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藤井黎元仙台市長死去、79歳 3期12年、市政の信頼回復

 仙台市長を3期12年務め、ゼネコン汚職事件で失墜した市の信頼回復を進めた藤井黎(ふじい・はじむ)氏が4日午後1時30分、肺炎のため仙台市青葉区の仙台厚生病院で死去した。79歳。釜石市出身。自宅は仙台市泉区松陵3の21の4。葬儀・告別式の日取りなどは未定。

 「市民協働」を市政運営の方針に掲げ、市民とのパートナーシップを重視したまちづくりを推進した。芸術文化に通じた「文化人市長」、ベガルタ仙台のサポーターとしても知られるなど、飾らない人柄で親しまれた。
 東北大経済学部卒。河北新報社に勤務後、東北大大学院教育学研究科を修了し、1957年に仙台市役所入り。総務局調査統計課長、企画局次長などを歴任し、79年から教育長を11年務めた。
 93年、ゼネコン汚職事件に伴う出直し市長選に市民グループに推されて立候補し、初当選。94年には制限付き一般競争入札を導入するなど、市政の透明化に積極的に取り組んだ。
 2期目の99年には行政主導型の市政運営からの転換を目指し「市民協働元年」を宣言。都市開発が一段落した百万都市で市民活動の育成・支援に力を入れ、都市コミュニティーづくりを進めた。
 仙台国際音楽コンクールを開催するなど文化やスポーツ振興にも尽力。現在、建設中の市地下鉄東西線の実現に精力を傾けた。
 2005年5月、「市政の課題解決に道筋を付けた」と引退を表明した。08年4月に旭日中綬章受章。
 昨年春には体調を崩し、肺がんの摘出手術を受けた。その後も可能な限り会合やイベントに顔を出し、市民とともに歩む姿勢を貫いた。先月上旬、肺炎のため再入院。数日前から危篤状態が続いていた。

<師のような存在/奥山恵美子仙台市長の話>
 ゼネコン汚職事件後の最もつらい時期を経験し、市民とともに信頼回復の道を歩み、指折りの「住んでみたい都市」をつくり上げた功績は大きい。昨年7月の市長選後、自宅に当選報告に行った時「本当に良かった」と喜んでくれた姿が印象的だった。教育長、市長と藤井氏の後をたどってきた。師のような存在だった。

<飛躍の礎築いた/村井嘉浩宮城県知事の話>
 3期12年、仙台市の発展のために多大な尽力をされ、杜の都が新時代に飛躍する礎を築かれた。市長を退任された後も、いろいろな形でご指導をいただいていた。ただただ残念でならない。心からご冥福をお祈りします。


2010年04月05日月曜日

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