JリーグPRESSBACK NUMBER
元韓国代表ファン・ソンホンの悔恨。
国のために戦い、次はレイソルと……。
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph byYUTAKA/AFLO SPORT
posted2020/06/26 18:00
2002年3月31日、Jリーグ1stステージ、vs.東京ヴェルディ戦でのファン・ソンホン。この試合、1-0で柏レイソルが勝利した。
ひと夏の宴が終わった後の「解雇」通告。
――W杯代表入りに気持ちばかり入って、Jリーグでは力を抜いていた。そういった噂もありましたが。
「確かに気持ちは落ちていました。そうするしかなかったし、そうすべきだったと思っています。韓国国旗を胸にプレーするのに、50%の気持ちでやるのか。殴られます。80%、90%でもダメです。レイソルはその被害を受けてしまいました。2年間で21試合欠場したうえに、代表から戻っても、体調が悪ければいいプレーは出来ない」
はっきりと「代表優先だった」。そこまで言い切ることに、かなり驚いた。「Jリーグ公式戦に全力ではなかった」とは重大な発言だった。さらに話は続いた。
「だから、せめて大会を終えたらレイソルに100%集中する。そう決心したのです」
現に'02年5月29日、さあこれからW杯というところで「今大会を最後に代表を引退する」と宣言していた。レイソルに迷惑をかけ続けていたことを承知していたからこその、決断だった。
しかし、ひと夏の宴が終わった後、ファン・ソンホンを待っていたのは、ある宣告だった。
「解雇」
W杯後、ファーストステージが8試合残っていたが、チームは全敗。W杯時からの負傷を引きずっていたファンは2試合、84分しかピッチを踏めなかった。レイソルとしては、振り向いてほしい時には振り向いてくれず、あちらが気持ちを入れようとした時にはもう遅かったのだ。
Jリーグで燃え尽きることを望んだが……。
その後の道のりも過酷だった。アメリカMLSのクラブと契約寸前まで行ったが、メディカルチェックを通過できず。'02年の10月にKリーグの全南ドラゴンズと契約を結んだが、W杯時からのアキレス腱、膝、左太ももの負傷のため1試合も出場できなかった。
年末からリハビリに入るつもりだったが、この時、3つの負傷のうち最も軽症と想像していた太ももの炎症が「全治3カ月」と診断され、気持ちが切れた。翌年2月に引退を発表した。韓国の'02年W杯代表選手のなかで、最も早い引退だった。
Jリーグで燃え尽きることを望んだが、それが叶わなかったのだ。