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拓郎の“店じまい” シャイであるうちに、実にまともで紳士的な人物だった

[ 2022年6月25日 05:00 ]

日本フォークの旗手 吉田拓郎 年内で芸能活動終了の意向

1975年8月、つま恋コンサートに出演した吉田拓郎。5万人以上が詰めかけた
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 神奈川・三浦の観音崎や静岡・つま恋のスタジオに呼ばれたことがあった。「吉田拓郎がアルバムのレコーディングをしているので取材してほしい」とマネジャーに言われて、喜び勇んで向かった。一回りぐらい年下の自分を「すいません。こんなところまでお呼び立てして」と、最敬礼に近い丁寧なあいさつで迎えてくれた。

 実物に会うまで持っていた「オレ様」のぶっきらぼうな男くさいイメージがいきなりぶちこわされた。実にまともで紳士的な人物だった。

 ストレートに言葉をつないでくる歌が好きだった。おそらく面倒くさいことが嫌いな人なんだと思う。男はこんなにもいやらしく、スケベで単純な生き物だから可愛いのだと言ってくれる存在だった。だから口ずさんだ。いわゆる「字余りソング」の草分け。たぎる感情をメロディーに乗せるには、あまりにも時間が足りなかったのだろう。

 トークも天才だ。ライブ中、歌の合間にトークを挟むスタイルは拓郎さんがはしりで、ニューミュージック勢がこぞってまねをした。72年のアルバム「元気です。」は、演歌・歌謡曲以外の男性歌手で初めてオリコンチャート1位。73年に国内で初めて単独の全国ツアーを開いたのも拓郎さんだった。

 生き方もまねしたかった。しかもシャイ。青春時代は情けないぐらいにシャイな生き物だった。だからシャイであるうちに店じまいしたかったのだろう。世の中の拓郎ファンはそう理解すると思う。(元尾 哲也)

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