人気復活へ!プロレスリング・ノア 「脱三沢」改革の舞台裏に密着

その他

2020.1.21

mm.jpg
ノアのチャンピオン 清宮カイト氏

そこに秘められたドラマをあなたはまだ知らない

2019年1月、経営難に喘ぐプロレスリング・ノアを買収した企業がある。それは広告代理店のリデットエンターテインメント。

実はこちらの会社、過去にプロレスの大会をプロデュースしていた実績があり、その時の縁でノアの運営を引き受けることになったんだそう。

【動画】タピオカ大好き!強カワ女子 平田樹/格闘王誕生!ONE Championship

立て直し役として白羽の矢が立ったのが、武田なりひろ社長。今や業界トップの新日本プロレスで培ったノウハウを駆使し、ノアの立て直しに取り組んでいる武田社長。経営を引き継ぐこととなった今年の初旬、ノアは壊滅寸前だったという。

時は2000年、ジャイアント馬場亡き後の全日本プロレスを、社長として引き継いだのがプロレス四天王の一角としてカリスマ的な人気を誇った、三沢光晴だった。

ところが、オーナー側と団体運営において、衝突。三沢はやむなく全日本プロレスを離れることを決意した。

その時、三沢の行動に賛同し共に新団体を立ち上げることになったのが、三沢と同じくプロレス四天王としてマット界のトップに君臨していた小橋建太だった。

1.jpg
ビビる大木氏と小橋建太氏

プロレス界のトップに君臨するも暗雲が...

2.jpg
丸藤正道氏

小橋は副社長として、社長の三沢をかたわらで支え続けた。こうしてノアは熱く激しい戦いが熱狂的な支持を得て、瞬く間にプロレス界のトップに君臨した。

東京ドームにも進出。特に2005年の大会では、小橋は佐々木健介と初遭遇。プロレス史に残る名勝負を繰り広げた。

ところが2006年、小橋が癌に侵され一年半の戦線離脱を余儀なくされたことで、ノアの航海に暗雲が漂い始める。

その後小橋は奇跡のカムバックを果たすものの、2009年6月、試合中の不慮の事故により三沢光晴が急死。

主人を失ったノアは再び航海に出るべく小橋とのダブル副社長として、丸藤正道を経営陣に迎え入れた。

三沢の付き人であった丸藤は、共に全日本プロレスから移籍。プロレスリング・ノアの栄枯盛衰を知り尽くす、現役トップのノア戦士である。

しかし地上波放送の撤退、主要選手の大量離脱、小橋建太の引退とノアの箱船は荒波に飲まれる。かつてはプロレス界の盟主と謳われていたノアは座礁に乗り上げ、倒産寸前まで追い込まれてしまった。

聖域なき改革「脱三沢」

そんなノアの窮地を救うべく立ち上がったのが、かつて新日本プロレスで辣腕を振るった武田社長だった。

方舟の舵を握った武田社長は、聖域なき改革に乗り出す。その旗頭はズバリ「脱三沢」。

武田社長の「脱三沢」とは古い体質からの脱却、そして新時代の歴史を生み出していくこと。時代の先端を行くプロレス団体、新しいカラーを打ち出すことで新規の客層を取り込もうという改革だ。

「脱三沢」改革の象徴としてまず取り組んだのは旗印の変更。2000年の旗揚げの時から使われたきた団体ロゴを現代風のスマートなデザインのものに変更。さらに、三沢のイメージカラーだった緑色のマットを白に変更した。

これには当然ファンからは賛否の声が上がった。しかしノアは変わる必要があった。三沢の魂を継承するためには変わらなければならなかった。

改革の肝となったのは「SNS戦略」

次にメスを入れたのが、この改革の肝となる部分「SNS」。週1回、広報戦略会議を行い戦略を練った。SNSの閲覧数やリツイート数を分析。情報の内容やアップデートするタイミングなどネット情報ビジネスのプロを交えて、徹底的に情報発信の戦略を研究した。

このような努力を積み重ねた結果、2019年の初旬から徐々にお客さんがノアの会場に戻ってきた。

とは言え、やはりプロレスはリング上での熱い戦いがあってこそ。道場では、これからのノアを支えていく戦士たちが日々鍛錬を積み重ねている。

中でも注目の選手が現在ノアのチャンピオン、清宮カイト。

まだキャリア3年めの若手だが、7年ぶりに行われた両国国技館大会では大トリの試合を任された。ノアの将来を担う新星だ。

ノアの改革はまだ始まったばかり。いつかまた、トップになれる日を目指して。