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日本、対中非難緩和を模索 天安門後、G7声明修正協議―外交文書

2020年12月23日13時04分

アルシュ・サミット(先進7カ国首脳会議)で記念撮影に応じる宇野宗佑首相(左端)ら各国首脳=1989年7月、パリ(AFP時事)

アルシュ・サミット(先進7カ国首脳会議)で記念撮影に応じる宇野宗佑首相(左端)ら各国首脳=1989年7月、パリ(AFP時事)

 外務省は23日、1990年前後の外交文書ファイル計26冊を公開した。89年6月4日の中国・天安門事件に関する記録も含まれ、同年7月の仏アルシュ・サミット(先進7カ国首脳会議=G7)での対中非難声明をめぐり、日本政府が表現を和らげようと各国に働き掛けていた様子がうかがえる。(肩書は当時)
 外務省はサミットに臨む考え方として、(1)中国との基本的関係を損なわない(2)西側の一員としての立場を貫く―などの原則を確認。G7声明で人権問題に言及する場合は「抽象的な表現」にとどめる方針を固めていた。
 しかし、議長国フランスから示された素案は「中国における野蛮な鎮圧」を非難する厳しい内容で、ハイレベル交流中止などの制裁措置も盛り込まれていた。
 素案の説明を受けた宇野宗佑首相は「『野蛮な』という表現は中国が嫌うだろう」と懸念。外務省は声明文に「われわれは中国孤立化を意図しない」と書き込む対案を各国に提示したが、協議は難航した。
 サミット初日、訪仏した宇野氏はアタリ仏大統領特別補佐官と面会。アタリ氏が日本案に対し「中国を孤立させないのは当たり前で、書き込むのは非生産的」と難色を示すと、宇野氏は「それでは『中国が自ら孤立しないよう』としたらどうか」と代替案を示した。
 ぎりぎりの調整で最終案には「中国当局が孤立化を避け、協力関係への復帰をもたらす条件をつくり出すよう期待する」との一文が加わり、採択された。宇野氏が渋った「野蛮な鎮圧」の記述も「激しい抑圧」に修正された。
 日本が粘った背景には、対中貿易を重視する経済界の要請に加え、サミットを政権浮揚に利用したい首相官邸の思惑もあったとみられる。
 直後に参院選を控え、宇野政権は首相の女性スキャンダルで窮地にあった。公開された文書には、サミットでの首相の発信にこだわり、「これが唯一、宇野政権を救う手段だ」と檄(げき)を飛ばす牧野隆守官房副長官の発言メモも残されていた。
 声明が採択された首脳会合で、宇野氏は中国情勢の不安定化を望まない東南アジア諸国連合(ASEAN)の声を代弁。「アジア代表」の立場を強調した。
 文書はサミットを振り返り「わが国の努力は奏功した」と総括したが、自民党は参院選で過半数割れの歴史的大敗。宇野政権はこの年の8月に退陣した。

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