紹介され、一九八〇年代後半には、イギリス日蓮正宗のメンバーが「アリクス」というミュージカルを上演したとき、ロンドンのコンサート・ホールを会員で一杯にするほどポピュラーになった。このミュージカルの歌詞は、日蓮正宗と多くのニューエイジの教えとの結びつきを表わしていた。その歌詞にみられる全体的傾向の典型は、こんな一節を含んだ歌だった。「今、ここに、天国はあなたの下にあり、どこか遠くの星のように彼方にあるのではない。」このように、地上天国を探求するニューエイジ運動をはぐくんできたといえるのは、日本から西洋に輸入された諸運動なのである。」(「ニューエイジの歴史と現在」 角川選書)
 *19 石原莞爾はその「最終戦争論」の中で「日蓮聖人は将来に対する重大な予言をしております。日本を中心として世界に未曾有の大戦争が必ず起る。そのときに本化上行が再び世の中に出て来られ、本門の戒壇を日本国に建て、日本の国体を中心とする世界の統一が実現するのだ。こういう予言をして亡くなられたのであります。」と述べている。またこの最終戦争の論拠として、聖人在世時と近代仏教学での仏滅年代の違いから二回の末法時を本尊抄の「折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」の文に引き当て、現代を折伏を現ずる最終戦争の時期と見た。また石原は最終戦争は、東亜と米国の決戦となり、決戦兵器の登場で短期に終ると予測したが、原爆投下の敗戦で最終戦争は決着したとして、戦後は徹底した非武装論を展開した。「石原莞爾選集」(たまいらぼ刊)参照。

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