2019.12.31
# エンタメ

2019年メガヒット、King Gnuが極めて「邦楽的」と言える理由

彼らの音楽の人気の「反面」を考える
伏見 瞬 プロフィール

今回の紅白歌合戦で披露される『白日』のコード進行の中にも、「G#→C#」「F7→A#m」「A#7→D#m」といった「緊張→緩和」の動きが多数見受けられる(音楽理論では「G#→C#」が「ドミナント・モーション」、後者二つの動きが「セカンダリー・ドミナント・モーション」と呼ばれる)。

欧米のポップ・マーケットにおいてはヒップホップ的なループ感覚の強い、コードの進行感の弱い音楽が隆盛を迎えている中、この進行感の強さは目を引くが、日本の大衆音楽文化においては、コード進行の強い音楽が(今のところ)受け入れられやすい。

さらに、彼らの曲における「Aメロ→Bメロ→サビ」といった構造や、最後のサビ前で転調する特徴はJ-POPの常套手段だ。つまるところ、彼らの和声進行は実に「邦楽」的である。King Gnuの音楽は邦楽的な楽曲を、邦楽になじみやすい黒人音楽のリズム感覚とサウンド・コーティングで演奏・編集したものであり、異色なようでいて実際は日本大衆音楽の伝統と規則に極めて忠実なのだ*2

 

『白日』の癒着性

忠実な古典性は、それ自体では忌避されるものではない。ただ、彼らがひたすらに「癒着した」音楽を作っていることには、少なくない気がかりを覚える。もう少し細かく『白日』を聴いてみよう。

再生すると、男性にしてはやや高い歌声とピアノの音がまず聞こえる。声楽の訓練を受けている井口理の吐息混じりの声からはザラついた非整数次倍音(いわゆるハスキーボイスを特徴付けるノイズ成分)が感じられず、「誰かを知らず知らずのうちに傷つけてしまう」という、誰にでも覚えのある過去の過ちを表した言葉が透明な印象と共に訪れる。

母音を伸ばす歌とアコースティックピアノの音が端正なためか、その後悔の文句には個人的な体験の裏付けを感じない。高音寄りの電子ドラムが入ってリズムが強調されると、やや前向きに「明日へと歩き出さなきゃ 雪が降りしきろうとも」と歌われる。スクラッチ音のあとでギター・ベース・生ドラムが加わって次のセクションへ。

*2 ちなみに、今年第70回の紅白歌合戦で歌われる予定の44曲の平均BPM(テンポの速さを示す指標)を調べたところ、「108.9」という数字が出た。『白日』は「94」で、aiko『花火』の「96」、LITTLE GLEE MONSTER『ECHO』の「95」と近い数字を出している。King Gnuが発表した全てのオリジナル楽曲の平均BPMは「97.3」である。

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